幸せな時間
トモキは一人、リビングにいた。寂しくはない。むしろ心は穏やかである。
子を寝かしつけに行った妻が戻ってくるのを、彼女が淹れたコーヒーを啜りながら待つ。穏やかな時間であった。トモキは、こういう幸せな時間を山ほど知ることができた。全て、妻のおかげである。
彼女と出会えていなかったら、彼女と結婚できていなかったら。学生時代のように、来るもの拒まず、去る者追わず、適当な女と付き合い続けていたのだろうか。そのうち、愛してもいない女で妥協して、幸せに見える家庭を築いていたのだろうか。それを考えると、寒気さえする。
トモキが自虐的な空想に身震いしていると、リビングのドアが小さな音を立てて開いた。妻が戻ってきたのである。
「お疲れ様。ダイキは、寝ちゃった?」
「やっとね」
「サンタが来るまで起きてるって言われた時は、どうしようかと思った」
「毎年のことでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。結局、毎年寝ちゃうんだけど」
妻は楽しそうに笑いながら、キッチンへ向かった。ちょうどトモキが使っているものと揃いのコーヒーカップを取り出すのが見えて、そんなことにさえ嬉しくなってしまう。
「それで、今日はなんて説得したの?」
「サンタさんは良い子の所にしか来ないって教えてあるでしょ? 夜更ししてる悪い子の所には、来てくれないんじゃないかなあって」
「脅したんだ?」
コーヒーカップをテーブルに置いて、むくれっつらの妻は勢いよくトモキの隣に腰を下ろした。この距離感で隣に座るようになったのは、いつからだったろう。彼女の膨れた表情は、それよりも随分と前から見慣れている。
「失敬な」
「ごめん。それで、大人しく寝てくれた?」
「うん、でもね、パパとママも早く寝てねって言われちゃった」
「どうして、俺たちまで?」
「電気が点いてると、ダイキが起きてるって勘違いされちゃうからだって」
肩を震わせて、妻が笑う。声を押し殺しているのは、眠りに就いたばかりの可愛い息子のためである。抑えようと思えば思うほど、おかしさは増すようだった。しばらくコーヒーには手をつけられそうにない。
「そんなにおかしい?」
「ち、違うの。そうじゃないんだけど、駄目だって思うと、余計に笑えてきちゃって」
「女子高生みたい」
目に涙をためて、笑いを堪える彼女を見ていると、なんだか自分の方まで笑えてきてしまう。笑ってしまうせいで手が震えるので、トモキは妻のカップの隣に、自分のカップを置いた。
「トモキだって笑ってるじゃん」
「だって、エリがっ……」
そうして笑い合って、収まった頃には二人とも疲れきってしまっていた。トモキの身体にもたれかかって、妻がほっと息を吐いた。
「ああ、おかしかった」
「疲れちゃったね」
「コーヒー、冷めちゃったじゃん」
「本当だ。温めなおそうか?」
「いいの?」
「いいよ」
「じゃあ、お願いします」
トモキは妻の頭上に掲げられたカップを受け取り、自分のカップと共にレンジの中へ並べた。オレンジの光に照らされて、コーヒーカップが回りだす。ワルツでも踊っているかのようである。
「さあ、いつプレゼントを置きに行こう」
「良い子を起こさないようにね、サンタさん」
ソファの背もたれから顔を覗かせた妻の勝気な眼差しは、出会った頃と変わらなかった。




