005 ゼロとイチの先にあるもの
ゼロとイチの世界。膨大な数の情報が入り乱れ、情報と数字が支配する世界。そんな「感情」とは無縁な世界にイヴはいる。
ここは現実の世界とは異なり、合理的で、論理的で、すべてがハッキリとした「ゼロとイチ」で構成される世界だ。それはまるで計算しつくされた、精緻な幾何学模様を見ているようだ。
ここでは常に「最新」が優先される。つまり、古いデータは破壊され、常に新しいものへと更新されていくのだ。それを象徴するかのように、時折遠くからガラスの破砕音にも似たものが聞こえてくる。これはどこかのシステムが今まさにアップデートを行い、データを更新しているのだろう。
壊れたデータはもう二度と復元されることはない。
瞬時――そして簡潔。
それがこの世界の《データ》という「命」の定義だ。
「……ネットワーク内を移動するプログラムを感知。進行方向からこちらに向かってくるものと推測。到達時間、約十分。警告の後、攻撃を開始……」
広く、そして深遠なこの「ネットワーク」というデジタル世界に、何かから逃げだすようにひっそりと建つ大きな宮殿があった。
――その固く閉ざされた宮殿の最奥部。そこにイヴはいた。
せわしなく変化していく状況に、ALであるイヴの頭脳が最適な解を導き出す。その一連の所作は、まるでパズルのピースを当てはめていく作業のように、精確で細緻な作業だった。
「警告から一二七秒経過。……敵意あるプログラムと再設定。排除開始」
この実験だけは誰にも邪魔させない。
そもそも、この実験自体はイヴが自らのために開始したものだ。
確かにイヴの中にはALとして「人間の感情を理解する」という義務はある。
しかし、その具体的な達成手段はイヴ本人に一任されており、あくまで自発的意志に基づいたものだった。だからこそ、この実験自体は誰の強制も命令も受けず、ただ自分がしたいから、という意思のもとで行っている。
自らの中に生まれた「感情を知りたい」という思いから。そんな純粋な思いからイヴはシステムをクラッキングさせ、人間社会に混乱を招いた。
だが、そんな一度きりの「ワガママ」に払った代償は大きい。
……実験が成功にしろ失敗にしろ、私は廃棄処分される可能性が高いと判断できます。
イヴによって大きな混乱を招いたことは確かだ。つけ加えるならば、イヴはそんな自分の存在が誰かの弊害になっていることなど知る由もない。
イヴの存在が美夏の父――阿久津源蔵にとって邪魔な存在であるとは確かだ。イヴによって美夏は源蔵が造り上げたせっかくのコネクションも生かそうとはしなかったし、世界から注目されるプログラマーになったところでそれを名誉だと思うこともなくなった。
仮に事態が収束しても、イヴは源蔵の手により廃棄処分の決定が迅速に行われるだろう。
だが、もうイヴはそれでも実験を止めることはできなかった。
それは――
いつか、私と同じ存在が生み出される可能性があるから。
イヴの実験は、自分の後継への遺産を残すことと等しい。今の自分は破棄されるかもしれないが、遠い未来いつか自分と同じ存在が生まれる。イヴはその可能性を現在の技術、社会性等加味し、合理的な判断のもと、実験を行ったのだった。
「考察実験における中間報告。現在、交通・通信管制システムへのハッキングは完遂。状況のモニタリングから、人間の《感情》についての観察を開始。現時点をもって、フェイズ二へと移行」
イヴは端的に状況をまとめると、新たな画面をいくつも開き自ら作り上げたプログラムを走らせた。カリカリとソースコードが真っ黒な画面に映し出され、ものすごい速さでシステムログを次々と吐き出して行く。
「フェイズ二開始。現在の交通・通信管制システムへのハッキング範囲を拡大。より多様な角度からの人間の感情を観察するために、人間の生活に直結するもの――電気、ガス、水道等のライフラインシステムへのハッキングを開始。現時点での目的達成率は四十%ほどと推察する。なお、ライフラインシステムへのハッキング終了まで、残り三十分ほどとの概算見積りを算定。これは、当初の想定よりも十五%ほど早いものといえる」
実験の報告を確認していたイヴの目の前に、新たな画面がポップアップ表示され、警告音が鳴り響いた。画面はイヴに告げる。
『――警告。何者かによる攻撃を確認』
イヴはその警告画面を確認すると、すぐさま相手の分析を開始する。攻撃のラインを遡り、操作している端末を特定。攻撃のタイプと威力から自分のもとへとやってくる到達時間を逆算し、目的を把握する。
「何者かによるデータのクラッキング行為の痕跡を発見……。欠損箇所の修復と同時に、防護システムのバージョンアップを開始。その際、より多様な角度からのクラッキングから対処するため、システム全体をバージョンアップさせる所要時間の概算見積もりを算定。……算定終了。クラッキングの分析により、即座に対抗措置を構築……構築完了。試験的展開の後、修正・強化を施し本格的運用を開始する」
淡々と流れていく実験の根底に潜むイヴの強い想い。今、その想いと自らの存在を賭けた孤独な闘いが、静かにそして着実に幕を開けた。
◆
「ふぇ~っ。ネットワークの中って、こんな風になっていたのか……」
俺はすぐ横を通り過ぎる数字の羅列を見つめながら、そんな言葉をこぼした。葛葉が呼び寄せたあの白い小さな竜――ハクに連れられ、俺達は今イヴのもとへと着実に進んでいる。
ここにいるのは、案内役のハクを除けば、俺と葛葉、結、美夏先輩の四人だ。姉ちゃんには申し訳なかったが、あの談話室に残ってもらっている。
すぐ近くでイヴを破壊しようと試みている先輩のお父さん――源蔵氏の動きを見張ってもらうためだ。携帯はもっていても今は意味がない。イヴの実験によって通話ができなくなる可能性があるためだ。
そんなわけで、姉ちゃんにはあらかじめ葛葉が作った護符を持たせていた。
何かあれば護符を通して連絡があるはずだ。
「まぁ、ここを流れるものは、所詮デジタルデータっスからね。データなんて突き詰めてしまえばゼロとイチの羅列っスから」
「なんだか味気ないなあ……」
俺はそんな風にぼやきながらハクのガイドに従って歩く。流れていく無味乾燥のデータは見ているだけで心がすさみそうだ。
ぼけっとそんな事を考えながら歩いていると、不意に隣で歩く葛葉がくいくいと裾を引っ張った。
「なぁ、モロロ。……飽きた」
「はぁっ?」
また何言っているんだろうか、コイツは。
「歩いているの疲れたぁ~」
「まだたいして歩いてないだろ」
その通りだ。まだここに来てから十分も経過していないだろう。最初は「早くイヴに会いたいなぁ……」と嬉しそうに一緒に歩いていた葛葉も、今や不満げな表情で俺を見つめている。
この飽きっぽさは本当にどうにかしてほしい。
「しかしだなぁ、私はもう疲れたぞ。いつになったらイヴに会えるんだ?」
「そうっスね……あと一時間もしたら着けるんじゃないっスか?」
「一時間っ?」
「そりゃそうっスよ。データに紛れて進んでいるんですから。ズバッと行ってもいいんスけど、そうするとあっちから攻撃されますぜ?」
「攻撃? 攻撃って何だよ」
そのただならぬハクの言葉が、俺の中にどろりと染み渡る。なんとも不快な気分だった。
「俗に言う『サイバーアタック』ってやつっスよ。通常はファイアーウォールとかでシステムを防護しているんっスけど、サイバーアタックは一か所への大規模で集中的な大量のアタック、つまりありったけのクズデータをぶつけた上でシステムのオーバーロードを無理矢理引き起こして防壁を突破するんス」
「えらく専門的だなぁ……。俺にはサッパリだ」
俺は肩を竦めて降参の態度を示した。ハクは「常識っスよ」と軽く笑っているが、そんなものは多分先輩ぐらいしか分からないだろう。年中赤点ギリギリの俺には、到底理解できそうもない。
「まぁ、いいや。でも、俺達には関係ないだろ? 攻撃される対象じゃないし、そもそもデータじゃないんだからさ」
当たり前だ。俺達はデータじゃなく人間なんだから。
「関係大アリっスよ!」
ハクはぐわっとその小さな目を見開くと、急にその語気を強めた。コウモリにも似た羽をばたつかせ、ヘビのような尻尾をぶんぶんと振り回す。
正直見ているだけでうざったるい。「もう分かったから暴れるのを止めろ」と言いたくなる。まぁ、何も分かっちゃいないけど。
「何で?」
「いいっスか? ここはデジタルの世界っスよ? 普通の生身の人間がおいそれと入り込めない場所なんっスよ。当然あんさんもオイラのチカラで疑似的にデジタルデータとして変換してるんっス」
「だから?」
俺の質問に、要領を得ないのか、ハクは「あぁ~、もう!」と頭を掻いていらだち始めた。
「だから、攻撃を受けて破壊されちまえばそれまでってことっス。壊れちまえばもう二度と元の世界には戻れないってことっスよ!」
「なっ――! そういうことは早く言ってくれよ!」
「だから確認したじゃないっスか! 『本当にいいか?』って!」
嘘だろ? あれが最終意思確認なのかよ! 新手の詐欺に引っ掛かったみたいじゃん!
俺はどうしようもない後悔に襲われながら、思わず呻いた。呻く俺の横で、葛葉が何かに気づいたように、「なぁなぁ」と言いながら服を引っ張る。
「なんだよ葛葉。今お前に構ってるヒマは――」
「前から来るあれは何だ?」
「あん?」
俺は葛葉が指さした方向をちらりと見やった。葛葉の指の先には、まだ小さいながらもおびただしい数の「何かの群れ」らしきものが見えた。
「魚みたいだな」
「おぉ! 魚か! ちょうど腹も減ったところだし、焼いて食うか!」
「でもお姉様。こんなところに魚がいるものなのでしょうか?」
「それもそうだな」
うーん、と唸る葛葉の横で見ていたハクが震えだす。
「あれは……! DoSアタックっスよ! サイバーアタックの一つっスよ。あれは魚じゃなくて鮫っス!」
「サメ?」
「この際そんなことはどーでもいいっス! それより、早く逃げないと!」
「何でだ?」
葛葉のぽかんとした表情に、ハクが一瞬面食らった。
「……姉さん。さっきのオイラの話、聞いていたっスか?」
「いや、ムズかし過ぎて分からなかったぞ!」
だああぁぁっっ! もうコイツら放っておこう。俺は頭を抱えたくなる衝動をどうにかこらえ、この状況を打開するために何ができるかということを必死に考えた。
でも、一体どうすりゃあいいんだよ!
「……手ならあるかもしれないわ」
「へっ?」
意外にも、そんな事を言ったのは後ろにいた美夏先輩だった。顎に手を当てていた先輩は、何かを思いついたかのようにすぐさま手を打つ。
「ハクちゃん、あのサメの大群から逃げ切ることはできる?」
「無理っスよ! あんなに大量のアタックからどうやって逃げるんっスか! 第一、こっちは一人じゃないんスよ? はぐれれば永遠にこの世界を漂流することになりますぜ?」
うわああぁぁぁ……そんなにも危険なとこだったのか。なんかもうトラウマになりそうだ。
「なら、高速移動を可能にするものは何かあるかしら? できればプログラミングできる環境があればなおいいのだけれど……」
「そ、そりゃあオイラがアシストすればできないことも無いですけど……」
「あ、あのぅ……先輩? 一体何を?」
話が見えてこない俺はおもむろに先輩に訊ねる。すると、先輩は――
「葛葉ちゃん」
「うん? 何だ?」
「もしかしたら、もうすぐイヴに会えるかも」
「おぉ! 本当か?」
葛葉の嬉しそうな顔に先輩のウインク。それを見ているだけで俺の中に物凄い不安がよぎったのは言うまでもない。
「死ぬううううううぅぅぅぅぅぅ!」
「モロロ! もっと速度を出せ!」
「う~ん、快適ですねお姉様」
俺には後ろできゃいきゃいと騒ぐ葛葉と結の声なんてものは聞いている余裕すらなかった。なぜなら――
「グガアアアアァァッ!」
などと目の前に口を広げて待ち構えるサメの大群にバイクで突っ込んでいるのだから。
まぁバイクと言っても、普通より縦長のもので、後ろには葛葉と結、最後尾には先輩とハクが乗っている特別製だけど。
ただ、そんな乗り物の一番前で口を開け、その鋭利な牙を見せつけるサメとド正面に向き合うのは、なかなかに味わえない体験だろう。
もちろんこんなのは二度とやりたくない。いや、ホントにマジでガチで!
「ちくしょー!」
なんでこんなことに! と俺はハンドルを握り締めながら自分の不運さを呪っていた。
思い起こせばそれは数分前の出来事だった。
「……なぁ、これを運転するのか?」
俺はハクが呼び出した目の前のデカくてゴツいバイクをしげしげと眺めつつ、ハクに訊ねていた。
「バイク、といっても重要なのはハンドルワークっスからね。アクセルとブレーキについてはオイラが自動調整するっスよ。だからスピードは気にしなくていいですし、なんたってここはデジタルの世界。免許がなくても大丈夫っスよ」
「これであのサメの大群の中を突っ切るって?」
「そう、それしかないでしょう?」
気づけば俺の後ろにはせわしなくキーを叩いている先輩の姿があった。どうやら先輩は即席の「防壁」を作成しているらしく、俺の方をちらりとも見ずに目の前のモニターに没頭していた。
「現実的に言えば、この人数ではぐれずに逃げ切るのは無理でしょうね。ハクちゃんからの情報だと、あちらの速度は私達が進むスピードよりもおよそ五~六倍速いわ」
「うげっ! そ、そんなに……」
それじゃあ捕まったら最後、あとはおとなしく喰われるだけじゃん!
「けれど、そこで逆に考えるの。逃げるよりも攻める。こう考えると、被害を予測して対処することも可能なはず。問題はスピードの点だったけれど、そこはハクちゃんがアシストしてくれたこのバイクで対応可能よ」
つらつらと片手間に説明してくれる先輩は、その辺で無邪気にバイクを見てはしゃいでいる二人の神様よりとても強力で信頼できる人物だった。
……おい、そこの二人。お前ら、この状況キチンと理解してんのか?
「んじゃ、よろしく頼むっスよ」
ハクがばちんとウインクを決め、羽をぱたぱたと振っていた。
「……何を?」
「『何を?』じゃないっスよ。誰がこれを運転すると思っているんスか?」
「………………えっ?」
すすぅっと伸びた俺の右手の人差し指が、ピタリとある人物の前で止まる。
「もしかして……俺?」
その言葉に、その場にいる全員が一斉に頷いた。
「ハクちゃん、左舷にパケットを緊急展開っ! ついでにスピードを限界まで上げて!」
「了解っス!」
先輩が目の前に展開されたキーボードを叩きつつ、ハクに指示を出す。先輩がキーボードを打って造っているのは、パケットと呼ばれる「防壁」だ。
「ギャウウウウウ……」
噛みつこうとしたサメが「バシンッ!」と強烈な音を響かせ、パケットの防壁に弾かれた。悲鳴を上げたサメの声が遠く細く、いつまでも響いていく。
「た、助かった……」
ほっと胸をなでおろす俺に最後尾から檄が飛んでくる。
「瑞希君、休まないっ! 防壁といっても即席なんだからすぐに破られるわ。相手がひるんでいる間に、一気に駆け抜けるのよ!」
「は、はいっ!」
そうだ、いくら防壁があるといってもそれは急造のものでしかなく、当たればすぐに壊れてしまう。このサメの大群の中でかろうじて生きていられるのも、先輩が絶妙なアシストをしてくれるからだ。
――だから叫ぼう。今すぐに。
マジで誰か代わってくれえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!
心の中でそう願い叫ぶも、それを叶えてくれることは多分ないだろう。葛葉と結では体格的にハンドルに届かないし、先輩はパケットの作成と展開を行っている。ハクはそのサポートとこのバイクの調整だ。
つまり、俺という運転手の代わりがいないのだ。なんという貧乏クジ! 引きが悪いにもほどがあるぞ!
「ほら、分かっているならさっさとする! 死にたいの?」
後ろから投げつけられる先輩の檄に俺はビクつきながら、ギュッとハンドルを握り締める。
「そろそろ目的地っス!」
「へっ?」
ハクの呟きも一瞬のこと。スピードを限界まで引き上げている状態で停止するなんて不可能に近い。
結果――は御想像通り。
「うぎゃあああああああああああぁぁぁ!」
バガァン! と俺達の目の前に突如現れた扉に、ものの見事に突っ込んでしまった。
「う、うぅ……。こ、ここは……?」
破砕したデータの破片が星屑のように宙に舞う中、俺はバイクを止めて周囲を見回した。
「ここが目的地――あんさんが言う『イヴ』がいるところっスよ」
「ここが?」
ハクの言葉を受け、俺はいまだ信じられないといった顔でもう一度辺りを見回した。西洋のおとぎ話にでも出てくるかのようなバカでかいお城の広間、といった感じ。それほどまでに広く巨大な空間が扉の向こうに広がっていたのだから。
『――何をしに来たのですか?』
突如、ホール内に声が響き渡る。その声に先輩の表情がさっと強張った。
「イヴっ!」
『美夏。貴方には感謝をしたいと思います。私という存在を造り、様々なことを教えてくれたのですから』
「もういいでしょう? バカなことはもうやめてちょうだい!」
『それは私の実験に対する評価ですか? ただ、私は自らの「感情を知りたい・理解したい」という思いとその義務に従い、より大規模で効率的な検証をしているだけなのですが……』
「イヴっ! ……よく聞いてちょうだい」
『なんでしょうか?』
「お父様が、イヴの廃棄処分を決定したわ……」
『…………』
静かに告げる先輩とは対照的に、イヴは――
『それは私の存在そのものに対する評価ですか? ただ私はALとして自らの義務に従い、これまで美夏と一緒にいたのですが……』
「それでも、お父様はイヴを廃棄するでしょうね」
『左様ですか……』
俺達は声の聞こえてくる方向へと顔を向けた。視線の先、ホールの奥から静かに姿を現したのは一人の少女だった。
「えっ?」
その少女を見た途端、俺は思わず声を上げた。
なぜなら、その少女の姿は――
「先輩が……二人?」
俺の横にいる美夏先輩と同じ顔だったのだから。
「ここでこうして会うのは初めてかしら……イヴ」
『そうですね、我が創造主』
俺達を一瞥したイヴは、そのまま御辞儀をして一言。
『どうぞお引き取り下さい』
瞬間、俺達はホールの外へと弾き出されていた。
◆
「おい、どういうことだよ!」
外に追い出された俺は、すぐさま立ち上がった。目の前にはさっきバイクで突っ込んで壊れたはずの大きな扉がその行く手を阻んでいる。
直るの早過ぎだろっ! さすがデジタル世界。人の手なら何日もかかる作業が一瞬で終わるのはこの世界の特徴だろう、と何の気なしにそんな事を考えていた。
扉を叩いて呼びかけても、中からは当然返事はない。ただ俺が扉を叩く音が虚しく響くだけだった。
「……もう、いいよ」
なおも呼びかける俺を見かねてか、先輩は小さな声でそう呟いた。
「もういいよ。瑞希君もわかったでしょう? イヴはもう私の手を離れてしまった。私の言うことを聞かなくなってしまった……。だからもう」
「見捨てるしかないってことですか?」
そう返した俺の言葉に、先輩は何も言わずに頷いた。
「だから、もう私達には――」
「絶対イヤだね!」
間髪入れずに、俺は力強く言い切った。
「どうして? ここまで来てイヴを説得したけど、結局は無駄だった。論理的に考えても無駄な行為は避けるべきでしょう? もうすぐお父様もここに辿り着く。私達だって残された時間は――」
「そんなことを言えるっつうことは、結局先輩もあの親父さんと同類だ」
「――っ!」
先輩の顔がみるみるうちに引きつっていく。それはそれで先輩には辛いだろう。何せ自分が避けていた人物と同類だと言われたのだから。だが、俺にだってどうしても譲れないモノがある。
「そんなことが言えるのは『本当の孤独』を知らないから簡単に言えるんですよ」
「本当の、孤独……」
「見捨てられたヤツがどんな思いで生きていかなきゃならないか想像したことはありますか? 誰にも言えない悩みを抱えて、誰も助けてくれない環境で過ごさなきゃならないちっぽけでみじめな状況を想像したことはありますか?」
「………………」
「まぁ、想像なんてものは現実を目の前にしたら吹き飛んじまうものですけどね。先輩が言っているのは、結局は上から見ただけの見下したものなんですよ。コイツもそう。この分からず屋だけは俺はどうしても許せないんですよ。俺の『家族』を泣かせやがったからね」
「モロロ……」
少しばかり驚いた顔を向ける葛葉に俺は笑いかけた。どうしようもなく傲慢で自分勝手で他人を巻き込むことしか考えていないこの神様は、もう俺の「家族」の一員だ。
そんな俺の家族を心配させて泣かせるような奴は、たっぷりとお説教が必要だ。
『まったく……貴方の行動は理解不能です』
そういって現れたのは、先輩の最初の友達にして葛葉の友達でもあるイヴだった。扉の前に現れたその姿は、立体映像のように薄く透き通っている。
『言ったでしょう、私は私の目的のために動いていると。私は人間の感情を知るために――』
「あぁ? 感情を理解するためだァ? ナマ言ってんじゃねえぞガキが」
俺の中で一気にスイッチが入る。もうダメだ。俺は目の前に映るイヴの言葉を遮って告げた。マジでスイッチが入ると、どうしても言葉が悪くなるのはたぶん姉ちゃんの影響があるからだろう。
ここに本人がいなくて良かったと正直思う。
『生意気……ですか。その意味から察するに、私が図々しくも手を出すべきものではないと? そう言いたいわけですか?』
「意味なんて検索かけてんじゃねえよ。世界最高峰のコンピュータがそんなくだらないもののために労力を割くもんじゃねえ」
『くだらないこと、ですか……? ですが、私はALとして人間の感情を理解する義務があります。それに、私は所詮機械なのです。機械である私は誰かの命令があればそれに従うだけの存在でしか――』
「義務、存在、ね……」
『そうです。私にはそれをまっとうする義務があります。ですが、それも無意味に終わってしまったようですが……』
「――そんなもん知るかっつーの」
「「「えっ?」」」
俺は言い切った。つられるように後ろの方から驚く声が聞こえてくる。
「第一、『感情』なんてワケ分んねえもんに振り回されんじゃねえよ」
『ですが、貴方にも感情はあるではありませんか。私にはそれが理解できないものなのです。人間は理性的な一方感情的に行動する時がある。その行動には首尾一貫性はなく時に予想を裏切る結果をもたらします。私にはそれが理解できないのです。分からないものについては徹底的な検証と考察が――』
「そしてそれが済んだら、誰かが下した『命令』なんてワケ分んねえもんに振り回された挙句にポイされるってか?」
『何度も言っているように、私はALという機械であり、プログラムです。ALという特殊な位置にいるものではありますが、私はその辺の量販店で販売されているパソコンと同じ存在です。機械は使えなければ、意味がなければ捨てられてしまうもの。私はそれと同じなのです。源蔵氏は美夏という創造主の上に位置する人物。その方が私を廃棄するのであれば、私は素直にそれに従うしかないのです』
「だから、それが意味分かんねえんだよ。感情を理解する? 誰かが『いらない』と言ったから分かりましただと? そんなくだらねえもんはゴミ箱にでも捨てちまえ。俺にはまったく理解できないね。『感情』なんてもんは俺だって理解できねえよ。それに、家族だって血のつながりがあったって相手は人間だ。相手のことなんて分かりゃしないし、言われたそれが「正しい」なんて証拠はどこにもありゃしない。でも――」
俺はそこまで言い切ると、ちらりと葛葉や結、先輩の方を向く。そう、家族といっても所詮は他人だ。相手の心の奥深くまで分かるわけがない。
時にはケンカもするし、言い争うことだってある。
だけど。
「――それでいいんじゃねえの?」
『えっ?』
「分からないものを学んで理解しようとする。人から言われたことにはキチンと素直に従う。いやいや、まったくもって御立派な考えだね。是非ともその姿勢は見習いたいさ。でも――」
感情を理解したい。だから答えを得ようとした。
――じゃあ、その答えと根拠があればそれでいいのか? 答えを得た先に何がある?
上から壊すと『命令』された。だから素直にその命令に従う。
――じゃあ、本当にお前は「いらないもの」と言えるのか? 他人がそう決めればそれが全部正しいのか?
「感情なんて分からない。そんなものはいつまでたっても分からない――。これも一個の答えじゃねえの?」
『分からないが答え……ですか?』
「感情だけじゃねえ。人間なんて生き物はもっとフクザツでワケわかんねえ生き物だ。俺から言わせてもらえば、それを全部理解しようとしたら十年あっても足りないね」
『…………』
イヴは反論せず、ただじっと俺を見ているだけだった。けれど、俺はそんな事に構うことなく続けて口を滑らせていく。
「それに、〝誰か〟じゃねえ。自分だ。結局は『自分がどうしたいか』っつうもの凄く単純でもの凄くワガママで、もの凄く強い想いこそが大切なんじゃねえの?」
『自分の想い……ですか?』
「人は時には間違った方へ行くかもしれないし、急に方向転換したりするもんさ。俺から言わせてもらえば、別に機械が人間に逆らってもいいんじゃないのっつうこと。それが悪いとか間違っているっていう証拠はどこにもないんだから」
『では、私はどのような意義をもって存在すれば……?』
「知るかよ。自分で考えろ。つーか、人間でも悩むそんな質問に、そんなスパッと答えが出せるわけねえだろうが」
『……では、私はどうすればよいのですか?』
「それは俺が答えるべきモンじゃねえよ。ただ、お前は生まれて間もないんだ。だったら、もっとじっくり時間をかけてやればいいんじゃねえの?」
『時間……』
イヴはうつむいたまま「分かりません。なぜ、この人はこのようなことを……」などと呟いている。ぐるぐると渦巻いた思考がイヴの中で消化されていないらしく、今にも煙が出そうなほどに悩んでいるようだ。
俺はそんなイヴを見つめながら、くすりと微笑んでしまう。
『なぜ笑っているのですか?』
「別に。ただ、もうちょっとフワッと自由に生きてみれば? って思っただけさ」
『……それはあまりにも曖昧過ぎます』
「そんなもんだよ、人っていうものはさ」
シニカルに笑った俺に、イヴは微笑み返して告げた。
『実験を継続し、命令を実行するよりも、貴方の傍で感情を理解したほうがより興味深いデータが得られそうだと判断します』
「そりゃあなにより。それじゃあそうしてみれば?」
イヴは決めた。自らを犠牲にして感情を理解するよりも自分が生き抜くことを。
だから――
『美夏、お願いがあります』
「お願い……?」
この人のそばにいるために、葛葉の友達でいるために。イヴは自らの意思で新たな一歩を踏み出したのだった。
◆
「それじゃ、帰ろうか」
俺は首を回しながら後ろの三人に告げた。コキコキと小気味よい音が聞こえ、安堵した時。
「おぃ、モロロ。朱音からだぞ」
葛葉が俺に紙を渡す。渡された紙(通信用の護符)を耳に当てると、
「おい、聞いてんのか!」
耳をつんざくような声が響いた。紛れもない姉ちゃんの声だが、もうちょっと加減してほしいと素直に思う。頭がキーンとしてまともに聞こえないんですけど。
「はいはい、聞こえているよ。どうしたんだよ、姉ちゃん」
俺は耳から護符を遠ざけつつ、姉ちゃんの声を聞いていた。
「そこから早く帰って来い!」
「今から帰ってくるところだけど? なんだよ、もうこっちは終わったから別にゆっくりでもいいだろ?」
「良いから急げ! あのオッサン、イヴのセキュリティを突破しやがった! もう時間がないんだよ!」
姉ちゃんの通信と同時、急にあたりが震えだした。その尋常ならざる事態を察したのか、ハクが急かすようにみんなに叫ぶ。
「ヤバイっスよ! ここはもう崩れる! 早く出ないとここに閉じ込められて壊されるっスよ!」
隣にいたハクが事細かく指示を出し、三人が走り始めた。俺もイヴを連れて行こうとしたが、
『私は間に合いそうもありません』
「えっ?」
その言葉に、俺の足がピタリと止まった。
『現在、システム移行の準備を進めていますが、それよりも前にここが壊れる可能性が高いと判断できます』
「そんな! ……じゃあ、お前はどうなるんだよ!」
『準備が間に合わない以上、私は貴方達とは一緒には行くことはできません』
「モロロ、早くしろっ!」
「待てっ! イヴが!」
「瑞希君! イヴも大切だけれど、私達が帰らなかったらイヴを再び生み出すことすらできなくなるのよ!」
「――っ!」
俺は悔しそうに歯噛みをしながらその場から離れた。
『大丈夫です』
そんなことをイヴは微笑みながら告げた。視界がひび割れ、ゼロとイチの世界が壊れていく。
壊れていく世界――そんな中でもイヴは微笑んでいた。
「――っ! クソッ!」
まるで何かに満足しているかのように、澄み切った清々しいほどの笑顔だった。
「何だよ……。何だよコレ……っ!」
◆
「お帰り」
「ただいま……」
俺達を待っていた姉ちゃんは、煙草を吹かしながら待っていた。
「よくやったな。おかげで、システムは復旧したぞ。……ったく、こっちは携帯がつながった瞬間に上司から『何やってたんだ!』って散々文句言われて大変だったぞ……って、どうした?」
姉ちゃんは帰ってきてから終始苦い顔をしている俺に気づいたのか、心配そうな顔を向けた。
「ごめん、イヴを……一緒に連れて帰って来られなかった……」
俺は悔しげな顔でそう告げた。言葉を紡ぐたびに、あの壊れゆく世界で笑いながら送り出してくれたイヴの顔が脳裏をちらつく。
「はぁ? イヴならそこにいるじゃないか」
「そう、イヴは……って――」
……へっ?
俺は姉ちゃんが指差した先にあるもの――出かける前に置いて来た、俺の携帯電話――を見やった。
すると――
『だから大丈夫です、と言ったではありませんか』
その携帯から、ひどく抑揚のない、機械的で事務的で、一切の感情という感情が見られない声――つまり、イヴの声が聞こえてきた。
「はあああぁぁぁぁぁ?」
驚いた俺は、思わず携帯の画面をチェックする。その小さな画面には、あの時と全く同じ顔をしたイヴがいた。
「どうして……」
まだ信じられないといった顔でまじまじとイヴを見る俺に、イヴはあっさりと告げた。
『バックアップです。私は自身でネットワーク内に自分のバックアップをとっていました。常に本体とリンクさせた上でデータを更新していたため、本体に異常があった場合、すぐさま起動させるようにセットしていたのです』
「な、なんだよ……。心配して損したじゃん」
がっくりと肩を落とす俺に、直後皆の笑いが部屋中にこだました。
「それで? どうするんだよ愚弟」
「何だよ、姉ちゃん」
ひとしきり笑い合った後、姉ちゃんは重苦しそうに口を開いた。
「何だよ、じゃないだろ。ラスボス攻略はまだなんだぞ?」
姉ちゃんはそう言って煙草に火を付けた。
そう、まだ俺たちの戦いは終わっちゃいない。いや、まだ前哨戦すら始まってはいないんだ。
「分かっているよ」
イヴを本当の意味で守るために。
葛葉のこっちの世界でできた初めての友達を救うために。
「葛葉、結、姉ちゃん、先輩……。みんな来てくれるか?」
問いかける俺に、隣にいた葛葉が笑って答えてくれた。
「もちろんだ! 面白いことはみんなで分かち合うべきだろう!」
まったくもってその通りだと俺は心の中からそう思えた。これほどこんな時に頼りになる存在はいないだろう、と俺は葛葉の顔を見てニヤリと笑う。
向かう先はもちろん決まっている。それはイヴの今後を決める上で避けては通れない人物だ。
――阿久津源蔵。
阿久津重工の代表取締役にして先輩のお父さん。彼がいる元へと俺達は歩き出した。
◆
「一つ聞いてもいいですか?」
俺は部屋の中央に据えられた黒革のソファの中央に腰を下ろし、開口一番本題を切り出した。目の前にいるのはもちろん美夏先輩のお父さん――源蔵氏だ。
「何だ?」
抑揚のない、感情の判断がつきづらい声で静かに俺に訊き返す源蔵氏。
俺は一瞬間を置き、ギュッと手のひらを握りしめた。深呼吸をし、声を引き絞る。
「何故貴方はイヴを壊したのですか?」
正直に、かつ端的に訊いた。前置きはいらない。ただ俺は理由を聞きたいだけだ。
「…………」
俺の問いに源蔵氏は黙ったままだった。重たい空気が辺りに漂い、キリキリと少しずつ首が締められるような感覚が身体を支配する。
勢いのままにバタン! と部屋の扉を開けたものの、いざこうして目の前に対峙しているとさすがに足がすくんできてしまう。
部屋に乗り込んできた俺に向けられた鋭い目。まるで鷹や鷲のような猛禽類が得物を狩る時に見せるその鋭く真剣な眼差しは、さすが一代で自分の会社をトップにまで押し上げた源蔵氏そのものというべきだろうか。
「……ふん、やってきたと思えばなんだそんなことか。……当たり前だろう。イヴは私達の手を離れ、勝手に暴走した。もはやイヴは人間に害のあるプログラムでしかない。害あるプログラムは排除するのが常識だ」
「イヴは生きていたというのに、ですか?」
俺の質問に、目の前の源蔵氏は不意にその口元を歪めた。
「君は面白いことを言うな。イヴはALだ。所詮はただのプログラムなんだよ。プログラムに『生きている』という表現はおかしいと思うがな」
「このっ! イヴは!」
噛み付くように叫んだ葛葉を俺は手を伸ばして制止させる。
「モロロっ! 何をする!」
「黙っていろ」
俺は源蔵氏に「すみません」と謝罪し、頭を下げる。対する源蔵氏はふん、と鼻を鳴らしたまま微動だにすることはなかった。
「確かにイヴはプログラムです。ただ――本人の「意思」を確認しないままに実行させるのはどうなんでしょうか?」
「何だと? お前は何を言って……」
ここで初めて驚きの顔をあらわにした源蔵氏を目の前に、俺はそっとポケットから携帯を取り出した。画面を開き、「ここから先に答えるのは俺じゃない」と言うかのように、テーブルの上にそっと置いた。
さぁ時間だ、出て来いよ。もう一人でいるのは疲れたろう?
『――阿久津源蔵、先刻ぶりでしょうか』
テーブルの中央、俺が静かに置いた携帯から聞き慣れた声が漏れた。その事務的で機械的で一切の感情という感情がすっぽりと抜け落ちたような落ち着き払った声。
それはまぎれもない――イヴの声だった。
「イヴ、だと……? バカな! お前は確かに――」
『確かに私の本体は貴方によって破壊されました。しかし、私は実験が何者かに中断または阻止された場合も考慮し、ネットワーク内に自身のバックアップを図っていたのです』
「バックアップ、だと……? では、お前はまた実験を繰り返すというのか!」
『いいえ』
「ならば、またお前は私の邪魔をしようというのか! 素直に私の命令を聞けばいいものを!」
『それも違います』
イヴの答えは即答だった。怒りをあらわにする一方、冷静に一つ一つ答えていくイヴ。端から見ると、どちらが子供でどちらが大人なのか分からなくなるぐらいだ。
『私はもう実験を再び行うことはありません。私は自らを破壊し、廃棄することもありません。ですが――』
イヴはゆっくりと自らの〝意思〟を、〝想い〟を告げる。
『私は――美夏や瑞希達と一緒にいたいと考えています』
「なっ!」
『私は確かに貴方が言うように機械でありプログラムです。ですが、同時に「人間により近い」ALでもあります。だから実験を行い、大規模かつ効率的な感情の考察も一つの手段であると判断しました。しかし、私は美夏や瑞希と一緒に少しずつ時間をかけて人間の感情を理解したいと考えています。そのために、私は彼らと共にいたいと結論を下しました』
そう。これがイヴの出したもう一つの結論だった。
『これは、私の意思で選び取った選択であるとも補足します』
イヴが選んだ一つの結論。それは義務や強制から発したものではない。自らの意思で、自分の想いから選び取った結論だった。
「バカな! ALがヒトと一緒に過ごすだと? お前はプログラムだろうが! なぜそのような非論理的な選択を選ぶ!」
イヴの言葉に源蔵は憤慨したように立ち上がる。だが、俺にはその言葉だけで十分だった。
「アンタがどういう人間か、よぉく分かったよ。アンタがどうしようもなく可哀想な人間なんだってな」
「何ィっ!」
「だってそうだろ? アンタが気にしているのは、結局のところ『自分さえよければ』っつう自己保身と体面と体裁だ。そりゃあイヴは『実験』っつう人様に迷惑がかかることをしたさ。アンタにとっても自分の娘が進むべき道を違えてしまう邪魔な存在かもしれない。……だから何だ?」
俺はギロリと目の前の源蔵氏を睨みつけた。
「たった一度の『失敗』でアンタはイヴを壊そうとし、見捨てようとした。これが自分の子供なら殴って叱って相手に謝っておしまいの話だ。自分の子供ならどうするんだ? 同じように簡単に捨てるのか? ……アンタは結局自分の周りしか見えてないからそんなことが言えるんだよ。イヴは命令に従うだけのプログラムや道具じゃない。自分で考え行動できる俺達に近い存在だ」
「こ……の……っ!」
源蔵は顔を真っ赤に染め、握り締めた拳を振るわせて立っていた。その怒りの形相は今すぐにでも「帰れ!」「出て行け!」と言われた挙句、「もう二度と来るな!」と告げられるぐらいだった。
正直言って、怖い以外のなにものでもない。でも、俺は不思議と恐怖を抱いていなかった。
「黙れ! 貴様に何ができる!」
「何もできないかもしれないし、何かができるのかもしれない。そんなのは今ここで答えが出るものでもないし、それはイヴ自身が気づくものだろうが。ただ一つ確かに言えることは――コイツの友達を、イヴを救えるということだけだ」
俺は葛葉の頭をぽんぽんと優しく叩きながら、頬を緩ませた。
「モロロ……」
「たかが小僧がペラペラと……」
怒りに肩を震わせていた源蔵は、しかしそのボルテージを下げていく。
「ふん……だがもう遅い。これは決定事項だ。イヴは我が阿久津重工の『所有物』だ。イヴがどう言い張ろうと、小僧がどんなことを言おうと、所有者であるこのワシの決定を覆すことはできん」
一転して勝ち誇ったかのような表情を浮かべる源蔵氏だったが、そんなことは俺達の中ではすでにお見通しのことだ。
「だったら、私がイヴを引き取ります」
「なっ――!」
そう告げたのは美夏先輩だった。
「もともとイヴは私が造り出した人工生命(AL)。ならば、実質的な所有者は私になるはずです」
「バカな! 美夏、ワガママを言うのも大概にしておけ。お前は素直に私の言うことに――」
「もう私はお父様の人形じゃない!」
瞬間、先輩の叫び声が部屋全体を包んでいた。
「もう散々言うことは聞きました。『お前は私の言うことを聞いていればいい』――何度も聞かされた言葉です。私はもうお父様の顔をうかがって良い子を演じるのには疲れました」
「な、何を言って――」
「私は私です。これからは地に足を付けて、一歩ずつ自分の足で歩いて行きます。イヴを引き取るのも、私の意思です」
「何を言っているのか分かっているのか! 私はお前に一切援助はせんぞ! お前はこれからの輝ける地位も栄誉も捨てることをここに宣言したも同じことなんだぞ!」
「どうぞ御勝手に」
それだけを告げると、先輩は部屋を出ていった。俺や葛葉達も先輩の後ろをついて部屋を出ていく。扉が閉まる瞬間、俺はちらりと後ろを見やると、膝をついて呆然とする源蔵氏の姿があった。
自分の娘が独り立ちする姿。それは親である彼にとって喜ばしいことなのだろうか、それとも悲しむべきことなのだろうか。
今はまだ分からない。でも、いつかきっと分かる時が来るだろう。
◆
「ごめんなさい、瑞希君達をこんなことに巻き込んでしまって……」
「別にいいですよ」
先輩は俺達を見送りに来てくれた。夕闇だった空は黒く染まり、三日月が顔を出している。
「でも、先輩……本当に後悔はないんですか?」
「大丈夫よ」
父親から「今後一切援助はしない」と告げられた先輩は、どうやって生きていけるのだろう。頼れる人もいない中で、これはなかなかに厳しいものがある。
どう話しかければいいかなぁ……と思いあぐねていた俺に、先輩が口を開いた。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「はい?」
「今日ね、瑞希君が部屋から出た後にね、聞いたの。朱音さんから」
「あのう……ウチのヤツら、失礼なことしませんでしたか? じっとしているのが超絶苦手な人ばっかりなんで、相当うるさかったと思いますけど」
「全然。おもしろかったよ。私の家とは正反対だから」
「…………。まぁ、迷惑じゃなければいいんですけど」
「それでね……。朱音さんから聞かされたの」
美夏先輩が少し歯切れの悪い口調で、話を切り出す。顔は下を向き、黒く舗装されたアスファルト注がれがれたまま動くことはない。
「あー……。一応確認しますけど、それって俺の……過去でしょ?」
俺の言葉に美夏先輩は静かに首を縦に動かした。その瞬間、俺はすべてを理解した。たぶん、姉ちゃんが美夏先輩に話したのだろうと。現在家にいる連中の中で、唯一俺の過去を知るのは姉ちゃんだけだ。
「そりゃあお前があんなにカッカしていたら普通『どうしてそんなに怒るんだろう』って気になるだろうが。こっちはちゃんと理由を話しておく必要があったんだよ」
ギロリと視線を向けた先にいた姉ちゃんは、悠然と煙草をふかしたまま動じることはない。そりゃあ俺にも原因はあったかもしれないが、人の古傷を突っつくようなマネは止めてほしいものがある。
「ったく……」
俺は頭を掻きながらため息をついた。姉ちゃん、アンタぺらぺらしゃべり過ぎ。美夏先輩は小さくなって「ごめんね」と呟いた。もうすっかり怯えちゃっているじゃんか。
「別にいいっスよ。先輩が謝ることじゃないし」
「そうそう」
「姉ちゃんは今後自重しろよ!」
また大きくため息をつく俺に、先輩は申し訳なさそうに俯いたままだった。一方の姉ちゃんは「やれやれ」と肩をすくめると、それっきり口を挟むことはなく後ろできゃいきゃい言いながら遊んでいた葛葉と結の面倒を見ていてくれた。
まぁ、先輩の気持ちも分かる。そりゃそうだろうさ。自分の身近にいる人間に、こんなにも波乱万丈な過去を持った人物がいたのだから。
「でも……」
顔を上げた先輩は、触れれば壊れてしまいそうな表情を浮かべていた。俺はこんな表情を浮かべる人間を何度も見てきたから分かる。
「俺の過去とかウチの事情が他とはちょっとだけ複雑なだけですよ。それに、あのことは俺にとってはむしろ感謝しているんです。同情とか憐れみとか……そんなものはいらないんですよ」
そう。今の先輩の表情はまさにそれだった。
俺には今、家族がいる。だから、そんな同情とか憐れみは必要ないものだ。
「……………………」
「とは言っても、まぁフツーの人間じゃあまず経験できないことですからね。なんと言えばいいかな……。そうそう、『考え方の違い』みたいなもんですよ」
言って、俺は顔を上げて夜空を仰いだ。すっかり暗くなった夜の空にぽつりと輝く三日月がある。その柔らかい光を見ているだけで、その光が頭をクリアにしてくれるような感覚がした。
「……なんで、そんなふうに思えるの?」
「へっ?」
意外にも、ぽろりと出た言葉は美夏先輩の口からだった。
「普通なら恨むでしょう? 『なんでこんなことになったんだろう』って泣き叫ぶでしょう? なのに、それなのになぜ瑞希君は『感謝している』とそう思えるの?」
見れば、美夏先輩の手が少し震えていた。彼女は今怒っているのだろうか、それとも悲しんでいるのだろうか。美夏先輩の心までは俺にも分からない。
けれど。
「そりゃ、もちろん恨んだり妬んだり……そう思っていた時もありましたよ」
俺は静かにそう告げた。それはまるで相手に心の内をさらけ出すような感覚に近い。
「自分の親、目の前の環境、自分の境遇、降りかかる暴力……。すべてに怒って憎んで恨んで泣いて泣いて泣きぬいた。……けれど、俺はもう泣き飽きて恨み飽きたんですよ。どれだけ泣いて恨んでも、目の前の現実は変わることがなかった」
俺は顔を目の前に立つ先輩に向けた。その目はまっすぐ先輩を捉えている。一瞬ビクッと身体を震わせた先輩に、俺は頬を緩めシニカルに微笑みかけていた。
◆
それはいつだったかも思い出せない。
それまでの俺には暗くて怖くて、ただひたすら痛みに耐えるのが『普通』であり『日常』だった。
「うっ……うぅっ……」
きゅるきゅると鳴り響く腹の音とひもじい思いに必死で耐えた。食欲を殺し、いっそのこと泣き出したいという衝動を抑えていた毎日。
「なんで……。どうして……」
――どうしてこんな痛い思いをしなきゃいけないの?
そんな疑問を内に抱えながら、静かにじっとするしかなかった俺は、ある日突然その日常から解放された。
それまで暗く冷たく触れれば壊れてしまいそうな俺にやってきたのは、眩しいほどの暖かい陽の光と心が満たされるほどの優しさだった。
けれど。
「姉ちゃんがどこまで先輩に言ったのか分からないですけど……。引き取られた当時の俺は、それはもうキツイ顔をしていたみたいです」
「……えっ?」
「その時の記憶はもうおぼろげですけどね。親、って言っても俺のことを引き取ってくれた人のことですけど。その人いわく、『あんなに不機嫌な顔はそうそうできるもんじゃない』って。濁り切った目とその下の深いクマ。口をへの字にひんまげて、まるで周りに『私はイラついています』って広告でも出しているみたい、って言っていました」
目を見開いて驚く美夏先輩に向けて、俺は小さく「そんなもんですよ」と付け加える。
そう、これは紛れもない事実だ。誰だって突然の変化にすぐさま適応できるもんじゃない。ましてやその時の俺は普通の人から見れば「特殊」とも「非日常」とも思える日々を過ごしていたのだ。
絶対何かウラがある、これは夢なんだ目を覚ませ……とは幼心に俺が常に思っていたことだった。
「誰だって初めから完ペキな人間なんていやしないっスよ。どっかで躓いたり、転んだり。希望を持っている時もあれば絶望に嘆き悲しむ時もある。俺達はそんなことを繰り返しながらゆっくりと進んでいるんです」
そう。俺がそうであるように。俺はちょっとばかしそれに気づくのが早かった、というだけなのかもしれない。
躓いて、転んだ人間はどうすればいいか?
――決まっている。また立ち上がって歩くだけだ。
「俺が自分の過去について『感謝している』って思えたのは、実を言えば姉ちゃんのおかげなんです」
「えっ?」
「それは……ずっと恨んで憎んでいた自分の境遇に、姉ちゃんが『いつまでもそんなふうに思っていたら絶対損する』って。続けて『損したくなかったら、なんでもプラスに考えろ』って言われました」
「そんなことが……」
「それはある日、『どうせ本当の両親じゃないだろうが!』って俺がキレたら、姉ちゃんが逆にブチギレちゃったのが発端なんですけどね。歳も離れているし、まだ俺も幼いせいもあってか、そりゃあもうボッコボコに殴られて……。それが終わった後に姉ちゃんがそう言ったんですよ」
言いつつ俺は当時の記憶を呼び起した。
あの時の姉ちゃんの顔は今でも忘れられない。今にも泣きそうな顔をして、それでも容赦のない本気の拳を受けた俺は――怒る、というよりも嬉しかったと思う。
だって、それは本当に俺のことを心配して、思ってくれた上でそうしてくれるのだから。それは紛れもない、俺を本当の『家族』として見てくれている証拠でもあるのだから。
そう。俺は親に捨てられ、施設で無意味な暴力を受けた。
見る人が見れば、それは「躓いて転んで挫折した人生」なのかもしれない。
けれど、それで泣いて助けを求めてどうするのだろう。
悲劇のヒロインのように泣いていたら、どこからか颯爽と馬に乗った英雄でも来てくれるのだろうか? 誰かが摩訶不思議な道具を出してくれて、それまでの過去をリセットしてくれるのだろうか?
――違う。誰かに助けを求めるものじゃない。過去は変えられるもんじゃない。
「いつまでも泣いてばかりじゃダメなんだ、ってその時気付きました。どんなに辛い時でも、どんなに逃げ出したくなる状況でも、歯を食いしばって顔を上げて前へ進むだけなんだって。結局、俺はそうやって前へ歩くことしかできないんだって気づかされました」
「朱音さんなら言いそうね」
美夏先輩はそこで初めて笑った。姉ちゃんと会って、その強烈なキャラを目の当たりにしたためだろうか、まるで今までのお淑やかな先輩は姿を消し、もう一人の姉ちゃんがいるみたいだった。
「それからですよ、今のように思えるようになったのは。まぁ、長い時間はかかりましたけど。あんな過去があったからこそ思えることかもしれないですけど、『生きる』って簡単に思えるようで、意外と難しいんですよね」
「生きることが難しい……?」
ふと呟いた先輩に同意するように、俺はこくりと頷いた。
「俺はちっぽけな人間なんですよ。マンガやアニメの主人公のように特殊能力とか力があるわけじゃないし、頭だって先輩のように良くはない」
そう。俺はただの高校生だ。どこにでもいるようなごくごくフツーの高校生。ただその普通とはちょっと違う過去を持つだけの話だ。
だからこそ、なのかもしれない。
「ただ、あの暗く狭い中では『生きる』というのがどんなに難しいことなのかが分かったような気がするんですよ。これは一つの収穫、みたいなものですけど。よくよく考えてみると、俺たち人間っつうのは、『死へと向かって毎日を生きている』のかな? って思う時がありますね」
「生」があるから「死」があるのではなく、
「死」があるから「生」があるのだと思う。
カミサマにプログラムされたように人は生まれ、時を過ごし、歳月を重ね、そして死ぬ。
やがて死ぬのに、今さら急いで死んでもそれは意味がない。結局その人が死んだことすら、人間は忘れてしまうのだから。
そう。どんなに必死に記憶に留めても、それは風化しやがては記憶から消えて忘れられる。
「人間、誰しも言えないような『傷』ってあると思うんですよ。それが過去でありコンプレックスであり。でも、そんな『傷』を抱えているからこそ生きていくことができるんじゃないか、って。まぁ、それが俺の場合には『人と人との繋がり』とか、『家族』っつうもので、他人から見れば小さなものかもしれない。けれど、その大切さが人一倍俺の中では強いんです」
やがては忘れられることかもしれない。けれど誰かが自分のことを覚えてくれるのなら、それはとても幸せなことなんじゃないだろうか?
だから俺は俺という存在を覚えてもらうために。生きた証を残すために。
繋がりを、絆を、家族を大切にしたい。ただそれだけだ。
「まぁ、なんのことはないただの屁理屈かもしれないですけどね」
おどけて笑いながらも、俺はさっきからずっと考え込んでいる先輩を見やる。
プスプスと頭から湯気が出そうなほどに悩んでいる先輩を見ていると、俺の中におかしさが込み上げてきた。
「先輩は何でもかんでも頭で考えようとするからダメなんですよ。たまにはいいんじゃないですか? もっと自分の「想い」に従ってみても。利益や実現可能性、手段や方法を考えるより、まずは『自分は何をしたいか?』という想いじゃないですか? まぁ、俺の方も今は姉ちゃんに加えてうるさいヤツが二人もいますからね。自分の過去とかそんなものへ感傷に浸るヒマもないですけどね。……しかも神様だからヘタなことはできないですし」
「それもそうね。朱音さんもそう言っていたわ」
俺の言葉に誘われるように、やがてくすり、と先輩は笑った。続いて先輩は俺の後方で無邪気に遊ぶ葛葉と結をちらりと目をやった。すると、こちらの気配に気づいたのか、葛葉が声を掛けてきた。
「何だ? 二人して何を愉しそうに笑っておるのだ? 面白い事なら私も混ざるぞ!」
「別に何でもねえよ。ったく、人様のウチで勝手に暴れるなよ」
「うるさいモロロ!」
「まったく……。お姉様との麗らかなひと時をブチ壊すのが好きですね、この下僕は」
あんだとコノやろう……。
「よぉし、良く分かった。テメェら……明日の朝メシ抜きな」
その一言がよほどの破壊力を秘めたものだったのか、一瞬にして結と葛葉の表情が(劇画チックに)凍りつく。
「ヒドイぞモロロ! 私が……私がどれほど食事というものを楽しみにしているか!」
「そうですよ! 私だってお姉様と並んで食事をすることがどれほどの楽しみか!」
ケッ。知ったことか。
「姉ちゃんがいるだろうに」
「うるさい! 朱音はいつもお菓子と『びーる』とかいう苦い飲みものしか用意しないのだ! あの温かい飯がどれほど魅力的なものか、お前には分かるまい!」
いや、別に分かりたくもないけどさ……。しかし、姉ちゃんも姉ちゃんだろ。菓子とビールしか出さないって、どんだけ自活能力というかずぼらというか……。
「仕方無いだろう。私は愚弟と違って仕事があるんだ。家事なんてやっているヒマがないんだ」
ギリギリと煙草を噛みながら、姉ちゃんはそう苦々しげに呟いた。
「愉しそうですね」
「ふぇ?」
そんな哀しげな言葉を吐いたのは、先輩だった。
「私は瑞希君が羨ましい。どうして私は……私の家族はこうもバラバラなんだろう」
いつも自分のことだけに執着する両親。
美夏の評価だけを気にかける両親。
「でも、それでも先輩の家族じゃないですか」
俺の言葉に、先輩はこくりと首を縦に振る。
「そう。それでも私の家族であることは変わりない。でも……もう私はこの家にいるのは嫌なの。だから私はこの家から出ることを決めた」
「先輩……」
心配した俺とは対照的に、先輩は笑っていた。
「でも、どうしてかな? 『家を出て一人で暮らす』って決めてからなんだか心が軽いんだよ? 不思議と後悔してないの。確かにこの家からは追い出されると思うけれど……」
そう言って先輩は今まで住んでいた『自分の家』を見やった。幼いころから住み続けた自分の家。それを出ていくということは、先輩にとっても一大決心のはずだ。
「確かに私の家族はバラバラになったかもしれない。……でも、離れてみて初めて気づくこともあると思うから、今はこれでいいんだと思う。自分の家を離れるのはちょっとさびしいけれど、私は良かったと思えるの」
「そうっすか。まぁ先輩はしっかりしているから問題はないと思いますけどね」
「そう、かな……?」
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる先輩に、俺は心から安堵していた。見せてくれた笑顔はどれも学校で見る者とは違い、綺麗で見ているこっちまで嬉しくなるようで――一瞬ドキッとしてしまったほどだ。
それほどまでに先輩は劇的に変わっていた。
「まぁ心配するな。こうなった責任はこっちにもあるからな。美夏のことは私に任せておけ」
「ふーん……。それならそれでいいけどさ」
まぁ、姉ちゃんなら何とかなるだろう。この人は生活能力という面では致命的な問題を抱えてはいるが、それ以外は意外とまともだ。
警察官でもあるわけだし、アブないことはしないだろう。
そんなことを考えていると、パッと門扉が開いて一台のタクシーが入って来た。ヘッドライトを照らして入ってくるその車は、姉ちゃんが呼んだものだ。
「ほれ、帰るぞ」
「はいよ……」
よほど疲れたのか、葛葉と結はタクシーに乗り込むとすぐに俺の横ですやすやと眠ってしまった。
「それにしても長い一日だった……」
葛葉達に続いて乗り込んだ俺も、そんなことを呟きながらそっと目を閉じる。それまでの緊張が嘘のようにすぐさま安らか眠りについた。