ミサ1-2
他の役者と共に、ミサは撮影スタジオに足を運んだ。
スタジオは二部屋に分かれており、それぞれ指示部屋と演技部屋と呼ばれている。
指示部屋とは、美術スタッフや撮影スタッフが機器を操作したり、監督が指示を飛ばしたりする部屋となっている。それに対し演技部屋は、文字通り役者が台本に沿って演技を行う部屋となっている。
スタジオの入口はまず指示部屋に繋がっていて、指示部屋にある入口から演技部屋に入ることができる。部屋の広さとしては、演技部屋の方が格段に広い。
監督・美術・撮影スタッフは指示部屋で待機し、ミサを含む演技者たちが演技部屋へと向かう。演技者が全員演技部屋に入ると、扉が静かに閉じられた。
「これから『満月の三日月』の撮影を始めます。よろしくお願いします」
男性の監督がそう声を掛けると、演技者たちの方からも「よろしくお願いします」と揃って返事が来た。撮影が始まる。
「作品世界、起動します」
美術スタッフのその声と同時に、演技部屋中に警告音が響き渡る。警告音が鳴り響いたのちに、演技部屋全体の照明が切り替わり、部屋が一斉に赤く染まる。
――さて、集中しなくちゃ。仕事が始まる。
ミサはゆっくりと目を閉じた。一瞬の意識の途切れがあり、再度意識が浮上する。
「世界移動、完了しました」
再びの美術スタッフの声と共に、ミサは目を開けた。
するとそこには、よくある教室の光景が広がっていた。
黒板に教壇、教卓。蛍光灯、数十はある机と椅子。掃除用具の入ったロッカー。
多少の差はあれど、まさしく教室の光景である。なぜ、教室に来たかといえば、答えは単純。
撮影のため、だ。
今さっき行った『世界移動』。これは、撮影用に制作された作品世界に移動するということを差す。そして作品世界とは、文字通り、作品の中の世界という意味である。
この、設定をもとに作られた作品世界で、役者が演技をし、それを撮影・編集して納品することで、作品の素となるのだ。
「シーン4から撮影を始めます。用意をお願いします」
監督から撮影の指示が飛ぶ。シーン4は、教室でヒロインと転校してきた主人公が再開するシーンである。かなりよくあるお約束の場面だ。
ミサは校舎の廊下側に近い席に座る。自分の配役は、主人公の男の子のクラスメイトだ。
この作品の媒体は漫画であり、今回の撮影での自分の出番は2回だけ。そのうえ、台詞も少ししかない。はっきり言って、完全にモブ役だった。
しかし、モブ役であれ、これはれっきとした仕事。仕事があるだけでもありがたい。
今やキャラクター役者の数は多く、生み出される作品に対して、役者の数が超過しているらしい。そのため、演技するキャラの座を掛けて、壮絶な椅子取り合戦となっている状態だ。
自分の親しい同僚も、仕事が取れないとたびたび愚痴を言っている。
そういうわけで、モブ役であれ、仕事があるだけでもありがたいことなのだ。
そうこうしているうちに、役者が全員配置につく。
「シーン4を始めます。……用意、始め!」
監督の号令と共に、撮影が始まる。
まずは、朝のホームルームの開始を告げる音が校舎中に鳴り響く。それからやや遅れて、教室の前方の扉が開き、先生(女性)がやってきた。
そして先生の後ろには、転校してきた主人公の姿がある。
「転校生を紹介するぞー」
教卓の前に立った先生が、転校生の紹介を始める。隣に立つ男の子を腕で示して、
「百崎諒君だー。じゃ、挨拶よろしくー」
先生に促されると、転校してきた主人公が挨拶を始めた。
「百崎諒です。よろしくお願いします」
挨拶のあと、主人公の男の子――百崎は会釈をした。顔を上げると、教室の後方で窓際の席にいるミヤビ――役名・九重真理――と目が合う。
「また会ったわね。キミ」
それは、ミヤビの台詞。
たったそれだけの台詞なのに、凄まじいまでの存在感と妖艶さ。
クラスにいる誰もが、ミヤビの方を向いてしまうほど、その一言には凄さがあった。
――これが、レベルの違い。
若手とベテランの違い。自分と、ミヤビとの違い。
「あなたは、昨日の……」
「そうよ、百崎君。さあ、隣にいらっしゃい。歓迎するわ」
そう言って、ミヤビは流麗な動作で右隣の席を指し示す。細められたその目が、主人公である百崎を値踏みするかのように見つめる。
教室内に沈黙が流れる。ややあってから、その沈黙を打ち破るように先生が声を発した。
「百崎の席は、九重さんが示してくれたあそこだー。じゃ、みんな、仲良くなー」
百崎は自分の席に向かう。座ったあと、ミヤビが百崎の方を見て言った。
「これからよろしく、百崎君」
ミサの席から、言葉と同時に微笑むミヤビの顔が見えた。
それを見て、ただただ『違い』というものを認識させられた。