第5話 農耕都市 “カナン”
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……徐々に視界が明るくなっていく──
「おお〜い。」
聴き慣れた声がした。
「お〜い、フィーンー? お〜いってばー!」
フィンが薄く目を開くと、そこには見慣れた顔がある。
「あ、やっと起きた! フィンの寝坊助め。あと少し起きてこなかったら蹴って起こそうかと思ったよ?」
悪戯好きのする顔で笑うその娘は、オレンジの髪にアーモンド型の目をした人虎の少女、ラミーである。
「ん……ああ。それ前にやられた時結構痛かったからもうやめてくれ。」
フィンはまだ少しぼんやりする頭を抱えながら少し呆れたように笑い、彼女の言葉に応えた。
「うそうそ冗談。そんな酷いことあたしがするはずないじゃんか〜。あれ〜? いつかそんなことしたっけなぁ?」
ラミーは少し考えて頭を捻っている。しかし、フィンが言った彼女に蹴られたことがあるというのだって決して嘘ではない。ただ、違うのだ。自分を買ったあの少女と、ここにいる少女は。
少し寂しく感じはしたものの、フィンは直ぐに気持ちを切り替える。最初に、ルシフェルが今回の転生から適用してくれたゲーム仕様を確かめることにした。まずステータス画面を開いてみると、状態のところに “転移酔い 0:05” という表示が出ている。その数字は少しずつ小さくなっていき、カウンターがゼロになると頭が少しすっきりしたように感じた。視界の端にはワールドクロックも世界座標もしっかりと表示されている。
フィンはそれらが問題なく機能していることをひとしきり確認した後辺りを見回す。どうやら此処は先程の転移先とは別の場所らしい。世界座標から察するに、ここは中央大陸西方に位置する穀倉地域のどこかのようだ。小麦のような作物を育てている畑が一面にあり、近くには川が流れていた。
「それにしてもここ、どの辺りだろうね〜? なんか、すごい牧歌的なところだよ。」
ラミーはフニャフニャと尻尾を振り目を細めている。フィンはくねくねと目の前で揺れるその尻尾を見つめ、そのリアルな動きを確かめる。ゲーム時代も獣人の尻尾は相当ハイレベルの物理演算で動いていたが、その動きにはどこか規則性があった様に思う。ゲーム時代以上にぬるぬると動くそれを見て、本当にこの世界に転生したことをまた少しフィンは実感した。
「ああ、そうだな。」
周辺の景色から、学園都市のダンジョンにある転移門の行き先は同じ “パートナー” を選んだとしても固定ではないのだとフィンには直ぐにわかった。そしてこれは、ゲーム時代のシミュラクルの仕様と全く同じである。
前回の転生では世界座標とワールドクロックは確認できなかったため、始まりの災厄がいつ何処に出現するのか、現在のところフィンには全く検討がつかなかった。
「さて、 先ずは何からはじめよう……。」
フィンが思案を始めようとしたその時、ぐぅ。という腹の音がどこからともなく聞こえてくる。横を見れば、ラミーがやや顔を赤らめて空を見ていた。
「とりあえず近場の街を探して、メシでも食うか。」
「それいいね! ちょうどあたしもそうしたいって思ってたところ!」
フィンの提案に、ラミーは満面の笑みでそう返す。
「んじゃ、とりあえず近くの農民を見つけて聞き込みでもするか。」
これだけの畑があるということは、近くには農家があるだろう。そして当然、収穫した作物を集めて消費する街も、遠からず何処かにあるはずだ。
そう考えたフィンが少し遠くに目を遣れば、すぐに白い煙が立ち上る屋根が見えた。
「あの白い煙を見てくれ。どうやら家があるみたいだな。」
「おお〜、幸先いいね! こりゃ美味しいお昼ご飯にありつくまで、あと少しってところですかな〜?」
そう言って、ラミーは軽く尻尾を振りながら歩き始める。鼻歌混じりに前を行くその背は、まるで周囲を警戒していないようにも見えた。
その姿を目で追いつつ、フィンはつぶやく。
(……本当に、何も覚えてないんだな。)
転生直後に殺された前回の経験から、フィンは無意識に周囲を警していた。しかし、よくよく考えてみれば、災厄の出現要領が前回と同じであるなら、災厄の出現時にはあの黒い霧が現れ、続いてアナウンスが流れるはずである。
全く無警戒というわけには行かないが、少しくらい気を緩めても問題は無いだろうとフィンは結論した。
「な〜に難しい顔してんの〜?」
振り返ったラミーが尋ねる。
「いや、なんでもないさ。あんま飛び跳ねんなよ。腹減るぞ。」
視界が開けたこの場所では、周囲を警戒する必要も薄いだろう。そう考えたフィンは、抱えていた不安を一旦は胸にしまっておくことにしてラミーの後を追った。
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──約4時間後
「ま、まだ着かないの〜? もうあたしヘトヘト〜。こんなに遠いなんて。聞いてないよぉ。」
案の定というか、ラミーは出発から1時間ほどしてヘバって動けなくなっていた。そもそも二人はここに転送される直前まで学園ダンジョンに挑んでいたので、そうなるだけの疲労はしっかりと身体に蓄積されていた。
「他人におぶってもらっておきながら、その言い草は無いんじゃないか?」
現在ラミーは、フィンに背負われる形で運ばれている。
「だって、あの農夫のオジさんが道なりに進んだら割と近くに大きな街が──なんて言うから……。」
「あの農夫の感覚と俺たちの感覚が少しズレていたとしても、それを詳しく確かめなかったのは俺たちの責任だ。まあ、最悪今日は野宿になるから、夜飯は乾パンになるな。」
「ええ〜〜! 野宿やだぁ!」
「じゃあ自分で歩くんだな。ペースをあげないといつ町に着くかわからんぞ?」
「ふぇぇ〜〜ん。しくしく。」
そんなやり取りをしていた時だった。
──ゴーン…… ゴーン……
遠くで響く鐘の音が、ふいに二人の耳に届く。
「あ、あれ! あれがたぶんさっき聞いた “カナン” って街じゃない?」
ラミーの指差す方にフィンが目をやると、確かにその方向に塔のような高い建物が見える。
「おそらくそうだろう。確か、時計塔という建物があるとか……。」
「へぇ、トケイ糖かぁ! なんでだろうね! なんだかとってもお腹が空いてきたよ!」
「ん。いや、ラミー……建物だ。食べ物じゃない。決まった時間になると尖塔の上でああして鐘を鳴らしてるのさ。この辺りの住民はその音を頼りに一日の時間を知り、それに従って生活しているんだ。」
「ふーん。フィンは物知りだなぁ。学園の成績は、そこそこだったのにね! ──ぐぅ。ああもうなんでもいいけど、お腹がペコペコだよぅ。」
「子供かお前は。よし、とりあえずもうあとちょっとだ。ゴールは見えてるんだから、こっからは自分で歩けよ。」
「はぁーい♪」
ラミーはフィンの背からシュタッと音を立てて飛び降りると、軽い足取りで駆けていった。
「おおーい、はやくーー。」
直ぐに点ほどの大きさになったラミーが、振り返ってフィンを呼ぶ。
「やれやれ。」
そんなに元気ならもっと早く歩かせてもよかったなとフィンは思った。とはいえこうして二人は、学園都市を出発して初めての街、 “カナン” へと無事に辿り着いたのであった。
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2022.2.22 読みやすさ改善のため改稿しました( ᐢ˙꒳ ˙ᐢ )




