1-7(15階層)
15階層にはセーフティーエリアがあった。
しかし、これまで見てきたセーフティーエリアとは異なる部分もある。
建物が立っている。これはどう見ても町だ。
「久しぶりの来訪者だな。ようこそ安らぎの町コンフォアートへ」
「君たちの来訪を心から歓迎しよう。よくここまでたどり着いた」
町には柵が張られ、門があった。
門の前に椅子を並べて楽しそうにしゃべっている武装した中年の男が2人。
男達は俺達が降りてきたことに気が付くと驚いたあと笑顔で声を掛けてきた。
「安らぎの町ですか?」
「そうさ。ここは安らぎの町コンフォアート。嬢ちゃんたちも9階層を通っただろう?あそこよりも上等なアイテムがここでは手に入る。それに木を切って運んでくれば家を作ることだってできるんだ。ここで死んだ奴もいるぜ」
咲良の疑問に無精ひげを撫でながら男の1人が答えた。
「俺達は見張りとしているが正直暇でよ。聞きたいことがあれば何でも聞いてくれ」
もう一人の男が綺麗に剃った頭を撫でながら「聞いてくれ」と言われたのでいくつか質問をした。
結果。この町の事が大体わかった。この町の歴史は古く約数千年前に作られたらしい。
生活に必要な物がほとんど手に入るためここで暮して死んでいく者もいるようだ。
現在町の人口は約3000人。
なぜ数千年も続く町に3000人しかいないのかについては一番の理由が大抵は20代か30代で魔物に殺されるからだ。他にも寿命による死や怪我や病気により死ぬものもいる。
医療技術が未発達で十分な道具も手に入らないため、病気になったら軽いものを除いてほとんどの者がそのまま死ぬ。それでも続いているのは子供ができる事と新しく町に来た者が永住するため続いているらしい。
ダンジョンで子供が作れることは驚きだが、ダンジョンで生まれた子供は別の階層へ行けないことも驚きだった。つまりは一生ダンジョンから出られない者もこの町にはいることになる。
薬であれば14階層へ行けば手に入れることはできる。
10階層の商業区画にあった病院内にも医薬品や医療機器があったが彼らがそれを使うには11階層で海を渡る必要がある。俺のアイテムボックスの中にも手に入れた医薬品や医療機器はあるが、彼らに渡したところで電気を作れないのであれば無用の長物だ。
「立ち話もなんだ。村を案内しながら説明しよう」
「そりゃあいい。ここでこうしているよりずっといい。あんたらもそれでいいか?歩きながら気になったことを聞いてくれ」
男達は話を一度区切り、こちらが同意をする前に町へと入っていった。
歩きながら男達は説明を続ける。
現在この町の動ける男はセーフティーエリアを出た先にある森に飲み物や食べ物、生活必需品等を調達に出ているらしい。
女は家で家事や子育て、森に行けなくなった男は武器・防具の修繕や家の修繕等を行っている。
ほとんど子供を見かけない理由は6歳になると森に入り狩りため、いまは男達と一緒に森へ行っているからと説明を受けた。
「疲れているだろう。ここがこの町の宿だ」
「お気持ちはありがたいですが、あまり疲れていないのでこのまま先へ進みたいと思います」
「あんちゃん。油断したら命取りになるぜ。休める時に休んでおかないと死ぬことになるぞ」
「大丈夫ですよ」
男達は引き留めようとするがそれを頑なに断った
残念そうな顔をする男達と宿の前で別れた俺達は町を出るため立札のある場所に向けて歩いていると咲良が先ほどの男達に対して愚痴をこぼす。
「信が断ってくれてよかったわ。あの人たち私と薫の身体を舐めるように見ていたもの」
「そうだな。彼らが手を出して来たら問答無用で切り落としたのだが、残念だ。しかし、信が彼らの申し出を断った理由は他にあるように思ったが…」
「あの男達の目を見た時、昔、金銭を要求してきた男達と同じ目をしていた」
相手の物を奪おうとする者達と同じ目を彼らはしていた。
男達が言っていた「新しく町に来た者が永住するから」と。
しかし、それは自ら望んで決めたことだろうか?
ならばなぜ町にいる女性の1人が「なんで私はここにいないといけないの」と泣いている声が聞こえたのだろう。
俺には強引に永住しなければならない状況にされたようにしか思えなかった。
◇
「父ちゃん。町の方から人が出てくるよ!」
立札を越えると10歳ぐらいの少年が俺達を指さしながら隣に立っている壮年の男に話しかけた。男の後ろには50人位の男達がいる
男性は「なに?」と言って俺達の方を見た。
「あんたら新しく降りてきた連中みたいだが町には泊まらないのか?」
「このまま、進みたいと思っている」
「…そうか。残念だ」
壮年の男の言った「残念」が何を意味していたのかわからないが、これ以上引き留める雰囲気ではないので集団を横切ろうとした時だった。
「待ちな」
20代後半の青年を筆頭に若者達が道を塞いだ。
「この町では通行料を取っている。払えないなら身体で払ってもらっている」
「カイジ、やめろ」
「町長、なんで止める。こいつらにはこの町のルールを教えてやろうとしているだけだ」
「そうだ」と若者達がカイジと呼ばれた青年に賛同する声をあげた。
先ほどあった男達はそんなことを言わなかったがそれを言ったところで目の前の若者達は引き下がらないだろう。
「いくらだ」
「そうだな…パン9斤だ」
俺達の手荷物を見て、今考えたかのような通行料であったが、その程度であれば痛くもかゆくもない。
「いいだろう。薫、町長に渡してくれ」
「わかった。受け取れ」
俺はカイジと呼ばれた男から視線を逸らすことなく、町長に近い場所にいた薫に要求された物を渡すように頼んだ。
薫がアイテムポーチからパンを取り出し町長と呼ばれた男へ渡して始めた。
途中、一人で抱えられなくなった男は隣に立っている少年に一部を持たせてようやく受け渡しが終わった薫が戻ってくる。
「これでいいだろう。通らせてもらうぞ」
カイジの言う通行料とやらを払ったのだから、通すのが筋だと思うが若者達は退かなかった。そして今度は武器を抜いて脅してきた。
「待ちな。まだ持ってるだろ?所持品全部と女も置いていきな。おまえの命だけは見逃してやるからよ」
「カイジ!それにお前たちもやめないか!」
「町長は黙ってろよ。これだけの女を見逃せるわけがねえだろうが!半年も新しい女が来なくて俺達は我慢の限界なんだ。ここらで息抜きさせないと暴発しちまうぜ」
町長の制止の言葉に対して怒鳴り返し、逆に脅すような内容を口にするカイジに若者達も一緒になって町長に対して日ごろのうっぷうを晴らすように罵声を浴びせる。
(俺達がいなくなってからしてほしいな)
正面に立ち塞がる若者達の言葉に辟易しているとそれが怯えているように見えたようで「ビビってんのか」と馬鹿にするように笑われた。
それを見て動こうとする2人に目を向けることで止める。
「今すぐその甲冑を外してどこかへ消えな。そうすれば追わねえよ」
「そうか」
これ以上の問答は無意味に感じた信は常闇戦斧を振り抜いた。
カイジの首に一本の赤い線が浮かんだ。カイジは笑った顔のまま固まっている。
斧の先で青年の胸を突いて後ろに倒した。
その際カイジの首から身体から離れ、地面にボトリと転げ落ちた。
首から上を失った身体は傷口からは盛大に血が噴き出て地面を赤く染める。
カイジの身体はアイテムボックスに入ることなく地面に横たわる。
これは故意にしたことだ。
カイジの身体をアイテムボックスに入れたくなかったこともあるが立ち塞がる若者達にカイジの死体がゆっくりとダンジョンに取り込まれていく光景を見せるためだ。
(これで引いてくれればいいが…)
立ち塞がる若者達はカイジの死体がダンジョンに取り込まれるところを呆然と見ていた。
「町長」
「……なんだ」
「まだするのか?」
「…いや…通ってくれ」
この集団のトップが了承したのだ。それに従わないのなら殺してもいいだろう。
得たので進もうとすると囲んでいた若者達の中から道着を着た2人の男が出てきた。
「貴様。よくも兄者を殺してくれたな。この剛のツヨシと」
「柔のヤワラが貴様の息の根を止める」
筋骨隆々のツヨシと細く引き締まった身体のヤワラ。
出来れば何もせずに通してほしかったが相手が殺そうとするのなら殺される覚悟を持っているはずだ。
(ちょうどいい。<生殺与奪の短剣>の実験台になってもらうことにしよう)
常闇戦斧をアイテムボックスにしまい。<生殺与奪の短剣>の1本、黒の短剣を取り出した。
柄には精緻な金の彫金が施され、刃は黒ダイヤのような輝きを持っている。
信が黒の短剣を眺めている間に接近するツヨシ。
ツヨシはボクサーのように両腕を身体の前で構えた姿勢から左のジャブを放つ。
“パシッ”放たれた左のジャブを信は左手で受け止めた。
ツヨシは左の拳を引き抜こうとするが握られた拳を引き抜くことが出来ない。
ツヨシの動きを止めた信は右手に握っている黒の短剣でツヨシの左腕を刺した。
直後に糸の切れた人形のように膝を突くツヨシ。
ツヨシの左手を解放する。“ドサッ”と音を立てて倒れたツヨシはダンジョンへ取り込まれ始める。
信は殺気が背後から迫ってくるのを感じた。屈むように左へ身体を傾け、背後へ振り向こうした際、傾ける前に頭があった場所を通り過ぎようとするヤワラの足が視界に入ったので黒の短剣で斬りつけた。
“ドサッ”受け身も取らずに地面に勢いよく着地し、何度か転がったヤワラはその後起き上がることはなくダンジョンへ取り込まれた。
戦いの様子を見ていた町の人間はツヨシとヤワラがダンジョンへ取り込まれていくのを見ながら戦慄していた。
あの短剣に斬られた箇所に傷はなかった。それなのに死んだ。
彼らは自分の理解が及ばない現象を見て恐怖を抱いた。
(なるほど、これは使えるな)
信は黒の短剣を眺めながら今の戦いを振り返る。
傷を付ける際に求めた物は『肉体以外の全て』だった。
(まさか命まで奪うとは思わなかった。あとは白の短剣を確認したいがあとにしよう)
与える場合は相手を選ばないといけない。下手に与えて取り返しのつかない事態にしたくない。ということで白の短剣についての検証は後回しすることにした信は黒の短剣から<常闇戦斧>に武装を切り替えた。
「待たせた。先へ進もう」
信が薫と咲良に声を掛けるため若者達に背を向けた時だった。
恐慌状態に陥った若者達が一斉に信へ襲い掛かった。
町長の「やめろ!」の言葉は届かず、信はため息をついて襲い掛かる若者達を迎撃した。
◇
村の若い衆が全てダンジョンへ取り込まれていくのを見送った後、先ほど立ち去った甲冑を着た少年と2人の少女が入っていった森へ視線を向けた町長。
この場には町長とその隣に立つ少年、若くない男達が立ち尽くしていた
「父ちゃん。行かせてもよかったのか?」
これが若さか。
息子を見下ろす町長の瞳には憂いが垣間見えた。
息子のハチロウはまだ幼い。わかってはいる。だが、先ほどの光景を見てもまだそんなことを口にする息子の将来が不安だった。
「ハチロウ。どうして俺達がここで生きてこられたか。わかるか?」
「?そりゃあ強いからに決まってる」
「違う。俺達より強い魔物なんてここではたくさんいる。生きるための秘訣は強い敵と戦わないことだ。いまの俺達は運よく生かされただけでしかない。そのことを忘れるなよ」
この階層で最も強い個体グレートベアー。俺達が束でかかっても皆殺しにされるだろう相手よりもあの男の方が強いと思った。
カイジは馬鹿だ。襲って良い相手と悪い相手を見分けることが出来ていれば、死ぬことはなかった。
それにしても今回の損害は痛い。若い衆のほとんどを失ってしまった。
これからの事を考えると頭が痛くなる。
(これから村の人口を増やすためにも今日から色々頑張らんといかんな)
町長は生き残った者達を連れて町へ戻った。
◇
森の中を歩いていると茂みからガサガサと音が聞こえた。やっと魔物かと思い武器を向けると現れたのは熊だった。
白と黒の体毛をした体長150㎝の熊が茂みから現れた。
武器を向けても敵意を感じない。
刃先に触れる直前で座り、こちらを見つめるつぶらな瞳。
(はて、こんな魔物いたか?)
15階層にいる魔物を思い出しても目の前の魔物と特徴が類似する魔物はいない。
しばらく葛藤した結果。常闇戦斧の刃を肩に乗せて支配下に置いた。
四狼士やタウロスと同じように額の中央に黒い菱形が現れた。
支配下に置いたことが確認できたので武器を下げると顔を近づけてきたので撫でる。
甲冑を着ているので毛並みを実感することはできないが見た目からふわふわで気持ちよさそうだ。
「もう我慢できない!」
先ほどから触りたくてうずうずしていた咲良が熊に抱き着いた。
抱き着いた咲良に対して、熊も咲良を抱きしめる。
熊の毛並みを堪能する咲良。薫は咲良ほどではないが熊の頭を優しく撫で始める。
(少しぐらいなら)
毎日のように生きるか死ぬかの戦いを約2か月間過ごしている。
疲れた肉体は休めば癒えるが疲れた心は休めば癒えるわけではない。
今回支配した熊で2人の心が少しでも癒えるならと信は1人周囲を警戒する。
警戒をしていると熊と戯れていた咲良が「この子の名前どうしようかしら」と名前を考え始めた。「『香蘭』。女の子で、蘭の香りがするから『香蘭』にしようと思うの、薫はどう?」と名前を付けだした。
薫も「それでいいと思うが…信はどうだ?」と聞かれたので「2人が良いならそれでいいと思うぞ」と頷いた。
香蘭も気に入ったのか名付け親となった咲良に顔を寄せてスリスリしている。
香蘭を見ていると12階層の四狼士と同様支配している俺ではなく女子2人の方に懐いている気がする。
(そういえば喋らないな)
香蘭はいまのところ鳴かない。鳴かないのか鳴けないのかわからないがちょうどいい機会なので白の短剣の能力を試そうと取り出した。
白の短剣は精緻な彫金がされた柄に白真珠のような白い刃の短剣だった。
そして、香蘭に白の短剣を刺すため近づいたのだが…
「信は香蘭に何をするつもりなの!」
「こんなかわいい動物に傷を付けるつもりか。例え信であっても事と次第によっては阻止させてもらうぞ」
咲良が香蘭を庇う様に抱きしめ、薫が天光剣の柄に手をおいた状態で俺の行く手を遮るように立ち塞がる。
「2人とも落ち着け、この短剣は斬っても傷つかない」
2人の過敏な反応に驚きながら信は説得するため自らの喉を短剣で掻っ切るように滑らせたが傷つかない所を見せた
「ほら、怪我していないだろ?だから落ち着け、別に香蘭を傷つけるつもりはない」
こうして多大な労力を要して『香蘭』に白の短剣を刺すことに成功した。
黒の短剣で奪った物は『肉体以外の全て』。
その中には人の言葉や武術なども含まれている。
白の短剣を引き抜いても見た目に変化はない。
(もしかして失敗か?)
初めての試み。うまく与えることが出来なかった可能性もある。
そんな不安を抱えながら香蘭を見つめていると香蘭が後ろ脚で立ち上がり、お辞儀をした。
俺だけではない。薫や咲良までもが驚きながら香蘭を見つめた。
「先ほど咲良様にお名前を頂戴いたしました香蘭です。これからよろしくお願い致します」
「……香蘭が…立った。香蘭が立ったわ!」
名付け親の咲良は我が子が初めて立ったかのように喜んでいる。
どうやら試みは成功した。
これは今後役立つと確信した瞬間だった。
「咲良、気持ちはわかるが落ち着け。信、どうして香蘭が人の言葉を話すことが出来るのか理由を教えてくれ」
「わかった。だが、説明は移動しながらにしよう」
香蘭の行動に咲良は両手で口と鼻を覆い感動で涙を流しているが薫は冷静に説明を求めた。
歩きながら先ほど使用した2本の短剣<生殺与奪の短剣>について説明する。
「なるほど。それであの2人の男には切り傷がなかったのか」
「そういうことだ。まだまだ、検証すべきことは多いが今後役に立つだろう」
今回の事で2本の短剣を使用すれば大幅な戦力増強が可能であることが証明された。
今後の為に利用頻度を増やしていこう。
「それはやめた方が良いと思うわ」
だが、その考えに咲良が待ったをかけた。
「信、その短剣を使って奪う相手は誰?今回奪った相手は殺そうとしてきた相手だからいいわ。でも、それ以外の人達にも使おうと、今考えなかった?理不尽に奪われた悲しみを知っているあなたが他の誰かに同じことをするというの?」
俺は咲良の言葉に言葉を詰まらせた。
(そうだ。理不尽な理由で大切な物を奪われる悲しみを俺は知っている。なのに、なぜ忘れていたのだろう。俺は自分の手で同じ悲しみを生み出すところだった)
信は心の中で自らの弱さを恥じた。
(自分のために他者から奪うことをしていたら俺から奪っていった彼らと同じではないか)
超人の実によって身体は強くなった。しかし、その分心が弱くなっていたことを信はこの時認識した。
(俺は馬鹿だ。いくら技術を磨いて、身体が強くなってもそれを使う者の心が弱くてどうする)
魔物が跋扈する森の中。信は立ち止まった。
どうしたのかと心配な顔で見守る薫、咲良、香蘭。
少しの静寂の後。信は短剣をアイテムボックスへしまった。
「これから、人を助けるため以外にはこの生殺与奪の短剣使わないようにする」
自分のためには使わない。これが生殺与奪の短剣に頼る気持ちを断ち切る信の決断だった。
信の決断を2人も受け入れた。生殺与奪の短剣を使えばもっとダンジョンクリアが容易になるとわかっていたが、それは信のためにはならないと思ったからだ。
それから信達は15階層を進みながら9階層よりも大きく強い魔物が現れたが苦戦することなく倒してアイテムの段ボールの箱を手に入れていく。
箱のなかには銘柄米や無農薬野菜、天然水等の飲食料品や配置薬セット等が入っていた
1週間程かけてようやく階層の中間地点に到着した信達はそこでこの階層の中ボスと戦うことになった。
◇
15階層は長方形の形をしている。ほとんど木が生えている中で2か所だけ木が生えていない場所が存在する。
階層の中央と16階層への階段がある周辺である。
2か所は何もない広場になっており、強力な魔物が1体配置されている。
現在対峙しているのは階層の中央に配置されている剣のように鋭く、太い牙を持つ白い毛をした体長3mの剣虎。
この虎は攻撃しなければ何もしないので、戦いたくなければ通り抜けることが出来る。
だが、俺達はあえて戦うことにした。
剣虎は俺達が近づくと立ち上がり、いつでも飛びかかれるように身体を低くする。
「信様。ここは私にお任せください」
香蘭が自ら剣虎と対峙するため前に出る
俺が戦うつもりであったが、香蘭の瞳から「私にやらせてください」と思いが伝わってきたので、今回の戦いは香蘭に任せることにした。
「香蘭だけで大丈夫かしら」
不安な表情をしながら香蘭の後ろ姿を見る咲良。
俺達の中で咲良が一番香蘭を可愛がっていた。
しかし、この一騎打ちは香蘭が望んだこと。
だから黙って見送ったのだろうがやはり心配なのだろう。
(別れるときにつらくなるだけだろうに)
12階層での別れを思い出す。あの時も四狼士を可愛がっていたために別れた時に辛い思いをさせた。出来ればもうあんな2人の顔は見たくない。
だがそれは俺の気持ちだ。それを2人に押し付けることはできない。
「香蘭!」
咲良の叫びによって意識を現実に戻した。
剣虎が香蘭に襲い掛かった。
香蘭は剣虎と対峙したときに後ろ足で立ち上がり、右手足を引きて構えをとっていた。
動きに全くよどみがなく、熊であることを一瞬疑うような光景。
だが、香蘭にはツヨシとヤワラの持っていた武術を与えているので出来ないことはない。
強靭な足により身体が大きくなっているはずなのに普通の虎の倍の速さで近づいた勢いをそのままに香蘭へ飛びかかる剣虎。
開かれた大きな口には鋭い牙が並び香蘭をかみ殺そうとした。
まさにその時、“シュッ”鋭い右拳が剣虎の顎を横から打ち抜く。
「香蘭!」
咲良が剣虎に圧し掛かられて倒れた香蘭の下へ駆け寄る。
脳を揺らされたことで起き上がれない剣虎の身体から何とか抜け出した香蘭は駆け寄ってきた咲良を受け止めた。
「よかった。どこも怪我はしてない?」
「はい。ご心配をおかけしました。香蘭はどこも怪我をしておりません」
咲良が香蘭の状態を確認している時、信は薫と共に動けない剣虎と対峙していた。
「動き出す前に終わらせよう」
信は常闇戦斧を取り出し、剣虎の額を軽く切り裂く。
剣虎はただただ身体の自由が失われていくのを受け入れるしかなかった。
全身が黒く染まった剣虎は立ち上がると信、薫の順番に顔を見て、薫に近づき、甘える声で鳴いたと思ったら頬をなめ始めた。
「やめろ。くすぐったい」
薫は黒い剣虎を押しのけようとするが嫌がっているわけではないことは笑顔を見ればわかる。
俺は「またか」と思いながらその光景を見つめていると「よし、お前はこれから黒虎だ」と黒い剣虎に薫が名前を付けた。
(別れが辛くなるだけだろうに)
香蘭を可愛がる咲良と自分に懐いた黒い剣虎を撫でる薫を見ながら、別れる時を心配する信であった。
◇
「やっと新しいのが来たか。ほれ、蜂蜜をよこしな。そうすれば見逃してやる」
15階層の最奥にある広場に胡坐を組んで座っている白熊が右手をだして「ほら、さっさとしろ」と蜂蜜を要求する。
見上げるほど高い白熊は空いている左手でお腹をぼりぼり掻きながらあくびをしている。
「本当にあれが階層主なの?」
「そのはずだ」
「なんというか…だらしないな」
薫の言う通りだ。羊皮紙の情報によれば、『その一撃は大地を抉り、白い毛はどんな衝撃も吸収する』とかなり強いイメージがあったが、どうも身体は大きいが強そうな雰囲気はない。備考欄に『好物:蜂蜜』と記載があったがまさか蜂蜜を渡せば見逃してくれるとは予想外だった。
俺達が何も言わないので階層主は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がった
言葉や仕草がどれもおっさんの階層主は眉を顰めて俺達を見下ろす。
「なんだ。蜂蜜持ってねえのか?だったら12階層で取ってきな」
しっしっと手首を器用に動かして追い返そうとする。
階層主は内心がっかりしていた。3度の飯より蜂蜜が好きな階層主は階層間を移動できないため、16階層へ行きたい者達に蜂蜜を出させていた。無ければ取ってこいと。
階層主はベジタリアン。肉は好きではない。わざわざ殺して血の臭いを嗅ぐよりも殺さず蜂蜜を手に入れて至福の時を過ごすことを選んだ紳士的な白熊。彼は自分の事を聞かれればそう紹介する。
「蜂蜜はある。だが俺達はお前が残すアイテムが目当てだから戦わせてもらう」
「ほお…俺と戦いたいと。いいだろう戦ってやる。持っている蜂蜜を出しな。蜂蜜を置いて逃げるならお前らが俺に勝てないと逃げる時、見逃してやる」
「わかった」
「………これはマジで負けられねえな」
持っている蜂蜜を全て出した時、階層主の目つきが変わった。
信達が出した蜂蜜の量はこれまで持ってこられた蜂蜜の中で断トツ1位の量だった。
やる気になった階層主は途端に歯を剥き出しにしながら唸り始める。完全に戦闘態勢だ。
「信様。ここは我々にお任せください」
香蘭と黒虎が前に出て、白熊と対峙する。
階層主は黒虎を見て、どこかで見たような気がした。
「この虎どっかで…てめえ、剣虎か?なんで黒くなってんだよ。それにそっちの熊は見ない顔だ。新入りか?まあいい、めんどくせえがさっさと終わらせて蜂蜜を食べるとするか。可愛がってやるからかかってきな」
階層主は右手を上に向けてクイックイッと動かす。
「無駄な殺生は好みませんが、あなたのお命頂戴いたします」
「お前も喋れるのか。ほんとにわからないやつだ。それにお命頂戴とは大きく出たな。てめえごときが俺に勝てると思っているのか…よっと」
階層主の右腕が香蘭に振り下ろされる。
巨体からくり出される一撃。当たれば容易に潰される一撃を香蘭は流れるようにいなした。香蘭が立つ場所の横の地面が抉られる。
「てめえ、いま何をしやがった」
「あなたは確かに強い。しかし、それだけです。当たらなければどうということはありません」
香蘭は後方へ飛んで階層主と距離をとる。
『柔よく剛を制す』をまさに実践する香蘭の動きに階層主は困惑を隠せない。
「なぜ人間が使うような技を使えるのか。一体こいつは何者だ」という思いが階層主の動きを一時的に止めた。
「いてえええええええ」
階層主は突然全身に電流のように流れた痛みに悲鳴を上げる。
痛みを感じた箇所を見れば、右足に鋭い牙を立てる黒虎と視線が合った。
階層主が香蘭を攻撃した時に後ろに回り込んだ黒虎が動きを止めた階層主へ攻撃をした。
その結果。衝撃を吸収するが刺突に関しては完全に防げない体毛を越えて肉へ到達した牙が階層主に久しく感じたことのなかった痛みを思い出させた。
「てめえ、よくも!」
階層主の振るった右腕を後方へ飛んで避ける黒虎。
憎々しげに黒虎を見つめる階層主に香蘭が話しかける。
「私だけではあなたに勝つことは難しいでしょう。しかし、私は1人ではない。黒虎もいます。それにあなたは元から持っている力に頼って高めることをしなかった。その報いをいま受けてもらいます」
「は!たかが、1匹が2匹になったところで俺に勝てると思っているのか。こんなかすり傷。何度受けたところでなんてことはねえよ。それにな。高める必要なんてねえんだよ。お前らがどんなに強くなっても束になったとしても勝てる訳がねえからな!」
階層主の傷は話している間に塞がっている。
15階層の階層主はただ大きく強いだけではない。再生能力も持っている魔物だ。
「それはどうでしょうか」
「なんだと!」
香蘭の言葉を馬鹿にされたと思った階層主は香蘭に攻撃を集中する。
だが、それは香蘭の狙いだった。
絶妙な動きで時に躱し、時に逸らしながらよけている。
香蘭が階層主の注意を引き付けている間に黒虎が足に何度も噛みつき離脱する攻撃を繰り返した。
だが階層主の傷はすぐに塞がる。
千日手のように見える戦い。
しかし、その攻撃の本当の意味は階層主に傷を付けることではなかった
「いてえええええええ」
幾度目かわからない程香蘭へ振り下ろした階層主。
これで決めると渾身の力で振り下ろした拳が躱された時、激しい痛みが階層主を襲った。
これまで幾度も受けた黒虎の攻撃とは比べ物に足らない痛み。まるで自分の足が失われたような感覚に襲われた階層主は自らの足を見て絶句した。
「これは…どういうことだ」
自分の両足が白い毛が黒く染まっている。
そして、じわりじわりと黒い面積が上に広がっている。
「…てめえらの仕業か。俺の身体に何をしやがった!」
階層主は香蘭を睨みつけながら問う。
この現象の原因を知っているはずの存在。
黒い面積はすでに腰まで広がっている。
階層主には腰から下の感覚がなかった。
そして徐々に感覚が失われていく範囲が広げていることがわかった。
「あなたの負けです。もうすぐあなたも私達と同じように信様に支配されるでしょう」
「ふざけるな。俺が負ける?馬鹿な!俺は階層主。この階層で最も強い存在だぞ。階層にいる全てが敵になっても負けない俺が負ける?それに支配だと?この階層主である俺が?ふざけるな!そんな事認められるか!?」
話をしている間も身体の半分が黒く染まっていた。
だんだん動かせる場所や感覚が失われていく中、階層主は覚悟を決めた。
「俺はこんな負け方認めねえ。誰かの支配下になるなんてまっぴらごめんだ。そんなことになるぐらいなら俺は、俺自身の手でけりをつける」
階層主はまだ自由に動く腕で心臓を貫いた。
口から盛大に血を吐きながら階層主は死んだ。
「香蘭、よく頑張ったわね」
「黒虎、よくやった」
戦いは終わったので咲良と薫がそれぞれ名前を付けた魔物を労っている。
俺も新たに手に入れた15階層の階層主が残すアイテム<蘇生薬>がアイテムボックスに追加されていることを確認しながら2匹にそれぞれ労いの言葉をかける。
ちなみに<蘇生薬>は死んだものを蘇らせることが出来る薬だ。
「香蘭、黒虎。よく頑張ってくれた。今日はお前たちの好きな物を何でも用意してやるぞ!」
信は努めて明るく2匹に話しかけた。
出ないと気持ちが鈍りそうだったから。
すでにダンジョンは暗くなっている。
だから今日の夕食がこの2匹にとって最後の晩餐ということになる。
香蘭と黒虎は次の階層へ連れていく事が出来ない。
香蘭はわからないが黒虎の残すアイテムは生存率を上げるために必ず手に入れておきたい。
(今日の深夜。2人が眠っている間に終わらせる。たとえその結果2人に憎まれたとしても。)
夕食は香蘭と黒虎のリクエストした料理を全て作ったため、食べきれない程の量が並んだ。
薫と咲良が眠りについた頃を見計らって、俺は2人から離れた場所に香蘭と黒虎を呼んだ。
そして、俺が口を開く前に香蘭が話し始めた。
「信様。明日次の階層に行かれるのですね」
「…そのつもりだ。お前達には悪いが2人のために俺はお前たちを殺さないといけない」
「わかっております。ですから明日の朝。私達の口から咲良様と薫様にお別れを言わせてもらえませんか」
「それだと2人はお前たちを殺させないようにするだろう」
最後の別れをさせてやりたい。だが、そのために2人と戦うようなことはしたくない。
「わかっております。ですから私達は自ら命を絶ちます。信様はそのための準備をして頂きたく。そして私が残すアイテムは咲良様へ、黒虎が残すアイテムは薫様へ渡して頂けないでしょうか」
「……黒虎も同じ気持ちか?わかった。お前たちの言う通りにしよう」
香蘭の提案に黒虎も迷うことなく頷いた。2匹の間である程度話が出来ていたことが予想できる。
(だとしたら、香蘭と黒虎の最後の願いを叶えるため俺に出来ることはなんだ)
信は白の短剣を取り出した。そして、短剣を黒虎に刺した。
「これで、黒虎も人の言葉を話せるはずだ。最後の言葉は自分の口で言え」
「主様。ありがとうございます」
渋い男の声で黒虎は感謝の言葉を信に伝えた。
翌日の朝。
香蘭と黒虎は咲良と薫に別れの言葉を伝えた。
咲良は香蘭を抱きしめながら号泣し、薫も黒虎の首に両手を回し、声を押し殺して泣いていた。しかし、いつまでもここへ留まることはできない。
ダンジョンは30階層まである。未だ半分しかたどり着けていない。
「信様、咲良様、薫様。これまでご一緒出来て私達は幸せでした。これからは皆さまのお役に立つためアイテムとなってご一緒します。今後言葉を交わすことはできませんが皆さまのダンジョンクリアのお手伝いを今後もさせて頂きます」
「我らの残すアイテムがダンジョンクリアのお役に立つことを願っています」
別れを済ませた香蘭と黒虎は俺達が見守る中、俺が用意した無味無臭の毒を飲みアイテムとなった。
しばらくの間2人は涙が枯れるほど泣いた。
泣きつかれて眠った2人頭を撫でながら翌日の朝。
起きた薫と咲良に香蘭と黒虎が残したアイテムをそれぞれつけた。
咲良には死にそうな攻撃を1度だけ防ぐ結界を張るイヤリング。
薫には致死量までダメージを吸収するネックレス。
どちらも白金で作られたシンプルな物だが、強力な効果を持っている。
アイテムの効果を薫と咲良に説明すると慈しむように触っていた。
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