17.金山
今日も朝からアルフレッド様が訪ねてきた。
夏になってから朝食に出されるスープは冷たいものに代わった。今朝はとうもろこしの冷製ポタージュスープにカリッと焼かれたバゲット、スクランブルエッグには新鮮なトマトとアスパラが添えられている。デザートはグレープフルーツのゼリーらしいけれど、こちらは食後に運ばれてくる予定だ。
「まだ庭の散歩をしているのか?」
「はい、日差しが強いので木陰を選んで歩いています」
今は林を中心に抜け穴を探し中だ。
「時間がある時は一緒に歩きたいのだが、最近少々忙しくてな」
「気になさらないでください。随分慣れてきましたから」
アルフレッド様がいたら、普通の散歩しかできない。
「庭の花園は向日葵が見頃らしい。花束にして届けさせよう。それから午後のお茶には冷菓子を用意するよう言っておく」
「ありがとうございます」
ニーナが用意した朝食を一緒に食べ、たわいもない会話を交わす。穏やかな微笑みを向けてくるのが、本当にあのアルフレッド様かと首を傾げてしまう。
傷を負いながら、私を守ってくれた事には感謝してもしきれないぐらいだし、以前の鉄仮面のような顔より表情豊かな今の顔の方が、何倍も、何十倍もいいと思う。好ましくさえ思う。
私の中にアルフレッド様を慕う気持ちがどんどん積み重なっていきそうになり慌てて首を振る。
私はいずれ殺されるのだ。
それを避けるために逃げ出すつもりだけれど。
今は食堂で男達が話ていた金山の存在も気になる。
それが本当なら、ガンダリアはキーランに金山の存在を隠していたことになる。
アルフレッド様を見送って、食後の紅茶を飲みながらため息をつく私を、ニーナが心配そうに見てきた。
「シャルロット様、何かお悩み事でも? 私で良ければお話しください」
ニーナが心配そうな……いや、何かやる気満々な顔で聞いてくる。
ニーナに初めて会ったのは七歳の時だった。父から与えられた、初めての私専属の侍女で、当時十六歳くらいだったと思う。それから十年間、結婚もする事なくずっと仕えてくれている、よく気がつけば気転も利く出来る侍女だ。
お悩みなら、いっぱいあるんだけれど、無理だろうなぁ、と思いつつとりあえず一つ口にしてみる。
「ねぇ、アルフレッド様の執務室に行きたいのだけれど……」
「? 行けば良いのではありませんか?」
「少しの間でいいから、あの部屋で一人になりたいの。鍵のかかった扉を針金とかで開けられる?」
「……出来るとは思いますが……」
「えっ! 出来るの?」
ニーナの潜在能力は計り知れない所がある。眉間に深い皺を寄せうーんと唸り始めた。
ぶつぶつ呟く言葉から、穏便に私が執務室に一人になれる方法を考えてくれているみたい。ちょっと思い付きで言っただけなのにそんなに悩まれると申し訳なく思ってします。
ニーナの視線がテーブルの上のカレンダーで止まっている。アルフレッド様と外出した日にハートマークが書いてあるけれど決して私が書いたものではない。ちなみにニーナの手帳にはいままでアルフレッド様から頂いた品と日付が全て記入されている。ちょっと怖くて見れないけれど。
ニーナは何かを指折り数えている。彼女の頭に幾つの案が浮かんでいるのか分からないけれど、穏便な方法を選んでくれることを願うわ。
「分かりました。お任せください! ちょっと準備してきます」
閃いたって顔をしてキラキラした瞳で私を見ると、ニーナはくるりと背を向けた。
「!? えっ、待って。準備って? ねぇ、どこ行くの?」
慌てて椅子から立ち上がり手を伸ばして制止するも、その手をひらりとすり抜けてどこかに走り去ってしまった。
……どうしよう、まさか本当に鍵をあけてたら……
そんな私の心配をよそに十分ぐらいで戻ってくると、ガサガサとクローゼットを漁って一枚のエプロンを引っ張り出してきた。
「シャルロット様、台所の使用許可を取ってきました! お菓子を作りますよ!」
「どうしてそうなったの?」
斜め上の返答に呆気に取られる私の腕を強引に引っ張り、ニーナは楽しそうに台所へ向かう。
――それから数時間後
私は朝から焼いたクッキーを片手に執務室の扉の前にいる。普通に丸い形のクッキーにするつもりが、ニーナがものすごい速さでハート形に生地をくり抜いていった。それをどこからか用意してきたピンク色の箱に入れて白いリボンをかける。なんともメルヘンチックな仕上がりだ。
これ、ちょっと照れるんですけど。
本当にこれを持って行くだけで大丈夫なの?
不安いっぱいで隣のニーナを見ると、握り拳で応援してくれた。
ちょっと目的が変わってきている気がするのは気のせいでしょうか。
……本当に大丈夫なの?
不安な気持ちしかないまま、扉をノックするとアルフレッド様の声で返事があったので、ゆっくりとドアノブをまわす。
「なんだ? 先程の書類に不備でもあったか?」
中に入ると、椅子に座ったまま、こちらを見ずに書類に目を通しているアルフレッド様がいた。
「アルフレッド様、お忙しいですか?」
声をかけると、びっくりした表情でこちらを振り返り立ち上がった。あまりの勢いに椅子が倒れたけれども、それに構う事なく早足で私の元に駆け寄ってくる。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
心配そうに私の顔を覗き込んだあと、その視線が手元の箱に注がれる。
「……クッキーを焼きました。遅くなりましたが、この前助けて頂いたお礼に……一緒に食べたいなと思いまして」
アルフレッド様の顔にゆっくり笑顔が広がっていく。柔らかく細められた紫色の瞳が私を見つめるのが耐えきれない。
(うっ、そんなに無邪気な笑顔を浮かべて喜ばれると、良心が痛む……)
「後からニーナがお茶を持ってきますが、お時間は大丈夫でしょうか?」
「問題ない。この書類だけ目を通してしまうからそこの長椅子にでも座っていてくれ」
いそいそと倒れた椅子を戻し書類に再び目を通し始めるアルフレッド様を横目に、私はソファーに腰をおろした。そういえば、アルフレッド様が仕事をする姿を見るのはこれが初めてだ。書類に視線を落とす紫色の瞳に黒い睫毛が影を落とす。真剣な眼差しなのにどこか色香を感じ、思わず視線を逸らしてしまった。
数分が経った頃、扉がノックされた。
「ニーナだと思います」
ソファから立ち上がって扉に向かい開けると、目の前に飛び込んできたのは真っ赤なドレスだった。その赤い塊が私を押し退けると、アルフレッド様の胸に飛びこんでいく。あまりの勢いにアルフレッド様はよろめき机の上の書類が飛び散る。
「!! クローディア、どうしてお前がここにっ……というかっ離せっ!」
アルフレッド様が、しがみつく両腕を掴み無理矢理引き離そうとしてる。私はもめる二人の姿を呆気にとられながら眺めることしかできない。……そうだ! 思い出した! 明日が何の日か。
「どうしてって、明日は私の誕生日ですよ。パーティ一の招待状をお渡ししましたのに、返事がまだなので、こうして直接聞きに来たのです。」
「ちょっ、ちょっと待て、そんな招待状届いていたか」
「二月も前に送りましたよ。ご出席でよろしいですわね」
やけに甘ったれた声で、胸元を押しつけるようにアルフレッド様の左腕にしがみつき、離そうとしないその姿を私は見たことがある。場所はここではなかったかもしれないけれど、確かに見覚えがあった。
二人の姿を見ていると自分の立場が思い知らされる。
今日は金山はもう諦めよう。
癪だからクッキーが入った箱は持って帰ろう。
そう思って扉に向かう私の肩を、ちょっと息を切らしたアルフレッド様が掴んだ。
「待ってくれ。すぐに戻るからそれまでここに座っていてくれ」
アルフレッド様は出ていく私を強引に部屋に連れ戻してソファに座らせると、クローディアを連れて部屋から出て行ってしまった。
仕方なくソファに座りながら、ニーナはいつ来るんだろうと思い執務室を見渡す。さっきまでの騒がしさが嘘のようで、私一人が静かな部屋の中にいた。
……一人!?
がばっとソファから立ち上がる。
これは、のんびり座ってる場合じゃない!
急いで執務机に駆け寄りとりあえず飛び散った書類から手に取り始めた。それらに素早く目を走らせて行く。金山については書かれていないようだった。
次に机の上の書類にもざっと目を通し、引き出しに手をかけた。でも全て鍵がかかっていて開けることが出来ない。金山の場所が書かれた書類……それはどこにあるの? 扉の方をみればまだもめている声がする。この時ばかりはクローディアに感謝した。
もう一度机の上に目線を戻す。うず高く積まれた本が、先程の騒動で少し崩れていてその下から地一枚の紙が見えていた。ゆっくり引っ張り出すと、
……それは金山の場所と採掘量が書かれた書類だった。
トントン
扉を叩く音が聞こえてきた。
計画では、紅茶を持ってきたニーナが、何かしら理由をつけてアルフレッド様を部屋の外に連れ出すことになっていた。
でも、扉の向こうにいるのがニーナとは限らない。念のため部屋の中をぐるりと見渡しおかしなところはないかと確認する。見つけた書類はもちろん元の場所に戻しておいた。部屋は散らかっているけれど、それはクローディアがしたことで片付ける必要はない。
多分大丈夫とゆっくり深呼吸して気持ちを落ち着かせる。深呼吸をして扉を開けると、果たしてニーナとザイルがそこにいた。
「遅くなり申し訳ございません。先程廊下の端でアルフレッド様とクローディア様をお見掛けしましたがこのままこちらでお待ちになりますか?」
「シャルロット様、アルフレッド様の話はすぐに終わると思いますので、よければそれまで私がお相手いたします」
ニーナの冷たい目線が全てを物語っている気がする。ザイルがなんとか取り繕うとしているけれど、多分話はすぐに終わらないでしょう。そして何より目的は達成できたのでこれ以上ここにいる必要はない。
「お忙しい所これ以上お邪魔しては申し訳ないので帰ります。ザイルよければこれを受け取ってくれないかしら」
私はザイルにクッキーが入っている箱を強引に押し付けた。そして、ニーナの腕を引っ張って足速に部屋を立ち去る。ニーナはクッキーは宜しいのですか? と聞いてきたけれど私が無言で歩く姿をみてそれ以上は聞いてこなかった。
部屋に戻ってからは、一人になりたいからと言って寝室の扉を閉め、寝台に倒れ込んだ。
――金山は、キーランとガンダリアの国境を跨ぐようにある山だった。
そしてこのことはキーランには伝えられていない。つまり、ガンダリアは金を独り占めしようとしているのだ。
多分私が婚約者としてきたのも、冷遇されたもそこに理由がある気がする。
くるりと寝返りをうち、重い気持ちで見上げた先には五角形のシャンデリアが輝いていた。
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