第58話 ルンルンルシルシ
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◇◇狭間の空間(観測者の間)───
「お、やっと帰ったね。お疲れ様。」
フィンが目を開けると、そこには寛いだ様子のルフェルがいる。観測者の間、ただ白くどこまでも続く永遠の空間。その中心で彼は、輝く水晶のようなものを見ながら手を振っている。
「おう。」
フィンはその歓迎をさらりと流すと、殆ど倒れ込むような形で全身の力を抜いた。仰向けになった身体が真っ直ぐ天を見上げるほどになった時、ふわりと彼の身体が浮かぶ。
「あれあれ? 何だかとっても疲れているみたいだね。いったいどうしたんだいフィン? やあ、今回はなんだかんだ大冒険だったじゃないか。スキルの方も大分成長したようだ。頑張って帰ってきた君にはご褒美をあげないとね。ほら、良いワインを出してあげよう。500年物だよ?」
ルシフェルはご機嫌な様子でフィンに声をかけると、惜しげもなくワインの栓を抜いた。ポンと言う小気味のいい音と共に芳醇な香りが鼻を通り抜けると、ルシフェルはんん〜と一人悦に入る。それとは対照的に、フィンはどこまでも無表情だ。
「ルシフェルうるさい。いまはそんな気分じゃない。」
フィンは短く言い放つと、ゴロリとルシフェルに背を向けた。
「えっ。あ、あぅ……。」
情けなく小さな声を上げたルシフェルは、ワインを掲げた腕を下ろす。ルシフェルはしょんぼりしつつもフィンを見遣るが、当のフィンは全くそれを気にも介さず見向きもしない。敢えて元気に声をかけはしたものの、実際はルシフェルもフィンの傷心に気がついていた。神に近い存在とはいえ、ルシフェルとて感情や他者への慈愛の精神は持ち合わせている。
二人の間にしばらくの沈黙が流れる。
「俺はさ、ルシフェル。メアリにずっと恋焦がれてきた。この二年間ずっと……。だから、どんな事をしてでも彼女を救いたい。いまでも本気で、そう思ってる。」
ぽつりぽつりとフィンが語る。
「知っているさ。その為に、数多の世界を超えると僕に言ったろう。そのための力を、僕は与えた。それに、君は十分努力している。」
ルシフェルは応えながら、ゆっくりとフィンに歩み寄る。
「だ……けどさ。俺、さ。悲しいんだ。セリエが……死ん、で。セリエの想いに、応えてやらなかった事も。酷いこと、したかもしれない。いや、したんだよ。俺は。だから……。だからよぉ……。」
ルシフェルからフィンの表情は見えなかったが、その背中は十分以上に彼の心を表していた。フィンは誰かを愛する経験こそすれ、その愛が他の誰かの愛に衝突するという経験をしたのはこれが初めてのことなのだ。誰かからの愛を拒む事が、自分をも傷つけることを知ってしまったのだ。
「そうかい……、フィン。君はまた “愛” を深く知ったんだね。」
ぽんぽんと、ルシフェルがフィンの背中をさする。その声は慈愛に満ちているが、表情は悲痛だ。彼もまた、観測者としての役割と自己の持つ愛情の衝突に悩む者なのだ。
「これからのことは、ゆっくり考えるといい。此処では時が流れないんだ。いつまで居たっていいさ。ゆっくり……、ゆっくり悩んでいい。」
ルシフェルはフィンにそっと毛布をかけた。そして彼が手を上げれば、光で包まれていた空間に、静かに闇が降りてくる。
「少し眠りなよ。いつでも声をかけて。私はいつでも君を見ているから。」
そう言った後、ルシフェルは光となって何処かへ消えた。
「……。」
フィンは静かに目を閉じると、深い眠りに落ちていった。
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◇◇狭間の空間(某所)───
「自分と同じ痛みを味合わせるなんて……、私はやっぱり、残酷だね。」
観測者の間とは離れた別の場所で、ルシフェルは一人呟く。
彼はこれから先まだまだフィンが多くの傷を負うことになると知っている。まだ見ていない世界のことも観測者だからわかる。多くの数えきれない願いが儚く霧散していくのをその目で見てきたからわかるのだ。
そしてそれを観てきた彼自身、もはや何も感じ得ないほどに心を痛めてきたからわかるのだ。
「だけどねフィン、これは試練だよ。それと同時に、機会でもある。選択するのは、いつだって君なんだ。」
険しい顔で眉を寄せたまま、ルシフェルはしばらく考え込んでいたが、やがておもむろに両目を開いた。その瞳は爛々と輝き、口元には笑みさえ浮かべている。
「……そうか! フィンには “旅行” に行ってもらおう! そうだ、それがいい! 傷心の時はやっぱり旅行だよねぇ。可愛い女の子達とキャッキャウフフすれば、過ぎてしまった “愛の痛み” なんてすぐに治るさ! それじゃま早速、シミュラクルの観光案内をチェックしないとね! 私ってホンッと天ッ才!!」
あーーっはっはと、ルシフェルの高笑いが聞こえてくる。それが直接聞こえたわけではなかったが、フィンは毛布の中で一度ビクリと体を震わせるのであった。
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