18.捻じれた感情
通路の窓からは赤茶けた荒野にのたうつ蛇のように崩落した軌道エレベーターの残骸がどこまでも続いているように見えた。残骸の先に物資を貯蔵する宇宙港が連なっている。そう思うと今も昔も軌道エレベーターは希望の架け橋なのだろう。
絢斗は日課のランニング中に足を止めて変わり映えのしない風景を眺めていた。トレーニングは多くのカロリーを消費する。食糧が不足しがちなこの状況で、好き好んで汗を流す者はほとんどいない。
しかし、絢斗はこうして何も考えずに一心不乱に走る時間を作ることで、心を中を整理する術を身に着けていた。
「珍しいわね。エミリオは一緒じゃないの?」
レーシャが人気のない通路を一人歩いてきた。
まだ夜も明けきらぬ早朝の時間帯だ。辺りに人影はなかった。
「レーシャ、女の子がぶらつく時間じゃないだろ? 危ないぞ」
「シフト明けなの。まあ、絢斗ぐらいなら襲われても返り討ちだけど」
物騒なことを言われて絢斗は肩をすくめた。
無言のまま二人で火星の風景を眺めていた。
「……その、ごめんなさい」
「どうしたんだ?」
「最近、少しカリカリし過ぎていたわ……。ってどうしたの?」
空を見て何かを探し始めた絢斗を訝し気な目で見つめた。
「レーシャから謝ってくるなんて、天変地異の前触れかと」
「……バカね、生まれ変わらないと治らないんじゃない?」
レーシャと絢斗は顔を見合わせて微かに笑い合う。
「俺も戸惑っているんだ。ストレートに好意をぶつけられたことがなくてね」
「絢斗はモテないもの」
「ありがとう。できれば俺の耳に入れない優しさが欲しかった」
「イイ男になるための試練よ」
「どこのスパルタだよ!」
憤慨している絢斗を見てレーシャは安心した。
――心配する必要ないじゃない。絢斗は変わっていないもの。
レーシャは自分の恋愛観が捻じれていることを自覚していた。それは主に父親が原因だったが、積極的に治そうとしなかった自分自身にも責任の一端はあるだろう。父親のことを思い出して望郷の念に駆られた。
レーシャは幼い頃に母親を病気で亡くし、父子家庭で育った。父親は軍人で家庭的な人ではなかったが、娘に対して不器用ながらも精一杯の愛情を注いでくれた。
初めて初潮が来たときはしどろもどろで隣の家の奥さんに助けを求めていた。着るもののセンスがないことを散々母親から指摘されていたのか、服の選び方や化粧の仕方は部下の女性に頭を下げて家に来てもらっていた。
「お嬢さんがいなかったら完全にセクハラでレッドカードでしたよ」
父親は部下の女性に笑われながらそう言われていた。
そんな彼女と再婚したのは当然の成り行きかもしれない。
レーシャも彼女のことを歳の離れた姉のように慕っていたので、二人の門出を祝福した。父親を取られたことに寂しい気持ちがなかったとは言い切れなかったが。
若干恨みがましく思うのは、父親が植え付けた男性不振だった。変な虫がつかないように父親は幼い頃から男のどうしようもない部分を切々と語り、自衛のために護身術を教える徹底ぶりだった。
――娘を手放したくなくて教育したくせに、自分はさっさと再婚とか、本当に身勝手な人ね。
唐突にレーシャは最近いらいらしていた原因を理解した。それは父親を取られたと感じたときと同じ感情だった。
――そうか、私、絢斗のことを好きだったんだ……。
レーシャは絢斗の肩を掴んで真っ直ぐ見つめ合うように姿勢を変えた。
「好きよ、絢斗。あなたのことが」
絢斗は目を丸くして言葉も出ないようだった。
「この話の流れでどうしてそんな結論に至ったのか、ついていけないんだが」
「そうね、全てをわかり合えるなら、自然な流れだわ」
「思考の過程を開示して欲しい。俺には女心は難し過ぎる」
「私のことはどうでもいいわ。あなたの答えを聞いていないんだけど?」
絢斗はしばらく目を閉じて考えをまとめているようだった。やがてレーシャのことをしっかりと見つめて言った。
「レーシャ、俺も好きだよ。キミのことが」
「ありがとう、とても嬉しいわ」
レーシャはそう呟くと目を閉じた。
絢斗は背中に手を回してレーシャの華奢な身体を引き寄せた。ぎこちなく顎に手を当てて上を向かせると、軽く唇にキスをした。
――ほら、やっぱり男女間に友情は成立しなかったじゃない。
レーシャはそうひとりごちた。




