第52話 危機か好機か
◇◇◇
「はぁああああっ!!」
キースは雄叫びを上げながらガレフに向かって突撃する。縦横無尽に振るわれる剣先は、最早フィンの目では捉えられないほど速い。ベルゼビュート戦でフィンが付与した《加速》の効果はまだ持続しているようである。
だがその剣技を持ってしても、ガレフにはまだ一太刀も有効打を与えられていない。自前の身体能力に獣の柔軟性が加わった獣化ガレフは、キースの剣を紙一重のところですべて躱していた。
剣を振り続けるキースの呼吸は徐々に荒くなり、喉の奥から血の香りが鼻腔に上がってくる。
(ぐっ、届かない……!)
既に全力、否、全力以上のものを出し切っているが、それでも全く届く気がしない。キースの剣の腕前
は帝国でも高い方である。そうなるまでにかけた時間も相当なものだった。だから、彼には二人の間に存在する埋められない力量差が悔しいほど理解できた。
『ふっ、速さはなかなかのものだが、どうにも剣筋が正直すぎる。お前の父もよくその “悪癖” を直せと言っていたはずだが?』
余裕の表情でキースに顔を近づけたガレフは、そう言ってニヤリと口元を歪めた。父の記憶を読んだかのようなその言葉を聞き、キースは激昂する。
「……ぅッ! がぁああ!!」
キースは雄叫びを上げながら剣を横薙ぎに振るうが、ガレフはヒラリと宙返りしつつそれを避けた。
「爆発符ッ!! 煙幕符ッ!!」
二人の間に距離が出来た一瞬の隙をついて、フィンは呪符を放つ。轟音と共に地面が抉れ、一帯が白い煙で覆われる。フィンは急いでキースに駆け寄り肩を貸すと、即座に後方へと跳躍した。
「貴様ぁッ!!」
ガレフが煙を切り裂くようにして前へ出るが、もうそこに二人の姿は無かった。
ブチッ──
「どこへ行ったぁ!!」
こめかみの血管が切れる音と共に、目を見開いてガレフは叫んだ。しかし、もちろんそれに応える者はいない。辺りを包むのは静寂と、誰かの苦しそうな呻き声だけである。
ガレフは顔を顰めつつはあと一度だけため息を吐き、大きく身体を振るった。
「ッち、術師の小僧め。」
忌々しげに吐き捨てたガレフは腹いせとでも言うように、足元に倒れていた騎士団の男を踏み潰す。
蛙の鳴き声のようなものをあげぐちゃりと潰れたそれを見て、ガレフはふと妙案を思いつく。
周辺を見回せば、至る所に人間が倒れている。その中には、まだ息のある者も多くいるようだ。
「やむを得ん。出てこぬのなら、出てこざるを得ないようにするまでよ。」
そう言ってニヤリと口元を歪める。口から覗く獰猛な牙は、まさしく肉食獣のそれだった。
◇◇◇
何度か進路を変えながら進み、フィンとキースは崩れた城壁の陰に隠れた。遠くで咆哮が聞こえたが、どうやら上手く巻けたらしい。壁に背を預けて肩で息をするキースに向かい、フィンは語りかける。
「キース、これ以上は無理だ。一度退こう。何とかミレッタを叩き起こして転移で逃げる。」
「…………き……せん。」
キースは喉が枯れて上手く声が出せなかったが、首を振ってその提案を拒否した。最早会話もできないほど疲弊している彼の様子を見て、フィンは改めて説得を試みる。
「だけど、実力が違いすぎる。今の俺たちがベルゼビュートを倒せただけでも奇跡なんだ。その傷も癒さないままミルダを一瞬で殺せるような相手に挑むなんて、どう考えても無謀だ。」
キースは目を閉じたまま暫く考え込んでいたが、やがて薄く目を開けるとフィンの額に手で触れる。
『……フィン君。よく聞いて下さい。』
フィンの脳内に、直接キースの声が届く。念話である。
『あいつは古代からこのフィリス、黒門に封印されている邪悪な神獣です。我々は何世代にも渡り黒門を使役することで少しずつその力を弱らせてきたはずなのですが、父の力では抗いきれなかったようです。或いは、極限の飢えが獣の力を引き出したのでしょうか……。』
直接触れていなければ念話も飛ばせないほどキースは疲弊していたが、ここまで関わったフィンには何としても事情を説明しておきたかったのである。
フィンが知るシミュラクルでもこのイベントは未実装だった。また、公式設定資料集を全編買い漁り、神話・歴史書の類を相当読み込んだ彼にとっても初耳であった。
「古代の “神獣” ……。」
フィンは色々な神話を浮かべるが、これと言うものには辿り着けなかった。それだけ、この世界は広いのだ。キースは話を続ける。
『とにかく、いま奴は父の身体に憑依することで精神の一部を現界させているようですが、その本体はまだ地下に封印されています。完全に復活するまでは、この都市を離れることは出来ないでしょう。父……いえ、奴を倒せる可能性があるのは……、今しかないんです。少なくともフィリスに生きる者にとってそれは、間違いありません。』
キースはそこまで語るとゆっくり目を開き、フィンを見つめて改めて口を開いた。
「お願いです……どうか協力して下さい。」
まだ呼吸も荒く、声は掠れて聞き取りづらかったが、彼の眼に宿る覚悟は本物であった。
キースの言う通り、ガレフがフィリスに足止めされている限り、この街に残る多くの人間に被害が出ることは確定的である。
しかし、それはフィンの旅の目的には何ら関係ない。メアリを救い出すための手掛かりだって、この周回ではまだ何も得られていない。それどころか、怒涛の勢いで強敵達との連戦を強いられる始末。お陰でかなりのスキルアップにはなったものの、これは彼にとって数ある連続イベントのうちの一つに過ぎないのである。
「……いまが好機だって? とんでもない。さっきの立ち会いは見事だったよ。流石だ。だけどキースの剣は奴に触れてもいない。俺に至っては不意打ちの目眩しさえ命懸けだったんだ。」
キースの必至の説得を聞き、フィンは逆に冷静さを取り戻していた。この周回で世界が滅びようが、フィンにとっては何でもないことだった。それに、ガレフの暴走に “天の声” は発動していない。これは、“ワールドクエスト” ではないのだ。
セリエを連れて何処か遠くに逃げて、自分は次のワールドクエストのことだけ考えていれば良い。ワールドクエストを止められなければ、結局この世界は崩壊するのだから。
「すまないが……俺は──。」
「「「ぎゃあああッ!!」」」
フィンが良心の呵責に胸を痛めながらも撤退を告げようとしたその時、戦場から何人もの叫び声が聞こえた。
そして──。
「皆様早くッ! 私の後ろへ!!」
遠くでする聞き慣れた仲間の声に、フィンの鼓動が一際大きく脈打つのであった。
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