007 神様を拾ってからの日常
「御主人様、起きて下さい。もう朝です」
「う、うぅ……。眠い……放って置いてくれよ。頼むから」
西暁市のとある一軒家。その二階の一室では気持ちよさそうに一人の男の子が眠っていた。その横では、男の子を起こそうと一人の少女が立っていた。黒い光沢のある髪を肩で切りそろえ、すっと通った鼻筋にくりくりの目が印象的な女の子だった。そのきめ細かい肌が朝陽を浴びて白くきらきらと輝いている。背丈からして、中学生ぐらいの女の子だろうか。両手を伸ばし、先ほどからゆさゆさとベッドに潜ったままの男の子を起こしてみるも、まったくといっていいほどに効果は望めなかった。
くぅくぅと安らかな寝息を立てている男の子は、まだあどけなさが残っているように思えた。朝陽を浴びて輝く黒髪は、細くそれでいて艶を帯びている。
細い眉に線の細い顔立ちは、一瞬見た者に「男」であることを忘れさせるような印象を与える。まるで可愛らしい子犬を思わせる男の子の相貌に、「なるほど……。あの神様が犬のような名前で呼ぶのも無理はない」と、少女は自分の友人がこの男の子を呼んでいる姿を思い起こしながらしばらくベッドを見つめていた。
しばらくして少女の口から「チャンスです……」と小さな声が漏れた。けれども、それを聞きとめる者はここにはいない。
「検索開始……。このような場合における効果的な起こし方は……」
座っていた少女は動くことをピタリと止め、静かに目を閉じた。
「検索ヒット数、二十二万四千三百六十一件。情報フィルタリング機能、実行……終了。現状において最も効果のあるパターン六十四に基づく行動を開始」
少女はおもむろに目を開け、未だ布団を被っている少年の姿を見たその目が怪しく光った。まるで何かを狙いすましたかのように、その頬が一瞬緩む。
「それでは、いただきまぁ~~~~~~す……」
少女が目を閉じてゆっくりと唇を近づけていく。ふっくらと艶のある唇は、その瑞々しさも相まって、朝露のように綺麗だった。
◆
ぞくり、と一瞬の寒気にも似た震えが俺を襲う。一瞬のうちにさまざまな警告が立ちあがり、救急車のサイレンよろしく警報が鳴り響いた。
「……待て。今、何しようとしている。簡潔明瞭に答えろ」
ぱっちりと目を開けた俺こと、師丘瑞希はその目を少女に向けると、自分のそばに座るその人物に問いかける。
「えっ? 目覚めのキスですがそれが何か?」
返答はまさしく指定した通り、簡潔にして明瞭だった。
堂々とそれだけ告げると、少女は再び目を閉じて唇を近付け始めた。両者の距離が少しずつ詰まっていく。
――ヤバい。このままじゃ殺られるっ!
殺気にも似た気配を感じ取った俺は、即座に防御体制へと移行した。
「止めい!」
俺は迫る少女の顔に、手を伸ばしてガッ! と見事にアイアンクローを決めた。ギリギリと締め付ける感覚が少女を襲うが、当の本人はまったく痛がるそぶりを見せない。
「……痛気持ちいいです、御主人様」
「逆にキモいわ」
俺は手を放して、ため息をついた。毎日のように行われるこんなイベントにもすっかり慣れ、今さらいちいち怒る気にもなれなかった。
俺は上体を起こすと、横で静かに佇む少女に挨拶する。
「おはよう、イヴ」
「おはようございます、私の御主人様。……そして、好きです」
「お友達で」
毎回こんな調子だった。隙あらば唇を奪い、〝恋人〟としての既成事実を成し遂げようとする少女――イヴは、俺にとって油断のならない相手だった。
いや、『少女』という表現は正確ではない。なぜなら、彼女は元々人間ではないのだから。
人工生命(AL)――イヴ。
そう呼ばれるこの少女は、とある人物が「友達が欲しいから」という物凄く個人的な理由から生み出されたALだ。ALは人工的な頭脳であるAIとは異なり、人間の『感情』にも似たものを持っているらしい。
けれども、イヴの場合はその感情に関する情報が不完全だった。そのため、イヴは大規模な「実験」を行い、効率的な人間の感情に関する考察をしようと画策した。
さらに言えば、イヴは上からの命令により「廃棄処分」(つまりはプログラムデータの完全消去)がされることが決定していた。
しかし、俺や他の方々の協力もあってか、実験は中止され深刻な混乱を招くこともなく無事に事態は収束。また、イヴの実質的所有者――大企業阿久津重工のトップ――とも直談判し、晴れてイヴは廃棄処分を免れた。
処分を免れたイヴは、その制作者と共に今は生活している。
「イヴっ! 貴方、ちょっと私が目を離した隙にどこ……へ……」
瞬間、バタァン! と部屋のドアが開け放たれる。そのドアの向こうには、すでに制服姿に身を包んだ美夏先輩がいた。
阿久津美夏――日本、いや世界を席巻する阿久津重工の社長の一人娘。一般的には「御嬢様」にカテゴライズされる人物だ。イヴを造った人物でもある。
ただし、今は御嬢様の上に、「元」という字がつくのだが。その理由としては、イヴを引き取る代わりに、親父さん(阿久津重工の社長、阿久津源蔵氏)からの援助を打ち切り、実質勘当同然の処置を行うことを条件にしたためだ。
行くあてもないように思えた美夏先輩だったが、なんと俺の姉ちゃん――師丘朱音。二十六歳独身にして、現職の婦人警官(交通課所属)――が先輩と一緒に住むことになり(ただし家賃などの金銭面は先輩が負担するという本末転倒な感じがしないでもないが)、今は俺の家から数分の距離にあるマンションで暮らしている。
とはいっても、今まで一人暮らしとは無縁な先輩と自活能力ゼロの姉ちゃんだ。当然、生活なんてできるはずもなく、この家が「母屋」でマンションは「離れ」のようなちょっと理解しがたい状態になっている。
まぁ、家とは別に「先輩と姉ちゃん専用の部屋」があると思った方が簡単だろう。
……はっ! ついうっかり現実逃避していたよ。あははっ。まぁ逃げられない時に人がよく使う手だよね。
勢い良く俺が寝ていた部屋のドアを開けた先輩は、パジャマ姿の俺とその俺にまたがるイヴを交互に見やる。
「~~~~っ!」
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに「あっ……あっ……」と金魚のように口をぱくぱくさせている。
「あ、あぁ~……。先輩? これはですね、いわゆる予想外のふとしたアクシデントってやつでありまして……」
冷や汗を全身から吹き出しながらごにょごにょと弁解する俺は、自分でも見苦しいというか女々しいというか……情けないと思う。
「ぎぃやあああぁぁぁぁぁぁ~~~~!」
「おごっ!」
叫び声を上げながら放たれた先輩の右ストレートが俺の顔面を捉えるのは、それはまぁ当然の結果というわけでありまして。
「わ、私は先に下で待っていますからねっ!」
「ふぁい……」
ぷんすかと怒って扉を勢い良く閉めた先輩を、俺は床に倒れながら見送った。
「御主人様、どこか嬉しそう?」
先輩とのやり取りを眺めていたイヴは倒れ込んだ俺をつんつんと指で突きながらそんな言葉をぼそりと呟いた。
これをどう見たらそんな事が言えるんだ?
◆
「ったく、油断も隙もねぇな」
すっかり着替え終わった俺は、部屋から出て階下へつながる階段をゆっくりと降りていく。後ろにはイヴが静かに付いてきていた。
「これで一万飛んで二六三回目の告白も失敗ですか……」
「逐一数えるなって。俺の方こそ勘弁してくれっての。そもそも、失敗うんぬんよりもまずムリだろ」
「それは私の体型が幼女型なことが問題なのですか? それとも年齢が〇歳だからですか?」
「両方だよ。俺、ロリとか中学生は射程範囲外なんだよ。つーかそもそも『〇歳』ってまだ赤ちゃんだろうが」
俺は容赦なくトドメの一撃を放つ。
「そ、そんな……!」
歯に衣着せない俺の言い方に、悔しそうに肩を落とし「よよよ……」と泣き崩れるイヴ。
だが、その表情からはまったく引き下がる様子は感じられない。
「なぁ、お前ってホントにALなのか?」
こんなエロいAL(つーか機械)は見たことがねえぞ?
これじゃあ、まだ「ちょっと思春期に入っちゃった少女」の方がよほどしっくりくる。
その思春期の入り方が半端ないのだけれど。
「御主人様。その質問はすでに二十三回目ですが、今さら答える必要はるのでしょうか? 同じ答えを何度も言うことは分かっていると思いますが……」
「いや、もぅいいや……」
特殊メイク技術をふんだんに駆使し、皮膚の質感や髪も本当に人間そっくりに自分の身体を造ってしまっていたのであった。
「これは私自ら設計し、美夏のつても借りて制作されたものです。おかげで、こうして御主人様や美夏、葛葉や結、朱音達と並んで現実世界をこうして歩けるようになりました」
体型は中学生ほどのものだが、その情報処理速度と情報フィルタリング能力は随一だろう。ただ、イヴはまだまだ生まれたばかりで、完全じゃない。彼女は「感情」を理解しようとするため、こうして俺達のそばにいるのだ。
イヴは「私には嬉しいも、愉しいも、面白いも、哀しいもわかりません……」と突き放したかのように言う時がある。まるで自分だけがこの世界とは無縁な存在であるかのように、自分を周囲とは「隔離」して発言する時がある。
――でも、それでも俺は構わないと思う。
なぜなら、イヴは生まれたばかりなのだから。
人間は他人とかかわって初めて感情を持つことができる。人間との接点がなかったイヴは、まだ感情なんてものは芽生えるはずもないのだろう。
ただ、ここにいれば、いつかはイヴの求めるものが手に入るんじゃないかとも思う。
「今何時?」
「朝の六時半です。このお寝坊さん」
ウインクをばちっと決めるイヴ。その顔を見た俺は、反射的に露骨に顔をしかめた。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「何でしょうか?」
「それ、一体何のキャラ?」
「パターン六十四、『近くに住む憧れのお姉さん』キャラですが何か問題でも?」
「いくらなんでも無理あるだろ……」
真顔で言い返すアイに呆れつつ、リビングの扉を開けた。扉の先には、「早く朝御飯はまだか!」と朝っぱらから元気なウチの神様がいる。
「モロロぉぉぉぉ~~! 早くご飯ご飯っ! 私はいい加減腹が減ったぞ!」
「ったく……お姉様を待たせるとは使えない下僕ですね……」
うるせぇよ。しかもここは俺の家だ。文句あんのか?
「ちょっとぐらい『静かに待つ』という選択肢はねえのかよ」
「そんなものはないっ! とにもかくにもモロロ、早くメシをくれっ! 私の腹がさきほどからぐぅぐぅ鳴ってうるさくて仕方ないのだ」
「そうですよ。下僕は下僕らしく、馬車馬のごとくお姉様に尽くすべきです」
「…………」
朝から血圧が上がりそうなことを背後で聞きつつ、俺は泣く泣くフライパンを手に取った。
「料理に洗濯、掃除も完璧。……このままだと、瑞希君は『主夫』に永久就職かしらね」
「……御主人様。なんて健気……」
俺の密かな思いに同情してくれたのは、そっと目尻にハンカチを当てる(機械のため涙は出ない)イヴだけだった。
俺の方こそ泣きたいよ!
◆
「…………それより、今日の昼飯はどうする? 学校来るか?」
「もちろんだ! 今日はあの『らじお』とかいうものはやらんのか?」
「今日は放送日じゃないからな。ゆっくり飯が食えると思うぞ」
「うむ。『らじお』がある時は忙しいからな。おちおち弁当も食えん」
何を言うか。あのハゲがハシャイでいる横で堂々と飯食っているのはどこのどいつだ?
「わかった。んじゃあ、昼休みにいつもの場所でな」
「了解だ!」
嬉しそうにそう叫ぶ葛葉の声を聞きながら、俺はイスに引っ掛けていたカバンを掴む。そろそろ学校に行く時間だよ! とテレビの端に映るデジタル時計がそう告げていた。
「おっと。もう、時間か。……んじゃあイヴ、後は頼むわ」
「承知しました、御主人様」
イヴの恭しく御辞儀に、俺はひらひらと手を振って応えた。イヴは俺達が学校へ行った後も、葛葉達の面倒を見てもらっている。
イヴは生まれて間もないAL。
対して葛葉と結は人間の上位に位置する神様という存在。
……これじゃあどっちが子供か分んねえな。
「それじゃ、また後でな」
「葛葉ちゃん、結ちゃん、イヴ。……それじゃあ行ってくるわね」
「お気を付けていってらっしゃいませ」
「モロロ、また後でな!」
「行って来い下僕」
そんな声を聞きながら、いつもの時間に俺と先輩は家を出て学校へと目指して歩き始めた。
◆
「ん~~! 午前中の授業終了っと」
昼休みのチャイムが鳴り、俺は大きく伸びをする。ついさきほどまで黒板の前で眠くなるようなボイスを響かせていた現国の教師はチャイムが鳴った途端きびすを返すように職員室へと戻っていった。
「さて、俺も行くか」
昼休みはどのように過ごそうがそれは本人の自由だ。とはいえ限られた時間ではそれは意外と短いように感じる。
「よぅ、ミズキ。最近先輩と親しげじゃん。何かあったのか?」
となりでノートを片付け、購買へ出かけようとしていたトモが不意に声を掛けてきた。
「う~ん、別に? ただ、葛葉と結が先輩を引き連れてくるんだよ」
これは事実だ。アイツらは俺の教室へ来ることはせず、直接先輩がいる教室へ乗り込んでは手を引いて待ち合わせの場所へとやってくる。
「なぁ、ミズキ。何か先輩って変わったか?」
「何で?」
パッと訊き返した俺に、トモは軽く首をひねりながら、
「いや、何つうか……。こう明るくなったっつうか、感情を表に出すようになったっつうかさ。お前も見ていて分からないか?」
「そうか?」
「うん、考えてみればそうかも。前まではどこか『周りに合わせている』っつう感じがあったんだけどよォ。けど、ここ最近かな? なんだかそんなぎこちなさが抜けているように思うんだよなぁ……」
自称「(美人専門)カメラマン」を名乗るだけはあるのか、トモは先輩の周囲を漂う雰囲気が変わったことを直観的に感じ取ったようだった。
――コイツ、本当にカメラマンとしての素質があるのかも。……根は残念なヤツだけど。
「あっ! 何笑っているんだよ! お前、やっぱ何か知っているんだな!」
「いててっ! 知らないって言っているだろ!」
思わず顔に出てしまったのか、トモが意地の悪い顔を浮かべながら首をギリギリと締め上げた。姉ちゃんに鍛えられているからそれほどキツくはないとはいえ、正直ムサイ男同士でこんなにも密着するのは嫌なものがある。
「な、なぁ……。ミズキ、今日もお前屋上でメシを食うんだろ? なんなら、俺もその輪の中に混じっていいか?」
「ダメ」
トモとじゃれ合っている俺に、後ろから切なげな声を上げて話しかけてきた純の言葉を俺は一刀両断に断ち切る。
「なんでだよ! それなら遠くから見ているだけでいいからさ! 頼むっ!」
「何度も言っているけどダメなものはダメなんだよ」
「いいじゃんかよ! 俺は可愛い幼女をそっと遠くから愛でたいだけだというのに!」
少しばかり鼻息の荒い純がぐっと身を乗り出して叫んでいる様子は「キモい」以外のなにものでもない。というか、発言自体がすでに末期症状だ。
「んじゃ、遅れるから行くわ」
俺は後ろで「薄情者おおおおぉぉぉ!」と叫ぶ純を無視し、約束の場所へと向かった。
◆
「よっす!」
俺はそんな掛け声とともに屋上に続く扉を開けた。春の暖かな日差しとはまた別の、どこか夏を思わせる眩しいぐらいの光に一瞬目がくらむ。
やがて、そんな明るさに慣れてきた俺の目が、次第に目の前の状況を捉え始めた。
「遅いぞモロロ!」
そんなふうに開口一番ブーブーと不満を言いつつ、ぐぅぐぅと腹を空かせる音を響かせた葛葉。
「そうですよ。どれほどお姉様を待たせる気ですか! 下僕の分際でっ!」
葛葉の隣ではあからさまに俺を見下したような発言をする結がいる。今日もその栗色の長い髪と紺色の衣がよく似合っていた。
「お待ちしておりました、我が御主人様」
「くふわぁぁぁぁ……」
俺の姿を見るや否や、座りながらもぺこりと行儀よく御辞儀をしてくれるイヴ。その横では気持ちよさそうに鼻ちょうちんを膨らませる白い竜――ハクがいた。
「ふふっ。授業お疲れ様。瑞希君、もうみんな待ちくたびれたみたいよ?」
美夏先輩の柔らかなソプラノ調の声が俺の(授業を受けてくたびれた)心を潤してくれる。今日もその長い黒髪が星屑のように輝いている。
屋上へと続く扉を開いた俺に飛び込んできたのは、そんなふうに目の前でぎゃいぎゃいと騒ぐいつものメンバーだった。
「今日はどんな弁当だ?」
着いて早々、葛葉がそわそわと待ちきれない様子で俺が持ってきた大きな包みを興味深そうに見つめている。
「ん? ……あぁ。今日はおにぎりとから揚げ、出し巻き卵にジャガイモの煮付け……と様々だ。お前のリクエスト通り、から揚げは増やしといたぞ」
俺が今日の弁当の品目を告げながら包みを広げ、中に入っていた大きい重箱を開ける。と同時に、「おおぉぉぉ~~」と感嘆の声が響き渡る。
気分はちょっとしたピクニックのようなものだ。みんなでぎゃいぎゃい言い合いながら、重箱の中をつつき、おもいおもいに料理を食べ、笑い声が辺りを包む。
ちょっと前ならこんな大勢で食事することなど想像もできなかった。俺は目の前の光景をぼんやりと眺めていると、自然と頬も緩んでいた。イヴは機械なので、食べることはできないが、その分会話に入っているという感じで、見ている分には人間と大差ないように思えてならない。
「うぅ……食ったら眠くなったぞ……」
「お姉様、私もです……」
ぽかぽかとした陽気に満腹感もあいまって、葛葉と結が揃って目をこすり始める。その様子はまるで自由気ままな子猫のようだ。
「モロロ、時間になったら起こしてくれ」
「よろしくです」
そう告げた途端、二人は揃って先輩の膝にこてん、と頭を預けてすやすやと寝息を立てる。
――先輩の膝枕っ! なんて羨ましい奴らだ!
俺もやってみたい……とそんな衝動に駆られるが、もう場所はないので膝枕はお預けだ。とはいっても、先輩が許してくれるのかどうかがまず問題だけど。
「御主人様、なんだか羨ましそう……。私が膝枕しましょうか?」
顔に出てしまったのか、イヴがももをぽんぽんと叩いて誘ってくる。その白い透き通るような足に一瞬心が奪われるが、
「いや、いい。固そうだし」
「いえ、私は機械ではありますが、表面を覆う皮膚は柔らかく、シリコン素材を主原料に使用しています。また、弾力性は――美夏のデータをもとに若干のイロを付け、柔らかさ割増です」
「マジでか?」
先輩のデータをもとにしているだとォ! しかも柔らかさ割増しとなっ! ソレは初耳だ。ということは、実質先輩の膝枕が俺の目の前に……。
「瑞希クン……?」
瞬間――ぞくり、と背筋が凍る。
ギッギッとまるで錆びついた機械のようにゆっくり振り向くと、そこにはドス黒いオーラを背後に纏う先輩の姿があった。
「まさかとはおもうけれど、『それって考えてみればお得ジャン!』とか何とか考えているわけではないわよね?」
ゴゴゴゴゴゴゴ……という強烈な先輩の気迫を前に、俺はだらだらと背中を流れる冷たい汗をぬぐうことはできない。一瞬背後に阿修羅が見えたんだけど……俺の気のせいか?
いや、気のせいだろう。つーか、そう思わせてくれ。頼むから。
「あはははは……嫌だなぁ、そんなこと思うわけないじゃないですか!」
女性は怒らせると怖い。そんなことを身にしみて感じた瞬間だった。
――でも、なぜ先輩がこんなにも起こっているのかは分からなかったのだけれど。
「以後気をつけよう……」
「何か言った?」
「いえっ! 何でもないデス、はいっ!」
必死で場をとりなす俺に、イヴはむぅ……とどこか不満げに見えたのは気のせいだろうか。いや、この場合そんなことに構っていられる余裕はなかった。
◆
「ねぇ、瑞希君」
「はい?」
そろそろ昼休みも終わろうかとしていた時、目の前の美夏先輩が足元ですやすやと眠る葛葉の髪を撫でつけながら言葉を吐いた。
「……私のつてで君の……本当の両親を探してあげることもできるけれど……」
俺は言葉がすぐに出なかった。本当の両親、俺の本当の母さんと父さん。
それは――俺を捨てたヒトだ。
「君が望むなら、すぐにでも探して会わせてあげられると思う。私はすでにお父様とは離れてしまったから、『今すぐに見つけられる』というわけではないんだけれどね。私にもいくつかそういった方面のコネクションは持っているから」
コネクションを持っているから……ってさらりと言うのがスゴイですって。それに、一人の女子学生が言うセリフでもないし。
「ありがとうございます、先輩」
俺は立って先輩に頭を下げた。「いえ、でもこうしてイヴを助けてくれたのだし……」と恥ずかしそうに顔を赤くしてうつむく先輩の姿はどこか可愛いと思ってしまう。
「でも、今はいいですよ。お気持ちは嬉しいですけど」
即答だった。もちろん先輩の申し出には感謝しているし、先輩の力を軽く見ているわけでもない。実際に先輩の力を借りて探せば、それこそ一週間とかからずに見つかるかもしれないだろう。
「そう?」
「はい。先輩の気持ちだけ受け取っておきます」
そうだ。今の俺には、本当の両親について探すという選択肢は考えてもいないし、そもそも選ぼうとも思わない。なぜなら、俺には姉ちゃんや海外にいる母さん、父さんがいる。加えて、今では厄介な神様が二人も家にいる状況なのだ。
こんな手のかかるような状況で、本当の両親を探して会って話をするなんてヒマもない。
「俺は今が凄く楽しいんです。今まで家では一人だったし、学校では少ない友達とわいわい騒がしく過ごすだけだった。けれど、今は家に葛葉や結っつうわけわかんない神様もいるし、これまで接点すらなかった先輩ともこうして話せるようになったし、なんだかエロいALもいるしで、毎日がドタバタで楽しいんです。だからまぁ、今はそれでいっぱいいっぱいなんですよ」
見上げた先輩に、俺はシニカルに笑う。
「もちろん、いつかはきちんと会って話すつもりです。ケリを付けなきゃならない問題ですからね。……確かに俺は親から捨てられて施設で辛い目にあった。でも、それでも俺は見せつけてやるんですよ。『捨ててくれてありがとう、おかげで俺はこんなにも楽しくて幸せな毎日を送っているだぜ!』ってね」
「君は呆れるほど前向きというかなんというか……」
「御主人様って……実はバカなのですか?」
「えええええぇぇぇっ! ソコけなすトコなの?」
驚いた俺につられるように、イヴと先輩は顔を見合せて笑い合った。それを見て俺もなぜだか分からないけれど頬が緩んでいた。
◆
ある日、俺は神様を拾った。
これは冗談でも頭がイカれた話でもない。現実の話だ。
ソイツはとんでもなく迷惑なヤツで、人のことを散々引っ掻き回しては楽しむ自己中心的なヤツで、おまけに食い物のことしか考えていない――正直面倒なことこの上ない神様だ。
ただ、この神様は一つだけ俺の密かな願いを叶えてくれたのかもしれない。
それは――
今までのそこそこ退屈でそこそこ退屈ではない、変化のない普通で平凡な俺の日常を、
面白おかしく刺激的な毎日に変えてくれたということだ。
これから先、何が起こるかは分からない。俺は予知能力者でも未来から来た人間でもない、ただのフツーの高校生だ。
でも、これだけは言えるだろう。
コイツらがいれば、この仲間がいれば、
どんなことでも面白おかしく刺激的なイベントになるのだろう、と。
「さて、行きますか。……おい、そこの二人。そろそろ起きろ」
「んぁ?」
「はぅ?」
俺は眠りから覚めた二人の神様の小さな手を取り、校舎の中へと戻っていく。
「うにゃっ……。モロロ、今日の晩飯は何だ?」
「さっき昼飯食ったばっかだろ! いくらなんでも早過ぎだ!」
そんな葛葉の言葉を聞きながら、先輩やイヴ、結は笑っていた。
まったく、いつになったらあの穏やかな日々に戻れるのだろう。
いや、そもそも戻れるのか?
まぁどっちにしろ、そんな俺の願いが叶うのは当分先のことになるのだけは分かったような気がした。
いかがだったでしょうか。この話で一応の完結となります。
わずか7話しかなかったですが、文字数換算でトータル130,000ぐらいあります(笑)
ほぼ一冊の文庫本と同じですね。A4用紙換算だと、ざっと150ページほどになります。
ここまでお付き合い頂いた方、本当にありがとうございました。
要望があれば、また書きたいなぁと思います。余裕があれば……の話になっちゃいますけども。(ノДT)アゥゥ