ちょっと早めのEpilogue2 奇跡だと思う
……“なんとか生きている”という言葉は、決して大袈裟な表現ではない。そう思う。
「明日はお休みですね。どこか行きます?」
文月さんがお箸を止めて、聞いてくる。
「うーん。この時期、暑いしねぇ」
“──父の□□氏は、息子から再三に渡り、脅迫を受けていたと主張し────”
「じゃぁ、家でゴロゴロしましょうか?」
「もしくは、長瀞まで行って、涼むとか?」
文月さんが分かり易く眉根を寄せて。
「無理。お金ないです」
「うん。わたしも。あははは」
“──事件の前日、息子の〇〇さんは『父さんはいいよな。エリートでなんでも思い通りになって』と涙を流しながら────”
“──その後、日々の生活の乱れを指摘した父親と口論となり──”
「じゃぁ、明日は朝一でスーパーに買いだめしに行って」
「うん。うん」
「その後は家に帰って、のんびり過ごしますか!」
「うん。賛成!」
“──事件の数日前、息子の〇〇さんは、仕事で大きなミスを犯し、上司に強く叱責され────”
“──父の□□氏はこれ以上関連会社の人々に迷惑をかける訳にはいかないと、息子に辞職を促し─────”
苦い想いが渦を巻く。それは鋭利な痛みを伴った。
自助努力だけで何とかなる……なんてことはまずは、ない。
「じゃ。それで決定ということで」
文月さんが嬉しそうにお箸をチカチカと鳴らしながら。
「うん。そうしよう」
“──息子の〇〇さんは、『どれだけ頑張っても、誰にも何も認められない! 浴びせられるのはいつだって否定の言葉ばかりだ!』、と感情的になり──”
“──□□氏は、このままでは息子が取り返しのつかない社会的問題を引き起こすのでは、と強く危惧し──────”
どこまでも、やり切れない話だと思う。
本人は“普通に”“必死に”生きようとしてるだけだ。
なのに、その“普通”も“必死”も通用することはなく──自力だけでは生きていけない。
少し開けたベランダの窓から涼しい風が吹き込んだ。
夏の匂いを含んだ夜の風が、二人の髪をさわさわと揺らす。
眼の前の文月さんが、気持ちよさげにほんの少しだけ目を細くさせた。
「…………ところで、わたしたちって、一緒に住み始めてどれくらい経ったのかなぁ?」
呉葉が不意に話題を変えた。
文月さんが“ん? 何? 急にどうしたの?”──という感じで、くるりと表情を組み替える。
目に見えるところも、見えないところも。
多くの人の助けがあって。
先人たちが血を流して──声を嗄して、苦労の末にやっと手にした、細々とした制度や支援を縁に。
わたしたちは……奇跡的に……社会の片隅で生きてくことが出来ているのだ。
「うーん。アタシの記憶力で覚えていると思います?」
文月さんが珍しく、ジトッとした目で呉葉を見返す。
「いやいや、別に他意はないよ。というか、わたしもアスペのくせに記憶力悪し」




