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超能力者は瞼を閉じる

作者: 櫻いいよ

   ◇


 瞼を落とすと、わたしのちっぽけな世界は暗闇に包まれる。そして、目を開けると眩しい光と同時に見覚えのないように思える景色が飛び込んでくる。

 そんな些細な瞬間移動ワープを楽しみ始めたのは、小学生の頃のこと。そして、このブームが再び訪れたのは、十七歳になった最近のこと。


   ◇


「なにそれ」

 学校からバス停までの道のりで何気なくわたしの超能力ワープについて話すと、折川おりかわは怪訝な顔をした。


 折川は、わたしのクラスメイトだ。

 そんな彼と並んで下校するようになったのは委員会が一緒になった今年の春から。数ある委員会の中で一番会議が多くめんどくさい放送委員になったキッカケは、お互いにくじ運がなかっただけ。

 幸いだったのは、折川が委員会をサボるようなやつではなく、また、とても話しやすい奴だったことだろう。オマケに顔もそこそこいい。これはどうでもいいけれど。


 ぴゅう、と風がわたしたちの間を通り抜ける。

 十一月に入った頃は、一体いつまで夏が続くのだろうかと思うほど暑い日々だったけれど、今週に入ってから突然秋をすっ飛ばして真冬のような寒さになった。

 こんな日に限って委員会だし、わたしはなぜか学校指定の白いシャツに秋用のコートを羽織っているだけ。なんでブレザーを着てこなかったのだろう。せめて中にヒートテックを着ていればよかった。

 体を小さくして、できるだけ風に当たらないようにコートの首元をぎゅうっと握りしめる。紺色のプリーツスカートがひらひらとなびく。タイツを履いていなかったらわたしは凍死したかもしれない。

「髪の毛ボサボサになるー……」

 わたしの前髪はただでさえ跳ねやすい。乱れた髪を整えながらカバンの中から鏡を取り出そうと探す。けれど見つからない。どうやら忘れてきてしまったようだ。

「話聞いてんのか、お前」

「……なにが?」

 あまりに冷たい風だったから、一瞬なんの話をしていて、折川がなにに対してそんな怪訝な顔をしたのかわからなくなった。彼はわたしの返事に苦虫を噛み潰したような渋い顔になってから「超能力とかなんとか」と呆れたように答える。

 折川はいつも話すときわたしの目を覗きこむようにじいっと見つめる。どんな話をするときも、しっかりと人の目を捉えて言葉を発する。彼の癖なんだろうか。

 彼の少しつり上がった目元は、頭ひとつ分ほど下から見るといつもよりも少し鋭くなる。だからこそ、目を思い切り細めて笑う姿はすごく可愛く見えたりもする。

 彼の黒髪が、風になびいた。

 わたしの剛毛とは違う、サラサラの黒髪。ふと、手を伸ばし触れたくなる。

 いや、そんなことに見とれている場合ではない。彼の言った「超能力」を頭の中で反芻させてから「ああ、ワープね」と答える。

「だから、なにそれ」

「だから、ワープ」

「だから、それがなんなんだって」

 特別にわたしの密かな楽しみを教えてやったというのに、なんだその顔は。地球外生体をみるような訝しげな視線を送ってくるなんて。しかもさっきとほとんど同じ台詞だ。語彙力の少ないやつめ。

「だから、ワープよ、ワープ」

「いや、え? お前バカなの?」

 失敬な。

 あんなにもさっき一生懸命説明してやったというのに。


 わたしの密かなブーム。それは、目を閉じて歩くというものだ。

 目を閉じて、数秒。できるだけ長いほうがいい。心の中でゆっくりと数えて、目を開く。

 それだけだ。

 小学校の帰りは、いつもそうして歩いていた。なんでそんなことを始めたのかは覚えていない。恐らく、友だちと別れたあとひとりで歩く道が退屈だったのだろう。

 いつも歩いている道。

 そこでそっと瞼を閉じて、歩く。

 そして数秒後にそっと開く。

 いつも歩いている道なのに、ほんの数秒目を閉じて歩くだけで、わたしの目の前に広がる景色は見たことのない場所のように感じて、ひどく感動したのを覚えている。さっきまで見えていたはずの家がなくなって、さっきまではあるはずのなかった木々や花が塀から飛び出している。振り返った先にはつい先程までわたしがいた場所がある。

 わたしは目を閉じている間に今立っているこの場所に、いる。

 間の景色が抜け落ちたみたいに。

 最初からそんな風景は存在しなかったみたいに。

 わたしがワープしたからなのか、もしくは見えていたものがワープしたのか。

 些細な、バカげたことをしているという自覚はあった。けれどそれ以上に目を開いたときの感動を味わいたいという欲望が勝った。それから暫くはわたしは毎日ひとりになるとそんなことをして下校を楽しんでいた。


「一瞬、え、どこここ、ってなるの。景色が変わってそれがすごく新鮮なの。ワープよワープ! すごくない?」

「目を瞑って歩いているからだろ」

「なんでわかんないかなあ……そうなんだけど、ほんの数歩の間景色が見えないだけで景色ってだいぶ変わるんだって。一瞬のその感覚がさあ」

 どれだけ力説しても折川は眉をひそめたままわたしを見る。

 なんて夢のない男だろう。ワープができる秘密の方法を教えてやったというのに。人をバカにするような、いや、むしろバカすぎて憐れむような視線でわたしを見るなんて。

「取り敢えず一回やってみたらわかるよ」

 ほら、と彼の背中を軽く叩いて「目、瞑って」と呼びかけると、彼はしぶしぶ目を閉じた。文句を言いつつもそうやってわたしに付き合ってくれる折川のことを可愛いと思う。それを確認してわたしも閉じる。

 見えていた住宅街の景色に幕がおろされてわたしの視界が真っ黒に染まる。景色が消えると、秋の冷たい空気がより一層冷えたような気がした。


 いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう。


「はい!」

 そう言って、ぱちりと目を開いた。おそらく折川も同時に。

 さっきまで歩いていた景色が少しだけ変わる。目を瞑る前はなかった電信柱とか、キレイに咲き誇る庭だとか、柵の奥に見える犬だとか。その先にある公園の時計とか。

 さっきまでの世界より、美しく映った。

 十秒前の世界は、幻だったように思える。

「ほら、ワープ!」

「マジでバカなの? お前」

 失敬な!

 わたしのこの感覚を全く共有してくれないなんて、感性がおかしいのだろうか。もしくは折川とわたしの相性が全く合わないからかもしれない。

 でも、ちょっとくらいこの楽しい感覚に共感してくれてもいいんじゃないだろうか。本当に自分がバカみたいじゃないか。いや、バカなことを言っているのはわかっているけれど。

 わたしが必死に訴えていると、彼は「ふは」と笑ってから「はいはいわかったわかった」と子供をあやすようにわたしの頭をぽんぽんと二回叩いた。

 いつものように、狐のように、寝ている猫のように、目を細めて笑う。


 折川とは、去年も同じクラスだったけれど、こうして話すような間柄ではなかった。用事があれば一言二言喋ることはあったけれど、それだけだ。

 正直言うと、わたしは彼のつり上がった目元がちょっと怖くて苦手だったし、話すようになってから知ったけれど、彼もわたしのことを愛想がなくて苦手だ、と思っていたらしい。ただの人見知りなんだな、とバカにしたように笑ったのは初めて一緒に委員会に出た帰りだったと思う。

 彼は見た目に反して真面目だったし、優しかったし話しやすかった。思った以上によく笑うし、わたしのバカな話にもこうして付き合ってくれる。

 でなければ、こうして委員会の度に一緒に帰ることなんてしなかっただろう。

 いつのまにやらクラスで一番仲のいい男の子のポジションに彼はするりと居座った。クラスメイトの何人かには「付き合っているの?」と聞かれたこともあるほどに。

「そういえば、折川は今日もバイト?」

「おー」

「最近バイトばっかだね。給料日楽しみにしとこっと」

「だったら店に来て売上に貢献しろよ」

「貢献したって折川のバイト代は一円も変わらないくせに」

 ただ単にバイト先に来て、見てほしいだけに違いない。

「そう言うなって。あ、来てくれたら今度お前の好きな黒あんのいちご大福買ってきてやるよ」

 ちょうど来週行く予定があるんだよーとへにゃりとだらしのない顔で笑った折川が言った。なんだその顔は。

「はいはい」

 あしらうように返事をしながら、心の中でうそつき、と呟いた。

 夏休み前から始めた折川のバイトは、高校生にありきたりなファストフードのキッチンスタッフ。わたしの家と折川の家はバス停から反対方向になるので、その店には行ったことがない。この先も行くことはない。行くつもりなんて微塵もない。

 そして、折川はバイト代をわたしに使うなんてことをしないのを知っている。今の会話だって三〇秒後にはきれいサッパリ忘れているに違いない。昨日話したいちご大福のことも忘れているくらいだ。

「あ」

 その声が聞こえてきて、胸のあたりが重くなった。

 いつもの場所でいつものように折川が声を上げる。彼の視線の先には公園の時計。時間は四時四七分くらい。

「バス遅れるから、先行くわ!」

 折川の乗るバスがやってくる時間は確か五十二分。ここからバス停まで約五分。わたしはそのバス停を通り過ぎて駅まで向かう。

「また明日。折川の愛する彼女にもこのワープの秘密教えてもいいよ」

「言わねえよ、オレがバカ扱いされるだろうが」

 本当に失礼な男だ。彼女に振られちまえ。

「じゃあな」とわたしに笑いながら手を振って、折川が地面を蹴り上げた。


 わたしと折川が親しくなったのは今年の四月。

 そして折川がバイトを始めたのは夏休み直前。そして、二学期が始まる前に折川はバイト先で出会った女の子と付き合いだした。

 彼の話によれば女子高に通う同い年の、それはそれは可愛い女の子らしい。写真を見せてやろうか、と言われたけれど、そのときの折川の目元が見たこともないくらい垂れ下がっていたので断った。なんでも彼の一目惚れらしく、夏休みの間何度もデートに誘い必死になって口説いたという。

 二学期に入り、折川は週の半分以上をバイトに費やすようになった。そして、残り半分は彼女とのデート。ほぼ毎日彼女と会っている、ということだ。幸せそうでなによりである。

 当初は自分の趣味のため──ゲームが大好きらしい──にバイトを始めたというのに、彼女ができた今、結局バイト代の八割以上を彼女とのデートに使っていて、今後訪れる彼女の誕生日やホワイトデーのための貯蓄になっているのをわたしは知っている。

 今度いちご大福が好きな彼女のために買っていきたいのだと言って、昨日、教室でどこの店が美味しいのかと折川はみんなに聞いていた。わたしはお気に入りの和菓子屋をいくつか教えてあげた。

 ──「そこの白あんのいちご大福がすっごい美味しいから」

 わたしはそう言った。

 ──「彼女は黒あん派だっつーの」

 そんなこと知るわけがない。

「昨日話したばっかのこと忘れんなよ、バカ」

 わたしは白あん派だ。彼女と間違えるなんて彼氏失格だ。

 バイト先に来てほしいのも、頑なに彼女の写真を見ないわたしに、自慢のかわいい彼女を見てほしいだけ。


 駆け足でバス停に向かう折川の背中を見ながら、わたしはまた目を瞑った。


  いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅ──


「いっだ!」

 バランスを崩して、あ、と思った時には手遅れだった。

 痛みに目を開けると、わたしの世界は傾いていて、さっきまで見えていたはずの彼の背中も、公園の時計もどこかに行っていた。

 いつの間にか斜めに歩いていたらしく、片足が溝に嵌っていて、塀で頬を擦ったのかひりひりと痛んだ。とっさに手で体を支えたからか、手のひらにもジリジリと痛みと熱が広がっている。

「い、たあ……もう、ほんとバカだ」

 ふらふらと立ち上がって、自分の足を見る。溝のフチで擦ってしまったのだろう、履いていたタイツが破けてその奥にある肌からじわりと血が浮かんでいる。頬に手を当てるとコンクリートの粉と血がついた。

 まわりに誰もいなくてよかった。こんなところ見られていたら恥ずかしすぎる。

 多分顔にも怪我をしてしまったようでジリジリと痛み、いったいどんな傷なのかと鏡で確認するためにとカバンを探ろうとして、持っていないことを思い出した。

 ああ、全くバカすぎる。なにやってるんだわたしは。

 今、わたしの隣に折川がいたら、きっと心配して手を差し伸べてくれただろう。そして、そのあとに思い切りバカにして笑うだろう。目を細めて、つり上がった目元を目一杯下げて、口を大きく開けて。


 道の先にはもう、折川の姿はない。

 ワープしたのは、折川なのか、わたしなのか。

 ひょこひょこと痛む脚を引きずるように歩いていると、自分のバカさ加減に惨めになって視界が歪み始めた。


 ああ、本当にバカ。

 ああ、なんてバカ。


 小学生の時にハマった、くだらないワープ遊び。

 再びそれを始めたのは、折川に彼女ができてから。放送委員会議の帰り道、ちょうど時計の見えるこの場所から。

 折川の、彼女の元に向かう後ろ姿を見ないで済むように。

 目を瞑って開けたら、ひとりきり。折川と並んで歩いていた時間は、幻。


「……痛いよ、アホ」

 ここで泣いたらもっと惨めだと思い、唇に歯を立てた。



END

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