ナオ1-1
ナオ1
ナオは、玄関の扉を開けた。
アパートの205号室。2階の一番奥の部屋。そこが『彼女』の住んでいる家だ。
玄関には、無造作に脱ぎ捨てられたスニーカーが転がっている。ナオはそのスニーカーを整えて横に退け、できたスペースで自分の靴を脱ぎ始めた。
台所とトイレ、お風呂がある場所を抜け、奥の一室へ。カーテンは開いていて、部屋の中は昼の明るさを持っていた。
その部屋のベッドに横たわる人物が一人。
「もう食べられないにゃ~」
ベタな寝言を仰っている。その寝言の彼女こそ、この205号室に住んでいる人物だった。
「ルナ! 起きなさい!」
ナオはそう言って、寝ているルナの掛け布団を引っぺがす。すると、さすがに異変に気づいたのか、ルナはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……むぅ。もう朝イベントぉ?」
「もう昼イベントです」
「じゃあ、黒焦げ弁当だねぇ……」
ヒロインが料理下手で、せっかく作った弁当にも黒焦げになったおかずが入っている。それを主人公が、昼休みに無理矢理食べさせられる。ルナの言葉を解析すると、そういうことになる。
――だから、なんだよ!
イラッとしたナオは、台所に行くと、そこにあったコップに水を注いで戻ってきた。そして、仰向けで再び夢の中いるルナの顔面に向かって、そのコップの水をぶちまけた。
以上の結果。
ぶひいいいぃぃぃ、と豚のような悲鳴を上げて、ルナは飛び起きた。
無事(?)にルナが起床し、二人はテーブルを挟んで向かい合った。
「ひでーことしやがるぅ……」
「次は熱湯にしますか?」
「暴力系ヒロイン、ダメ! 絶対!」
ルナは胸の前で腕を交差させ、大きなバツ印を作った。
ここで改めて紹介しておこう。彼女はルナ。仕事は脚本家をしている。自分との関係は、監督と脚本だ。自分に任された作品の脚本をしてもらっている。
自分の中にストーリーや設定がある場合は、その脚色をしてもらう。そうでない場合は、ストーリーや設定を全てルナに一任している。
やや性格や言動におかしなところはあるが、彼女もまたプロの人物。ルナと一緒に作り上げた作品が、大ヒットしたこともある。実力は折り紙つきだ。
「……で、なんだけど」
ナオは早速話を切り出す。そうすると、ルナの目が明後日の方向を向いた。
「今度の脚本は、いつ頃完成しそうですかね……?」
ナオから発せられたその言葉を聞くと、ルナの肩がピクッと震えた。そして次第に顔から冷や汗が吹き出し、青ざめた表情に変わっていく。
「脚本は、どのくらい進んでいますか?
「………」
「あらすじは、できていますか?」
「………」
「アイデアは、ありますか?」
「………」
ルナの欠点その一。コンスタントに仕事ができない。
「い、今頑張って考えてるなりぃ……」
「無理だったら、早めにヘルプサイン出してください。いつも言っているじゃない」
「ごめんなさい」
「今回も一任しているとはいえ、手伝いくらいはするのに」
ナオがそう伝えると、ルナはゆっくりと顔を上げて、それから呟くように言った。
「アイデアとまではいかないけど、ネタなら少し……あるのん」
「ほほう」
「実は最近、TRPGの動画にハマってて」
「TRPGねぇ」
TRPGとは、テーブルトーク・ロールプレイングゲームの略であり、簡単に言えばキャラクターになりきって物語を進めていくという遊びだ。使用するものは主に紙とペンとサイコロで、多人数で会話とロールプレイをしながら各ルールに則り遊ぶ。
自分たちで物語や展開を決めていかなければならないのが、一般にゲームと呼ばれる、電源のあるコンピュータゲームとは違う部分である。
「そのTRPG動画から思いついたネタなんだけども」
「うん」
「登場人物のキャラクターに、別のキャラクターを演じさせて、いろいろコメディっぽくやる作品なんね。コンセプトとしては、即興演劇みたいな感じ。コメディタイプのTRPGって言った方がいいかも」
ルナは真剣な表情でその『思いついたネタ』とやらを説明する。……が、ナオには全くと言っていいほど、そのネタの細部が伝わってこなかった。