ある日──夕暮れ
なんだ? いきなり呉葉ちゃんが飛び跳ねて驚いた。なんだろう……? ガッツポーズみたいなのを作ってるし、珍しい。
薄暗い部屋の中。
日曜日の夕暮れを背負って、呉葉ちゃんが立っている。
「いいこと思い付いた」
「ん? どうしたの?」
寝転んでいたアタシも、半身を起こして呉葉ちゃんを見上げる。
口角だけを上げたような笑み。
うーん。いつも思うんだけど、呉葉ちゃん、笑うの下手だよなぁ。
ほころんだ口元とは正反対の、死んだような目。
目の周りの筋肉と、口の周りの筋肉がうまく連携とれてない。
そんな呉葉ちゃんを見て、アタシもニッと口角を上げてみる。
◇
二人で晩ご飯の買い出しに行く。
これといった料理がいっさい出来ないアタシたちの手料理は、いつもカレーかお鍋か素麺だ。
お鍋のときは少し多めに作って、お弁当箱に取り分けて、次の日のお昼ごはんも兼ねることにしている。節約重要。
今日はいつもより少し遠くのスーパーまで足をのばす。
アパートの階段をトン、ドン、トンとリズム悪く音を立てて降りると、いつもと反対。左の道に進む。
「……そうそう、今日、お菓子たくさん買おうと思って……」
どこか不安げに瞳を揺らせて、呉葉ちゃんがアタシの顔を覗き込む。
「へぇ。なんで?」
「朝の……あの子たちにプレゼント……? みたいな……」
「あぁ」とアタシはそこで納得する。
「いいねぇ~」と言って呉葉ちゃんの手を取った。
“なんとか川”とかいう大きな川の土手に出る。
夕陽を川の向うに見ながら、歩く。
オレンジと青い紫が入り混じった光が、薄い雲を複雑な色に染めている。
雲の隙間からは光が伸びて、でもそれは地上まで届くことなく、空の途中で滲んで溶けてる。
“天使のはしご”って言うんだっけ? たまに見るけど、いつ見てもきれい。見飽きることがない。
この世界は基本、きれいなもので溢れている。
“カキーン!!”
ぼんやりとそんなことを思っていると、金属質な音とともにびくりと呉葉ちゃんの肩が跳ねた。
高い金属の音をかき消すような、甲高い子供たちの声が、洪水のようにアタシの耳にも押し寄せる。
思わず呉葉ちゃんと顔を見合わせて、驚いたような顔を互いに見せ合う。
目を大きく開いた、呉葉ちゃんの表情は──笑顔よりもずっと自然だ。
土手の下では、少年野球の男の子たちが、グラウンドの中、土煙を上げながら練習していた。
大人のコーチがバットでボールを打って、それを子供たちが受け取る練習──ノック? っていうんだっけか?
「凄いよねぇ。よくあんな速いボール、受け取れるよね」
「うん。全然、ボールの動きが目で追えないよ」
「コーチの人もすごいね」
「あんな小さな球を、長いバットで打てるとか」
「うん、うん──────。かきーん!」
呉葉ちゃんの言葉に頷きながら、繋いだ手を解いてボールを打つ真似をしてみる。
うーん。ボールを自分で放り投げて、落ちて来たボールをタイミングよくバットで打つ。子供たちがいる方向に。
地面にバウンドさせたり、フライにしたり、自由自在に打ち分ける……。
やっぱ健常者ってすごいなあ、と思う。
そういや毎朝、公園でバスケやってるおニイさんたちも、高校生たちもすごいなぁって改めて思う。
目の前に白い月が出ていた。ちょうど丸い形をしている。
「かきーん!」
月をボールに見立てて、打ってみる。
隣の呉葉ちゃんを見て、へへって笑う。
呉葉ちゃんがアタシを見て、目尻を少し下げて笑った。
口元はいつもどおりで、どこか歪な微笑みで。
不器用に笑う。
笑うのがヘタな人は、生きるのもヘタだ。
なんて思いながら、彼女の手を再び取った。
その手を大きく振って、スーパーに向かう。
「お菓子、喜んでくれるといいなぁ」呉葉ちゃんが吐息をもらすように呟いた。
「大丈夫。みんないい子だから」
大丈夫、たぶん、あの子たちは照れながら喜ぶ。
頭の中で、はにかんだような彼らの表情が浮かび上がる。その確信を胸に、アタシは繋いだ手をもう一度大きく前後に振った。




