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ワンライ自選集

竜の泣きどころ

作者: yokosa

【第18回フリーワンライ】

お題:口内炎、飛ぶ


フリーワンライ企画概要

http://privatter.net/p/271257

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負

 ルード・ニーは魔術士の落ちこぼれだった。

 ルードに魔術に関する才があるとわかった時、故郷の村は喝采に包まれた。

 それは常人が如何なる努力をしても持つことが出来ない才能で、能力次第では中央府のお抱え魔術士として召し上げられることもある。中央府の魔術士となれば山のような賄賂が黙ってていても届けられる。そうなれば一家どころか、一族郎党の将来は安泰だ。

 恩を売っておくために村中から寄付金が集められ、ルードはその金で中央府のお膝元、カイゼル市の寄宿制学校に編入することが出来た。

 ところが、である。

 魔術の才は、その有無であれば誰にでも判別する方法があるが、その多寡までは専門家でなければ計ることが出来ない。

 折角全寮制の魔術学校に入ったものの、ルードの実力はまったく話にならなかった。水を生成することが出来ず、炎を起こすことも出来ず、風を呼ぶことすら出来ない。

 唯一可能なのは、ほんの小さな対象を触れずに動かす程度の、些末なことだけだった。

 そのためルードは教師に目をかけられることなく、誰からも期待されず、才能は伸び悩んだ。上級生、同級生どころか下級生からも下に見られ、使いっ走りやマッサージなどをやらされた。

 皮肉なことに、マッサージの才能があったようで、魔術はからっきし駄目なのにマッサージの上だけはめきめきと上達した。

 ルードは進路に迷った末、芽の出ない魔術を諦めて按摩士の道へと入った。当然、一族の期待を一身に背負ってのカイゼル入りだったので、魔術の道を諦めることは畢竟、故郷を捨てることであった。

 按摩士となってからは、この道を究めて独立するまでは早く、腕が立つと評判になった。特に得意としたのは鍼の施術で、落第した魔術が思わず役に立った。患部に刺した鍼を振動させる治療が良く効くと絶賛されたのだ。

 自分をどん底に突き落とした、物体を振動させることしか出来ない魔術が、己の身を立てる一助になったのだ。

 ルードはそのことで少しだけ救われたような気がした。


 ……だが、だからと言ってそのちんけな術で自分の身を立てられても、自分の危機を救えるとは限らない。

 ルードは無力感を覚えながら頭上を見上げた。

 それは荒野で見かける堅い皮のトカゲ――を狂った寸尺で拡大すれば、およそ似たようなものになるだろう。

 岩石がそのまま張り付いたかのような硬質な皮膚に鎧われ、カラスのくちばしを思わせる爪を備えた四肢、体長の半分を占める尻尾が触れるもの全てを薙ぎ倒す。牙を剥き出しにした口は、上下から生える鍾乳石のようにも見え、その奥に開いた穴と合わせてちょっとした鍾乳洞を思わせる。薄い皮膜の張った翼は広げれば体長の倍にも達する。

 爬虫類の特徴を持ったそれは巨大なトカゲのようであった。だが、こんなものがトカゲであるはずがない。

 それは地上を根刮ぎ貪る悪夢、空をも支配する覇王――暴虐の権化たるドラゴンであった。

 突如としてカイゼル市に現れた生ける災害は、人口密集地である住宅街に降り立つと、家々を紙屑のように薙ぎ倒し、食い漁りながら暴れ回った。

 カイゼル市の一般的な二階建ての建物より、さらに数倍も巨大な生物相手では、脆弱な人間など逃げ回ることしか出来なかった。

 そしてルードは逃げることに失敗した。

 条理の埒外にある純粋な暴力。

 それを目の当たりにし、体が全く動かなくなった。

 逃げもせず、ただ棒立ちする人間を相手にして、ドラゴンも一瞬戸惑ったように動きを止めたが、まるで花でも摘むように優しくルードを片手で抱え上げた。目線の高さまで上げると、迷うことなく口角を裂いて大口を開け、ルードを舌の上に放り投げた。

 為すがままドラゴンの口に入ったルードが、一番最初に感じたのは異常な湿気だった。そして恐らくは口臭――牙に張り付いたままの肉片が放つ血臭、そこここに寄生するカビや苔、粘つく唾液、喉の奥から吹き上げてくる不快極まりない生臭さ――それは下水の匂いに似ていた。

 閾値を超えた恐怖に感覚が麻痺し、ルードは驚くほど冷静だった。あるいはパニックのあまり常識的な思考が出来なくなっているか、だ。

 このまま丸呑みされ、胃袋に落ちて死ぬ。

 その現実は動かしようがなかった。

 背後でドラゴンの口がゆっくり閉じていくのがわかった。

 ルードは冷静に観察した。

 色の抜け落ちていく視野の中で、いくつか気付いたことがあった。

 まず時間が間延びしていること。それは時間を正確に数えることが得意なのですぐにわかった。

 右奥の牙に虫歯があること、上顎に口内炎が出来ていることを発見した。そんなことで、今更ながらドラゴンも生物なのだと実感して、少し笑った。これだけ大きな口内炎ならさぞかし痛いことだろう。

 そう言えば普通に笑ったのはいつ振りだろうか。

 最近は愛想を振りまくために笑っているが、その前の学校はいじめられないために笑顔を貼り付けていた。

 自分の内から自然に込み上げてくる笑いなど、久しぶりな気がした。

 人はおかしくて笑うこともあるが、恐怖のあまりに笑うこともある。それは恐怖の対象に対して笑顔を向けることで敵意がないことを示すのだ、と言う者もいれば、そうではなく笑うことで自身の緊張感を緩和させるのだ、とする者もいる。

 この笑いは果たしてどの笑いなのだろうか。

 しかし、笑ったとはルードが思い込んだだけで、実際には表情が変化する程の時間は経っていなかった。

 一瞬の間に目まぐるしく思考が回転している。

 下水の匂い。

 虫歯。

 口内炎。

 笑い。

 痛み。

 落ちこぼれ。

 魔術。

 ――鍼。

 それは偶然の発想だった。

 仕事中に襲われたため、仕事道具を身に着けたままだったのはまったく僥倖と言えた。

 ルードは手慣れた動作で、腰に着けた専用のポケットから鍼を抜き出し、頭の上にあった口内炎による拳大の出来物に突き刺した。ドラゴンが身動ぎする気配を感じながら、もう一本取り出した鍼で、今度は虫歯の患部を突いた。患部は思ったより脆く、ぐずぐずになっていて牙の中まで刺し込むことが出来た。

 今度こそドラゴンが大きく頭を振った。

 喉の奥に落ちないよう、手近な牙を掴みながら、ルードは念じた。口内炎と虫歯に刺した鍼に振動の術をかける。

 瞬間、目の前が真っ白に染まった。

 そう思ったのは、暗い口内から吐き出され、中空に飛び出したからだった。咄嗟に体を捻って頭を庇うが、あっ思う間もなく背中から叩き付けられた。幸い落ちた先は地面ではなく家屋の屋根だったため、覚悟した程の衝撃はなかった。だがそれでもルードは肺の中の空気を全て吐き出した。

 ようよう体を起こすと、真っ赤に燃える目でドラゴンがルードを探していた。口の中から攻撃されたことを理解して、怒り狂っている。

 次に捕まればそのまま握り潰されるか、丁寧に噛み千切られるかのどちらかだろう。

 屋根に倒れたままのルードをドラゴンが見付けた。噛み殺すことに決めたらしく、鋭い顎を開けて突っ込んで来た。

 ルードは倒れたまま、その口内を見た。まだ鍼は刺さったままだ。

 先程より強く念じる。

 ドラゴンの口で血が弾けるのが見えた――かと思うと、ドラゴンがその巨体を崩して倒れた。この世のものとは思えない醜い悲鳴が上がる。

 豚を千匹一度に鳴かせたかのような、見窄らしく、激しい絶叫だった。


 振動で激痛を与えることは出来るが、それで死に至らしめることは出来ない。

 野生には却ってその方が良かったのかも知れない。死に瀕すればどんな動物も死に物狂いで抵抗するものだ。ドラゴンの必死さなど想像を絶するだろう。

 ルードによって弱らせられたドラゴンは、力なく翼をはためかせて市街から飛び去った。

 魔術の道から落第し、身を立てた振動の術が、今また自身の命をも救ったことに、彼は奇妙な満足感を味わった。

「――ざまあ見ろ」

 その後ルードは一人でドラゴンを退治し、カイゼル全市を救った英雄として祭り上げられた。



『竜の泣きどころ』・了

 誰でも口内炎ってつらいよねっていう話。

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