第4話 シミュラクルへようこそ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──何だここ」
見渡す限りの白の中に俺はいた。
「⦅シミュラクル⦆の、ロビーか? いや、こんなに殺風景な場所なんかじゃなかったぞ?」
上も下も、右も左もただ真っ白な空間に、俺は浮かんでいる。
『やあ! ようやく着いたんだね。ずいぶん待たせたかい?』
辺りを見回していた俺が正面に視線を戻すと、すぐ目の前に光る玉のようなものがふわりと浮かんだ。
「いや、ついさっき着いた? ところだが…… ──お前は、何なんだ? そして此処は?」
『えっ、私? 私は、んー、何か。何と言われても説明しづらいねぇ。んーと、そうだなぁ。この世界の所有者……と言うべきか、或いは管理者? 観測者? まあ、そんなものだね 』
光る玉、もとい、観測者はそう応えた。
『あと、ここは⦅狭間の空間⦆──⦅シミュラクル⦆の観測点の一つさ。ここから世界を⦅観測⦆してるんだよ。
あと、さっきはすまなかったねぇ、転移先を誤ってしまって。本来なら先に此方へ飛ばそうと思っていたんだ 』
観測者は、大して悪びれた風でもない声でそう言った。
「観測者? シミュラクルの運営か?」
俺は静かに問いかける。
『…………うんえい? ……ああ!⦅運営⦆ね!! そうかも、そのイメージに近いかもね!』
どこか嬉しそうな声色でそいつは応えた。
その言葉に、俺はやや食い気味に言葉を返す。
「なら、俺のアカウントを元に戻せ!」
『アカウント? ああ、⦅アバター⦆のこと? もちろん、君のアバターは562個とも全部あるよ! あ。もう既にその内の一つは壊されてしまったけれど……。だけどその他は全部時間凍結されているから、学園都市の転移門を潜った先に、すぐにでも転生できるよ?』
「なら……」
『ちょっと待って、まだ話は終わっていないよ』
光る玉がふわふわと俺の周りを回る。
「俺の方は聞きたい事はもうないが……?
早く、メアリのいるアカウントに戻してもらおうか 」
『──本当に? 君が何故ここに居るのかわかっているのかい? それに、君の⦅パートナー⦆があれからどうなったか、聞きたくない?』
「…………ラミーのことか?」
『そうだろうね。気になるよねぇ 』
ハハッと彼は笑った。
「──ラミーは、逃げられたろう」
(怪物のターゲットは完全にラミーから外れていたはずだ)
『あの時は、ね ……』
「あの時?」
『そう、あの時は逃げられた。だけど、何から?』
「災厄とかいう怪物だ 」
『怪物…… 怪物ねぇ 』
「────何が言いたいんだ?」
『災厄のことさ。災厄が、何もあの怪物ばかり、いや、そもそも何か形を持つようなモノばかりとは限らないってことさ 』
「ますます言っていることがわからないが……? 」
『そうか、じゃあ、教えてあげよう。あの人虎の娘、確か、ラミーだったね。あの娘は、君の亡き骸を見つけた後に災厄への復讐を誓い、冒険者達の大きなクランと出会って、見事にそれを果たしたよ 』
「そうか…… それはよかっ── 」
『そしてその次の災厄が来たとき、真っ先に命を落とした 』
「──そうか 」
どんな命もいつかは終わる。
それが、早いか遅いかだけでしかない。だから、ラミーが悔いなく逝けたのであれば、俺は彼女がいつどうやって死んだって構わないと思っている。
「とはいえ、これはゲームの、⦅シミュラクル⦆の世界での話だろう?」
『──このシミュラクルが現実ではないと思っているのかい?』
彼は問うた。
「シミュラクルはゲームだろう 」
当然そうに決まっている。
『ああ、そうか、そうだよね。君にとってみれば、⦅ゲーム⦆という⦅現実⦆とは切り離された世界での出来事は全て虚構であって、現実ではないわけだ。その世界で何を得ようが、はたまた、何を失おうが、現実の君自身は何も変わらない。
それって、どちらかと言えば私達の側……観測者の視点に近いものがあるね。実に興味深い…… 』
観測者は続けて言う
『だけど、シミュラクルは現実だよ──⦅パラレルワールド⦆って表現が分かりやすいかな?』
「────? 俺の理解とは異なるが……」
『んー、これ、言っていいのか迷うけど。観測者って、楽じゃないんだよ。僕が管理・運営してるのは、何もこの世界だけってわけじゃない。それに、何もないところから世界を生み出すのってかなり骨が折れるのさ。
だから──、悪いけど、コピーしたのさ。君達のよく知っている⦅シミュラクル⦆の世界を、現実に、ね』
(……コピーだと?)
──ドクンッ……
心臓の音が、一際高く聞こえた気がした。
「それは……いつだ?」
『んーと、確か大型アップデートとやらで君以外の全てのユーザーがログアウトしたタイミングだね』
(なんか、すごいマズイ流れな気がする……)
「俺は何故ここにいる?」
バクバクと、心臓の音がうるさい
(違う、そうじゃない。そんな質問じゃない……)
「──俺は、オリジナルか?」
『おお、なんとなんと、一瞬で核心に辿り着いちゃったかい? 君は勘が鋭いねぇ』
「まさか、俺は──」
『そう、そのまさかのまさかだよ。私も向こうの世界で生きている魂をそのままコピーする気は無かったんだけどねー』
ガクリと、俺の中から何かが抜け落ちる感覚がした。
◇◇◇◇◇◇
「そ、そうか。俺は、コピーなのか」
しばらく茫然とした後、俺は何とか自分のいまの状況を飲み込もうと観測者の言葉を反芻する。
コピーであるということは、オリジナルはあの世界で、これからも普通の日常を送り続けていくのだろう。
なんだか自分の事なのに、他人事のようで、実感がない。
それと同時に、自分がもうあまり元の世界に未練がないのだと言うことを悟る。
俺は、あの世界でいつしか自分の居場所を失い、部屋に籠るように、⦅シミュラクル⦆の世界に没頭するようになった。
だが、そんな俺にも、俺のことを心配してくれる両親がいた────いや、彼は、もう俺ではないのだ。
願わくば、彼が本来の自分自身の願いを、再び見つけてくれる日が来ることを願う。
俺は、これから新しい生を得て、生きていくのだ。
そうだと思えば、一気に心臓の音は静まっていった。
それから観測者は静かに、俺の鼓動が落ち着くまで待ってから言う。
『ごめん。はっきり言えば、そうなんだ。元の世界の君は、まだあのアパートの中で眠っていて、目を覚ましたら昨日の続きをこのまま送ることになるだろうね。だから、あっちには君の魂の受け入れ先となる器はもうないんだ』
彼はすまんすまんというような軽い口調で、更に続ける。
『ただし、オリジナルの世界には──地球には戻してあげられないけれど、望むように転生させてあげることはできるよ。あくまでこの⦅シミュラクル⦆の中でならね』
「──死んだらどうなる?」
つい先程経験した⦅死⦆を、そしてあの腹の熱さを思い出しながら、俺は尋ねる。
『ん? ついさっき死んだのでは?』
「あれは、ゲームの中の話ではないんだったな。ということは、俺は── 」
『そう。死んだらここに戻って来ることになるよ』
「その後は?」
『さあ、それは君がどうしたいか次第さ』
「生き返らせることができるのか?」
『できるとも言えるし、できないとも言える』
「──補足してくれ」
『そうだねぇ。元いた世界には戻れない。時間を進めてしまうからね。観測は最後まで続けなければならないし、例外はないんだ。君だけのために、⦅シミュラクル⦆を止めることはできない』
「──じゃあ、転生はあと何回できる?」
『んー、いまはあと561回かなぁ』
「そうか、俺の持っているアカウントの全ての時間は、学園都市のダンジョンにある転移門を潜った時点で止めてある。そういうことで良かったか?」
『うんうん。そうだよ。君は殆どのアバターの時間をそのタイミングで止めていたからね。……あ、そういえば、1つだけ結構なレベルにまで育成されたアバターがあったよね。アレは違うよ、確か……』
(ああ……あれも、ゼロも転生先として選択できるのか)
「待て……ああ、まあそいつはちょっと、しばらくそのままにしておいてくれ」
『ふふっ、面白そうだけど深くは聞かないよ。とにかく、魂不在のアバターがあと561個あって、君は死ぬ度にその一つを選び直して乗り換えることができる。そんな感じかな』
「ほう……」
『なんでまた、そんなに沢山のアバターを作ったのさ』
興味深げに観測者は問うた。
「メアリの⦅パートナー⦆になりたかったからだ」
俺は即答する。
『ああ、メアリちゃんね。あの娘かー。たしかに、彼女に⦅パートナー⦆として選ばれるのはかなりハードル高めだろうね』
「だろう? その分燃えたんだ。2年間だ。ゲーム内での時間にすれば1000年以上も学園で過ごしたからな」
『まあ、君のアバターを除いても、他にも数え切れないくらいに観測したい世界はあるからさ──ゆっくり進めてもらっていいからね』
「わかった。ありがとう」
『なーに、君を作ったのは私みたいなものだからねぇ。そりゃあサービスくらいするさ。さて、早速メアリのもとへ転生するのかい?』
「いや、待ってくれ。確かにメアリには会いたいが……即死は困る」
『まあ、そうだよね』
「本命のアカウントは、転生直後にいきなり前回のような災厄と出会ったとしても、確実に対処できるような経験と自信を身につけてからでないとダメだ」
『うーん。そうだねぇ。転生する度に君の能力もスキルもリセットされてしまうとなれば、ちょっとあんなやつ等相手では荷が重いかもしれないね』
「そうだ。その災厄ってのは、そっちで何とか出来ないのか?」
『無理だね。イベントも含めてそのままコピーしちゃったからね。災厄の要素だけを取り去ることなんか私にはできないよ。それに、アップデートで導入されたシステムは、災厄を含めて必ずしもこの観測に有害だと言い切れるものばかりじゃなかったし、今更なかったことにはできないかな』
「そっか……あれは、あくまで⦅シミュラクル⦆の世界のイベントの一つであって、あの世界にとっての異物ってわけじゃないんだな」
『その通り。外からの干渉じゃないから、私も外から干渉することはできない。手強いとは思うけど、頑張ってね』
「わかった。何とか頑張る」
俺の目標はこれまでも、これからだって変わらない。
俺は諦めが悪いのだ。
『ふふ。いい顔になったね。』
『そうだ、私も全く君を手助けできないわけじゃないんだ。いくつかの≪ギフト≫を君にあげるよ』
「いいのか? 観測者が世界に手を加えても」
『いや、世界への干渉は莫大なエネルギーがかかるから、しない。君のことは気に入ったけれど、それじゃあ少々コスパが悪いんだ。私が変えるのは君だよ。君の──魂と言うべきかな。パイロットとしての君の性質を少しいじらせてもらおう。もともと私が作ったようなものだし、人間一人の魂をどうこうするのは大してエネルギーがかかるものじゃないんだ。それに、君が世界を変える分には私にとって何の損もないからね』
「そうか、恩に着る」
『いいんだ。私の子よ』
「急になんか神っぽいな!」
『ふふ、まあ雰囲気だけでも』
『そうだねぇ。それじゃ、君が⦅シミュラクル⦆で得た力は全て、アバターではなくて君の⦅魂⦆が獲得できるようにしておくよ。これで、君の魂は研鑽を積むことができる。つまり、君は転生する度に強くなる』
「……いいのか? そんな事をしても」
『もちろん、ローカルに保存するようにしていたデータを、共有サーバに保存するように変更するみたいなものだからね。大した事じゃあないよ』
「なんか急に俗っぽい表現になったなぁ……」
『わかりやすく伝えたつもりなんだけどな』
「わかってるよ。ありがとう」
『ああ、それと。ステータス画面と、ワールドクロック、世界座標なんかは君には見えるようにしておくね。あの世界の人達には見えるようにしてないんだ。不要……っていうか、変でしょう?』
「あー、うん。なんか、言わんとしていることはわかる。時間と自己位置がいつどこに居ても絶対的に正確な数値として把握できるって、とんでもなく便利だけど、かなりチートだよ。それに、自分の能力が数値化されてるってのも、普通なら知覚できない状態異常が分かるなんてのも、よく考えたらすごいチートだよなあ」
『まあ、君はそういう特異体質だっていうことで』
「わかった。あと、もう一つ聞いていいか?」
『何だい?』
「ここへの戻り方は、やっぱり死ぬしかないのか?」
『んー。そうだねぇ。それだと困るのかい?』
観測者は少し考えた後、問い返す。
「困る。それだとここでどれだけの研鑽を積んだとしても、メアリの世界に旅立った後、死の未来が訪れた時に回避する術が無くなる」
『そっかー、そうだねぇ。だけどなー、一度観測を始めた世界を凍結させるのは、中々に手間がかかるんだよねぇ』
「そうか……なら、やっぱかなり強くなってからでないと、メアリには会えないな」
『ごめんねぇ』
「いや、いいんだ。じゃあ、俺の転生先から現時点持ってるスキルだけを吸い出して、今継承するってのは可能か?」
『それは……実質その世界から君の存在を抹消することになる。つまり、君の転生の回数を減らすことになってはしまうけど、それでも良いなら可能だよ?』
「そうか、じゃあ、後でそれをいくつかお願いしてもいいか? 流石に、まともに500回以上も転生し続けてたら、数十年か、もしかしたら数百年もメアリに会えないってことになる。それはちょっと辛すぎるし、転生してその場で自殺するのも気が乗らなかったから、助かるよ」
『まあ転生先で君の⦅パートナー⦆が必死で止めようとするだろうから、すぐに自殺するのは結構難しいんじゃないかな。あと、メンタル的にそう何回も立て続けにできるようなことじゃないと思うよ……』
(確かに、想像するまでもなく地獄だ。最悪廃人になるかもしれない……やらなくてよかった。)
「色々とありがとう。言ってみてよかった」
『うんうん。なんだかんだで君の目的はメアリって娘に会うことだもんね。けど、そうだねぇ。そうやって無茶なことを君が思いついた時、私にすぐに連絡を取れないのはなんだか危なっかしいね。それじゃ、ホットラインもつけとくよ』
「なんだそりゃ?」
『ステータスを開いて、サポートってとこに目を向ければいい。私は直接手を出すことはできないし、君の知りたいことに何でも応えられるわけではないのだけれど、観測者から見た予想を踏まえた範囲でなら、出来る限り助言をしてあげよう』
「うお、マジでか!? そいつはちょっとばかしサービスが過ぎるんじゃないのか?」
『まぁねー。けど、こっちだって色々と試したいことがあるのさ。完全に善意でやっている訳じゃないから安心して』
「安心していいのやら悪いのやら」
『さあ? どうしようもないことは気にしないことも大事だと思うよ』
「ううーん。まあそういうものか……」
◇◇◇◇◇
『じゃあ、そろそろ転生先を選んでくれる?』
「あ、ちょっと待て──」
『ん?』
「名前、聞いてもいいか?」
『あ、私の?』
「そうだ。」
『私はルシフェルだ』
「……それ、うちの世界だと堕天使だったり悪魔王だったりの名前なんだが……やっぱり神的な何かなのか?」
『ふふ、私にとってはただの名だよ?』
「うう〜ん。まあ、そうだよなあ」
『君の名は? オリジナルの名前を引き継ぐかい? それとも、アバターを変える度に名前も変えてゆくのかい、ファースト君?』
「いや、もし、そいつを統一できるんなら、一つの名前にしてほしいと思ってたんだ」
『だよねぇ。貴方の名付けのセンスだと、⦅562⦆なんか物凄く感情移入しづらいし…』
「言うな……」
『で、何て呼ぼうか?』
「俺の名前は、そうだな、リセマラが終わったらフィンって名前に変えようと思ってた」
『⦅fin⦆ね。そういう一貫してるところはわかりやすくて好感度高いよ』
「そう?」
『うん。響きも悪くないし、君の魂に名前を刻んでおくね。これで、どの世界においても君の名はフィンってことになるよ』
「ありがとう、ルシフェルって名前も俺かっこよくて好きだよ」
『ふふ、よく言われる』
「ですよねー(棒読み)」
『それじゃ、今度こそ、継承元と、転生先を選んで』
目の前に。いくつもの転生先が浮かび上がる。
それらは元々自分が選ばなかった未来、捨ててしまった記録だ。だから当然、それらの記憶なんてそうそう覚えているはずもないのだが、不思議とフィンにはそれらの世界で彼がどう過ごしてきたのかを感じ取ることができた。
これもルシフェルが与えてくれた異能か、或いはこの空間、それとも、観測者としてのルシフェルの力なのだろうか。
「そうだなぁ。これとこれと……これは継承元にして……──」
俺は、その中から幾つかの継承元を選び、最後に一つの記録を指さして言う
「転生先は…… ココかな」
『ほう』
「意外だったか?」
『んー、いやあ〜? まあ、なんというか……割とすぐにまた会えるのかなーーって思っただけ』
「なんだそりゃ。けど、わかんねぇぞ? 強くならないといつまでたってもメアリに会えないんだからな。できるだけ足掻くさ」
『そうかい。それならもっと安全牌を選び直した方がいいと思うんだけど……君は負けず嫌いだねぇ。まあ、頑張りなよ』
「おう、ありがとう! じゃあまたな、ルシフェル!」
『ああ、またねフィン』
その言葉を聞いた後、俺の意識は少しづつ遠のいていく……
──────
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◇◇◇◇◇◇
「おお〜い」
「お〜い、フィーンー? お〜いってばー!」
何処からか、アイツの間延びした声が聞こえる……
さあ、新しい冒険の始まりだ。
2022.2.222 読みやすさ改善のため改稿しました( ᐢ˙꒳ ˙ᐢ )