第54話 誇りと名誉のために
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城壁の影を使いながら滑る様に一団へと近づいたフィンとキースは、彼らを率いていたセリエに小声で話しかける。
「おいセリエ、怪我は……。」
怪我人に声をかけて回ってはいたが、もちろんセリエが一番に気にかけていたのはフィンの安否である。
「フィン! よかった! 貴方こそ大丈夫でしたの!?」
「……してないみたいだな。それより声を落とせ。奴はまだ近くにいるんだぞ。」
「でもッ! いえ……、すみません。」
「いい。まずは少し移動するぞ。」
セリエはまだ何か言いたげであったが、直ぐにその言葉を飲み込んだ。
叫び声から遠ざかる様に移動した後、フィンはセリエにこれまであったことを説明した。キース達一族は黒門の呪いを受けており、ミルダを殺した獣人の正体はガレフであること。ガレフと一戦交えるも、現状の実力ではキースでも敵わなかったこと。ガレフを元に戻す手段はないが、弱体化の算段があること等である。
一方セリエはといえば、ミルダのあまりにも壮絶な最期を見たショックで気絶していたらしい。学園都市でも多少の出血を伴う様な訓練はあったが、人が目の前で生きたまま噛み千切られるような光景はそうそうお目にかかるものじゃないので、それも仕方がないことだろう。
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「……と、言うわけだ。じゃあこれからの作戦だが、ひとまず騎士団の生存者探しはここまでだ。」
フィンがそこまで言ったところで、また遠くで誰かの叫び声が聞こえた。フィンも一瞬言葉に詰まる。セリエは声にビクリと肩を震わせて少し怯えながらも、フィンの提案に抗議する。
「……ですが、彼等はまだ戦っています。それはつまり、怪我をしている騎士団の方々をこのまま見捨ておけと言うことですか?」
「ああ。俺が言うのも何だが、数を増やしても戦力的にはほぼ当てにならないからな。これ以上は意味が無いと言っている。」
「……それはッ! 少々人としての義に欠けた行為ではありませんか? 先程だって、叫び声から遠ざかる様に……私は、まだ生きている方々を見捨てたくはありません。」
声を殺しながらも、セリエは憤る。彼女は彼女なりに、任された責務を果たそうと懸命だ。しかし、頭に血が上って直ぐに周りが見えなくなるところは、彼女の悪い癖である。
「頭を冷やすんだセリエ。騎士団の人間は多かれ少なかれ覚悟はしてるさ、死ぬことも義務のうちだと。」
「それは……、確かにそうかもしれませんけどッ……!」
まだ気持ちの収まらないセリエはフィンの言葉に反論しようとした。だが、彼はそれを無言のうちに手で制すると、都市の方を指差して続けた。
「そうだろう? なら、まず俺たちが救うべきはその覚悟を “持たない” 人間達じゃないか? もう一度言うぞ、冷静になるんだセリエ。俺は騎士達を救わないと言ってるわけじゃ無い。じゃあ言い方を変えよう。出来るだけ多くの者を助けたい、と。気持ちは同じだ。違うか?」
そこまで説明すると、フィンの意図がセリエにも分かったようだ。セリエは申し訳なさげに謝罪した。
「す、すみませんでした……。」
「いや、わかってもらえればいいんだ。」
フィンは笑みを浮かべ、短くそれに応じる。
フィンは、セリエがまだ戦意を失っていないと分かった時点でもう逃げることを諦めていた。彼女が戦意を失っているか、或いは気絶しているようであれば、何とかミレッタを探し出して《転移》で逃げる方法を迷わず選んだろう。それが、彼らにとって生存確率を上げる一番の方法だからだ。
しかし現在もしその選択をすれば、セリエの彼に対する “信頼” を大きく損なうことになる。そしてそれは、“魂の記憶” として彼女の胸の中に深い影を残すのだ。この先も周回することを考えれば、いまは彼女の思いを汲んでやるべきだ。そう判断したからである。
二人のやり取りを後ろで見ていたキースは、頭を抱えながら苦笑いしている。それは彼が、フィンが先程まで全てを見捨てて逃げようとしていたことに、何となく気がついているからである。
(あれ、フィン君……。貴方さっきまで逃げる気満々じゃなかったですか……?)
そんな台詞はとても口に出せないキースであった。
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「皆んなよく聞け。ここからは各人ペアを組み、別れて都市へ向かう。一人でも多く辿り着き、人員を避難させることを優先します。」
キースは生き残りの団員達を集めて今後の作戦を語った。
集まった人間は、フィンとセリエを加えても30名にも満たない。だが、何とかここまで生き延びてきた運の良い者たちである。
「敵は単独。だが、不意打ちとはいえそれにミルダは瞬殺された。はっきりと言うが、大隊長クラスの実力を持ってしても敵う相手ではない。だから、ペアを組むのは助かるためじゃない。一人が死んだら、もう一人が何としても声を上げろ。奴の居場所を知らせるんだ。我々3人が討伐に向かう。」
誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「フィン君、セリエさん。フィン君に預けた秘策を試してからが勝負です。それまでは、私とセリエさんが何とかして奴の注意を引きつける。フィン君はとにかく、最初に奴に見つからないことにだけ専念してください。」
先程時間差で起動するよう仕込んだ煙幕符が発動し、戦場はまた濃い白煙で覆われている。これではガレフの位置も掴めないが、奇襲を成功させるためにはこちらの方が都合が良い。
「分かった。」
キースの指示にフィンは短く応じる。
「最後に、敵の正体についてですが……。」
キースはこの件について言うか言わざるか最後まで悩んだ。しかし死地に向かう騎士達には、せめて己の戦う敵が何であるかを正しく伝えるべきだと結論したのだ。敵は、“騎士団長” であると。
だがその言葉を告げるに当たって、彼にはまだ決意を固める時間が足りなかった。父の “名誉” を傷つけたく無かった。
「敵は……。」
キースが言葉に詰まり、皆がざわつき始める。誰もがキースの顔を覗き込んだその時──。
「敵は、騎士団長ガレフを殺した。」
フィンがキースの肩にそっと手を置き、その言葉を繋いだ。
全員がまさかといった顔で彼を見る。
「傷ついた “友人” に代わって、ここからは俺が話そう。」
「ちょ……、な、フィン君……。」
キースは一瞬戸惑いながら声を上げようとしたが、肩に乗せられたフィンの手に、ギリリと力を込められて口黙った。
「俺達の敵は “死霊術師” だ。戦いに紛れて団長を殺し、そればかりかその身体を “獣” にまで変えて、我々を襲わせている。君達の団長は、今やかつての高潔な精神とは無関係に、同胞に牙を向いている。こんなに酷いことが、許されるはずがない。」
フィンの言葉に、団員達はじっと耳を澄ませている。彼は更に言葉を続けた。
「団長は亡くなられた。しかし、“魂” は未だその肉体に囚われている。このまま団長が同胞殺しの大罪を重ねることになれば、やがては朽ちることも天にも昇ることも許されぬ “死霊” に成り果てるだろう。こんなにも非道な仕打ちを、許していいはずがない。」
フィンの言葉に熱が入る。その語り口に、表情に、団員達の胸にも熱いものが込み上げてくる。
「これを許せば君ら騎士団は、義と忠誠に尽くした男の名誉も守れぬ、ただの “犬” の群れと呼ばれることだろう。こんなにも屈辱的なことを、君達が受け入れられるはずがない。」
そこまで言って、フィンは確認するように騎士団員一人一人の顔を見つめた。彼らの瞳には、静かな怒りと確かな闘志が滲んでいる。
「何としても阻止しよう。我々の手で、何としても団長の魂を解放しよう。同胞よ、気高き “獅子” 達よ、どうか “友” に力を貸してやってくれ。」
フィンの顔は真剣だった。誰もがその言葉を疑わなかった。全員が気持ちを抑えきれず、雄叫びを上げようとしたその瞬間──。
「待て。すまないが “大声” は遠慮してもらいたい。」
絶妙なタイミングでフィンの静止の声が静かに響いた。皆が、挙げかけた拳をやり場なくブラリとおろす。
「「「お、おおう。」」」
その場に控えめで、どこか気の抜けたような返事が響いた。
(本当に、間合いを読むのがお上手だ。)
キースは、絶妙に嘘と真実を織り交ぜたフィンの説明に感心した。だがこれで、父の名誉は守られた。否、騎士団の誇りと名誉を、これから全員で守るのだ。
「ありがとう、皆んな。」
キースの口から、自然と感謝の言葉が出た。
その言葉に、団員達の目に信頼と覚悟の色が宿る。
「この城塞都市のため、そして、我が騎士団の誇りと名誉のため、死力を尽くせ。それでは、作戦を開始する。」
静かに、そして熱く、最後のフィリス防衛作戦が始まった。
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