31.不吉な予言
食事を買えなくなって三日が経っていた。
――落ちるときはあっという間だな……。
警備科の男にしつこく付きまとわれていた同期の女の子を庇ったことが転落のきっかけだった。次の日、職場に行くと仕事を首になっていた。自分がいなければこの仕事は回らないと己惚れていたが、そんなことは幻想のようだった。対価が安い仕事も探したが、裏から手を回されているようで、どの仕事も断られてしまった。
手持ちの物を全て売って食いつないだが、ついに住む場所も売ってここに流れてきた。幸い水だけは無料だ。腹は膨れないが、喉の渇きは癒せる。上下水道に電気、そして空気、インフラは備え付けられている。ここではたまに動かなくなることもあるが、生命が脅かされることはない。
ゴミや排泄物はリサイクルされて循環系に返っていくため、スラム特有の臭いはしない。精々、洗濯機を使えずに手洗いされた洗濯物を部屋干しする臭いぐらいだ。ここでの生活は思いの外清潔だった。問題は食糧に尽きると言っていい。
極力、エネルギーを消費しないように、横になって動かないようにした。低血糖でめまいがする。唾を飲み込むと、食べ物が来たと錯覚した胃が動き出して、しみ出す胃液が胃壁を痛めつけた。水を飲んで紛らわそうかと思ったが、何のために生きようとするのか考えた結果、過去の楽しかった思い出しか浮かんでなかった。
結局、薄皮一枚剥げば、この程度の男だったということだ。認めてしまえば気が楽になった。このまま緩慢に死を迎えるしかないだろう、そう思っていた。
同室の男がある男を呼んでくれた。同室の男、名前も聞いていなかったことに気が付いた。部屋に現れた男は白石絢斗と名乗った。気味の悪い笑みを浮かべた胡散臭い男だった。
絢斗は金を貸してくれるらしい。返済は紹介した仕事の対価で返せばいいと言った。
先ず、詐欺を疑って、自分に何の価値も残っていないことに愕然とした。騙すなら騙せばいいと捨て鉢な気分で彼の手を取った。
三日ぶりの食事は美味かった。消化に悪いと水のようなスープだったが、味がして腹に溜まるものがこんなに美味いものだと初めて知った。涙を流して飯を食う男を食堂の者たちは遠巻きに眺めていた。絢斗は気味の悪い笑みを浮かべながら向かいで一緒に飯を食った。
エインヘリャルが斡旋する仕事には就けないことがわかっていた。絢斗はグループ内でできる仕事を探し、相応の対価を支払ってくれた。返済は天引きされたが、手元に残ったマーズで十分生活できる。死と隣り合わせの状態から、やっと人が生きる世界に帰って来たのだ。
――俺はこの気味の悪い笑みを浮かべる男に、自分でさえ諦めていた命を救われたのだ。もう俺はこいつが悪魔だったとしても、その言葉に逆らえないだろう。
「それで活動状況はどうなっているの?」
レーシャはこのグループの事務作業の全てを担っている。今や彼女がへそを曲げると1マーズだって出てこない。絢斗たちは素直にレーシャの前で報告を始めた。
「順調とは言い難いな。助けの手は間に合っていると思うが」
「口コミで結構、情報が入ってきますからね」
絢斗の言葉をガネッシュが補足した。
「私もまた一人、声をかけてグループに入ってもらいました」
ラクウェルは意外にスカウト能力が高いようだ。独自に動いているが、確実に結果を出している。グループへの投資額も大きく、レーシャも文句を言えないでいた。
「問題は想像以上にマーズがインフレしていることだな」
エミリオが吐き捨てるように言ったのは、目下、絢斗たちを最も悩ませている問題だ。
「俺たちの持つ資産は希薄化していく、一方で物資を握るエインヘリャルは肥え太っていく」
元々、仮想通貨を作っているのはエインヘリャルなのだから、その価値も思うがままだろう。
「このままではじり貧だ」
エミリオの言葉が全てだった。今や仕事で得た対価は生活できるギリギリのラインだ。余裕もなく、誰もが生きるだけで精一杯になっている。いや、むしろこれからは誰かを犠牲にした者だけが生き残れるようになるだろう。
「私がちょっとコンピューターを触れば、資産なんて10倍にも100倍にもしてあげるよ」
「すぐばれるような犯罪はやめてよね、シーユウ」
ガネッシュがシーユウのいたずらを窘めるように言った。
――そうだ、問題は資産じゃない。物資の量だ!
絢斗たちは回収した物資が、救助までに必要な分を賄えていると思い込んでいた。しかし、それが救助までもたないとしたらどうか。エインヘリャルがやっていることは、単なる食糧の制限ではなく、別の意味を帯びてくる。
「とにかく食糧が足りない。物資をもう一度探すべきじゃないか?」
絢斗は考え込むように呟いた。
「宇宙港も散々調べつくしただろうが。これ以上、どこを探すっていうんだ?」
「倉庫を中心に調べただろう。今度は少しでも残っていそうなところを全て漁るんだ」
作業の困難さを想像して、エミリオは顔を片手で覆い、天井を見上げた。
「ウェイストランドから足りない部品を探し出すような作業じゃないか。攻略wikiをくれ」
アミールレザーを失ったのだ。物資回収の困難さは誰よりも認識している。それでも限られたパイを巡って生徒同士で争うよりは、新しいパイを作り出す方が建設的に思えた。
――新しいパイの作り方、全くないわけではないが……。
「それよりもエインヘリャルと話し合ってみてはどうかしら?」
レーシャの意見は真っ当に思えた。クインが話せる男であればだが。
「あのクインと慎也だぞ? 考えを改めるとも思えないがな」
やはりエミリオは懐疑的だ。交渉材料がなければ、クインに会うことさえ難しいだろう。
「フィンとシアも残っているわ。彼らなら耳を傾けると思うの」
レーシャはまだエインヘリャルにこだわっている。かつて自分が所属していた組織への執着なのかもしれない。
「私たち、結構、大所帯になったよね? みんなで押しかければ、それなりに話を聞こうって気にならない?」
「団体交渉ってこと? 関わった人たちは目を付けられちゃうけどね」
学生たちを守る法など存在しないのだ。エインヘリャルとの決定的な決裂は、交渉の後ろ盾として集めた者たちの未来を閉ざしてしまうことになる。自分たちがクインに取って代わらない限り。
「エインヘリャルと全面対決は避けたいな……」
絢斗は決心がつかないように視線を落とした。
「その内、悠長なことも言っていられなくなるぜ」
エミリオの言葉は不吉な予言のように深く心の奥底に溜まり続けた。




