027 いやぁ、本当に残念だなぁ
その日は──年度末ということもあり、社員全員が忙しなく働いていた。
そんな慌ただしい空気の中、呉葉は仕事もせず、ひとり黙々と辞表を作っていた。書き方が分からないので、インターネットで調べながら。
その後、私物の文房具類を鞄に詰め込み、すっかり此処を引き払う準備が出来たのは、午後4時を少し過ぎた頃。
元々殺風景だった机の上は、今はもう備品のパソコン以外は何もなく、呉葉の席は怱々たる空間の中で異様な深閑を放っていた。
呉葉はガランとした机を見つめながら────。
“──わたしは……発達障害者だ。それを恥とするものか──。”
心の中で、己を鼓舞するように呟いた。
浅春の日の光は窓のガラスを通過して、見慣れたオフィスの内を鮮やかに照らしていた。
普段は何も感じない高い天井から四方の生成色の壁まで、すべてが新鮮に眼に映る。
やがて決意を固めた呉葉は、鞄を持って席を立ち、ズンズンと赤津支店長の席まで迷いを見せず、まっすぐ進んだ。
社員たちが何だ何だ? という風にチラチラと呉葉の方を盗み見ていたが、既に知ったことではない。
「支店長、時間単位年休を使って、本日はもう帰宅させていただきます」
喉に潤滑油を差したみたいに、その声は滑らかに咽頭から押し出され、支店長を真っ直ぐに貫いた。
呉葉自身が驚くほどの落ち着いた声色だった。
「あっ、そ。いいよ」
支店長はあからさまな侮蔑を表情に宿し、承諾の言葉を吐き捨てた。
「それと、明日から月末まで、残った有給休暇を使って、休ませていただきます」
支店長は侮蔑から怒りへと、その表情を豹変させた。
脂ぎった顔を赤くさせ、眉間に深い谷を刻み込み、分厚い眉丘をさらに盛り上げて、口は左右非対称に歪められている。
「……それと……こちらをお受け取り下さい」
呉葉は白い封筒を支店長に突きつけた。
その封筒の面の文字を見たとたん、彼の表情は柔らかに溶け、やがて下卑た笑みを満面に浮かべた。
「そうか、そうか。いやぁ、君がいなくなると残された人たちは大変になるなぁ。いやぁ、本当に残念だなぁ」
嬉々とした抑揚を伴ったその声は、職員の好奇の視線が行き交う事務室の中で、朗らかに響いた。
その言葉に誘われるようにして、周囲の社員の口許がいやらしく綻ぶ。
「そういうことですので、今日はもう退社させていただきます。また後日、事務手続き等で伺います。その時はどうぞよろしくお願いします」
「あぁ。その辺はあとで勝野庶務係長から連絡を寄越させるよ。これまでおつかれさん」
呉葉は何も言わずに踵を返し、声なき歓声に沸き返る飯山産業のオフィスを後にした。
「ざまあ見やがれ」
出入り口を出る瞬間、誰かが掲げた小さな凱歌が耳に届いた。
だけど呉葉は気にすることなく、背筋を伸ばしてまっすぐ歩く。
そんな呉葉の後ろ姿を、社員たちはせせら笑いを浮かべながら眺めていた。
◇
◇
◇




