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第60話 星々の下で


 ◇◇◇


 虫の囁きと、パチパチと爆ぜる薪の音。

 甘い香草の匂いが、ゆるやかに鼻をくすぐる。

 肌にはりつく布の冷たさ──。


 光が薄れ、五感がゆっくりと自分のものに戻っていく。

 フィンはゆっくりと目を開けた。


「ここは──。」


 まだ覚醒しきらない意識のまま、呟く。

 木々の間から覗く空は深い群青。

 宵闇に浮かぶ星々が、彼を迎えるように瞬いていた。


「おお、起きたか。して、気分はどうかの?」


 声のする方へ目をやる。

 小さな焚き火の前で、小鍋を木べらで混ぜているローブ姿の少女がいた。


「暫く眠っておったが、転移酔いかの。まあ、“初めて” の者にはよくある事じゃ。ほれ、服を脱いで乾かしたらどうじゃ?」

 

 指さす方を見ると、木の枝の間にロープが張られ、洗濯物のように服が並んでいる。

 子どもの手で絞られたのか、まだ雫が落ちていた。


「ああ、すまない。先に色々と準備してもらって。」


 フィンは立ち上がると、ロープの端を焚き火のそばの高めの位置に結び直した。

 が、少女の手が届かないかと思い直し、ほどよい高さで再調整する。

 シャツを脱ぎ、一度絞った後で少女の服の隣にかけると、干されている少女の衣装に目をやる。

 白地に緑の刺繍──繊細な意匠だが、実用品としての無駄のない造りをしている。


 “伝説の民” の衣だ、とすぐに分かった。

 人々のあいだではそう呼ばれているが、彼女たちは自らを “自由の民” と称する。

 街に溶け込んで暮らす者もいるが、長命ゆえに狙われやすく、一処に留まれぬ彼女たちは皮肉にも誰よりも不自由な生を選ばされてきた。


 この世界のどこかで、彼女たちは今日も “自由” という名の檻を背負って生きている。


 そして今、目の前にあるのは──その子供用の民族衣装だった。


「っへくちッ!」


 少女は鼻を押さえながら、じとっとフィンを睨む。


「お主、わしの服を見て何かやましいことを考えたのではあるまいな?」


「いや、特に何も。」


 短く答えながら、フィンは先に掛けられていた少女の服をもう一度絞る。

 すると、蛇口を捻ったように水が溢れた。


「ああ!? お主、それはデリケートで貴重な布じゃぞ! もうちと丁寧に扱うのじゃ!」


「……すまない。次から気をつけるよ。」


 エルフの少女は涙目で服を抱え、しわにならぬよう必死だ。

 その姿に、フィンは思わず口元を緩めた。


「本当に悪かったよ、エリュシア。けど、どうしてこんなにびしょ濡れなんだ?」


 名前を呼ばれると、彼女は頬をぷくりと膨らませた。


「覚えておらんのか? ダンジョンボスのウォーターハンマーをまともに喰らったじゃろうが。……ああ、そうか、頭を打ったのか。気の毒な。若いのにのう。」


 そう言って、彼女は小鍋を覗き込み、木べらをゆっくり回した。

 やがて湯気を立てるスープをひと椀すくい、差し出してくる。


「ポーション代わりじゃ。飲むがよい。」


 香草とキノコと乾燥肉──森の匂いそのものだった。


「良い香りだ。」


「ふふ、そうじゃろう? この辺りの森は初めてじゃが、食べられる草や茸は案外多いのじゃ。」


 彼女はその長耳をふるりと揺らし、機嫌よくそう返した。

 焚き火の明かりに照らされ、彼女の顔がはっきり見える。

 髪は左右で白と黒に分かれ、左眼は紫、右眼は金。

 見た目こそ十代にも満たないが、その瞳の奥には、遥か昔を知る者の光が宿っていた。

 彼女曰く、その瞳は其々が過去と未来を映し出すという。


 エルフの中でも特に始祖の力を深く発現させた者は極端に歳を取らない。彼女も既に数百年の時を生きているが、見た目は未だ幼いままだ。彼女達の様な存在は一族から畏敬の念を持って “智慧深き者(ハイエルフ)” と呼ばれている。


「それで──?」


 エリュシアはゆっくりと彼を見つめる。

 その双眸が、夜の火に揺れた。


「お主、またずいぶんと “色々” な目にあってきたようじゃな。」


 その声は、静かに痛みを撫でるようだった。


「……。」


 フィンは少しの間、言葉を探す。

 やがて、小さく頷いた。


「俺が寝ている間に見たんだな。── “過去” を。」


 沈黙。けれどその沈黙こそ、肯定だった。


「うむ。お主は、わしの…… “パートナー” じゃからの。」


 エリュシアは胸元のネックレスにそっと触れた。

 卒業の証──本来は指輪であるはずのもの。

 彼女は昔から指輪をしない。それが、彼女の “仕様” であり、誇りでもあった。


「……まあ、何じゃ。今宵はゆっくり休めばよかろう。」


 ふわりと微笑むその表情は、幼くも深く、星明りのように柔らかかった。

 焚き火が弾け、空には一際明るい星が瞬く。


 それは、まるで誰かが見守っているように輝いていた。


 ◇◇◇


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