トレド断章
『 トレド断章 』
Cada uno es artífice de su ventura.
人はそれぞれ自分自身の運命の作り手
( ドン・キホーテ 後篇・第六十六章 キホーテの言葉 )
平成二十二年( 2010年 ) 五月二十七日(木曜日)
「コルドバとも、これでお別れか。会者定離、逢うは別れの始め、とは言うが、三日間という滞在は少し短かったような気がする。特に、メスキータは良かったねえ。あの欄干の縞模様、そして、アラブの精緻さと華麗さに満ちた造形の美に完璧に幻惑され、久し振りに感動したよ」
電車から一斉に吐き出されるようにして、ホームからエスカレーターで上って来る乗客の群れを見ながら、永田信一が名残惜しそうな調子で呟いた。
「これから、訪れるトレドも三日間の滞在だぜ。大体、一ヶ月足らずで、スペインの有名八都市を巡る旅だもの、一都市、三・四泊程度となるのは、まあ、しょうがないよ」
永田の隣に腰を下ろしていた宮本雅也がぼそっと呟いた。
コルドバの鉄道駅のホームは地下にあったが、開放的な空間構成が効を奏し、薄暗さは微塵も感じさせず、明るい光に満ちていた。
永田と宮本はベンチに腰を下ろして、眼下のホームをぼんやりと眺めていた。
「少し、時間もあることだし、することも無い。ホテルの弁当でも食べることとしようか」
永田が紙袋を宮本に渡した。
宮本は紙袋の中味を覗き込んだ。
サランナップで包まれたボカディージョ(フランスパンに挟んだサンドイッチのこと)が四個、オレンジ・ジュースの紙パックが二個ほど入っていた。
二人はベンチに腰を下ろしたまま、オレンジ・ジュースを飲みながら、ボカディージョをぼそぼそと食べた。
ボカディージョは二種類ずつあった。
生ハムとチーズを挟んだボカディージョと、トルティージャ(ポテト・オムレツ)を挟んだボカディージョであった。
昨夜、永田がレセプションに行き、明日は出発が早いので、朝食は要らないと告げたら、元々、朝食込みの宿泊代であるので、朝食を要らないからといって、朝食代を割り引くわけにはいかない、朝食となるものを作って持たせることとするよ、とレセプショニストから言われた。
朝食代を引いてくれとお願いしたわけじゃあ無いんだが、結構律儀なものだなあ、と永田は妙に感心しながら、宮本に話した。
「このボカディージョ、結構、美味いな。何と言ったって、生ハムが美味いよ」
口一杯に頬張りながら、宮本が言った。
「空腹が一番のソース、と云うことさ。まあ、しかし、何と言っても、スペインの生ハムは美味しい。チーズも美味いし。スペインの食いものは結構日本人好みだよ」
永田も同調した。
ホテルから貰った朝食を食べ終わった二人は、ベンチを離れ、開店したばかりの観光案内所を兼ねた売店に入り、陶器の人形などを見た。
地元の芸術家が作った女性を模った陶器人形もあり、すらりとした造形美が気に入り、宮本は買うこととした。
「おっ、お前が買うなんて珍しいな。判った。奥方への土産だろう」
永田が冷やかした。
「まあ、少しはお土産も買っていかなきゃ、ね」
宮本が照れ臭そうに応じた。
「永田君も、何か奥さんに見つけたかい?」
「俺かい? 今のところは何も買っていないよ。むしろ、買っていくと、俺は叱られるんだ。また、要らないゴミを買ってきたって、さ。今回も、買ってくるのは絵葉書だけで十分です、と事前に釘を押されているんだよ」
「三ヶ月と雖も、姉さん女房は強いもんだな」
宮本の言葉に、永田は肩を竦めてみせた。
その内、乗車十五分前となり、改札口が漸く開いた。
二人は、他の乗客と共に、列に並び、キャリーバッグを検査装置に通した後で、改札の係員に乗車券を提示した。
それから、エスカレーターで地階のホームに下りて、AVEと呼ばれるスペイン新幹線の車両に乗り込み、指定された席に腰を下ろした。
横は中央の通路を挟んで、左右、二列ずつの座席であった。
シートカバーはブラウン、ヘッドカバーは白で、落ち着いた上品な車内であった。
頭上の荷物置き場のスペースはさほど無く、二人は乗車口の荷物置き場にキャリーバッグを置いた。
「うまくすれば、ヒマワリ畑が見えるかも知れないよ。昔観たイタリア映画、ほら、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの、さ。『ひまわり』という映画の光景が印象的だった。見渡す限り、ヒマワリが咲き乱れていた光景が忘れられない」
定刻通り、発車した車窓から外の景色を眺めながら、宮本が言った。
「でも、今年の春は涼しいというか、むしろ寒い春だったぜ。ヒマワリも発育が遅れているかも知れないぜ」
永田も外を見ながら、そのように言った。
「旅行案内書に依れば、今の季節、五月末から六月の初めにかけて、運が良ければ、ヒマワリの圧倒的な黄色の洪水に眼が奪われる、と書いてあったよ」
「そうか。見えれば、万歳しようぜ」
「ビバ、ヒマワリ、か。でも、ヒマワリって、スペイン語では何と言うんだ?」
「ヒラソル、だよ。言葉の意味は、太陽と一緒に回る、という意味さ」
「英語では確か、サン・フラワー、つまり、太陽の花。いずれにしても、太陽と結び付けられている花なんだなあ」
「ヒラソルの他、ミラソルというスペイン語の別の表現もある。太陽を見ている花、という意味だよ」
「おっ、さすが、永田先生! スペイン語に堪能でいらっしゃる」
「なんだよ、からかうなよ。それほど、堪能じゃあ無いよ」
「でも、永田は、大学で第二外国語として、スペイン語をとったんだろう」
「一応は、ね。でも、俺は外資系の会社に就職しただろう。スペイン語圏の国にも駐在したことがあるのさ。英語だけでは、通用しないんだ。英語の苦手な現地の人と仲良くやっていくためには、現地の言葉も少しは話せなくては、ね」
「僕は、ドイツ語を選択したけど、教養課程の二年間の語学では、底が知れている。大学院の入試で必要だったから、学部四年の時は、必死におさらいはしたけど、さあ。もう、すっかり忘れてしまったよ」
「何だよ、今回のスペイン旅行に関しては、俺が頑張るけど、次回のドイツ旅行では、お前に期待していたのに」
二人はお互いの顔を見ながら、笑った。
「ドイツと言えば、木のおもちゃが有名だ。宮本には孫がいるから、木のおもちゃを買ってやれば、きっと喜ばれるよ」
「そうか、木のおもちゃならば、舐めまわしても大丈夫だからねえ」
「幾つになるんだっけ」
「一歳半といったところだよ。未だ、バブバブといったところさ」
「正直言って、羨ましいな。俺のところなんか、息子も娘もいい年なのに、未だ結婚する気が無い」
「永田君と美智子さんという両親と一緒に暮らすのが楽しいんだろう、きっと」
「よせやい、そんなことは無いよ。宮本のところは、娘さんは結婚しているけれど、長男さんは未だ独身だろう」
「でも、親の家からはとっくの昔に出ていっているよ。この頃は、家にも寄り付かない」
「独立心旺盛で、いいじゃないか。俺のところは、大きな息子と大きな娘が一緒に居て、鬱陶しいくらいだ」
「贅沢な悩みだろう。お蔭で、いつも、女房と二人、顔を突き合わせた暮らしでこの頃は角まで突き合わせているよ」
「俺には気楽な暮らしのように思えるけどね。まあ、難しいものだねえ」
二人を乗せたAVEはコルドバからアンダルシアの沃野を走り抜け、カスティーリャ・ラ・マンチャの乾いた大地に入って行った。
「残念ながら、ヒマワリ畑はお目にかからなかったな」
永田が車窓の風景に眼を凝らしながら、呟いた。
「ヒマワリ畑の黄色の絨毯は見掛けなかったが、時折、見えるあの赤一面の花は何と言う花だろうか。とても、鮮やかなあの赤い花は?」
宮本が何気なく言った。
「近くで観れば、判るだろうけれど、こんなに遠くでは何とも言えないな。しかし、綺麗な赤の絨毯だよなあ」
永田も宮本の指差す方向を見詰めながら言った。
宮本はまた、感慨深そうな口調で呟いた。
「ラ・マンチャの風景は実に味わい深い。何と言っても、ほら、ドン・キホーテの故郷だし」
永田が少し皮肉っぽく笑いながら、宮本に言った。
「おや、ドン・キホーテだって。宮本、お前、読んだことがあるのかよ」
「読んださ。昔、昔の話だけれど。大学の頃。半分ほど、だけだったけどね」
「そんなことだろうと思ったよ。聖書に次いで、名高い本と言われるけど、全部を読んだ人というのは、やはり、聖書と同じくらいごく僅かしか居ないと言われるのが、ドン・キホーテという小説さ。それでも、風車を怪物と見立て、馬を駆って突進していく騎士の姿、イメージばかりは、誰でも知っている」
「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ、か」
やがて、AVEはマドリッドのアトーチャ駅に着いた。
アトーチャ駅は全体的には温室植物園のような造りになっており、少し蒸し暑かった。
二人はキャリーバッグをごろごろと曳いて歩き、タクシー乗場からタクシーに乗って、トレド行きのバスが発着する地下鉄プラサ・エリプティカ駅に向った。
「アトーチャ駅から地下鉄に乗って、プラサ・エリプティカ駅まで行くことは行けるけど、こうしてタクシーに乗ったほうが安全というものさ。どうせ、十何ユーロ程度の金で済むだろうからさ」
永田が宮本に言った。
地下鉄か、と宮本は思った。
バルセロナの地下鉄で、集団スリに襲われそうになったので、永田は地下鉄に少し恐怖感を持っているのかな、と宮本は思った。
二週間ばかり前、バルセロナのグエル公園を見物した後、カサ・ミラを見物しようと、最寄りのレセップス駅から地下鉄に乗り込もうとした際、男女五人ばかりの集団スリに襲われたのであった。
永田と宮本が電車に乗り込もうとした時、ふいに左脇の方から、五人の男女が割り込んで来て、電車内のドア付近に屯して、二人が車両の奥に入るのを妨害した。
この集団は何だろうと思いながらも、奥に入ろうとすると、集団は二人に密着して入らせないと妨害するのだ。
そして、集団の中の女が永田のズボンのポケットをまさぐっている様子が宮本の眼に飛び込んできた。
でも、永田のポケットには何も無かったので、女は舌打ちをした。
それが、合図だったのか、集団はさっと囲みを解き、車外に出ていった。
集団が出ていった後、数秒して、ドアが閉まった。
永田と宮本はお互いの顔を茫然とした眼で見遣った。
これが噂に聞いた集団スリか、危なかったなあ、でも、俺はポケットには小銭しか入れてなかった、まずは無事で良かった、と永田は苦笑いしながら宮本に話した。
二人を乗せたタクシーは十五分程度で、プラサ・エリプティカ駅に着いた。
地下に下りて、自動販売機でトレド行きのバスの乗車券を買った。
始めは、自動販売機での買い方が判らず、少しもたついたが、操作している内に何となく乗車券を無事に買うことが出来た。
「どうだい、宮本。俺は切符買いの天才だろう。いいころかげんに、いじくっていたら、何となく切符がこうして二人分出てきたんだから」
「本当に信じられないよ。だって、僕たちの前に居た旅行者はいくら操作しても買えなかったんだぜ。諦めて、有人の乗車券販売所に行ったんだからね。永田の悪運の強さをつくづく思い知ったよ」
二人は笑いながら、トレド行きのバスが発車するホームに向かった。
十二時発のトレド行きのバスに乗った。
バスは旅行者でほぼ満員という盛況だった。
旅行案内書に依れば、一時間半はかかるとのことであったが、停留所にあまり停まらない急行バスであったせいか、五十分ほどで、トレドのバス・ターミナルに到着した。
途中のバスの車窓から眺める風景はラ・マンチャ地方らしく、荒涼とした風景であったが、時々、コルドバからの車窓から見た赤い花の群生も至る所で見かけた。
「トレド、か。古都・トレド。街全体が芸術品だという話だよ。楽しみだなあ」
「僕も大いに期待しているんだ。時に、永田君。トレドのバス・ターミナルに着いたら、とりあえず、明日のコンスエグラまでの乗車券は買っておいたほうがいいね」
「ああ、勿論。俺に任せろ。この切符買いの達人にさ」
トレドは要塞都市である。
東西、そして、南という三方を大きなタホ川という天然の濠に守られ、北側は大きな門と高い城壁で守られ、難攻不落の城塞都市となっている。
街に近づくにつれて、中世の雰囲気を膚に感じる。
バス・ターミナルに着いた。
早速、永田はALSAバスの切符売場に行き、明日のコンスエグラまでの乗車券を買った。
永田が少し、戸惑っていた。
やがて、永田が乗車券を片手に、宮本が座っているベンチに戻って来た。
片道の乗車券、つまり、ここからコンスエグラまでの乗車券しか買えない、帰りの乗車券はコンスエグラで乗車する際、バスの運転手から買ってくれ、ということだった、と永田は物問いたげな顔をしている宮本に話した。
昼食はバス・ターミナル前のバルで食べた。
混雑していたが、運良く片隅のテーブルが空いていた。
女主人が愛想のいい笑顔を浮かべて、注文を取りに来た。
壁にいろんなメニューの紙切れが貼ってあったので、メヌ・デル・ディア(日替わり定食)の中から選び、注文した。
女主人はメモを取りながら、飲み物は何にする、と訊ねた。
壁に、マオウというビールの宣伝ちらしが貼ってあったので、二人はそのビールを注文した。
少しして、女主人は瓶ビールと共に、小さな皿を二人の前に置いた。
イベリコ・ハムをサービスとして付けるので食べてくれ、ということだった。
永田が女主人に何か言った。
女主人は笑いながら去った。
宮本は永田に、何と言ったんだ、と訊いてみた。
スペインのハムはとても美味しい、日本では食べることができない、貴女の好意に感謝します、と話したんだ、と永田は宮本に話した。
やがて、料理が届いた。
永田は豚肉のスペアリブ、そして、宮本はメルルーサ(タラの一種)という魚のフライを食べた。
結構、美味しかった。
「パエージャはそれほど美味しくは無いが、一般的に、スペイン料理は美味しいな」
「パエージャに関しては、日本で食べるパエージャの方が美味いよ。何て言ったって、日本人好みの味付けで作られるんだもの。スペインのパエージャは一般的に、日本人にとっては、塩辛過ぎる。でも、その他は君の言う通り、結構日本人好みの味で美味いよ」
「そう、俺なんか、バルセロナで飲んだガスパーチョが気に入って、バレンシアでも注文したし、コスタ・デル・ソルでも注文したほどだよ。それに、パン・コン・トマテ(薄く切ったフランスパンにオリーブオイルを塗り、トマトのスライスを載せて塩胡椒で味付けしたもの)もなかなか美味しかった。ウエイター、ウエイトレスの愛想はいいし、スペインって、いい国だよ。このビールだって、なかなかのものだよ。ビールは地元のビール、地ビールに限るな」
腹が満ちれば、人は何だか幸せな気持ちになるものだ。
永田は右手を上げ、何か書くような仕草をした。
その仕草を見た女主人が勘定書きを持ってきた。
スペインでは、チップはほんの小銭程度で構わないとされている。
勘定は二人分で十七ユーロであったので、一ユーロをチップとして、十八ユーロ置いて、店を出た。
バス・ターミナルのタクシー乗場から、タクシーに乗り、ホテルの名前を告げた。
運転手が少し怪訝そうな顔をした。
構わず乗り込んだが、ホテルに着いて、その理由が分かった。
何ということは無く、バス・ターミナルから二百メートルほどしか離れていなかったのである。
歩いたらどうか、と運転手は言いたかったのに違いない。
ホテルにはタクシーで行くものだと刷り込まれているらしい、と二人はタクシーから下りて、思わず笑ってしまった。
それでも、五ユーロ払った。
さすがに、チップは無しにした。
ホテルに着いて、チェックインした。
安ホテルだったためか、前金で宿泊料金を払わせられた。
日本円換算で払うか、ユーロで払うか、レセプショニストから問われた。
日本円換算の料金も呈示された。
日本を発った二週間ほど前のレートと比べ、大分円高・ユーロ安となっていた。
このままで行けば、今後もユーロは安くなるだろうと思い、ユーロで払うこととした。
ギリシャの経済不安は未だ解消されず、全面的にユーロが安くなっていた時期であった。
永田と宮本は荷物を部屋に放り込み、早速、市内見物に出かけた。
ホテルを出て、坂道を少し上ると、ソコドベールという街の中心地に向う大きな坂道に出た。
その坂道からの眺めは牧歌的で、中世の街を眺めているような感じを二人に与えた。
建物は全体的に茶系をベースとした色合いで石造りの落ち着きを感じさせた。
遠くに眼を凝らせば、青く霞んで、山々が見えていた。
見下ろした街の中央付近に、今は有名な病院となっているが、歴史的な建物の尖塔が高く屹立していた。
糸杉であろうか、尖った先端を有する背の高い樹木もここかしこに見えた。
近くの通りに眼を移せば、祭りでもあるらしく、路地に横断幕も吊り下げられていた。
『星の聖母を讃える祭り』、と書いてあるが、果て何だろうか、と永田が呟いた。
少し急な坂道だったが、二百メートルほど歩くと、ソコドベール広場に出た。
ソコドベール広場は人で賑わっていた。
五階建ての長い建物が広場を囲むように建てられていた。
やはり、近々祭りでもあるらしい。
その建物の二階から四階にかけて、部屋という部屋のバルコニーには全て、赤・青・黄・緑といった色とりどりの旗が吊り下げられていた。
旗には全て、紋章が描かれている。
「マクドナルドもあるぞ。一度、入ってみるのもいいな。コーヒーはどんな味がするんだろうか。確かめてみよう」
永田が宮本を誘った。
スペインまで来て、マクドナルドもないだろう、と文句はつけたものの、宮本も誘いに乗り、苦笑しながらも、いそいそとマクドナルドに入っていった。
店の二階でも飲めたが、折角だからというわけで、店の前に並べられているテーブル席に腰を下ろした。
「宮本、あそこに、マサパンの店があるよ。戻りがけに買っていこうか」
永田は右手で斜め右の店を指し示した。
マサパンは、むしろマジパンという名前で一般的には知られているアーモンド菓子で、ここトレドの名物菓子である。
黄身しぐれという和菓子に似ている食感だと言う人も居る。
永田が手で指し示した店はマサパンの老舗の店であった。
「この店は有名な店で、旅行案内書にも掲載されている。本店は確か、カテドラル(寺院)の方にあるということで、ここはその支店だろう。食べてみて、いける味であれば、土産に買ってもいいな」
「宮本の奥方は喜ぶだろうが、俺のところは駄目さ。甘いものはご法度なんだ。まあ、仕事が保険会社の外務員だろう。いつまでも、スレンダー・バディでいたいんだってさ。そう言ったって、肝心の齢はごまかせないのにねえ。無駄な抵抗だよ」
永田の妻の美智子は永田と同じ齢であったが、生命保険会社の外務員をしている。
人に会う関係上、外見には特に注意していた。
永田はそのように言うけれど、実際、永田の家の家計は美智子さんの稼ぎで何とかやっており、永田は一種の髪結いの亭主なのに、と宮本は永田の四角い顔を見ながら、思っていた。
永田は外資系の会社を早めに辞めて、その後はいろいろな会社に勤めたが、どこも長続きせずに、勤めては辞め、辞めてはまた勤めるといった生活を繰り返していた。
外資系の会社では、永田は営業部長でばりばり働いていたが、五十歳になるかならぬか、という時に会社を辞めた。
或る時、宮本は永田を誘い、後楽園近くの酒場で飲んだ時があり、その時、話のついでに、辞めた理由を訊いた。
「宮本は財閥系の歴史の古い会社に勤務しているから分からないだろうが、外資系の会社では、はっきり言って、五十歳過ぎの社員は要らないんだ。俺も大分古参の年配社員の首をきってしたし、その順番が俺に来ただけの話だよ。リストラじゃ無くて、そのような暗黙の仕組みの中で、俺たちは働いていたんだよ。元々、退職金なんていうものは雀の涙程度のものなんだが、早期退職の場合は結構な金額となる。俺の場合も、何かもう、潮時かなあという感じで辞めることとしたんだよ」
永田はそう言って、少し自嘲的な笑いをした。
「役員になれれば、まあ話は別だけれど、俺は役員にはなれなかったし」
永田はそう呟き、酒の突出しとして出された、味噌・キャベツをカリカリと音を立てて、食べた。
宮本は笑いながら、永田に言った。
「美智子さんはほっそりとした美人だから、なおさら、スタイルには気を遣うんだろう。スタイルに気を遣わなくなったら、女はおしまいだよ。僕のところなんか、僕がダイエットで痩せた分、女房が肥って、さ。プラス・マイナス、ゼロで、夫婦としての体重の合計は辻褄が合っているわ、と笑っているよ」
永田と美智子は学生結婚だった。
同じ大学の同級生同士の結婚であり、生まれは美智子の方が永田より三カ月ほど早いという、少し『姉さん女房』といった結婚であった。
高田馬場に住んでいた永田のアパートを久し振りに訪ねた宮本がびっくりしたことがある。
ドアをノックしたら、少し時間をおいて、永田がドアを少し開けて現われ、ちょっと待ってくれと言う。
可笑しなことを言う、と宮本は思ったが、言われるがまま、廊下で暫く待った。
いいよ、と声がかかり、ドアを開け、中に入った宮本はびっくりした。
部屋の真ん中に炬燵があり、女がひとり、その炬燵に入って、宮本を見ていたのだ。
その女が、美智子だった。
その頃、『同棲時代』という漫画が流行り、宮本も秘かに『同棲』という言葉に憧れていた。
美智子は綺麗な娘で、この時ばかりは、宮本は永田の幸運に嫉妬したものだった。
宮本は永田とは異なり、三十歳近くになって漸く結婚した。
宮本と真樹子はいわゆる職場結婚であり、年齢は五歳ほど離れていたが、結婚して半年も経たない内に、既に年齢の差は夫婦の間では解消されていた。
女の精神年齢は男より十歳は上だぜ、と宮本と永田はやはり酒場で飲んでいた時に、つくづくと認め合ったこともあった。
俺のところなんか、完璧に美智子のペースだぜ、収入は俺の方が少し多く、夫としての面目はまあ保っているものの、家庭生活では完全に美智子が牛耳っているもの、と永田はよく言っていた。
そのくせ、その境遇、状態を怒っている風は全然感じられなかったものだった。
一見したところ、亭主関白そのもののような貫禄を見せる永田も所詮は惚れた弱みで今も頭が上がらないのだ、と宮本は思い、ニヤリとした。
二人はマクドナルドを出て、賑やかな路地をぶらぶらと歩いて、カテドラルに行った。
日本では、暗くなっている時刻であったが、緯度が高いせいか、スペインでは夜の十時頃にならないと、暗くはならない。
まだ、夕焼けにもならない路地を歩いた。
それでも、カテドラルには照明が燈され、ライトアップされた光景はなかなか美しかった。
「スペインのカテドラルはいずれも豪壮且つ華麗だなあ。グラナダ、セビージャ、コルドバといろいろな都市のカテドラルを観て来たけれど、どこも同じように豪壮且つ華麗な建造物だった」
宮本の言葉に、永田が頷いた。
「さすがは、太陽の沈まぬ帝国、スペインさ。メキシコとか、ペルーの征服で奪った金・銀で本国は潤い、このような凄いカテドラルを次々と建てていったのさ。俺は昔、旅行でメキシコにも行ったことがあるけど、オアハカというメキシコ南部の街の教会、確か、サント・ドミンゴ教会で、インディオの末裔たちが金ぴかの祭壇の前で敬虔な祈りを捧げているところを見た。金ぴかといっても、半端じゃ無く、本当に圧倒されるほど黄金の輝きに満ちているんだ。搾取の固まりの象徴みたいなものだ。その前で、コンキスタドーレス(征服者たち)に過酷に搾取され続けたインディオの子孫たちが、与えられたカトリックの教えに基づき、敬虔なお祈りを捧げているんだ。パロディみたいなものだ。つまり、搾取された者たちが、搾取された富の前で、その富を讃えているようなものだよ」
「でも、永田君よ。それは、スペインばかりじゃないぜ。イギリスだって、フランスだって、イタリアにもあることだ。しかし、妙なことだが、搾取された富を使って、造ったものが醜いということは無いんだ。ほとんど、例外なく、美しい。背景、動機、経緯とは関係なく、美しいものは無条件に美しい、というのも残念ながらあるものなのだ」
二人はそんなことを語りながら、ライトアップされたカテドラルを見上げていた。
辺りは漸く薄暗くなり、涼しい風も吹いてきた。
永田と宮本はカテドラルの前を離れ、元の道を辿り、ホテルに帰った。
五月二十八日(金曜日)
朝食を前日ソコドベール広場で買ったマサパンで済ませた永田と宮本の二人は、九時十五分発のコンスエグラ行きのバスに乗って、コンスエグラの丘にある風車見物に出かけた。
一時間半ばかりのバス旅行となった。
コンスエグラへの道はベガと呼ばれる沃野を走る道であり、二人は柔らかな緑に覆われた草原を眺め、楽しんだ。
その内、沃野が途切れがちになり、白茶けた大地が目立つようになってきた。
ぽつぽつと、背の低いオリーブの木々が白茶けた大地の中で、緑の斑点として、申し訳無さそうな風情で立っている。
典型的なラ・マンチャの風景であり、コンスエグラが近くなったことを示す風景でもあった。
「時に、永田君はドン・キホーテを完読しているかい?」
「おや、いい質問だ。勿論、読んでいるよ。翻訳本だけど、これまでに、二回は完読している。一度目は、大学時代で、美智子と同棲し始めた時だ。美智子が俺のアパートに転がり込んで来た時に、なぜか、ドン・キホーテの文庫本を持っていたんだ。二度目は、外資の会社を辞めた時だ。暇を持て余してねえ。ほら、著者のセルバンテスもドン・キホーテの序文に書いているじゃない。『閑暇なる読者よ』と。俺はまさに、閑暇なる読者として、二回目を読んだんだよ」
永田は、遠くを見るような眼になって、言葉を続けた。
「一度目に読んだ時は、読み終わって、ほっとした。長くて、まあ、退屈でさあ、ところどころで笑える箇所もあったけど、とにかく、冗長でやたら長ったらしくてねえ。読んで、やれやれ漸く読み終わったという感想しか、実際のところは持っていなかったものさ。しかし、二回目に読んだ時は、そうじゃ無かった。暇に任せてじっくりと読んだせいもあるけど、なぜか、強い感動を受けてねえ。読んでいて、思わず、涙ぐむところもあったんだ。味のある文章が多くてねえ。一度目と二度目では、二十五年ほど時をおいている。人生経験を積んだせいかなあ。実は、今回の旅を終えたら、もう一度、読んでみようと思っているんだ。十代で読んだ小説を二十代、三十代、四十代でそれぞれ十年ほど置いて、読み返すのもいいかも知れないな。おそらく、受ける感動の深さ、種類は異なると思うよ」
「ああ、そうかも知れないな。永田君の言う通りかも知れない。映画だって、そうだよ。この間、『雨月物語』を衛星放送で観たんだが、学生の頃、観た記憶とかなり違っていた。勿論、印象的な場面、場面の記憶はそれほど違ってはいなかったんだけれど、感じたことはかなり異なっていた。ああ、そうだったのか、と改めて納得することが結構あったんだよ」
「年齢のせいかなあ。だとすると、齢を取るのも悪くないか。若い頃とは違った、新鮮な感動も味わうことが出来るからね。年寄り、万歳だよ。でもさあ、ドン・キホーテの中にはこんな言い回しもあるよ。キホーテの姪が叔父ドン・キホーテの冒険心を諫めて言うセリフがある。『大麦の茎はもう麦笛つくるにゃ固すぎる』ってね。分かるだろう。年寄りの冷や水、ってことさ」
永田のおどけた口調に釣られて、宮本も声を上げて笑った。
笑いながら、ふと、宮本は永田がいつも話す言葉を思い出していた。
それは、俺は生涯現役で働くつもりだよ、という言葉であった。
しかし、そうは言うものの、永田の仕事は長く続いたためしは無い、これも事実だ、と宮本は思っていた。
丘の上に城を挟んで、左方に五基、右方に七基と、十二基の風車が見えてきた。
コンスエグラに着いたのであった。
バスが着いたのは、街角の薬局の前であった。
そこには、バスの停留所を示す交通標識というものは一切無かった。
永田が心配になり、帰りのバスにはここから乗ればいいのか、と訊ねた。
そうだ、と運転手は陽気に微笑みながら言った。
二人はバスを降りて、風車の方角に歩き出した。
小さな広場を抜けて、路地を歩いた。
やがて、T字路に出た。
二人が右に行くか、左に行くか、迷っていると、近くを歩いていた一人の老人が声をかけてきた。
宮本には何を言っているのか、皆目分からなかったが、永田は大きな声で、グラスィアス(ありがとう)と言った。
風車を見に行くならば、右の道であり、少し歩けば、風車に続く階段の坂道がある、とあの老人は話してくれたんだ、と永田は宮本に言った。
二人は老人が指し示した道を歩いた。
やがて、中央に鉄の手すりが付いた階段坂道のところに出た。
見上げると、丘の上の青い空に風車がぽっかりと三基見えていた。
「インディアン、嘘、吐かない。スペイン人、親切で本当のこと、言うね」
永田がおどけた口調で言った。
「でも、永田君。ここに、長居は出来ないかも知れんよ。ほら、あちらの方から、黒い雲が近づいているもの」
宮本は右手で遠くの空を指し示しながら、永田に言った。
そう言えば、昨夜見たテレビ放送の天気予報でここら周辺には雷雨注意報が出ていたな、と永田が言い、急いで風車見物を済ませてしまおう、とも付け加えた。
丘に上り、風車を見物した。
九十度の角度で四枚の羽根が取り付けられているが、格子状の羽根には風圧を受けるべき布の類は一切貼られておらず、今では回転することも無い。
白い円筒状の建物に、黒い円錐状の屋根が乗っかっており、壁には四角の小さな窓が幾つか開けられている。
白壁は風雨にさらされ、浸食されたせいか、漆喰も当初は滑らかに塗られていたであろうが、ところどころで剥げ落ち、ごつごつ、ザラザラという印象を与えていた。
そして、羽根と反対方向に長く太い支え棒が建物全体をしっかりと支えている。
宮本が永田に言った。
「永田君、これだよ。この花だよ。赤い絨毯のように見えた花はこれだよ。ほら、一面に群生しているだろう。電車とかバスの車窓から見たら、まさに赤い絨毯に見えるさ」
「何だ、アマポーラじゃないか。宮本、これはアマポーラ、日本では雛罌粟或いは、虞美人草と呼んでいる花だよ。なるほど、漸く正体が判ったなあ」
「スペイン語では、アマポーラと云う花なのか。なよなよと風に震えるように揺れている。繊細な細い茎を持つ花だなあ。今が盛りなのか」
「そうみたいだな。アマポーラって、女の子の名前としてもポピュラーだよ。メキシコ旅行でも、確か、ホテルのレセプショニストの女の子の名前がアマポーラだったもの」
風車の向こうには古い城が建っていた。
修復でもしているのか、高いクレーンも見えていた。
風車には全て、名前が付いており、最寄りの風車は、サンチョという名前を持っていた。
二人はぶらぶらと、アマポーラが群生しているところを歩いた。
道の傍らに、小さな祠があった。
白い石造りの祠で、中に白い服を纏った小さなマリア像が置かれてあった。
像の周囲は、赤・白・黄・ピンク・紫色の花で飾られていた。
マリア像には聖人の印である光背が取り付けられており、この聖母は穏やかな優しい微笑を口元に湛えていた。
丘の頂上に立って、風車の背後にひっそりと佇む、モザイク画のような街並みを見下ろした。
遠くには山が青く見え、緑の草原を挟み、茶褐色の屋根を連ねる街並みを眺めながら、永田と宮本は陶然とした。
「宮本よ。生きているというのはいいなあ。こうして、長年の憧れであったラ・マンチャの沃野を眺めることが出来たんだもの。今、俺はとても幸せだよ」
宮本は、しみじみとした口調で呟くように語る永田の横顔を見た。
永田は結構、ロマンチストなのか、と思った。
ふと、高校時代の永田との出会いを思い出した。
永田は高校一年の時の同級生であった。
その高校は入学前に入学予定者を集め、補習と称して英・数・国の三教科の特別授業があることで当時知られていた高校であった。
入学式を控えた三月末の或る日、国語の授業があった。
読本としては、樋口一葉の『たけくらべ』を使っていた。
美登利と信如の幼い恋の物語である。
物語の最後のところで、信如が僧侶となる修行のため、町内を去る時に、美登利の家の門に一輪の紙花を差して行ったという場面がある。
先生が、何故信如はそのような行為をして去ったのか、生徒に当てて質問したことがあった。
何故に信如はそのようなことをしたのか、ほら、そこの悪童、答えてみい、と先生が訊ねた。
その時、悪童として指されたのが、坊主頭で四角い顔をした永田であった。
指された永田の顔色は、本来は青白い顔色をしていたのであるが、みるみる紅くなっていった。
立ち上がり、つっかえながら、答えた。
好きだったから、と。
この素朴ではあるが、真面目過ぎる答えに、クラス中が爆笑した。
あの時の永田は、可愛い少年だった、と宮本は思い出し、ニヤリとした。
しかし、空は青さを失い、黒い雲が押し寄せてきていた。
二人は、風車見物を切り上げて、街へ戻ることとした。
戻り道で、やはり帰りを急ぐ日本人の夫婦に遇った。
二人と同じくらいの年輩の夫婦であり、定年後の楽しみとして海外旅行を楽しんでおります、ということであった。
その夫婦と話しながら、階段坂道の方へ歩いていく途中、道端に車を停めていたスペイン人の男に呼び止められた。
写真を撮ってやるよ、と言う。
夫婦、永田と宮本、とそれぞれの写真を撮り終えたその男は笑いながら、デジカメを戻した。
何か、言った。
永田が笑いながら、その男に返答した。
再び、歩き出した時、永田がその男から言われたことをぽかんとしている三人に話した。
「スペインって、危ないところなんですね。彼は、デジカメを渡しながら、こう言ったんです。ここのような田舎ではいいけれど、マドリッドでは、写真を撮ってやるからと言われて、うっかりカメラを渡してはいけない、そのまま、カメラを持って、逃げられてしまいますからね、と言ったんですよ」
永田の説明を聞いて、宮本たちはなるほどと笑った。
坂道を下りて、街に戻った。
サフランを売っている小さな雑貨屋があり、熟年夫婦は興味深そうな顔をして入っていった。
奥さんがサフランを数グラム買って、満足したような顔をしていた。
日本で買うよりは随分と安く、友達に良い土産になるということだった。
買ったサフランを永田たちに見せながら、十本ほどお米に入れて炊くと綺麗なサフラン色のご飯が出来、香りも良いのよ、と嬉しそうに話していた。
その内、雨が降り出し、懸念していた雷雨が到来した。
四人は、感じの良さそうなレストランに入って、雷雨を避けることとした。
入って、驚いた。
何と、日本語のメニューがテーブルに置いてあったのだ。
「ここは、日本人がよく来る店なんでしょうかねえ」
ご主人がしみじみとメニューを見ながら、言った。
「そうでしょうね。ドン・キホーテとか、風車見物と騒いで見に来るのは日本人が結構多いんでしょう」
永田が笑いながら言った。
「でも、このような日本語メニューって、助かりますね。だって、スペイン語しか書かれていないメニューでは、私のようなスペイン語の分からない者にはちんぷんかんぷんですものねえ」
奥さんが少し、嬉しそうに言い、ご主人に向って言った。
「ねえ、あなた。時間的にもお昼の時間だし、何か、頼んでお昼ご飯としましょうよ」
結局、四人の日本人はその日本語メニューを見ながら、思い思いに料理を注文した。
注文を取りに来た店の主人に、永田を除いて、三人は食べたいものを指差しながら注文した。
永田は、さすがに、いつも通りスペイン語を駆使して料理を頼んだ。
注文をして、ほっと窓の方を見た奥さんが驚いたような口調で皆に告げた。
「あらっ、凄い雨。窓に叩きつけられているみたい」
先程から、雷の音は聞こえていたが、どうやら本格的な雷雨になってきたらしい。
稲光と共に、雷の音が間近で聞こえ、激しい雨が窓ガラスを打っていた。
やがて、注文していたものが次々とテーブルに並べられた。
「おい、こんな凄い量、とてもじゃないけれど、食べられないよ」
ご主人が自分の前に置かれた皿を見ながら、奥さんに向って溜息を吐くように言った。
宮本は笑いながら、ご主人に言った。
「それ、ボカディージョでしょ? 何かの案内書で、都市ならいざ知らず、田舎のレストランの料理の一人前はスペイン人の食欲を反映して、とにかく量が多いということを読んだ記憶がありますよ。ご主人は、ベーコンを挟んだボカディージョを注文されたと思うんですが、ほら、このようにフランスパン一本丸々、ということになってしまうんです」
永田も笑いながら、奥さんの皿を見ながら言った。
「奥さんの方が賢明な注文でしたねえ。奥さんは確か、トルティージャ(ポテト・オムレツ)を挟んだモンディートスを頼まれました。モンディートスの方が、ボカディージョよりも少ない量で、正解でしたねえ」
そのように言う永田に向い、宮本が冷やかすような口調で言った。
「そう、のたまわる永田うじも、そのボカディージョは食べきれるのかい?」
永田の皿の上にも、巨大な生ハム・チーズ入りのボカディージョがドンと乗っかっていたのである。
四人は同時に爆笑した。
「ご主人は、定年退職されて、今は奥さんと二人、旅行をされて悠々自適なんですか?」
ビールを飲みながら、永田が言った。
ご主人は、手を振りながら打ち消すような口調で言った。
「いやいや、悠々自適とまでは到底行きませんが、何とかご飯は食べられますので、こうして家内と二人、のんびりとはしています」
「ここに居る、宮本はご主人と同じで、今年の春、定年退職したばかりなんです。私は、ずっと前に会社を辞め、女房の稼ぎで、まあ暮らしているようなもんなんですが。生涯現役と思い、時々は勤めてはいるんですが、どうも長続きはしなくって」
「生涯現役、ですか。まあ、それもいいですねえ。でも、私は六十できっぱり会社関係からは身を引きました。嘱託で残るとか、子会社出向とかいろいろとお話はあったんですが、どうも会社勤め自体に何か疲れましてねえ。ここに居る家内と相談して、リタイアーすることに決めたんです。実は、十年ほど前に大きな病気をしましてね。一時は、死ぬことを覚悟したほどの病気だったんです。まあ、運良く、完治しましてね。その時から、何と言うか、生きるということをじっくりと味わう、という気持ちになったんです。定年で退職して、後の人生は自分なりに楽しんで暮らそう、という心境ですよ、今は」
食事が終わった頃には、雨も上がっていた。
永田と宮本は、レストランの出口で日本人夫婦と別れ、バス乗場の方に歩いた。
「あの奥さん、スペインに来て初めて、メニューの意味が分かった状況で注文出来たよ、と言って笑っていたよ。メニューが読めなければ、闇雲に注文することななるからね。メニューは読めていても、ヒアリングでミスれば、何にもならない。ほら、宮本も覚えているだろう、あのバルセロナでの事件さ」
永田はいかにも可笑しさを堪えるような仕草をして続けた。
「ほら、デザートとしてコーヒーを注文した時のことさ。ウエイターがいろんなコーヒーの種類を挙げて、どれがいい、と訊いていた時のことさ。アイス・コーヒーという名前が出て、俺はすぐに飛びついたね。アイス・コーヒーが飲めるのか、それなら、それにしようと思ったんだ。注文して、届いたコーヒーを見て、びっくり。どう見ても、ホット・コーヒーなんだ。変だなあと思いながら、飲んで、また、びっくりさ。アルコールの味がしたんだもの。あの時ほど、まごついたことは無かったね」
「アイス・コーヒーと聞こえたものは、実は、アイリッシュ・コーヒーだったという落ちだったね」
「そうだよ。ウイスキーをたっぷり入れたホット・コーヒーだったんだ。後で、そのレストランを出た後、宮本は、ケッケッケ、と俺を笑っていた」
二人は、思い出し笑いをした。
バス停に着いた時、宮本は少し真剣な顔をして、永田に言った。
「でも、さあ、永田君。生きるか死ぬかの瀬戸際を経験するって、凄いことだよなあ。あのご主人のように、何だか悟ったような心境になることが出来るものな」
「少欲知足、ということかい? 仏教の教えの心髄みたいなものか。でも、さあ、なかなかそのような悟りきった心境にはならないものさ。どうしても、煩悩故か、邪念が入るもの。俺なんか、とても無理だよ。綺麗な女を見ると、むらむらと来るしさあ。この齢になっても、色気無しには生きられないよ。宮本も、定年退職で、あのご主人のように『諦念』退職出来たくちかい?」
「諦念退職、かい。なかなか、そうは行かなかったよ。もう少し出世して、役員にもなりたかったし、ね。でも、ものは考えようだよ。退職して、時間だけはふんだんに持つことが出来たもの。まあ、一番の理想は、金があって、時間もあるという状況だけれど、ね。次が、金は無くとも、時間はたっぷりある、という状況かなあ。一番悪いのは、金はあるけど、時間は無い、という状況だろうねえ。欲求不満ばかり残るし、金は冥土には持っていけないからね」
「だから、こうして、気儘に旅行をして楽しんでいるということか。サンチョ・パンサも言ってるよ。『裸で生まれたおいらは、今も裸。失ったものも、得たものも無い』ってね。人間、どうせ死ぬ時は何も冥土には持って行けない。焼かれて、灰と骨になるだけさ」
「でも、かっこつけて言うと、冥土の土産に『思い出』だけは連れて行けるよ。旅をした思い出もいい思い出になるはずだ。旅の思い出は無形の財産。目に見える財産は冥土には持って行けない」
やがて、バスが来て、二人は乗り込んだ。
運転手から、トレドまでの乗車券を買った。
見覚えのある運転手であった。
その運転手が何か言い、永田が答えた。
運転手は肩を竦めた。
「朝の運転手だよ。風車見物はどうだった、と訊かれたので、とても良かった、風車が巨人に見えたよ、と答えておいた」
永田がかっこよく、宮本には見えた。
バスはラ・マンチャの野原を快調に走り抜け、一時間半後には、トレドのバス・ターミナルに着いた。
雨は上がっていたが、路面は未だ濡れていた。
黒い犬が頼りなさそうな足取りで、濡れた歩道をとぼとぼと歩いていた。
二人はホテルに寄り、シャワーを浴び、さっぱりした服に着替えてから、坂道を歩き、ソコドベール広場に向かった。
ソコトレンと呼ばれる観光遊覧バスに乗るつもりだった。
広場にキオスクがあったので、乗車券を販売しているか、永田が訊いた。
キオスクの女が彼方の路地を指差し、あそこの観光会社で買える、と言った。
指された路地に行ってみた。
少し入った左側に、観光案内所があり、そこでソコトレンの乗車券を売っていた。
乗車時間は指定されており、二人は四時発の乗車券を買った。
二人は四時までの待ち時間をソコドベール広場周辺を散策して潰した。
石畳の道は先刻降った雨で濡れて、少し滑りやすかった。
カテドラルへ続く路地には、雨避けの布が天蓋のように空中に張られていた。
時々、溜まった雨水がざぁーと音を立てて、端の開口部から下に落下していた。
「折角、布の屋根が付いていても、端から落ちてくる雨水でずぶ濡れになったら、お笑いだな」
永田が上を見上げながら、宮本に言った。
「でも、皆知っているようだよ。時々、上を見上げながら歩いているもの」
暫く道なりに歩いていたが、道はふいに二股となる。
その二股の道を左方に曲がると、大きな少し薄暗い門に入る。
その門を抜けると、急に視界が開き、明るい空間にカテドラルが屹立している。
「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった』、という川端康成の文章を思い出させるねえ」
「『雪国』の冒頭の有名な一節かい。そんな言葉がすらすら出てくるとは、さすがは、文学青年だった永田信一君だねえ」
「文学青年、か。元文学青年、と言った方が正確だよ。今は、世俗に塗れた一介の男になってしまった。汚れちまった悲しみに、今日も風さえ吹き抜ける、だよ」
「何、言ってんだ、永田君。君は立派に生きているじゃないか。自分を卑下することなんか、無いよ」
もう、時間だよ、とどちらとも無く言い、二人は今来た道を辿り、ソコドベール広場に戻り、ソコトレンと呼ばれる観光遊覧バスに乗った。
ソコトレンはトレド市内観光の名物となっており、四・五十分かけて、街の周囲を流れるタホ川に沿って巡回し、古都トレドの景観を余すこと無く、観光客に見せる。
四両編成の汽車の格好をした乗り物で、運転手が乗る先頭車両は蒸気機関車を模した牽引車両となっている。
乗客はほぼ満員の盛況であった。
中学生と思われる男女学生の一団が陽気に騒いでいた。
雨はすっかり上り、空には白い夏の雲とあくまで青い空が広がっていた。
先程の雷雨がまるで嘘であったかのように、快適な空の下、ソコトレンはタホ川に沿って、トレドの市外をゆっくりと走って行く。
ガラスの無い窓からトレドの移りゆく街並みを眺める乗客は時折喚声を上げた。
何とも言えない古都の美しい街並みはそのまま、エル・グレコが描いたトレドの絵そのものであった。
中世の街を思わせる風景を眼前にして、永田と宮本は食い入るように窓の外に広がる風景に目を凝らした。
「街自体が芸術的な絵画そのものだ」
宮本は感動したような口調で呟いた。
「エル・グレコが描いた絵と全く同じ風景だよ、これは。素晴らしいねえ」
永田も宮本に同調して、感に堪えない口調で話した。
エル・グレコはスペイン語では、あのギリシャ人、とかいう意味になる。
本名は、ドメニコス・テオトコプーロスという名前であったが、洋の東西を問わず、外国人の名前はどうも発音しづらい。
いつの間にか、『あのギリシャ人』という意味でしか無いエル・グレコという一般名詞がこの画家の通称となってしまったのである。
エル・グレコは天才的な芸術家であると同時に、お客の求めに応じて沢山の絵を描き、お金を稼いだ職人的な画家でもあった。
愛人もつくり、豪奢な生活を享受したとも巷間云われている。
二人はソコトレンによる周遊を終えて、マサパンの店の隣にあるカフェテリアで軽めの夕食を摂った。
ミネラルウォーターとビールを買って、ホテルに戻り、ビールを飲みながらテレビを観ていたら、いつの間にか、二人は安らかな寝息を立てていた。
五月二十九日(土曜日)
「昨夜は、いつの間にか、寝てしまったな。おい、見ろよ。今日は素晴らしい天気だよ。トレド最後の日だ。思う存分、街中を歩くことにしようぜ」
窓のカーテンを大きく開けながら、永田が大きな声で言った。
朝食は、昨夜のカフェテリアで摂った。
クロワッサン、オレンジ・ジュース、カフェ・コン・レチェ(ミルク・コーヒー)といったコンチネンタル風な朝食で簡単に済ませた。
「宮本、お前、これからどうするんだい?」
永田がオレンジ・ジュースを飲み干した後で、少し真剣な顔をして宮本に訊ねた。
「何だよ、急に。どうするって、日本に帰ってからのことかい?」
「うん、そうだ。今回の旅行は、定年退職、ご苦労さん、といった感がある旅行だけれど、これからどう生きていくのか、俺は興味があってね」
「そうか。君と違って、僕は完全に無職の状態だものねえ」
「宮本は一杯退職金を貰って、年金もたっぷりあるだろうけれど、俺は女房の稼ぎで食っていくのは嫌なんだ。たとえ、長続きはしなくとも、生涯現役で働いていくつもりだよ」
「生涯現役、か。いい言葉だけれど、若い人の職を奪うようなことは避けるべきだと僕は思っているんだ。よく、さあ、こんな風に言うことがあるけれど。もって、余人に代え難し、とね。高齢の役員をそのままの役職に残す場合に言われる、だろう。職人とか、芸術家ならいざ知らず、民間とか公務員ではそんな特別な人なんか、居やしないのにさ。先輩に対する後輩の遠慮に他ならないんだよ。或る程度、齢を取った人には潔く、隠退して戴く、その役職にはより若い人を付けていく、という新陳代謝が必要さ。政治家だって、そうさ。七十過ぎて、政治家をやって、どんな意味があると云うのか。四十代、五十代の若くてバリバリやるエネルギーに溢れた後進に道を譲るべきなのにさ」
「けっ、宮本は厳しいな。でも、俺は今の仕事では若い人にそれほど生涯にはなっていないよ。営業関係の顧問嘱託だもの。臨時雇いのアドバイザー、さ。年間契約だから、俺という人間の必要性が無くなったら、契約が打ち切られるだけだもの」
永田の邪気の無い笑顔を見て、宮本もしょうがないな、という顔をした。
観光案内書を片手に二人はトレド市内を散策した。
トレドは街自体がタホ川に囲まれた小高い丘の上に建設された街で、坂の多い街である。
街の中心であるソコドベール広場から商店が建ち並ぶ路地を歩いてカテドラルの方角に向った。
カテドラルに着いた。
しかし、カテドラルを後回しにして、サント・トメ教会に行った。
ここには、エル・グレコの最高傑作と言われる『オルガス伯爵の埋葬』が展示されている。
さすがに、人によってはスペインが所有する最高傑作だと云う評判通り、観る者を圧倒させるような迫力をその絵は持っていた。
しかし、その他の絵は一切展示されていない。
つまり、『オルガス伯爵の埋葬』という一つの絵だけで、言葉は悪いが、飯を食っている教会なのだ。
些か不遜ではあるが、一枚の絵だけならば、高い鑑賞料だったな、と思いながら、二人はサント・トメ教会を出て、カテドラル見物に向った。
このカテドラルは二百キログラムの純金が使われている聖体顕示台があることで知られている。
今、金はグラムで三千円はする、二百キログラムは金価格換算でも、ざっと六億円になるか、と宮本は計算した。
勿論、アメリカ大陸から収奪した金が使われていることは疑いようが無い。
スペインは新大陸発見でどれほどの富を得たことだろう、メキシコからは銀、ペルーからは金が掠奪され、スペイン本国になだれ込み、王朝を潤した。
特に、メキシコ銀貨は国際的な通貨となり、日本では洋銀と呼ばれ、洋銀一枚当たり、幕末の頃は一分銀三枚と交換された。
一分銀は四枚で一両の小判と等価値となり、結果、洋銀四枚で小判三両に交換され、日本から小判という金貨が大量に流出する事態となった。
ひょっとすると、その時流出した小判の金もここに使われているかも知れないな、いや、時代が違うからそんなことは無いだろう、と二人の日本人は憤慨しながら話していたのである。
複雑な思いで、二人は豪華絢爛に煌めく聖体顕示台を眺めた。
カテドラル見物の後、ソコドベール広場に戻り、サンタ・クルス美術館を見物した。
ここには、エル・グレコ、リベーラ、ゴヤといった巨匠の絵が多数展示されている。
二階からの眺めは素晴らしい。
ベガ(沃野)と呼ばれているなだらかな草原に埋もれるように、白茶けた家々が見える。
牧歌的な眺望に陶然としている二人の眼の前を、数羽の燕が過ぎっていった。
美術館を出て、ソコトレンにも、昨日に引き続き、乗ってみた。
しかし、一度目のような感激は味えなかった。
「柳の下に、二匹目の泥鰌はいない、か。どうも、感激というものは、二度目は薄れるものだな」
永田が少しつまらなさそうな口調で呟いた。
その後で、カサ・アウレリオという有名なレストランに行って、昼食としようや、ということで二人はその店を尋ねた。
鶉を赤ワインで煮込んだペルディス・ア・ラ・トレダーナ(トレド風・鶉煮込み)という郷土料理を出すことで有名なこの店は、二人が入った瞬間、少し場違いかなと思わせるくらい、格式の高いレストランであった。
黒のスーツに身を固めた給仕がうやうやしく、二人をテーブルに案内した。
二人は名物の鶉料理を含め、かなり豪勢な料理を取り、満腹になるまで食べた。
「実は、俺、今、こんなことを考えているんだ」
永田が食後のデザートとして出されたアイスクリームを食べながら言った。
「こんなことを今更言うのも何だが、どうも、俺は未だ天職とやらには会っていないような気がしているんだ。笑うなよ、宮本」
永田は結構真剣な目をしていた。
「五十歳で辞めた外資の会社も含め、これまで勤めた会社で、自分自身が満足出来る会社は無かったんだ。これは、大変不幸なことだ。それで、今、俺は或る決心をしたんだ。つまり、これまでのような、身過ぎ世過ぎのために働くことはもう止しにして、生涯の仕事たる、ライフワークと呼べる仕事を見つけることにしよう、と決めたんだ」
永田は更に、真剣な口調で続けた。
「日本はこれから、少子高齢化の時代に入る。いや、もう既に入っている。つまり、俺たちみたいな老人、今は老人とまでは言えないか、老人予備軍とでも言おうか、老人予備軍はやがて立派な老人となり、老人が多い社会になることは決まりきった事実だ。老人と言っても、さまざまだ。大人しく田舎に引っ込んで暮らす者も居るだろう、田舎が嫌いな者は都会の片隅でひっそりと暮らすこともあるだろう、さまざまな老人の中には、日本を出て、海外の暮らしやすいところでのんびりと余生を過ごしたいと思う者も居るだろう。そんな老人たちを対象にして、外国に老人村をつくるというのはどうだろうか」
「老人村、か。未だ、無い、のか?」
「無い、と思うし、仮に、あったとしても、俺たちが知らないくらいだから、そう有名なものでは無いだろう」
「例えば、このスペインならば、先週行ったあの、コスタ・デル・ソルの街、何て言ったっけ?」
「トレモリーノスだよ」
「ああ、そうそう。そのトレモリーノスに老人村をつくる、というのも面白いなあ」
「宮本も、そう思うだろう。トレモリーノス、あそこは暮らしやすいところだし、少し電車に乗れば、マラガにも行ける。マラガならば、飛行機の便もなかなか良い。完全な形の老人村が出来れば、相当面白いビジネスにもなるんじゃないかなあ。アパート形式の集合住宅で、医療設備も整っており、食堂も完備、娯楽室もあり、老人たちがのびのびと老後の異国での生活をエンジョイ出来る」
「でも、老人って、死ぬもんだぜ。死体の処置、と言うか、葬儀設備とか日本への遺体輸送とか言ったことも考えておかないとまずいぜ」
永田と宮本の二人は、そんな会話を交わしながら、カフェテリアで小一時間ほど時を過ごした。
カテドラル近くをウインドウ・ショッピングしながら歩いていたら、ショー・ウンイドウの中の置物が目に止まった。
宮本が永田を誘って、店に入り、その置物を買った。
ドン・キホーテとサンチョ・パンサが並んで立っている人形だった。
ちょっと見には、木製かなと思われたが、店員の話では、樹脂製とのことだった。
樹脂製ではつまらないな、と宮本は一瞬思ったが、永田のニヤニヤ笑いに反発するような気分で買ってしまった。
「宮本。俺は絶対に、このようなものは買わないよ。美智子から、後でゴミになるものは一切買って来るな、と言われているからね」
「そんなこと、言うなよ。買い物はいつでも、まあ、衝動買いみたいなもので、結構楽しいものさ」
「まっ、ひとの自由だ。クレームはつけないよ。どうぞ、ご自由に欲しいものを買って下さい」
そんな嫌味を言う永田であったが、実は人一倍お土産を買うのが好きな性質であり、アルハンブラ宮殿の土産物屋で、アラビア風のタイルを数枚買うのを宮本は見ていた。
あのタイルを永田は美智子さんに見せるのだろうか、それとも、こっそり自分の部屋に持ち帰り、机の中にでもしまい込むのだろうか、と思い、宮本も永田の取り澄ました顔を見ながら、ニヤリとした。
その後、ソコドベール広場で少し、周辺の土産物屋を覗いてから、二人はホテルに戻ることとした。
夕暮れは人を感傷的にさせる。
坂道を歩きながら、眼下に見えるトレドの街並みを眺めた二人はセンチメンタルな気分に陥っていた。
「夕暮れの街って、いいなあ」
坂道の途中で立ち止まり、永田がしみじみとした口調で呟いた。
「どこか、京都の街並みを連想させる風景だなあ。俺は坂本龍馬が好きで、京都に行く度に、霊山の龍馬と慎太郎の墓所を訪れることとしているんだ。その墓所から眼下に眺める京都の街もなかなかのものだぜ。このトレドと似た風情があるよ」
「でも、日本の街って、けばいネオンサインがあって、どこか軽薄な明るさがある。トレドのこの、何と言ったらいいか、そう、枯れた渋さというものは無いよ。まあ、京都は別か、永田君がそう言うんでは、ね」
トレドは夕暮れを迎え、ところどころにオレンジ色の灯りを燈す街灯があり、黄昏を飾っていた。
遠くの山々は既に冥く、輪郭を失っていたが、様々な茶系絵具で塗り固められているように見える家々は未だその輪郭を失わず、仄かな郷愁を漂わせて視界を賑わせていた。
ふと、人生の晩年、という言葉が宮本の脳裏を過ぎった。
普段ならば、何とも言えない嫌な感触を与えるその言葉は、今の宮本にはそれほど嫌なざらざらとした感触は与えなかった。
永田も僕も、人生の晩年を迎えつつあるのだ、という思いも強く感じていた。
黄昏の中、二人はホテルに戻った。
夕食は、バス・ターミナル近くのバル(居酒屋)でタパス(皿小鉢)をいくつか取って、ビールを飲んで済ました。
「俺たち、あと、何年生きるのだろうか?」
ホテルのベッドに横たわりながら、永田がぼそっと言った。
「何年、生きる、だって」
携帯電話をいじっていた宮本がふと眼を上げて永田を見詰めた。
永田は自分の手をじっと見詰めながら、独りごとのように呟いた。
「生まれおちた時から、余生が始まると言った皮肉屋も居るけれど、俺は未だ何か遣り残しているような気がしてならないんだ」
「遣り残したこと、って」
宮本が鸚鵡返しに言った。
「そうだよ。どうも、遣り残していることが一杯ありそうな気がしてならない。宮本と違って、俺は、女に関してはそれほど品行方正では無く、これまでも、女房の美智子を相当泣かしたもので、女に関しては、十分だと思っている。自分が生きた証、ということさ。俺という一人の人間がこの世に生まれ、生きた証、というものを未だ残していないという気がしてならないということさ。恐らく、仕事かも知れないし、社会に対する貢献といったことかも知れない。俺はこの頃、自問自答することがあるんだ。永田信一よ、お前はこの世に生を受けて、一体何を成し遂げたというのか、お前という人間がこの世で成し遂げたことがあれば、話してみよ、とねえ」
「それは、難しいよ、永田君。高らかに言える人間なんて、そうざらには居ないと思うよ。歴史上の人物で言ってみれば、坂本龍馬ならば、薩長同盟とか、大政奉還ということが、その成し遂げたことになると思われるが、並みの人間にはそんなことは望むべくも無いことじゃないかなあ。僕たちのような、無名の市井の人間には無理な話だと思うよ」
「平凡な市井に埋もれている庶民には到底叶わぬ高嶺の花、かい。でも、さあ、何年生きるか皆目見当がつかないけれど、これからの人生を、ただ死ぬための助走期間とはしたく無いね」
「死ぬ準備だけでは、つまらない、か」
五月三十日(日曜日)
空はよく晴れていた。
永田と宮本は朝の散歩として歩いて坂道を上り、ソコドベール広場に行き、そこのカフェテリアで、クロワッサンにコーヒーという簡単な朝食を済ませた後でホテルに戻った。
チェックアウトし、レセプショニストにタクシーを呼んで貰った。
ホテルからRENFEのトレド駅まではタクシーで十分足らずの距離であった。
乗車券売場でマドリッド・アトーチャ駅までの乗車券を買った。
売場担当の中年の男は愛想のよい男だった。
トレドには満足したかい、と訊かれた永田は、やはり愛想良く、十分満喫した、トレドは街全体が芸術だ、と答え、その中年の男を喜ばせた。
それから、二人は駅のホームのベンチに腰を下ろして、電車到着を待った。
ホームの向こう側にはなだらかな草原が横たわり、青い空との間には蒼白い山並みが連なっていた。
「トレドはいい街だった。グラナダはアルハンブラ宮殿に歴史と美が凝縮されているけれど、トレドは街全体に歴史と美が漲っているような感じを受けた。また、来れるかな?」
詠嘆したような口調で語る宮本に、永田が快活な声で応じた。
「来れるさ。元気で生きてさえいたら、何回でも来れる。その時は、奥方にもこの街含め、スペインという国のエッセンスを見せてやりな」
やがて、マドリッド行きの特急電車が到着した。
二人は乗り込み、指定されたシートに腰を下ろした。
電車は走り出し、アマポーラが群生して紅い絨毯のように見える草原をマトリッドに向った。
「永田君、僕は今、こんなことを考えているんだ」
暫く車窓を眺めていた宮本が永田の顔に目を移しながら、呟くように言った。
「今回の旅行はそれぞれお互いの事情があったから、このような、まあ、友達同士の旅となった。君の場合は、奥さんの美智子さんが仕事を抱えている関係上、このような長い旅をすることが事実上、奥さんとしては困難であったし、僕の家内の真樹子の場合は仕事は無いものの、幾つかのサークルに入っている関係上、やはり長期の旅行は出来る状況に無かった。結局、高校時代の同級生同士でこのような旅をすることとなったんだ。僕は定年退職したばかりで、少し退屈を持て余していたし、今後何をして、第二か第三か、判らないけれど、まあ、これからの人生を生きていこうか、迷っていたこともあり、実は今回のスペイン旅行を楽しみに、何かのきっかけになればいい、と思っていたのさ。期待は裏切らなかった。今までのところ、観光の風物も然ることながら、こうして、旧友の君と会話を交わしながらの旅は実に楽しいものだ。旅の経験は無形の財産と言う人は多いけれど、僕もそう思っている。お金や財産は冥土には持っていけないけれど、無形の財産、良い思い出だけは自由に持っていけるからね。そして、今回の旅で、おぼろげながら、これからの人生の指針が持てたようにも思われるんだ」
宮本は左手で顎を撫でながら、永田に微笑んだ。
「実を言うとね、永田君、僕は熟年離婚を考えていたんだよ。仕事がある内は、何かと忙しく、離婚などという面倒なことは考えている暇も無かったけれど、定年退職して、時間がありあまるほど持てる状況となるとさ、いわゆる、小人閑居して不善をなす、という格言通り、女房と顔をつきあわせる毎日がどうも鬱陶しくなってきてさ、いっそ女房と別れて、どこかに行って、しがらみも絶って、それこそ自由気儘に生きてみたいと思うようになったんだ。でも、今回の旅を通して、自分自身を再点検することが出来た。再点検さ。自分とは何か、人生とは何か、生きるということは何か、逆説的に言えば、死ぬということは何か、などを十分考えることが出来た。これは、何と言っても収穫だよ、今回の旅の収穫だったよ。その結果、極めて平凡なことだけれど、これからの人生は他人のための人生では無く、自分のための人生にしようと思ったのさ。つまり、これから何年生きるか判らないけれど、死ぬ時に、ああ、いい人生だったな、と呟ける人生にしたいと思ったんだ。そのためには、何をしたらいいか。答えは極めて簡単だ。自分自身が本当に満足出来ることを見つけ、それをライフワークとして採用し、実行すればいいのさ。照れ臭い表現だけれど、夢を持ち、その実現に向けて、これからの人生を設計して生きていこうと思った。永田君の今の夢は、異国の地に日本人の老人村を建設しようということかな。僕は、昔から小説家に憧れてきたんだ。ここ十年ほどの間に書き貯めてきた小説もいくつかある。それをとりあえず、自費出版したり、小説の新人賞といったところに応募してみようと思っているんだ。才能があるかどうかは自分では判らない。でも、才能なんか無くてもいいんだ。これからも、自分で書きたいものを一杯書いていこうと思っている。人が認める、認めないといったところは別問題さ。僕は、長い遺言として、僕の小説を書いていこうと思っているんだ。僕という一人の人間の生きた証を、小説という創作物に残していこうと思うんだ。人が読んでくれなくとも別に構わないさ。そりゃあ、読んでくれればありがたいことではあるけれど。読んでくれなくとも、僕はおそらく満足して、あの世とやらに逝くだろう。何も残さなかったが、長い遺言書として小説を残すことは出来ているのだから」
永田は宮本の顔をじっと見詰めていたが、宮本の話が済むと、ニヤリと笑った。
「宮本がそれならば、俺は老人村建設で行くぜ。何てったって、俺たちは高校以来のライバルだからな。お前はそう思っていないだろうけれど、俺はいつでもお前を人生の仮想ライバルと思ってきたんだ。おい、宮本よ、そんな迷惑そうな顔はしないでくれ」
二人の還暦を過ぎた熟年の男たちは声高に笑い合った。
それは、お互い、元気を出していこうぜ、という笑いでもあった。
二人を乗せた電車は快調に、アマポーラの紅い絨毯の野原を疾走して行く。
そして、空は綺麗に晴れ渡っている。
完