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004 トモダチという定義

 イヴを――『壊す』。

 それだけを告げ、美夏先輩の父さん――阿久津源蔵(あくつげんぞう)は後ろに引き連れていた大人達と共に部屋を去っていく。

「待って! なぜイヴを壊すの!」

 怒りをあらわにする先輩に、源蔵は開けようと伸ばした手をピタリと止めた。

「『なぜ?』だと……? 美夏。お前はこの私の娘だ。これから歩む先には輝かしい未来と栄誉、それを可能にさせてくれる私の仲間がいる。あんなオモチャ(イヴ)一つでお前がどうなるというのだ。イヴは何をお前にもたらしてくれた? 私のような富か? それとも名誉か?」

「そ、そんな……私はただ……」

「何度も言っているだろう、美夏。『お前は私の言うことを聞いていさえすればいいのだ』と。……自分の造り上げたものが今、何をしようとしているのか。それを自分で確かめることだ」

 そんな短いやり取りの末、源蔵氏は再びその手をドアノブへと伸ばし、静かに去って行った。

「なんで……どうして……?」

 先輩はがっくりとひざから崩れ落ちた。目は絶望の色に染まり、どこか虚ろで焦点が合っていない。

 まるで嵐のようなできごとだった。

さっきまでの楽しげな雰囲気は一変し、重苦しくて息の詰まりそうな空気へと変わる。

 しばらくの間、ただ呆然と閉じられたドアだけを見つめる先輩に対して、誰も言葉をかけることができなかった。部屋に置かれた時計の針がカチコチと針を進める音しか聞こえてこない。

「あのぅ……」

 そんな空気の中で俺はこの状況についていけてない人間だろう(一部の神様も、だろうが)。さっき告げられた「イヴを壊す」っていうことに、なぜ先輩がこんなにも怒らなきゃいけないのか。

 ……っていうか、そもそもイヴって何ですか? 我ながら情けないが、俺の中ではまずそこからのスタートなのだ。

「ごめんなさい、取り乱しちゃって……」

 俺の言葉に我に返ったのか、先輩はハッとして俺達の方へと振り返り頭を下げた。俺は「別に気にしてないですよ」と苦笑いを浮かべる。

「それで……。さっき言っていた『イヴ』って何ですか?」

「…………」

 その話題に触れられることが嫌だったのか、先輩は反射的に口をギュッとつぐんでしまう。

 いや、わざわざ地雷を踏むようなことを言っているのは俺にも分かる。けれど、もう俺はそれを知ってしまったんだ。加えてそれを「壊す」とただならぬことを告げられ、目の前には落ち込んでいる先輩がいる。こんな状況で「じゃあ別に知りたくないです。どうぞご自由にして下さい」とはさすがに言える状況ではないし、言える度胸も無い。

 尋ねられてから数秒した後、先輩はその口を開いた。

「――イヴは私が造り上げた人工生命(AL)なの」

「AL? 先輩が造った?」

 聞き覚えのない単語に、俺は首をかしげる。葛葉も「人工生命(AL)」というものがどんなものなのか分からず、隣にいる結に訊いていた。結も聞いたことがないのか、首を横に振っている。

つーか、葛葉。結に聞いても分かるはずないだろうに。コイツの頭にあるのは「葛葉(おねえさま)」のことだけなのだから。

「瑞希君も知っているかな? 『人工知能(AI)』って。ほら、よく耳にするでしょう?」

「あぁ、何かよくマンガとかで見るネタですね……。それって、アレでしょ? 人が人工的に造り出した頭脳みたいな……」

 俺はぽつぽつと喋りながら頭の中でそれに関連する映画のワンシーンや漫画、小説のセリフなどと思い起こしていた。

「大体そういうものだけどね。でも、「AL」というのは簡単に言ってしまえばその『AIの発展強化版』みたいなものなの。違うのは、頭脳だけじゃなくて人間と同じように『感情』に似たものを持っているということかな。ただ、イヴはまだその部分が不完全な状態なのだけれど」

「それって、いわゆるクローンじゃなくて、ですか?」

「クローンは生き物でしょう? ALとは根本的に違うものよ。ALはあくまでも人間が造り出した『プログラム』に過ぎないものだから。言うなれば、私達のように〝生きている機械〟のようなものかしらね」

「へー……。そんなスゴイものを先輩が」

 俺が感嘆した声を上げると、さすがに気恥ずかしかったのか先輩は顔を少し赤らめてこくりと頷いた。聞いているだけなので、まだハッキリとは俺も理解できないが、それでもなんとなく分かる。先輩が造り上げた『イヴ』という存在は、今までの機械――人間の命令に従うだけの存在――という意味を大きく変えてしまうものだろう。

「生きている機械、かあ……。あれっ? でも、今それを『壊す』って言っていませんでしたっけ? なんでそんなことを? 聞けば、イヴはそれこそすごいものでしょうに」

「それは……」

 俺の指摘に先輩は急に顔を曇らせた。その顔から先輩もなぜ今イヴを壊そうとしているのか、その理由が分かっていないのだろう。そもそもここにはテレビがない。携帯も通話ができないし、ネットすらつながらない。こんな状況では、誰かから情報を得るということさえできない。


「たぶん、そのイヴっていう奴が悪さをしているからだろうさ。おそらく、そのイヴっていう奴のことが、あの親父さんにとっては『娘はそんなオモチャにうつつを抜かしている』っていうように前々から気に食わなかったんだろうよ。だからいっそのこと『壊してしまえ』っていう発想に至ったんだろう」


 ふと聞こえてきた声に、俺達は部屋の扉へと視線を移す。その視線の先、談話室の扉を開けて入って来たのは、姉ちゃんだった。

 細長いスキニータイプの黒いジーンズに上は薄手のシャツという出で立ち。外出と意識しているからか、シャツの上にはデニムのジャケットを羽織っている。今にもこぼれそうな爆乳を揺らしながら、姉ちゃんはシニカルな笑みを浮かべて部屋に入って来た。

「姉ちゃん! ったく、遅いよ。今まで何やっていたんだよ! 携帯もつながらないから心配したじゃんか」

「悪い悪い」

 入ってきて早々、煙草に火を付けた姉ちゃんは、肺に入れたタールとニコチンの煙を名残惜しむかのように吐き出す。部屋に漂う細い白煙は、やがて開け放たれた窓の外へと出ていった。

「だが遅くなったのは理由もあったからな。――今、外は大変な騒ぎだぞ? 電車・道路・通信関連……どこもかしこもおかしくなっている。『どこかおかしい』とは分かっても、テレビやネットは見られないし、電話はつながらない。もう外にいる人たちはどうしていいのか分からない状況さ。つまりはパニック状態寸前、ということだな」

「どうして?」

「さぁな。だが、今の話を聞くと一番可能性があるのは――」

「イヴがこれを招いた、と?」

 先輩の結論に姉ちゃんは静かに首を縦に振った。

「な、なんでそうなるんだよ?」

 姉ちゃんに訊き返した俺だったが、その問いに答えたのは先輩からだった。先ほど「イヴを造った」と言っていた先輩はおそらくよく知っているのだろう。姉ちゃんの言葉に驚くこともなく、落ち着いた表情を浮かべていた。

「言ったでしょう? ALはAIの発展強化版みたいなものだって。それはつまりALは突き詰めてしまえば『最高レベルのコンピュータ』とも言えるの。もしそれがあらゆる情報にアクセスできるとすれば……」

「大混乱だな」

 姉ちゃんが煙草を吹かしながら静かに呟いた。その落ち着き払った声は、まるで他人事のようにも感じてならない。

「えっ? なんで? なんでそこに行きつくわけ?」

「この愚弟。さっきこの子が言っただろう。『あらゆる情報にアクセスできる』ってな。いいか? 今はコンピュータなしじゃあ到底生きていけない世界になっちまった。どれだけ今の生活にコンピュータが関わっていると思っている。買い物も交通も電話だってできやしないさ。そんなネットワークがぐちゃぐちゃに掻き回されてみろ。あっという間に大混乱さ」

 確かに言われてみればそうだと納得できた。「情報化社会」とか言われている現在では、人はコンピュータなしじゃ生活できない。電車は動かないし、道路――確か交通管制センターというところでコントロールしているんじゃなかったっけか?――だって信号が使い物にならなければあっという間に大渋滞の大混雑だ。おちおち外に出歩ける場合じゃない。

「家からここに来られただけでも奇跡さ。それよりも怖いのは『情報そのもの』が入っていないことさ。テレビもネットもラジオでさえつかないんじゃあ、すぐに人は暴徒と化すぞ」

「そんな情報が入らないから暴徒と化す、って大げさな……」

「大袈裟なことじゃないさ。私は至って真面目だ」

「それじゃあ、なんでそんな事が言えるのさ?」

「う~ん、愚弟に集団心理の理論を詳しく言っても分からんだろうからなぁ……」

 言いつつ、姉ちゃんはうまい例えを探すように顎に手を当てて考えた。

「そうだな、例えばお前が駅のホームで電車が来るのを待っているとしよう。でも、、発車時刻を過ぎても電車が来なかったらどう思う?」

「う~ん、まずは『何があったんだろう』って思うな」

 俺はふと、朝に学校へと通学しているしている様子を思い描きながら、姉ちゃんの言葉に答えていった。駅のホームで時計をちらちら見ながら電車を待つ様子が頭の中に鮮明に描かれていく。

「それが数時間以上続いたら?」

「さすがに駅員さんやスタッフの人とかに訊きに行くさ。たぶんイライラしているだろうから、怒鳴り込んで行くとは思うけど」

 そりゃそうだ。誰だって時間を無駄にはしたくないだろうし、急いでいる人もいるだろう。そんな中で待てども待てども電車が来ないんじゃあイライラしてきて誰かに怒りをぶちまけたいと思うのももっともだ。

そんな俺の答えに姉ちゃんは頷きつつ、さらに話を進めた。

「それじゃあ逆に、しばらくしてから『只今この前の駅で人が線路内に入った関係で、列車に遅れが出ています』というアナウンスが入ったらどうする?」

「それじゃあもう少しで来るのかな、って思って安心して待って……あっ! そうか!」

「そう。情報が入ること、そしてその情報が適宜『更新』されることが大切なんだ。情報が常に最新のものに更新されることで、人は様々な判断が下せる。そういった「考える余地」を与えてやることがパニックを回避させるための手段なんだ。ただ、今ではその情報の更新や情報を得ることも簡単に手に入っていない状態だからな。これでは暴徒と化すのも時間の問題だぞ」

 すでにそんなことになっているとは……。俺は姉ちゃんが告げる「最悪のシナリオ」を聞き、ごくりと喉を鳴らした。

 俺は姉ちゃんの説明に納得しつつ、今度は先輩の方へと振り向いた。

「な、なるほど……。でも、そもそもなぜ先輩はイヴを造ろうとしたんですか?」

 そう。これが訊きたかったからだ。そもそもイヴが生まれなければこんな事態は引き起こされなかっただろう。

でも、先輩にはイヴを造る理由があったはずだ。それは一体なぜなのか。

「それは……私には友達と呼べる存在がいなかったから」

「へっ? で、でも先輩にはたくさんいるじゃないですか。学校でも男子だけじゃなくて女子にも人気があるし、いつも楽しそうに話しているし……」

 意外過ぎる先輩の言葉に、俺は頭の中でこれまでの先輩を思い出していた。大企業の社長の一人娘にして世界からも注目される情報工学・機械工学の第一人者。しかし、本人はいたって謙虚で誰とでもわけ隔てることなく接する優しさを持つ。おまけに容姿端麗で言い寄る男は引く手あまたとか。

「違うよ」

 聞いていた先輩はくすりと自嘲気味に笑いながら否定する。

「それは人と会う時に私が付ける『仮面』でしかないの。本当の私は誰よりももろくて弱くて孤独。幼いころからお父様のパーティーで自分の年齢の倍以上も上の人と会うのを重ねた私は、いつしか周りのことを考えて行動するようになっていった」

「……」

「私はいつも一人だった」

 先輩はそんなことをぽろりと溢した。そんな先輩が自分の過去を語る姿は、まるで罪人が許しを乞い、懺悔するようにも見えた。

「両親はいつも上を目指すばかり。娘である私のことなんてちっとも考えていないの。お父様とお母様にあるのは、『自分がどれほど有名になるか』ということだけ。私は自分と同じぐらいの年の人が一人もいない中でいつも過ごしていたの。そんな私に言い寄って近づいてくる人たちはみな、『コイツと知り合っておけば、ゆくゆくは自分の利益になるだろう』と考えている人ばかりだった。私も歳を重ねるにつれて、さすがに周りの人がどんな思いで自分に近づいてくるのか、その人の持つ裏の面も見えてくるようだった……」

「だろうな。大人なんて所詮はそんなもんさ。誰もが笑顔で幸せなんてものはない。みんなそれぞれ嫉妬や怒り、憎悪や欲望っつうドス黒いモンをそのハラの中に抱えて生きているもんだ」

 先輩の話を聞きながら、姉ちゃんが口をはさんだ。すでに社会という荒波に出ているためか、その言葉には妙に現実感がある。

「だから、イヴを造ったの。『自分の利益になるかどうか』という単純なものさしで人を判断して利用しようとするのが嫌になってしまったから……。私が望んだの――本当の意味で私と対等に……ううん、何でも言い合える友達を」

 俺は初めて明かされる先輩の過去と現状に思いをはせた。一人、誰も自分のことを聞いてくれない周囲への思いをひたすら押し殺してただ周りに合わせて振舞う一人の少女の姿。

 それがどれほどその少女に負担を強いていたんだろう。

「でも、ダメね。失敗しちゃったみたい」

「……えっ?」

「だから、失敗。本当は友達が欲しくてイヴを造ったんだけど、あの子がこんな事態を引き起こすなんて思わなかったから」

 ――けれど。

「失敗……って?」

 なぜだろう。俺は先輩の何もかもを諦めた――いや、見捨てるようなその言葉を聞いていた俺は、先輩に同情こそすれ、どこかイラっとした。

「イヴは私の手を離れて一人で暴走している。もう誰も手がつけられない。やっぱりお父様の言うようにイヴを壊すしか――」

 だから見捨てるのか? そんな簡単に?

 今まで孤独だった先輩に初めてできた友達――いや、『家族』と言ってもいい。そんな大切にしていたものを……そんなことで見捨てるっていうのか?


――なんでそんな事を言うんだよ。無責任すぎだろ。


「……ふざけんなよ」

「モロロ?」

 先輩のそばで話を聞いていた葛葉が、おもむろに顔を上げて俺の方を見つめていた。俺はそんな葛葉の姿に気づかず、ギュッと手のひらを握りしめ、悔しそうに歯を噛んだ。

――なんでそんな簡単に諦めるんだよ。

 俺のどこかでガキンと大きな音が響き渡る。その甲高い金属音のようなものは、一度入ってしまえばそう簡単に収まることはない、俺のスイッチ――いや、信念そのものだ。

 あぁもうダメだ。完全に「スイッチ」入っちまった。

「なんで、そんなに簡単に言えるんですか?」

「えっ?」

「先輩が造ったイヴは初めてできた友達――いや、『家族』なんでしょう? なんでそんな簡単に『失敗しちゃった』って諦められるんですか?」

「でも、あの子はネットワークを介して多くの人々に迷惑を……」

「そんなたった一度のことで、なんで『失敗』って決めつけられるんですか? 誰にだって失敗ぐらいある。なんでそんな簡単に投げ捨てようとするんですか?」

「でも、実際にあの子は――」

「先輩には見損ないました」

 立ち上がった俺は部屋を出ていこうと扉へと向かう。

「お、おぃ。モロロ! どこへ行く!」

「決まってんだろ。……イヴを壊すのを止めさせるんだよ」

 ダメだ。もうダメだ。完全に頭にきた。

 イヴを壊す? 家族を見捨てる? ……冗談じゃない!

「止めさせてどうするんだ。止めさせてもイヴは暴走を続けるぞ?」

 姉ちゃんの言葉に、俺はピタリと歩みを止めた。正論を突き立てる姉ちゃんに向かって何かできるわけもなく、俺は黙ったままギュッと手のひらを握り締めた。

 あぁ、分かっているさ。そんなことは俺でも分かるよ。

 湧き上がる悔しさを必死でこらえようと唇を噛んだ。何もできない、どうしようもないと目の前に立ちはだかる壁の大きさに涙さえ浮かんでくるようだった。

 だけど!

「何なんだよ! どうしてそんな簡単に壊すとか言えるんだよ! 友達だろ? 家族だろ? 何でたった一度のことでイヴがそんな目に会わなきゃいけないんだよ!」

 やり場のない怒りに俺はどうすることもできなかった。いっそのこと暴れてやろうかとも思ったが、それが何の足しになるのだろう。

 ――家族、友達、人とのつながり。

 それは、普段ならごく当たり前に触れることができて、時にはその存在に気づかないような小さなものなのかもしれない。けれど、そんな小さなものでも過去の俺とは無縁で、手を伸ばしても絶対に手に入れることができなかったものだった。

 だからこそ、かもしれない。

 今の俺にはそんな簡単に見捨てたり諦めたりできるような話じゃないんだ。

 そう。それは俺にとってどうしようもなく大切で守るべきものなのだから。


「はぁ……。まぁ、お前の言いたいことは分かった。でも、行く前に愚弟。お前にはやることがある」

 俺を呼び止めた姉ちゃんは、そう言って目の前にあったガラス製の灰皿に煙草を押しつけた。

「……何だよ」

「メシ、作ってくれ。こっちはいい加減腹減っているんだ」

「はぁっ? 何でだよ!」

「姉の言うことが聞けないってのか? いいぞ? お前が私の『鍛錬』に付き合ってくれるというならそれでもいいさ」

「うぐっ……」

 言い淀んだ俺に、そばにいた先輩が場を取り繕うように「それなら家の者に頼んで……」と申し出る。しかし、姉ちゃんは「いや、いいよ」とあっさりと先輩の申し出を断った。

「そんな凝ったものじゃなくていいからね。わざわざ呼び寄せてさせる必要もないというもんさ。それに、コイツにはちっとばかし頭を冷やしてほしいからな」

 姉ちゃんは俺の顔も見ずに指を指してきた。本来なら「そんなの自分でやれよ」とでも言う場面なのだろうが、姉ちゃんに言われたら俺にはどうすることもできない。この人は『鍛錬』とか言っておいて人を逮捕術の実験台にするのだから。

 今まで散々付き合わされた俺は、そのすさまじさを知っているからこそ分かる。こういう暴力を楯にワガママで無茶を言う姉には逆らうことはできない。

「わかったよ!」

 本能的に頭が「緊急危機回避命令」を下し、モヤモヤとしていた俺は、内に溜まった怒りをブチまけるかのように、

 ――バシン! 

 と強烈な音を立てて扉を閉めた。



「やれやれ。まったく、アイツの姉をやるのも疲れる」

 瑞希が怒って部屋を出て行ってすぐ、朱音の声が静まり返った部屋の中に響き渡った。

「すみません……」

「いや、いいさ」

 別に気にしていないと朱音はくすりと笑う。その笑顔は「ちょっとばかり手のかかる子供」に手がつけられないという照れくささも混じったような顔だった。

「家族のことになるとアイツはいつもこうだから」

「瑞希君がうらやましいです。瑞希君の周りには、いつもこんなふうに笑っている友達やきちんと叱ってくれる家族の人がいるから」

 ため息と共にもれる美夏の声が部屋を覆う。美夏から出る声はいつものような張りはなく、どこか沈んでいて暗い。

「そうでもないさ。アイツがあんな風に笑えるようになったのは最近のことだよ」

「えっ?」

 美夏の前にはケロリとした顔で煙草をくわえる朱音の姿があった。朱音は表情一つ変えることはなくそのまま煙草を吹かしながら、吐き出した煙と共に告げた。

「私とアイツは――本当の家族じゃないから」



「本当の家族、じゃない……?」

 朱音の言葉に息を飲んだ美夏は、ソファで腰を掛けていた朱音の顔をちらりと目にした。いつもは笑顔の絶えないその顔も、その時はどこか影が差したかのように暗い。

「……瑞希はさ、本当は捨て子だったらしいんだよ。詳しくは私も分からないけど、アイツの親は生まれてすぐの瑞希をコインロッカーにブチ込んだらしい。コインロッカーから赤ん坊の鳴き声がしたから、すぐに助けられたそうなんだけどな」

 瑞希も生まれてすぐの記憶なんて持ち合わせてはいない。これはしばらくして朱音の親や、他の大人達から聞いたことを朱音が代弁しているに過ぎないのだろうと美夏は推測した。

「親が分からないから、アイツはそのまま施設に放り込まれたそうだ。まぁ、それもすぐに終わるんだけどね」

「どうしてですか?」

「――虐待だよ。よく聞く話さ。瑞希が入った施設では、日常的に幼児虐待が行われていたらしい。暴行に育児放棄、性的虐待……挙げればキリがないけどね」

 朱音は切って捨てるように告げた。向かいに座る美夏の目が見開くが、朱音は別に特別何の感情も抱かない。まるで朝のニュースに流れるテレビ画面を見ているかのように、その表情はどこか虚ろなものが垣間見えるだけだった。

「ある日突然殴られたらしい。まだアイツは『虐待』という言葉すらも知らない時期だったから、最初は『なんでたたかれるんだろう? 何か自分が悪いことをしたからだ』って思ったそうだ。それから事あるごとにアイツは殴られ、蹴られ、身体中アザだらけの日々を送っていった」

「…………」

「それで、最終的には児童相談所に通報されて、相談員やら警官やらが施設に駆け込んできて瑞希達は無事保護された。『無事に』とは言うものの、保護された時は、医者も『何で生きているのか分からない』ってサジを投げるようなことを言うぐらいに身体はガリガリ。栄養失調で餓死寸前だったらしい。これは後で分かったことだけれど、その施設ではどうもろくに食事すらやっていなかったらしくてな。アイツは保護されてからしばらくの間は病院で点滴を打っていたらしい」

「それで? その後は?」

「う~ん、別の施設に放り込まれたって聞いているよ。けど、『引き取りたい』っていう奇特な人がやってきて、アイツはその人の子供になった。その引き取った人っていうのが、今の私の親なわけだけどね。今では家族が当り前のようにいて、見るからにその辺の高校生と同じ様な暮らしをしている。それはそれで幸せと言ってもいいのかもしれない。……でもね、やっぱりアイツは本当の意味での『家族』っていうことを知らないんだよ」

 朱音は瑞希の身の上を簡単に告げた。さらさらと流れるような説明に、自分でも驚くぐらいだ。しばらくの沈黙が流れた後、美夏の口が開いた。

「瑞希君は捨てられたこと、今も恨んでいるのでしょうか?」

 同情するような、憐れむような瞳。おそらく瑞希の身の上話を聞けば、誰も彼もが浮かべるような表情だろう。

「さあね。私にはアイツの心までは理解はできない。同じ屋根の下に暮らしているといっても、所詮は他人だからね。でも、私もアイツに同じようなことを聞いたことはあるよ。『自分が捨てられたことどうを思う?』って」

「それで、瑞希君はその時に何を?」

「何て言ったと思う?」

 美夏は不意に朱音から返された質問に口をつぐんでしまう。押し黙った美夏はもし自分が同じ立場だったら……とわが身に置き換えて想像の枝葉を広げていく。

 孤独な環境。

身体に走る激痛。

ひもじい思い。

そして、自分が助かる道を探して迷い続ける日々……。

 ――やっぱり、恨むんじゃないかな……。

 考えてみてそう結論付ける。哀しいことではあるが、仕方がない。捨てられ、虐待を受けた身で周りには助けてくれる人もいない。正真正銘の「孤独」。自分とは比べ物もないほどに過酷で凄絶な状況で生きてきた瑞希を、美夏はこの時初めて知った。

「私なら、やっぱり恨んでしまうと思います。言葉は悪いのかもしれませんが、『なんでこんなことになったんだ』って」

「それが普通さ」

 美夏の言葉に、朱音はひどくあっさりと答えた。しかし、一瞬のうちに朱音の顔がにやにやとしたどこか含みを持たせる顔つきへと変わる。

「でも、アイツはこう言ったんだよ。――『感謝している』ってさ」

「えっ?」

「アイツの答えだよ。普通なら恨んで恨んで殺そうかとも思っても仕方ないと言える状況の中、アイツはこともあろうに『感謝している』って答えたんだよ」

 朱音は昔、同じことを瑞希に聞いたことを思い出しながら語り始めた。あの時の自分も、今目の前にいる美夏と同じような顔をしていたのだろうかと少し感傷に浸りながら。

「感謝? 自分は捨てられ、残酷な仕打ちを受けたというのに、ですか?」

「あぁ。『子供を捨てる』ってのは、必ずしも褒められたことじゃないし、親として最低の行為だ。けど、アイツは『どんな最低な奴でも、そいつがいなきゃ俺は生まれてすらいない』って言っていたよ。生まれなきゃ私にも会えなかったし、自分のそばに誰かがいることの大切さも分からなかったって」

 噛んで含めるように、朱音は言った。それはまるで自分にも言い聞かせるかのように。

「アイツに言わせれば、『確かに捨てられて施設に放り込まれて、虐待も受けた。でも、それは言い換えれば、普通とはかけ離れた、特別な経験を積めた』ということらしい。日常は退屈で、未来は平凡。けれど――生きることはこれ以上ない刺激的なこと、だってさ」

 朱音はニヤリとシニカルに笑い、「最近はちっこくてうるさい、ウチの住人も二人いるしな」と冗談交じりに付け加えた。その視線の先には、今も無邪気にお菓子を頬張る葛葉と結の姿がある。

「生きることは刺激的、か……。それは、私にも言えることなのでしょうか?」

 美夏は、自分の身体に視線を動かしながら、ぽつりと呟いた。それは心からの独白なのか、今にも泣き出しそうな顔を浮かべていた。



 結は朱音の口から語られる瑞希の過去を聞き、あの時感じていた違和感の正体が分かったかのように思えた。

 ――親から捨てられた存在。

だから「家族」といえどもその縁のつながりは弱くて脆かったのだ。

 ――愛情を注がれることなく育った。

だから他者と結びつくことでそれを代替させようとした。瑞希のその想いが強いからこそ、あんなにも縁は多かったのか。

 結はそれを誰かに語ることもなく、ひっそりと胸の内にしまいこんだ。隣にいるの葛葉(おねえさま)はどう思っているのでしょうか、とちらりと見やると、それまで一心不乱にテーブルの横でお菓子を頬張っていた葛葉がピタリとその手を止めていた。

「……お姉様?」

これまでの話を聞いて何かを思うところがあったのか、葛葉が暗い顔をのぞかせている美夏にぐいっと近づきその顔をのぞき込む。

「美夏……友達とは、お前が言う『意味』や『定義』という確かなものを求める存在なのか?」

「えっ?」

 不意に、しかも思ってもみなかったところから問いかけられた葛葉の言葉に、美夏は目をしばたたかせた。

「モロロのことは朱音が言っていたことで分かった。私も一人だったからな。『誰かがそばにいる』ということの大切さは嫌でも知っている。それよりも問題なのは美夏、お前だ」

「わ、たし……?」

 まるで医者から余命宣告されるような、そんな感覚。

「先ほど美夏が言っておったではないか。自分の周りにいた者はみな『自分の利益になるかどうか』という単純なものさしで人を判断して利用しようとする、とな。確かに自分の利益や不利益で線引きをする関係もあるだろう。だが、そんな損得勘定で成り立つ関係を友達と呼ぶのか? イヴはそんな損得の関係から解き放たれた関係を得たいから造った友達ではないのか?」

「うん……。そう思っていたわ」

「では、そんな自分の大切な想いを他人が勝手にどうこうする理由なんてあるのか? 親だからいいのか? 親だって人間だ。では、血のつながりが特別か? それは人間が勝手に作った区分だ。大切なものは――『自分は何をしたいのか?』という強い想いではないのか?」

「――っ!」

「さらに言えば、友が間違った方向へと進んでいるのをただすのもまた、『友達』の役割ではないのか? ましてやイヴは家族のようなものなのだろう? ならば壊す以前に、悪いことをしているイヴを叱り、『進むべき道を正す』ということがまず必要なのではないか? 私もモロロと同じように一人だった。だから分かるのだ。家族がいること、誰かとつながっていることの大切さが。それは誰もが当たり前のように持っているものだ。普段なら気づくことはないだろう。だが、見捨てられた者や一人寂しく生きていた者にとっては、そのつながりはかけがえのないものだということを誰よりも知っているのだ」

「お姉様……」

 美夏はぽろりとこぼした葛葉の言葉を、ただじっと聞いていた。今にも泣きそうな顔を必死でこらえ、膝に置いた手をギュッと握りしめながら。

 そうだ。――でも。

「安心しろ」

 気づけば朱音が美夏の頭に手をあてながら、力強く声をかけていた。

「アイツは一番『家族』とか『友達』という言葉からかけ離れた存在だ。けれど、だからこそその大切さが分かっている」

 見回せば、ふっと葛葉や結、朱音が微笑んでいる顔が見えた。美夏は自分の中に、心の中に、何かあたたかいものでゆっくりと満たされていく感覚がした。

そして――今までギリギリ保っていた何かが切れた瞬間、

「う……うわあああああぁぁぁぁ……!」

その時、美夏の中で何かが弾けた。

「今まで大変だったろ? 周りに合わせて自分をひたすら押し殺して。でも、辛かったら周りを頼るぐらいは覚えなさいな。背伸びする必要も、理由もないんだから」

「は、はい……」

 ぽたぽたと膝の上に涙が落ちた。朱音がくしゃりと撫でるその手の下には、いつものような背伸びした子供ではなく小さくか弱い女の子がいた。

「美夏……大丈夫か?」

「大丈夫ですか?」

 突然泣き出した美夏に、葛葉と結が揃って顔を覗き込む。本当に自分を心配そうに見つめてくれるその瞳に、美夏の心がふっと軽くなったような気がした。

 あぁ、なんだ。簡単なことだったのね……。

「うん、ありがとう。もう大丈夫」

 私にもいた。

「ねぇ、葛葉ちゃん結ちゃん……」

「うん? 何だ?」

「何でしょうか?」

 揃って首をかしげる葛葉と結に、美夏は、

「私の〝本当の友達〟になってくれる?」

 勇気を出して問いかけた。

 美夏の問いかけに、葛葉と結はお互いの顔を見合ってから、当然のように断言した。

「何を言っておる。もう私と美夏は友達ではないか!」

「そうですよ。私もお姉様と一緒です!」

「――ありがとう」

 美夏はその出来過ぎた頭のせいか、今まで「友達」や「家族」について難しく考えていただけだったのかもしれない。そう。友達なんてものは頭で考えるものじゃない。答えなんて、定義や意味なんてものも必要ない。

 ただ必要なのは互いの『心』――ただそれだけだった、と美夏はこの時始めて気が付いた。

「どうかしたのか? モロロが何か美夏にひどいことをしたのか? そうなのだな!」

「まったく、許せませんね」

 美夏は自分を気遣ってくれる葛葉と結に心から感謝した。

「姉ちゃん、持ってきたぞ? とりあえず時間がなかったから簡単なサラダとかサンドイッチぐらいしかできなかったけど……」

「モロロっ!」

 トレイを持って入って来た瑞希に、葛葉と結がギロリと鋭い目で睨んだ。

「あぁ? 何だよ」

 テーブルにトレイを置き、出来上がったサラダやサンドイッチを並べる瑞希に、

「美夏を泣かすなああああぁぁぁ!」

「ちょ、ちょっと待てって……ぐぼはぁ!」

 葛葉と結のダブルパンチが瑞希の臓腑を抉った。

「な、なんで……」

 二人に殴られて倒れる瑞希を眺めながら、朱音と美夏はくすくすと笑い合っていた。



「お願い。イヴを……あの子を助けて」

 先輩は真っ直ぐに俺を見ながらそう言って頭を下げた。

「俺はもとからそのつもりでしたけど」

 葛葉と結の二人に殴られたところをさすりつつ、俺は答えた。

 つーか、お前ら思いっきり殴るなよ。青タンできたらどうするんだよ。

「でも、どうする? 助けるにしても何にしても、イヴは人間じゃないだろう」

 姉ちゃんが言う通りだ。イヴはALで実際に助けを求めている人間というわけではない。加えて先輩の親父さんが壊そうと動いている今、時間が限られているといってもいい。

「そうですね……。なんとかイヴのもとへアクセスできればいいのですが、以前イヴにアクセスしていた端末にはお父様がいますし……」

 これは間違いない。先ほど先輩が部屋に戻ってイヴにアクセスしようと試みたが、部屋の前には先輩の親父さんが呼んだ研究者の人が張り付いていて触らせてもらえなかったらしい。

「なぁなぁ。モロロ、イヴのところへ行くのか?」

「あのなぁ、イヴのところに行くって簡単に言うけどな。その会いに行くっつうのが問題なんだっての」

 俺のとなりでくいくいと袖をひっぱる葛葉に、俺は頭を掻きつつ答えた。葛葉にALという存在を説明するのも面倒だ。

「なら、早く行けばいいではないか」

「だ・か・らぁ~、その『会いに行く』のが問題なんだよ。イヴはここにはいないんだぞ?」

「そうよ、葛葉ちゃん。イヴはね、『ネットワーク』というこことは違う場所にいるの。そこには簡単に行ける場所じゃないのよ」

「そうか……。イヴには会えないのか」

 しゅん、とうなだれる葛葉に、先輩が優しく「ごめんね」と謝った。ふるふると首を振る葛葉に俺は――あれっ? と少しばかりの違和感を覚えた。

「ちょっと待て。葛葉、お前どうしてイヴのことを知っているんだ?」

 そうだ。考えてみれば、俺は今日初めてイヴという存在を知った。

 ――でも、なぜコイツは、葛葉はイヴという存在を知っているんだろうか? まるで以前にイヴと出会っていたかのように普通に俺達の会話に入ってきたし……。

「うん? どうして、と聞かれてもな。私とイヴは友達だからだ」

「友達? それってまさか……お前はイヴと会ったことがあるのか?」

「まぁな」

「それっていつだ?」

「ふぇ? モロロが『テレビの中で遊ぶのを止めろ!』と言った日だが」

 瞬間、俺の中で何かがカチリと音を立てて謎が解けていった。例えるのなら、それはパズルのピースを嵌めるように、絶妙な形と音。

 そして完成された絵柄は俺に一つの打開策を提示してくれた。

「あぁ……。そうか、そうだよ。その手があった……」

「ね、ねぇ……。瑞希君、どうしたの?」

「モロロ?」

 ふらふらと身体が揺れる俺を心配してか、先輩と葛葉が心配そうな視線を俺に投げかける。


 ――そうだ、俺は簡単なことを見逃していたんだ。もし、葛葉の言うことが本当なら。


「先輩、行きましょう!」

「行くって、どこへ?」

「――イヴのところへ、ですよ」

 俺の言葉に「?」を浮かべる先輩だが、構っているヒマはない。

「葛葉、俺達もイヴのところに行けるか?」

「それは聞いてみないと分からぬが……」

「頼むっ!」

 葛葉の肩を掴んだ俺はなりふりかまっていられずに頭を下げた。こうなったらコイツに賭けてみるしかない。

「分かった! やってみよう! ――なんたって私は神様だからな!」

 葛葉の力強い頷きに、これほど頼もしい存在がいたことに、俺はこの時初めて心から感謝していた。

「えっ? ね、ねぇ瑞希君……私話がまったく見えてこないんだけど……」

「この愚弟が。美夏ちゃんに説明してからだろうが」

 後ろでぽかんと呆ける先輩とその隣でため息をつく姉ちゃんに、俺はふっと頬が緩んだ。時間がないのは分かっている。けれど、そんな緊張感とは別にこれからのことを考えただけで、なんだか楽しくなってしまったから。



「えええええぇぇぇっ! 今度は人間も一緒にあそこに連れて行けと?」

「無論だ。お前たちとしてもこの状況は放置できないだろう?」

「そりゃあそうっスけど……」

 俺達四人の目の前に浮かぶ白い小さな竜――確か、「ハク」って言っていたっけ――は、ちらっと俺や先輩に視線を向けるとすぐにうつむいた。やっぱり抵抗があるのか、相当に悩んでいるらしい。

 ……まぁ、冷静に考えてみればハクにとっては自分がいる世界が、場所が今まさに問題になっているようなもんだしな。


 葛葉が準備をしている間に、俺は葛葉と結が実は「神様」なのだと明かした。

「瑞希君、いくらなんでも……」

 とマジで引かれた時はどうしようかと思ったが、こうして葛葉が竜を呼び寄せたことを見るとさすがに否定はできないのか、先輩も納得したらしい。

「でも姉さん、神様ならまだしも今度は人間ですぜ? 正直マズくないですかね」

 なおも渋る葛葉の申し出に、俺はいてもたってもいられずに口を出した。

「そこをなんとか頼む!」

 俺は頭を下げた。俺だってこんな風に葛葉の力を借りなきゃイヴを助けられない自分の力のなさに泣けてくる。けれど、嘆いたって始まらないんだ。誰かが救ってくれるわけじゃない。英雄なんていやしないんだ。

「イヴは……アイツはまだ生まれたばかりだ。それを人間の勝手な都合で壊されるなんて見てられないんだよ。……見捨てられた時のあのみじめさだけはアイツに味わってほしくないんだ」

 親に捨てられたあの日。俺は何をされたのか分からなかった。

 虐待にあった辛い記憶。俺は自分が悪いとただひたすら責めた。

 けれど、それは誰かが救ってやらなきゃならないことなんだ。

「なぁ頼むよ! 力を貸してくれ! 俺達はただイヴを、アイツを救って、守ってやりたいだけなんだ」

 俺は何度もそう言って頭を下げた。人生でこんなにも頭を下げたのは初めてなんじゃないかと思えるほどだ。他人から見れば、「お前にはプライドがないのか」と笑ってけなされるかもしれない。ヤジも飛ばされるかもしれない。

 けれど、そんなことはどうでもいい。言いたい奴にだけ言わせておけばいい。俺は、俺達にはやるべきことが今目の前にあるのだから。必死になってすることがあるのだから。

「……わっかりましたよ! 本当にいいんっスね! ただし、責任は持たないっスよ!」

「本当か! サンキュ! マジありがとう!」

 小さな白い竜はそう呟くと、ネットワーク――イヴのいる場所へとつながるゲートを開き、俺達をゼロとイチの世界へと案内した。

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