幻の桜
満開の桜の下に、屋台が一つ。ぽつんと佇んでいた。
「よっ」
男は屋台の暖簾を手で押しのけ、丸いパイプ椅子に座った。ネクタイを緩め、ぐっと首を伸ばした。
「へいらっしゃい!」
「生一つ」
「まいどっ!」
屋台の店主は威勢良く返事し、すぐさまキンキンに冷えたビールをジョッキで出した。冷気でジョッキが白い息を吐いている。
男は舌なめずりをしてジョッキにかぶりつく。
「っんく、っんく。ぷはぁぁ。やっぱり仕事終わりはこれだな!」
男はジョッキの半分をからにし、コトリとカウンターに置いた。ふぅーっと満足の息を吐き、天井を見上げた。
見事に咲き誇る桜が屋根の代わりとなっていた。
真っ暗な空間に寂しく枝を張る桜の木。褪紅色の花びらが鈍く光って見えた。
「満開だな」
男は寂しげに呟いた。
「立体映像で味気ないですが、春はやっぱり桜ですよ」
屋台の店主も悔しげに応じた。
「コロニー中の桜が病気で一斉に枯れたからなぁ」
「もう地球には無いそうです」
「そっか……幻になっちまったか」
男はまた口をつけ、残念な想いを呑みこむようにジョッキを空にした。