ノンカピスコ・階下の香り
うちの下の奥さんは、料理が上手。
たまにいい匂いが、下から立ち上ってくる。
(あ、今日は魚?)
(今日は焼き肉?)
(今日は肉。肉じゃがあたり?)
甘い醤油の煮込む香りがするとそう勝手に予想した。
鼻炎のくせに、うちの夫は、同じ肉の匂いでも、
『今日は肉でも、生協の安い肉じゃない?』
『ああ、そうそう、ちょっと匂いが違うもんな。味付けて、肉の臭みを消してるようなのじゃない?』
うちも以前同じような肉を買った事がある。
その時、夫はあまり食べなかった。
それは単に私が料理が下手だからか?
下の奥さんはもっと上手く料理するのかもしれない。
いい匂いは日に2回くらいする時もある。夕方、次は10時くらい。
きっと遅くに帰宅したご主人の為に、
奥さんがおかずを温めなおすのだろうか。
それがたまに日によっては匂いが微妙に違う、おかずの中身が違うのかもしれない。
いつぞやは、ベランダに出た時、下から煙草の匂いが立ち上ってきたそうだ。
うちの夫が少し覗き込むと、ご主人らしい男性が煙草を吸っている。
蛍火のように、暗闇にタバコの火が点滅するように見えた。
マンションだから、家族に気をつかい、外でタバコを吸うのだろう。
階下だから出会うこともない、顔も知らない家族。
美味しそうな匂いが立ち上れば、それだけで勝手に家族円満と思っていた。
いいや、それすら意識もしない。些細な出来事。
しかし、ある日階下から妙な匂いがした。
肉が焦げる臭い?今まで嗅いだこともない妙な匂い。
気分が悪くなり、吐きそうになった。
ああ、何の肉を焼いてるの?鳥?牛?豚?よほど癖のある肉なのか?
とんでもない特徴のあるハーブでもまぶしてるの?
私は、単純にそう思っていただけだった。
その強烈な悪臭は、2日くらい続いたかもしれない。
よほど大きな?または大量の肉を焼いていたのかもと思う。
そして夕方、仕事から帰宅すると マンションの玄関前に
数人の警官の姿
(何かあったのか?)
何が起こったのか、まだ私はわからない。
盗難だろうか?と思っていると、同じマンションの住人が
話しているのが聞こえた。
『10階の奥さんらしいわよ。』
『ええ?何があったんですか?』
『・・・ご主人を殺しちゃったらしいわ。』
『ええ、本当にィ???』
どうやら10階の部屋の奥さんが夫を殺害し、遺体を切断したようだ。
『なんで、ばれちゃったのかしら?』
『匂いだって・・・』
『匂い?』
『強烈な変な匂いがしたらしいの・・・。』
うちより階上の住人が、異様な匂いがするので苦情を言ったらしい。
それで管理会社が調べると、10階の4号室が怪しいとなり訪問した。
出てきた奥さんは、目がうつろで焦点が定まらない。
疲れ切っている様子。
変に思った管理会社の社員が、倒れている男性の足を発見した。
そして警察に通報。
警官が来てみると、男性の切断された遺体。首は無かった。
それが何を意味するのか
血痕の跡をたどれば、大型オーブンにたどりつく
開けてみると、中から・・・・半焼けのご主人の首
『キャーッ!!』
噂話していた奥さんの悲鳴が、エントランスに響く。
私は膝がふるえた。
(あの匂い・・がそうなの?)
あの強烈な匂いが、脳裡によぎる。
『でも、なんで、オーブンで焼いたのかしら?』
『普通ゴミは、透明のゴミ袋で出さなきゃいけなくなったからじゃない?』
(そんな問題じゃないだろうが???)
と私が思っていると、目の前のエレベーターのドアが開いた。
ドヤドヤとおりてくる警察官
その中で、埋まるように小柄な女性が見えた。
青白い顔をしている。
(あれが、奥さん??)
容疑者の女性、まだ30代前半のようだ。
すれ違い、エレベーターに乗り込む私。
後日奥さんは、ご主人に愛人がいたことを知って
トラブルになり、夫を殺害したと聞かされた。
部屋には、何本もの包丁が転がっていたとか。
料理好きな平凡な奥さんだったろうに・・・気の毒に思う。
しかし不遜にも、私は自宅に戻ると
そそくさと化粧直しを始める。
(うちはなんと言っても、真上なのだから)
警官やら、テレビ局やらが来るに違いない。
人の不幸に、やたらハイになる自分をあさましいとは思いながらも、
質問事項を想定し、答える準備を始めていた。