一話 夜と刀
深夜のコンビニは朝夕のそれとは違った顔を見せる。24時間営業のゆえ開いてはいるものの、トラックの通らない住宅地の近くではほとんど客も来ない。
よって朝の準備のためにダンボールが積まれ、カウンターには眠たげな表情の中年男性が暇そうに突っ立っているだけ。町の眠る暗闇の中で番をする現代の夜警のようであった。
その日珍しく自動ドアが開いた。常と変わらないどこか間の抜けた入店音が鳴り響く。
「いらっしゃいませー」
店員の男は義務というより染みついた本能で迎えの言葉を口にした。
来客は少年である。高校生だろうか。そこそこ上背がある。整える気などさらさらない少し癖の強い黒髪。その場にあったものを適当に掴んだらしき、上下が不揃いのジャージ。極度にやる気が無さそうな雰囲気を除けば、そこらの男子高校生である。
少年は店に入ると、雑誌や飲料には目もくれず、迷いなく右に曲がって傘が並ぶ商品棚へ向かう。
アルミのラックにかけられたビニール傘、黒い傘。その下に刃を上にしてかけられた量産品の日本刀を取る。
それだけ買おうと決めていたようで、真っ直ぐレジへと歩き、ごとりとカウンターの上に刀をのせた。
「あ、ひょっとしてやられましたか?」
店員に驚きは無い。奴らは人間の意識がある限り、何時でも何処でも現れる。確認をしたのは、大きな被害があった場合は公共機関への連絡が必要と教育されていたからである。
「はい、まあ。普通に倒しましたけど、刀とパソコンがおしゃかっす」
よほど腹に据えかねたか、乱暴に髪を掻き回す。その挙動には深夜に襲われた恐怖はなく、せいぜい蜂に刺されかけた程度の態度であった。
言葉通り、少年の顔にはいくらか擦り傷があったが、店員から見てもツバをつけていれば治る程度のものに思えた。
無骨な鍔に貼ってあるバーコードを読み取って、3240円と値段を告げる。
「脳獣被害は保証が出ますので、後で市役所に連絡してください」
決められた台詞を吐き出されるレシートのように並べると、少年は軽く頷いて了解を示した。
「ありがとうございましたー」
バーコードの付いたシールを剥がし、レシートと一緒にゴミ箱に丸めて捨てる。店員の挨拶に送られて、少年は自動ドアの外、夜の道に消えていった。
自動ドアが閉まり、メロディが終わる。店員は立ったまま家のベッドを夢見ていた。
夜道に点々と灯る街灯。冬の終わりを喜ぶように、羽虫が蛍光灯の下で飛び回っていた。
少年は早足で、しかし急ぎ過ぎるのも面倒なのか、一定の歩幅を維持する。視線は前を向いているが、望洋として何かを見つめるという事がない。
突如右手の家屋から何かが雪崩落ちる騒音が聞こえた。音の重さからして、本棚が倒れたかと推量する。
少年は腰を落とすと、下したての日本刀の鯉口を切り、柄に手をかけた。
どたどたと板間を走る気配が近づく。庭に面した窓が引かれ、そこから小太りの男が飛び出した。
「うわー!こらくそ!」
叫びながら裸足で逃げ惑う。その後ろ。追いかける奇怪な獣が目に映った。
丸太のような体に、腸がまろび出たかのような口。街灯の光を照リ返して、嫌に人間らしい歯が光る。
逆関節ではあるが、人の手足が付いていた。
そんな奇形の体躯を機敏に動かして、小太りの男に飛びかかる。その動作は肉食獣そのものである。
武器も無い男は抵抗できぬまま押し倒され、ブロック塀に押し付けられた。
「うわ!やめろ!こら!このやめろこの!」
左手をつっかえ棒にして平手で獣を叩くが、分厚い樽のような体は脂肪が波打つだけで応えたようには見えない。
臼歯が火花を散らすほどに打ちならされ、男の顔に近づいていく。
少年は走っていた。鞘は既に捨ててある。上体を保持したまま脚だけを力強く回し、数歩で間合いに至る。
刀を両手持ちに変え、左で踏み込むと、全体重を乗せて突き込んだ。
ぎしぃいいい、と歯ぎしりのような悲鳴を上げて、怪物が跳びのく。血が噴出しているように見えるが、不思議な事に地に落ちた途端、透けるようにして消えた。刀身にも脂一つ残っていない。
蝸牛のような眼を素早く操作して、小太りの男と少年を見比べる。とりあえず目の前の脅威を排除しようと思ったか、少年に爪先を向けた。
「来いよ、豚が」
大きく息を吸い、鍔が肩の少し上にくるよう構える。いつでも袈裟に切れる体勢である。獣が踊りかかると、その下をくぐるように低く倒れ、斬った。
腹の脂肪が薄っすら白く見えるが、浅い。踏み込みが弱かった。すぐさま振り返るが、今度は獣が早い。右手ごと鍔を掴まれ、胸を引っ掻かれる。
だるだるのジャージに救われて傷は無いものの、反れた上半身を押し込まれて倒された。
「ぐっ」
不自由な姿勢の中、膝で蹴り上げ、頭で刀を押して刺そうとする。獣も暴れる少年に攻めあぐねているが 、体力が尽きれば最後である。もがきにもがいて脱出を試みる。
獣もここが勝機と見たか、逆関節の肘で少年の頭を打ち、足でジャージを散々に引っ掻いた。
もつれた勝負の終わりは不意に上から降ってきた。
ごん、と痛々しい音がして、獣が引きつった咆哮をあげる。頭ほどもある石塊が、体の中央につき立っていた。
力が緩んだ隙に、地を蹴って海老のように後ろへ逃げる。石を投げたのは小太りの男である。意外に素早い足さばきで距離を詰めると、また石を持って振り下ろす。
「おら!どうだっ!おら!」
石が落ちるごとに、獣の足掻きは痙攣になり、それさえ消える頃、突然その肉体は消滅した。
「おら!おらっ!」
がちん、とアスファルトに衝突した石が跳ねて、小太りの男のすねに当たる。かなりの勢いがついた一撃に悶絶し、男は蹲った。
しばらくして落ち着くと、顔を上げて恩人の少年を探す。
「いやー助かった!ありがとう。あんたなんであれが見えたんだ?」
少年の姿は消えていた。深夜の闘争の跡は、残された男の傷と、僅かに欠けたアスファルトのみ。
「……幽霊?いや、まさかだろ。なあ?」
ぶるりと震えて、男は逃げるように家の中へと入っていった。ようやく起き出した近所の人々に、謎の少年の事は無論伝えない。脳獣が他人に見えるなどと言えば、物笑いになるだけと知っていたからである。