第59話 祈り
◇◇◇
あれからどれくらいの時間が流れただろうか。
フィンは “夢” を見た。
それは、これまでのどの転生記録とも違う。
何かが “記憶の外側” から流れ込んできて、視界を侵食してくる。
灰の雪が降る。
そこには音もない。風もない。
世界が、息をしていなかった。
崩壊した塔の上、ひとりの少女が立っていた。
鈍色の髪に、光を吸う黒い瞳がかすかに震えた。
剣は折れ、仲間は沈黙している。
彼女の唇が動く──音がない。
それでも、確かにわかる。
「……見ていてくれたのなら、それでいいの。」
その言葉を最後に、世界が “停止” した。
粒子が崩れ、情報が霧散する。
夢は、そこで──断ち切られた。
目を覚ましたフィンは、しばらく天井を見つめていた。
視界の端に、まだ灰の粒が舞っている。
覚醒と共にゆっくりと、溶けるように消えていくそれを見つめながら、フィンは深く息を吸った。
額に滲む汗。息苦しいほどの胸の痛み。
あの少女を、自分はまだ知らない。けれど──覚えている気がする。
(……あれは、俺の見た世界じゃない。)
データの残響のように、脳裏に映像が焼き付いて離れない。
ふと、空間が揺れる。
白と金の羽音が微かに鳴り、フィンの周囲の光が反転した。
◇◇◇
『どうか、したのかい?』
声がした。
視界の端で、光の粒が人の形を取る。
光の粒子が浮遊する、境界のない、無限に白く広がる空間。フィンはここで、幾度も “彼” と会ってきた。ルシフェルだ。
「 “夢” を……。見ていたような気がする。元の世界でもない。これまで転生した先の世界でもない。何処か遠い世界の夢を。」
先程見た映像が、まだ頭が離れない。フィンは頭を抑えながらそう応える。
『……そう。この空間でも、夢を見るんだね。』
ルシフェルは静かにそう言った。
「どうやら、そうみたいだな。」
ふと、フィンは声の主に目をやる。何度もこの “狭間” で言葉を交わしてきた観測者。しかし、今回はいつもとかなり様子が違っている。
「なんだ? その姿は?」
フィンは思わずそう尋ねた。緩やかな曲線で結ばれた白衣に、背中から伸びた6対の翼──その出立はそのままに、“彼” は “彼女” としてそこに立っていた。
銀糸の髪を長く垂らし、胸元は緩やかに膨らんだ大人の女性の姿である。
驚きはなかった。けれど、胸の奥に微かな痛みが残った。まるで、ずっと会いたかったような──そんな感覚が。
『ふふふ。なんだ、もっと驚いてくれるかと思っていたのに。意外に反応が薄いんだね。』
軽い口調で告げる “彼女” の口元には、いつものようにわずかな笑みが浮かんでいた。それだけで、彼女がルシフェルであるとフィンが確信するのには十分であった。
「どうしてそんな姿に?」
フィンはルシフェルに再度尋ねるが、彼女はどこか哀しそうに笑う。
『さあね。君がそう、求めたんじゃないか?』
少しだけ、声が震えていた。
けれどフィンは、それを気のせいだと思った。
必要な時、必要な姿になれる。いつか彼はそう言った。もしそうなら、自分は無意識の中で彼に何を願ったのだろう。
「わからない。いまは、俺が何を求めているのか。」
フィンの静かな応えを聞くと、ルシフェルはそっと視線を落とす。
その横顔には、哀しみと慈愛が複雑に混じっていた。
観測者である彼女は、干渉を許されない。
けれど彼の心の傷だけは、放っておけなかった。
『今度の転生はね、戦うためじゃない。傷を癒すために、旅をしたらどうかな。休暇だよ。……君が、 “生きること” を取り戻すための。』
「……バカンス、ってやつか?」
『ああ。案外似合うと思うよ。それに──そろそろ、君の心にも新しい “風” が必要だ。今回の行き先は、私が選んであげよう。」
ルシフェルの指先がフィンの胸に触れる。
そこから流れ込むのは、静かな温もり。
魂の調律、あるいは次なる世界への鍵。
『次に出会う娘は、星を読む人。彼女の言葉を信じて。君が向かう先は、“予言” が導く旅路になる。』
光が弾ける。
狭間の空間がほどけ、転生の流れが始まる。
その最中、ルシフェルは小さく呟いた。
『フィン……どうか、笑って帰ってきておくれ。そうでなければ、私の “観測” にも意味がなくなる。』
光が収束し、白い羽根が舞い落ちる。
最後に、優しい微笑みだけが残った。
それは、彼女が長い観測の果てに見せた、最初の “祈り” のようだった。
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