003 テレビに映るあの子は誰だっ!
「美夏、どうかしましたか? 九分三十七秒前から『データ』の更新が行われていないようですが……」
美夏の目の前にあるモニターからやけに事務的な声が響いて来た。彼女は先ほどまで目の前にあるパソコンに向かい、何かに追われるかのようにキーボードを叩いていた。
今はその手を休め、どこか上の空といったようにぼうっと自分がいる部屋を眺めている。
そこは薄暗い部屋の中だった。
辺りにはかすかに明滅を繰り返すモデム類や蔦のように四方に伸びる、ぐにゃぐにゃとしたケーブルがうっすらとその存在を訴えている。
「――ううん、別に。ただ、『友達』って何なんだろうって思って」
美夏は何の気なしに呟いていた。モニターには美夏よりも幼い女の子がいる。正確に言えは、美夏と瓜二つの顔立ちで、美夏よりも幼い少女といったところだろうか。
やや時間を置いてから、その少女からひどく抑揚のない機械的な声が響いて来た。
「それは意味、ということですか? それならば――」
流れるように説明しようとするモニターの女の子に、美夏は静かに首を横に振った。
「違うわよ。そんな探せばすぐに出てくるような、辞書的な意味じゃないの。もっと個人的な……何というか、その人にとっての『定義』みたいなものかな」
上手く言葉にできないのか、美夏は少し苦笑しつつ答えた。
「個人的な定義、ですか……。すみませんがそういったことについては、現在の私ではその問いに答えることができません」
申し訳なさそうに礼をするモニターの女の子に、美夏は「別にいいよ」と微笑んだ。美夏は目の前の女の子が自分に納得できる答えを最初から求めてはいなかった。
そう、この子はまだ何も知らない。
なぜなら――まだ「生まれてまだ間もない」のだから。
「御嬢様、そろそろ……」
「あっ、はい。今行きます!」
コンコン、とドアがノックされる音が響き続いて落ち着いた声が聞こえてくる。その声に反射的に顔を上げた美夏はドアの方へと振り向き、返事を返す。
「……美夏、今夜もパーティーですか?」
「うん。お父様の付き合いでね」
視線を再びモニターの少女に向け、美夏は自分の思いが伝わらないよう出来る限りそっけなく答えた。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「これまでの美夏の表情から分析するに、今の美夏は『どこか沈んでいる』と判断できます」
「うん……ちょっと、ね……」
美夏はモニターの向こうにいる女の子に悟られないように気を遣ったが、どうやらそれも無駄だったらしい。相手から指摘されると、美夏はどこか物悲しげな表情を浮かべた。どこか影が差したその表情からは、普段学校にいるの時に見せるようなお淑やかな笑みは消えている。
美夏はポケットから携帯を取り出し、カレンダーに登録してあった今日の予定を呼び出した。携帯のその小さな画面には、『二十時半 晩餐会 @クイーンズタワー』と表示されている。
「はぁ……」
その予定の書かれた画面を見ているだけで、思わずため息が出てしまう。
美夏はこの夜、両親と一緒にとあるパーティーに出かける予定となっていた。どうやら美夏の父親が懇意にしている人が主催するものらしく、経済界で活躍する人物や大企業の重役、果ては繋がりのある代議士までもが出席する大きなものらしい、と美夏は父が嬉しそうに話しているのを耳にしていた。
本当、お父様はそのことばっかり……。
どれだけ成績が良くて周囲から慕われていても、美夏の父は「そうか」としか言わなかった。実の娘が頑張っているにもかかわらず、気にもとめようとしないその態度に、幾度落胆させられたことだろう。
「今日はもうデータの更新ができないけれど、明日から少しずつとりかかるから」
美夏は沈んでいた気分を無理矢理切り替え、モニターの方へと向き直した。苦笑する美夏に、モニターの中の女の子は「構いません」と静かに告げた。
「私には美夏が組んだ『自己進化プログラム』があります。そのプログラムを使用するならば、人間の実地的な感情をインプットすることはできませんが、ネットワークを利用し疑似的な『感情』を構築することは可能と判断できます」
「ただ、それでも得られるのは映像や文章から推測・判断して造り上げたものでしょう?」
「はい。ですからこれは美夏がデータ更新するまでの一時的な措置となります。ですが、美夏が更新をかけた際に、私の方でも自己進化プログラムで構築したものと、美夏が入力したデータをもとにその差異を比較検討し、私の方としてもプログラムをより効率化させることができます」
「そう。分かったわ。それじゃあ私は行くけれど、後はお願いね」
美夏はそんな言葉を残してモニターの前を離れていく。扉の向こうには今か今かと美夏が出てくるのを待っているメイドの姿があるのだろう。
「分かりました。……行ってらっしゃいませ、私の創造主」
「ありがとう――イヴ」
美夏の言葉と同時にモニターの中の女の子、イヴはぺこりと折り目正しいお辞儀を返した。
◆
イヴから離れて一時間と少し。美夏は予定通り、クイーンズタワーのとある大きなフロアで開催されているパーティーに出席していた。
財界人や代議士が集まる、いわゆる「セレブ」と呼ばれる人々が一同を介するような煌びやかなパーティーも、美夏にとってみればなんのことはない見慣れた光景だった。
天井からは見事なまでのシャンデリアが吊るされ、床も精緻な模様が描かれその丁寧な仕事ぶりが光る絨毯が敷き詰められている。鼻をくすぐる料理の匂いは、一流ホテルで出されるものと同じものだ。テーブルに並べられた数々の料理は、匂いだけではなくその盛り付け方や色、見た目までも計算されているように思えてならない。
そんな華やかな会場の中で、どこか一人ぽつんと取り残されたように歩きまわる美夏だった。世間を圧倒する複合企業――『阿久津重工』の社長令嬢にして自らも天才的なプログラマーである美夏は、幼いころからこういったパーティーに出席していた。
「それでは、ごきげんよう」
美夏は恰幅の良いとある大企業の社長と少し会話したのち、すぐに会場の端へと歩いていた。一緒に参加している父親の方を見ると、笑いながらどこかの代議士らしき人物と話している。
いつになったら終わるのかしら……。
いっそのこと今すぐにでも帰ろうかとの思いが美夏の中によぎる。集まった人たちは思い思いに会食を楽しんでいるように見えたが、美夏はそれらと一線を画すようにどこか沈んでいた。もちろん美夏と同世代だろうと思われる人もいたのだが、彼らもまた父親と同じように強力なコネクションを持つ人物と話をしている。
「失礼、貴方は……かの阿久津重工の美夏さんでは?」
「はい、何でしょうか?」
美夏が呼びかけられた方を見ると、目の前にはブランド物のスーツを見事に着こなしている一人の若い男性がいた。向こうは自分の名前を知っているが、美夏はこの男性の名前も知らなければ面識もない。しかし、警戒心をそれと見せることなく自然にかつ笑顔で対応する。
幼いころからこのようなパーティーに出席し、自分と倍以上の年齢の人間と数多く接している美夏だからこそできる技術だった。
しばらく会話をした後、男性は去っていった。また一人になった美夏は窓から見える夜空を眺めながらグラスを傾ける。
あの時は本当に「愉しかった」な……。
美夏の胸中には、この前瑞希と彼の友達(+親戚の幼い子供)で行った学校の昼の放送を流している場面がまざまざとよみがえっていた。
確か、葛葉ちゃんって言っていたっけ……。
今も彼女の笑った顔は思い出せる。校門近くで倒れていた彼女を見つけ、「お弁当を届けに来たのだ」と美夏に案内を頼み教室まで連れていった。
普通ならば目的地に連れて行った時点で「ありがとう」と言って終わるところだろう。
だが――
『面白そうなことは、皆でやるべきだ!』
そう言っておもむろに美夏の手を引っ張り、葛葉は瑞希の後を追ってかつ放送に乱入した。突然巻き込まれた美夏だったが、後から思えば自分でも楽しんでいたことに気づく。
葛葉の強引な態度。
瑞希の慌てっぷり。
突然巻き込まれた自分。
「ふふっ……」
思い出しただけで自然と笑みがこぼれた。たぶん、ここにいる人達なら、「そんなもの、社会の何に役に立つんだ」と言って切り捨てるようなものだろう。
思い出して、笑って――美夏は改めて気づいた。
「あぁ、私……」
友達が欲しかったんだ。
◆
葛葉を拾って数日経ったある日のこと。
「それじゃあ行ってくるわ」
俺はいつも通り、学校へと向かうために家を出た。玄関先では葛葉と結が並んで俺を見送ってくれていた。
「うむ。勉学は学生の本分だからな。しっかりやれ!」
「お姉様の言う通りです。ちょっとはその足りない頭をマシにしてきてください」
一言多いんだよ、結。お前等は学校の授業がどれほど退屈でつまらなくて眠くなるものなのか知らないからそんな事が言えるんだ。
俺は心の中で悪態を付けつつ、ふと「一度コイツらを授業に参加させてみようか……」と思ったが、その案はすぐに却下された。
……ダメだ。コイツらが来たら、それこそ授業どころじゃねえ。
俺は脳裏に一瞬浮かんだカオスな妄想を、頭を振って追い出した。
「外に出るならカギはきちんと閉めろよ。それから――」
「あぁもう分かっておる。それより、時間はいいのか?」
こまごまとまるで遠足に行く際の注意点を告げるような先生の俺に、葛葉は「言われなくても分かっている」と言いたげな顔をした。
……でもなぁ、この前学校に来た時は家を閉めずに出てきただろ。
この前、というのは葛葉が最初に俺の学校に来た時だ。あの時コイツは物騒にも家のカギを閉めずに出てきたらしい。帰ってきて家のカギが閉められていなかったことを訊ねた際、葛葉はこともあろうに「家にカギなんてかけるのか?」と問い返してきた。
その言葉を聞いて、俺はゆうゆう三秒ほど硬直してしまったのはココだけの話だったりする。
「うわっ、ヤベっ!」
そろそろ出ようかと時計を見ると八時を過ぎている。この時間に家を出ると、たいてい決まってダッシュであの地獄坂を上るハメになる。
慌てて出ていく俺に、葛葉が「やれやれ、せわしないやつだな」と愚痴をこぼす。
……いや、こうなるのもお前がいるからだって。
「よぅ、お疲れ」
「お疲れ」
ぜーはーぜーはーと息を切らして教室に入って来た俺を、先に来ていたトモと純が俺の見事な健闘を湛えてくれた。予想通り、俺はあの長くてキツイ地獄坂をダッシュで駆け上がり、予鈴が鳴る中教室へと滑りこんだ。
間もなく担任の先生が教室へと入って来て、出席を取った後SHRが始まる。朝のハードな試練を乗り切った俺に、隣の席に座っていたトモが不意に話しかけてきた。
「なぁ、お前のところの親戚……葛葉ちゃんに結ちゃんだっけ? あの子たちって、どっかの芸能事務所とかプロダクションに所属していたりするのか?」
「はぁ?」
いきなり何だコイツは。こっちは朝の試練をギリギリでくぐり抜けて疲れているっつうのに、何でそんな知りもしないことを聞かれなきゃならないんだ。
「なぁ、どうなんだよ?」
「俺はそんなものは知らないし、聞いたこともねえよ。第一、あの二人はまだ子供だろうが。テレビに出るなら、そういった契約は親なり何なりに話を通すのが筋じゃねえの?」
これは紛れもない事実だ。普通に考えれば、まだ幼い子供がテレビに出るためには親に話を通したり承諾を得たりする必要がある。これは姉ちゃんから聞いた話だが、そういった契約は子供である本人と契約しても法律的に無効となるケースが多いんだとか。
……でも、何でいきなりこんな話題が?
「まぁ、そりゃそうだよなぁ……。まぁ身近にいるお前が知らないって言うのなら、これは別人なんだろうさ」
「いきなり何なんだよ。こっちは疲れているっつうのに」
「悪い悪い。でも、ちょっと確認しておきたくてさ」
苦笑いするトモに、話題への興味が湧いたためか、俺は訊ねてみた。ちらりと教室にあった時計を見やると、まだ授業開始までは少し余裕があるようだ。
ちょっとだけ聞くなら問題ないだろう。まぁ授業が始まれば適当に切りあげればいいしな。
「それで? 何でそんな事を聞くんだよ」
「実はさ、今ネット上で騒がれているんだよ。『あの子は誰だ!』ってな」
「ふーん」
「俺が気になって集めた情報によると、ネットの掲示板に『テレビの画面に時折〝巫女服と紺色の衣に同色の紺袴を着た小さな女の子が出てる!〟』って書かれているみたいでさぁ。なんでも、CMとかで新発売のお菓子を食べたり、新発売のジュースを飲んだりしているらしいぜ」
……うん? 巫女服に紺色の衣? 小さな女の子? はて……どっかで見たことあるな。
俺はその書き込みの内容が引っ掛かったものの、あえて口には出さずに話を進めた。
「へぇ~。でも、それってCMじゃん? いわゆる放送事故、とかじゃないのかよ」
「う~ん、事故って言い切るのはなぁ……。まぁ、口で説明するよりも見た方がいいかもな。ちょうど携帯に動画を保存しているから見てみろよ。……ほれ」
そう言って差し出されたトモの携帯の画面をみると、何かのCMなのか、俺でも知っている芸能人が新発売のジュースをおいしそうに飲んでいるのが見えた。見れば見るほど普通にお茶の間で流れるようなCMだった。
だが――瞬間俺は吹いた。
俺が見ていたその動画。その端からどこか見慣れた二人組の女の子がきゃいきゃい騒ぎながら普通に映っているではないか!
一人はギャグとしか思えない巫女服姿の幼女。
もう一方は紺色の衣に同色の袴を着た幼女だ。
『おぉ、うまそうだな! ちょっと飲んでみるか!』
『いえ、まずはこの私が毒味を!』
言った瞬間、紺色の衣を着た女の子がジュースの缶をかっぱらう。手に持ったジュースを口に当て、イッキ飲みをかます姿は風呂上りにビールを飲むオッサンを思わせるようだ。
『ああっ! 何をする!』
『お姉様に害があっては元も子もないですからね。調べさせてもらいました』
『ほとんど残ってないぞ……』
そんな感じで、トモから見せてもらった動画には、その二人組の女の子がお菓子を食べたりカレーを食ったり……と好き勝手に「遊んで」いる様子が流れていた。
「なぁ? 見れば見るほどお前のところの葛葉ちゃんと結ちゃんにそっくりだろ?」
そっくりも何も……。おそらく、いや確実にあの二人だし。
「それでさ、数多くの人間が制作会社に問い合わせたらしいんだけど、不思議なことに『撮影している時点では、そのような二人組の女の子は見たことがない』ってどこも言っているらしいんだよ。事の不思議さに加えて二人の可愛さもあって、今やネットユーザーは血眼になって二人を探しているみたいだぜ?」
自慢げに話すトモをよそに、俺は冷や汗が止まらなかった。
超ヤベエ。これ……モロ葛葉と結じゃん!
俺の知らないとこでこんな大事になっているとは!
「へ、へえ~、そそそ、そうなんだ……」
俺は若干声が裏返りながら、冷静に携帯をトモに返した。
――おぃ、葛葉っ! 結っ! お前ら俺のいないとこで何やっているんだよ!
◆
「う~ん、つまらん」
瑞希がトモの動画を見て驚いていたと同じ時刻。自分がどれだけネットで騒がれているかも理解できていない葛葉は、先ほどプレイしていたゲームもすっかり飽き、リビングのソファでごろごろと寝転がっていた。そんな葛葉の隣ではせんべいをばりばりと頬張り、茶をすする結がいる。
葛葉はテレビから視線を動かそうとしない結に向かってぶつぶつと「ヒマだ」「つまらん」などと不満を漏らす。
また始まった、お姉様の『病気』が……。
いつも葛葉の近くにいて、葛葉のことを「お姉様」と慕う結だからこそ分かる。こんな風にじとっとした目でごろごろジタバタし始めたら、それはいつもの葛葉の「症状」だと。
……しかも末期症状ですか。
結は今の葛葉の病気がどれほど深刻なものなのかも同時に見抜いていた。こうなれば、何を言っても変わらない。結は心の中で小さくため息をついた。
「お姉様、またですか? 飽きやすさはもちろんお姉様の魅力の一つですけど、度が過ぎると単なる子供にしか見えませんよ?」
「仕方がなかろう、コキ使えるモロロは学校に行ってしまったし」
うぅ~、とごろごろ寝がえりをうつ葛葉を無視して、結はテレビに映る芸能ニュースを眺めていた。「縁結び」という職業柄か、「誰と誰が付き合っている」というものや「誰と誰が結婚目前」という情報には敏感に反応してしまう。
「相変わらず人間という生き物は訳が分かりませんねえ」
パリッとせんべいを齧りながら、結はテレビの向こうに映るニュースをそんな風に思いながら眺めていた。
折角苦労して結んだ縁も、ヒトは簡単に切ってしまうのですから。
結は人の縁を司る神様だ。今までに数えきれない人の縁を結んできた結だからこそ「縁」がどれほど曖昧で弱くて強いものかを知っている。だからこそあの時の「異常」さも分かる。
あの下僕……。極端に縁が多い割に、そのどれもが非常に脆かった。あれは一体……。
ぐるぐると思考を巡らせた結は、「それに、今思えばあの下僕の『縁』はおかし過ぎる……」と一人呟く。
結は今まで数多くの人間を見てきている。それは「縁」にあっても例外ではなかった。通常、一人の人間が生涯をかけて紡ぐことができる縁の数には限りがある。結も経験上、どんな人間がどの程度の数の縁を潜在的に持てるか、ということは推測できる。
しかし、瑞希に限って言えば、結の予想を超え通常の人間よりも多くの縁(とは言ってもその大半は未だ眠っている状態ではある)があった。
「それは別に大きな問題ではない……が、あの縁の状態はハッキリ言って異常だ」
通常、人には多かれ少なかれ『縁の強弱』があるもの、と結は知っていた。「縁」が強いとは家族や親友といった類の縁がその代表的なものだ。本人と長い間顔を合わせ、言葉を交わしているのだから当然のことだとはいえる。
けれど。
――あの下僕……。『家族』であるはずの縁すら「弱く脆い」とはどういうことだ?
結はあの時瑞希の縁を掴んでいた自分の手のひらをじっと見つめながら、ふとそんな事を考えていた。
「結ぃ~。そんな難しそうな顔をしていたら、ますますこっちまで暗くなるではないか」
「あっ、はい!」
不意に葛葉から呼ばれた結は、ぐるぐると渦巻いていた思考を断ち切った。こうやって行き詰るネガティブな思考をしてしまう癖は、葛葉よりも幾分人間に近い場所で自分の仕事をしてきたからだろう。
気づけば今さっきまで見ていた番組は終わり、テレビ画面には硬い表情でニュースを読み上げるキャスターが映し出されていた。
「とはいっても、お姉様。まだ出かけるまで時間はありますけど?」
「そうだなぁ……。やっぱりあそこにいくか!」
ごろごろとソファを転がっていた葛葉は「よしっ!」と急に立ち上がると、メモ帳と赤いサインペンを取り出し、鼻歌を歌いながら嬉しそうに何かを書き始めた。
「あそこ……って、まさか!」
結が気づいた時にはすでに遅く、葛葉は『案内人』を呼び出していた。
「お姉様、怒られても知りませんよ?」
「何を言っておる! 『面白いことは皆でやるべき!』が私の信条だ。ここでただ時間を過ごすだけではなんの面白みもない。やるなら大胆に! かつ面白く、だ」
◆
「えぇ~っ? またっスかぁ?」
「まただ」
「ですね」
葛葉は目の前の小さな白い塊に腕組みしつつ頷いた。「超特急で来い!」と指定したためか、テーブルの上にぐったりと疲れて丸まる白い塊があった。先ほどの嫌そうな声はこの塊からだ。すると、白い塊から細長い線――いや、首がにゅっと出る。
葛葉が呼び出したもの――それは小さな白い竜だった。呼びだして早々うなだれる白い竜からは、まったくもってやる気が感じられない。
白い竜が視線を葛葉から外すと、目の前にはメモ帳と赤いサインペンが転がっている。おそらくそれらを使ってまた自分を呼び出したのだろうと察しがついた。
「だって、この前も『ちょっとだけ』とか言って散々暴れたじゃないっスか」
「で、でも……あの時は仕方なく」
「『仕方無く』でCMに勝手に現れてジュースをかっぱらうんっスか?」
「おいしそうだなぁ~、って思ったらつい、な……」
「はぁ……」
テーブルの上に現れた白き竜はそんな子供の言い訳としか思えない葛葉の言葉に呆れてそれ以上の追及はできなかった。
「もう、呼び出すのはいいっスけど、オイラは神様じゃないですから責任持てないっスよ?」
「分かっておる。お前は『精霊』だ。精霊は神よりも下位の存在。お前はおとなしく私の言うことを聞いておればいいのだ!」
「う~ん、まぁそうなんですけどね……」
確かに葛葉が言ったように、「精霊」という存在は神よりも下位に属する者たちだ。
いわば精霊とは「神の使い」とも言い換えられるもので、上――つまり神から言われたことは、可能な限り協力しなければならいといった義務も負っている。
「ならばいいだろう? 頼んだぞ、ハク」
「やれやれ、どうなってもオイラは知らないっスよ?」
ニカッと笑った葛葉に、呆れ顔の白い竜は、「それじゃ、オイラの尻尾を掴んで下さいね」と告げると、先ほどからつけっぱなしのテレビ画面へと潜っていく。
――いいのかな、神様がこんな適当で。
白い竜こと、電子精霊のハクは、そんな誰もが同じような事を考えるようなことを思ったが、言っても無駄だと悟るとおとなしく葛葉の要求に応えた。
◆
白い竜に引き連れられ、テレビの中へと潜り込んだ葛葉と結だったが、この日も前と同じように葛葉達はテレビの中に入っては散々引っ掻き回して遊んでいた(もちろん隣でその様子を見ていたハクは止めたのだが)。葛葉達はジュースを飲み、お菓子を食べ、時にはビールにまで手を付けた。
といっても、ビールは「何だこの苦い飲み物は!」と口をつけた瞬間放り出してしまったのだが。
「姉さん、誰かが俺らのことを見ているみたいっスよ?」
それは次の『新しい遊び場』へ移動しようかと歩いていた時だった。何かの視線に気づいたのか、急に口を開いたのはあの案内人――いや案内竜のハクだった。
「ふぁ? 何だと?」
葛葉がすぐに後ろを振り返るが、そこには誰もいない。葛葉はぶぅっと頬をふくらませ、不満げな顔をハクへと向ける。
「誰もおらんではないか」
「変ですねえ。確かに見られていたように思うんスけど……」
「ひょっとして幻覚でも見たんじゃないですか?」
なおも「オカシイなぁ……」と呟くハクを先頭に、三人はまた歩き出した。
「なぁ! このジュース、飲んでもいいか?」
「あぁ、それですか。確かこの前お姉様は飲めませんでしたから。大丈夫だとは思いますよ? 毒は入ってなかったみたいですし」
「ちょ、ちょっと! 姉さん方、見つかったらヤバイって何度言ったら……」
「うるさい! この前は結に先手を取られたからな! 絶対飲んでみたいんだ!」
そんな風に楽しげに騒ぐ三人を、遠くからイヴが観察していた。
――実に興味深いですね。
まるでストーカーにも似たしつこさで、視線の先にいる葛葉達を観察していたイヴはその様子を事細かに記録する。
この日も美夏が学校へと向かった後、イヴはいつものようにネットワークの中をさまよっていた。自分が自分として確かに存在できる証拠――感情を理解するために。
変化に気づいたのはそのすぐ後だ。
「ネットワーク内に無秩序に動くプログラムを感知。現在、アドレスナンバー30685976594から30899765986へと移動中……」
瞬時にこれはネットワーク内に潜むハッキングプログラムのような害悪の恐れがあるものかと分析、検討を開始。しかし、イヴはその移動の無秩序さに加え、プログラムのような機械的な動きがないことから、移動を追跡し対象を観察することを選択した。
そして、先ほど「無秩序に動き回るプログラム」と呼んでいた葛葉達を見つけたのだった。
最初は即刻削除しようかとしていたイヴだったが、しばらく様子を見ているうちにその結論は変化していた。
「さらなる観察を継続しなければ判断できませんが、あれは私と「同じ存在」ということでなのでしょうか……?」
イヴは葛葉を知らない。だからこそ「自分と同じ人工生命(AL)か?」との考えが浮かんだ。
だが――
「しかし、それならばなぜあのような『感情』が……?」
視線の先にいる葛葉達はどこからどうみても「愉しげ」であると判断できる。見せる表情、声の調子や挙動。そのすべてが「愉しい」との分析結果を裏付ける。
「なるほど。美夏と同じような人間がすでに私よりも高性能な『人工生命』を造り上げたということですか」
「――なにをうんうん唸っておるのだ?」
「はっ!」
気づけば葛葉達がイヴを取り囲んでいた。
――状況分析と演算処理で周囲への警戒がおろそかに……!
『攻撃される』と判断したイヴは、すぐさま隠蔽モードから警戒モードへと移行する。
しかし、イヴの予想に反して目の前の葛葉は、
「なぁ、お主は一人でここにいたのか?」
何もせず、ただじっと無邪気な顔でイヴを見つめるだけだった。
「あっ、は……はい」
正面切って「実は貴方達を遠くから観察していました」とは言えず、イヴはなかば押し切られるように葛葉の言葉に頷いた。
「ならば、どこか面白い場所へと連れて行ってくれんか? ずっとこの中にいたのだろう?」
「えっ? で、でも――」
私は感情を理解したくてここにいるのですが……。
「でももすももじゃないだろう。……すももはうまいがな」
「お姉様っ!」
隣の結がこほんと咳払いをして脱線ぎみの話題を修正させた。
「まぁ、何だ。とにかくどこかに連れて行ってくれないか? 私が呼んだ案内人は一向に動こうとしないのでな」
「ひどいっスよ! 姉さん方、いっつも『うまい食い物があるところへ連れて行け』って言うんですもん。さすがにここんとこ毎日引っ張られてくたくたなんですから」
「ほれ、こう言うんだ」
「しかし、私は――」
感情がありません。貴方のように「面白い」が分かりません。
そう言おうとするイヴに、
「ええぃ、じれったい! つべこべ言わずに、ほらっ! さっさと行くぞ!」
葛葉はまるで相手のことを考えずにおもむろにイヴの手を掴むと、嬉しそうに駈け出した。
「そう言えば、お主の名前は何だ?」
有無を言わせずに自分を引っ張る葛葉に、
「私は――イヴ。人工生命(AL)のイヴです」
それはイヴが美夏以外に初めて名乗った瞬間だった。
「そうか、イヴか。呼びやすくていい名前だな! 私は葛葉だ。そして……」
「どうも。葛葉お姉様をこの上なく敬愛する結です」
「自分はハクって言うものっス。よろしくっス」
葛葉の言葉に促されるように、結とハクが続けて自己紹介した。
「ほれっ! 行くぞイヴ!」
結とハクの自己紹介に「どうも……」と挨拶しようとしたイヴの手をぐいっと引っ張り、「早く早く!」と前を急ぐ葛葉。その強引な態度に呆れつつも、そのきらきらした目と嬉しそうに笑う顔を見ていると、どこからかイヴの中に何か温かいものが流れていく。
この温かいものは一体何でしょうか……?
イヴの中を温かいものが満たしていく。最初は何かのバグなのかと思い、自分の身体をスキャンするが異常は何もない。
「うん? どうしたのだ?」
「……いえ、何でもありません」
「そうか。では行くぞ!」
「はい」
イヴは葛葉に手を引かれるがまま、ゆっくりと歩き始めた。
◆
イヴは葛葉に手を引かれつつ、ネットワーク内を移動した。できうる限り葛葉の言う「おいしいもの、面白いもの」というリクエストに応えたいイヴだったが、その基準はひどくあいまいで感情を持たないイヴにとっては難しいものだ。
そこで、イヴは近々連休があることも兼ねて「連休中によく訪れる店やテーマパーク」のサイトを回った。
「今週末は連休がありますので、それを考慮して移動してみました」
「……連休とは何だ?」
「休日が重なっているということです。今週では金曜日・土曜日・日曜日と三日間の休日があります」
「休日が続く、ということなのか。……その日は当然、学校も無いのだな」
「そうですね。学校などの教育機関は、概ね休日ということもあって授業はありません」
これまでに集めたデータをもとに、淡々と答えるイヴ。その顔を見つめながら、葛葉はさらに問いかけた。
「なぁなぁ。そんな休みが重なった時は、人間はどんなふうに過ごすのだ?」
「そうですね。調査結果から推察するに、多くは『帰省』といって、実家に帰り自分の家族と顔を合わせたり、または遊園地や映画館と言った娯楽施設、もしくは都心へと外出したりとするようですが……」
「そういった連休、という時には『どこか遠くへ行く』ということが普通なのか?」
「多くは、ということです」
「そうか……」
意地悪そうにニヤリと笑った葛葉が何を考えているのか、イヴは分からない。
しかし、イヴの言葉を聞いた葛葉は「くっくっく……」と声を押し殺して笑っていた。
何か笑うほどの情報があったのでしょうか……?
イヴが再検索を実施してみるが、葛葉のような「面白い」という感情に結び付くようなものは見られない。
「お姉様、そろそろ時間ですよー!」
葛葉とイヴのやや後方から結の声が聞こえてくる。葛葉は「今行く!」と結の方へと振り向きざまに返事をし、再びイヴの顔を見つめた。
「そろそろ時間だ。私はこれからちょっと行くところがあるのでな。イヴとはお別れだ」
「はい」
「今日は楽しかった! また会おうな!」
「――えっ?」
思わずイヴが漏らした言葉。そのイヴの反応に、葛葉は「何がそんなにおかしかったのだ?」とでも言うような顔で軽く首をかしげる。
「何だ? 私と会うのは嫌か……?」
一瞬、しゅんと顔を下に向けた葛葉に、イヴは「いえ、そういうことではありません……」と弁解する。
「ならば、また会ってくれるか?」
「『また会う』ということは、私に好意があるということでしょうか?」
「好意がある、というのは分からんが、私とイヴはもう友達だろう!」
胸を張って堂々と宣言する葛葉に、イヴは一瞬固まった。
「とも、だち……」
「そうだ。それに、私だけじゃないぞ? 結だってあのハクだってイヴの友達だ!」
そう付け加えた葛葉は結にせかされてイヴから離れていく。
「また会おうな!」
「はい。私はいつもここにいますから」
笑って手を振る葛葉を、イヴは折り目正しい礼で見送った。
――友達。私にはその意味が分かりません……。
「ですが……」
何なのでしょうか。先ほどから湧きあがるこの温かいものは……?
イヴは湧き上がるものの正体が分からないまま、またネットワーク内を歩きだした。
「とも、だち……」
イヴは葛葉が言っていた言葉を繰り返し繰り返し再生させる。イヴは「友達」という言葉の意味は知っている。だが、それはあくまで調べれば分かるような辞書的な意味でしかない。
では、なぜあの子はそんな簡単に「友達」などと、堂々と言えたのだろうか?
「私は……」
知りたい。この温かいものの正体を。
知りたい。《感情》という複雑でいろいろなものを持つ存在を。
◆
その夜。
「てめー! コラ、葛葉っ!」
「うをっ! な、なんだモロロ。そんなに怖い顔をして何かあったのか?」
「『何かあった?』じゃねえぇぇぇ! お前、テレビの中で何しているんだよ!」
「何、って遊んでいるだけだ」
「ほほぅ、勝手にジュース飲んだり菓子食ったりすることがか?」
「い、いや……あれはついおいしそうに見えたから」
「人様のものを勝手に食うなっつーの!」
加えて今ネット上で大騒ぎになっていることを告げた瑞希は、葛葉と結に当分の間「テレビ出入り禁止令」を発動させた。
「そ、そんな! あんまりだ! 私の唯一の楽しみを!」
「だぁっ! いい加減にしろ。だいたい、こんなに騒がれるとお前のもとにたくさんの人が押し寄せるぞ?」
「それは願っても無いことだな! 私が注目されるのはいいことだ」
「別に本人がそうならそれでもいいけどさ。……ただ、お前が『神様』ってバレると『私の願いを叶えてもらおう』っていう連中がわんさかやってくるんじゃねえのか?」
「うっ……」
「そうしたらこんな風に自由に過ごせることなんてないと思うけど?」
「お姉様……。それはちょっとまずいですね」
葛葉にとって今の自由気ままな生活は何よりも大切なものだ。もともと神様の仕事が嫌でここにやってきたのだから、今さら逆戻りすることは何とか避けたいという思いが強かった。
「むむぅ……モロロのくせに」
「自分で招いた結果だろうがよ」
「……仕方無い、か。あーぁ、せっかく友達もできたのにな……」
「まぁ、静かにしてればそのうち会えるさ」
「モロロのバカが。イヴはあの中でしか会えんというのに……」
「お姉様……」
ため息と共に出た葛葉の呟きは、晩御飯の準備をする瑞希に届くことはなく消えていった。
◆
「よぅ! 今日も二人揃ってお出かけか?」
威勢のいい声が葛葉と結に掛けられた。今日も二人は一緒に瑞希の学校へと繰り出すために歩いて学校へと向かっている。今二人が訪れている場所は、ちょうど学校へと向かう道にある商店街だった。
頭上にある「西暁駅前商店街」と書かれたゲートをくぐると、そこは多くの人が行き交い種々様々な店が客を呼びとめては野菜や魚、生活雑貨などを売っている。葛葉達を呼びとめたのは八百屋の親父さんらしく、張りのよい声の後ろには色とりどりの野菜が並んでいた。
「そうだ! モロロの行っている学校は面白いからな!」
「にしても、その学校って電車を使えばすぐだろ? 何だって歩いていくかね?」
すでに葛葉と結は瑞希と一緒に何度も夕飯の買い出しに来ているため、向こうも顔を知っていた。親父さんが言うように、瑞希が通う私立秀麗学院高校は駅から数駅という好立地にあり、電車と徒歩で三十分ほどかければ行ける距離だ。
だがそれも電車を使えば、の話だ。実際に瑞希の家から歩いて学校まで行くとするならば、ゆうに一時間はかかる。
ましてや体格の小さな葛葉と結ならば、その時間は二時間を超えるだろう。
「うむ。そうすれば早く着くのだろうが、しかしゆっくり歩いてからこそ見える発見もある」
「偉いっ!」
すぐさまそう叫んだのは、八百屋の向かいにある文具店のおじいさんだった。
「なんだよ爺さん。葛葉ちゃんとは俺が話していたんだぜ?」
「けっ、そんなみみっちいことを持ち出すな。これだから最近の若いモンは……」
「……俺はもう四十代だけどな」
八百屋の親父さんはそう呟いて流した。この御仁は商店街の商工会会長も務める人で、いわば商店街の長といえた。杖をついて葛葉に近寄ると「ほれ」と飴玉を差し出す。
「おぉ! もらってもいいのか?」
「おぅ。お前さんはなかなか『粋』っつうモノを分かっておるからのぅ」
「う~ん、甘くてうまい! ありがとうな!」
飴玉を口いっぱいに頬張る葛葉は、八百屋の店先にあった張り紙に気づいた。その紙を見ると、「今週末の連休はお休み致します」と書かれている。
「連休はどこかに行くのか?」
「うん? あぁ、コレか。……まぁ休みだからな。普段は仕事だからたまには家族サービスをしろってことでさ。今度の休みに帰省するんだ」
「遠出をするということか?」
「まぁな。とこで葛葉ちゃんはどこかに行くのかい?」
「まだ聞いてはいないな」
「なんじゃ、休みなのに家でゴロゴロするだけなのか? もったいないのぅ」
大人達が「どこかに連れて行ってもらえ」と言う。だが、瑞希は葛葉に何も伝えていない。
「そういった連休は、どこかに行くものなのか?」
「そうだな。大概はそうかもな。せっかくまとまった休みなんだ。どうせなら久しぶりに遠くまで、っつうのが多いと思うぞ?」
「そうか……」
八百屋の親父さんの話を聞きながら、葛葉はイヴが言っていたことを思い出した。
『連休中は実家に帰り自分の家族と顔を合わせたり、遊園地や都心へと外出したりすることが多いようですが……』
「お姉様、そろそろ行かないと間に合いませんよ?」
大人と話す葛葉の袖を結がちょいちょいと引っ張り小声で呟いた。葛葉は結の忠告に軽く頷くと「では、行ってくる!」と告げて去っていった。
こんな風に小さな二人が外を歩いている様子は、商店街の名物となっていた。二人の特徴的な外見もあってか、葛葉と結はもはや近隣のアイドル的存在でもあった。
その証拠に、始めは弁当だけのスカスカなリュックも、商店街を抜けた頃にはぱんぱんに膨らんでいた。
「結、決めたぞ!」
「ふぇ? お姉様、何がですか?」
「この連休、私達も出掛けるぞ!」
地獄坂を目の前にした葛葉は、ニヤリと口元を歪めるとそう宣言した。
◆
「なぁ、モロロ。どっか連れて行け」
あの放送での一件以来、葛葉と結、俺と美夏先輩の四人で一緒にいることが多くなっていた。いつからか先輩からも「瑞希君」と下の名前で呼ばれるにまで進展している。
まぁ、これは俺が「師丘君、じゃなくて瑞希でいいですよ。みんなそう呼んでいますから」って言ったからだけれど。
そんなこの日も、屋上で昼食をとっていた俺達だったが、「明日から連休かぁ……」と呟いた時に葛葉が唐突に切り出した言葉がこれだった。
「はぁ……?」
「連休、ということは休みなのだろう? だったらお前はヒマなはずだ。学校も無いのだろう? だから、どっかに連れて行け」
まったくもって意味不明なことをおっしゃるこの小娘。
「意味分かんねえぞ。だいたい、俺はいつも家の仕事が忙しいの。なんでよりにもよって休みの日に疲れるようなところに行かなきゃならないんだよ」
「いいではないか! 私だってどこかに連れていってほしいのだ! それに私の『友達』が言っていたのだ。『連休はどこかに出かけるのが普通だ』と!」
なんつーワガママ。これじゃあ神様と言ってもそこらへんのガキと大差ない。その「友達」とやらはコイツのことが良く分かっていないらしいな。
「それに私はこの辺りのことしか知らんのだ! たまには遠出しても文句は出んだろう!」
「そうですよ。アナタにはお姉様の要望に応える義務があります」
どんな義務だ。
「だああああぁぁぁ! 連れてけ連れてけ! 私をどこかに連れて行けぇぇぇぇ!」
葛葉は手足をじたばたと振ってダダをこね始めた。もう見ているだけでうざい。自分達はいいよ。家事してないんだから。ちったあいつも料理して洗濯して風呂も洗って掃除もしている俺に感謝しろっての。
「なぁなぁいいだろ! 美夏も一緒に行くから!」
「わ、私もっ!」
自分は部外者だと思っていたのか、先輩が葛葉の言葉に急に声を荒げた。
「当たり前だろう! 何せ私の友達なのだから」
「とも、だち……」
つーか、お前先輩まで巻き込むなよ。
「どうせモロロと同じで休みだろう? どうせだったら皆で一緒に行った方が楽しいではないか! それになにより、『面白いことは皆で分かち合う』が私の信条だ!」
「…………」
面白いのはお前一人だけどな。そしていつも大変な目に会うのは俺、と。
……この構図、いつになったら変わるんだろうか?
「さすがですお姉様っ!」
結は結で完全にお姉様こと葛葉サイドなので取り付く島もない。
「えぇ~っと、先輩……?」
「はっ!」
俺の言葉に我を取り戻したのか、先輩はトリップから戻ってきた。
「ま、まぁいいんじゃないかしら。瑞希君、たまの連休だし、私も葛葉ちゃん達を見るから」
ええええぇぇぇぇ――っ? 先輩まで?
照れくさそうに笑う先輩も、どうやら葛葉に言いくるめられた様子だ。数の上では一対三。分が悪いどころか、これじゃあ負け確定だ。
「それじゃあ一緒に連休を楽しもうぞ!」
こうして俺の「ひとりでぐだぐだ」する連休は水の泡と消えましたとさ。
うわーん! 俺に安息の日というものはないのかよ!
……あるわけないよな。ガクッ。
◆
「美夏、何かいいことでもあったのですか?」
「えっ? べ、別に何でもないわよ?」
イヴはモニターの向こうで嬉しそうにデータを更新する美夏を見つめてそう問いかけた。イヴにはまだ「嬉しい」という感情は分からない。そのように判断できたのは美夏の表情やしぐさ、声の抑揚から分析をかけた結果として導き出したものだ。
――そういえば、美夏のこのような嬉しそうな顔を見たのは初めてでしょうか。
ふと、イヴはこれまでに見た美夏の過去の表情を解析した。データとして残るそれらの表情のどれもが「嬉しい、もしくは愉しい」と分析できるものではない。
一般的に嬉しいことがあったということは、その背景に当事者にとって何らかのプラス的な出来事があったと推測できますが……。
「隠しても無駄です、美夏。私とあなたが一体どれほどの時間向き合っていると思っているのですか? 過去の美夏の表情を解析し、現在のあなたの表情を比べると、何らかのよい出来事があったと判断できるのは容易なことです。具体的に述べますと、今の貴方の表情は頬にある頬筋、咬筋、大頬骨筋がそれぞれ普段の時より三十%も活発に動いていますし……」
「あぁっ! 分かったから! そんなに具体的に言わなくてもいいわよ」
「……失礼しました。それで、一体何があったのですか? 私はこんなにも貴方が嬉しそうなことに疑問を抱きます」
淡々と告げるイヴに、美夏はちょっと照れくさそうに「実はね……」と前置きした上で、
「今度、葛葉ちゃんたちと一緒に遊園地に行くのよ」
「葛葉……」
不意に美夏が告げた名前に、イヴは葛葉と初めて出会った時のことを呼び出した。別れ際、自分のことを「友達だ」と嬉しそうに言ってくれた小さな女の子。今でもあの時自分に流れ込んだ温かいものの正体は分からない。
美夏はイヴと葛葉がすでに出会っていたことは知らない。モニターの向こうに見える美夏はなおも嬉しそうに週末のお出かけを語っていた。
「……ということなの」
「そうでしたか」
一通り語ったためか、時折ふふっ、と思い出し笑いを浮かべながらキーを叩く美夏を、イヴは見つめているしかできない。
――なぜだろう? どうしてこうも人間は不可思議な生き物なのだろう?
イヴはただ自分の持てる力を存分に発揮してその思考を加速させていく。
「わかりません……。判断ができません……」
イヴの呟きがそっとモニターの向こうから漏れていた。
◆
そんなこんなで連休初日。やけにテンションが高い葛葉に叩き起こされた俺は、テンション駄々下がりのまま玄関を出た。
「では、行ってくるぞ!」
「行ってきます」
「おぅ、行ってら。こっちは心配するな」
俺は玄関まで見送ってくれた姉ちゃんと別れると二人を連れ、先輩と一緒に出かけた。
「あの方は?」
「あぁ、ウチの姉ちゃんですよ。名前は師丘朱音。二十六歳の現職警察官」
「瑞希君のお姉さんですか。なんだかしっかりしてそうですね」
……先輩の目は節穴なんだろうか。どこをどう見たら、あの姉ちゃんを「しっかりしている」と思えるんだ?
「そうですか? 俺は逆に心配ですけど」
「えっ?」
「姉ちゃん、自活能力ゼロですからね。家事一切は全部俺任せなんで」
「あはは……」
先輩の笑顔が少し引きつっていたように思うが、気にしないことにしよう。それよりも、気をつけるべきはこの小さなデンジャラスモンスター達だ。
「さぁ、早く行くぞ! 遊園地、という食い物を食べに行くんだろ?」
「違えよ。どうしてそう、お前の頭には食い物のことしかねえんだよ」
「元気ですね~」
俺は上品そうに笑う美夏先輩のその笑顔が、いつ疲労でかげるかだけが心配だった。
「も、もぅ勘弁してくれ……」
案の定、というべきか、遊園地に着くころには俺はすでにぐったりと疲れ果てていた。
というのも――
『ウオオオオオオォォォォ! これが電車というヤツか! 初めて見たぞ! モロロ。何をしておる。早く行くぞ!』
『凄く速いですね、お姉様! 景色が流れていきますです!』
駅に着き、切符を買って(タッチパネル式の券売機にテンション上がり)、電車を見るたびにはしゃぎまくり。いちいち説明するのだけで疲れる始末。
そこの二人ちょっと黙れ! 走るな喋るな騒ぐな! 周囲の視線が痛いんだよ! 一緒にいる俺の立場にもなってみろ!
だが、引率者の俺を差し置いて、二人のテンションはさらに上がる一方。
『モロロ、腹減ったぞ! 食い物よこせっ!』
などと葛葉が言うので、自販機で飲み物を買ってやると……。
『お姉様……これは一体なんでしょう。――うぐっ! なんだかしゅわしゅわします』
『私は好きだけどな。モロロ、この飲み物は一体何だ? ……なるほど、コーラというものか! うむ。気に入ったぞ!』
さらにボルテージが上がった。しまった! 逆効果だった! 揚句に「ここのもの、全部飲みたい!」とか言い出すし。いや、無理だって。さすがに金がねぇっつうの。
わいわいと騒ぐ葛葉と結を引き摺るように遊園地の中へ入る俺。そこらのガキんちょよりタチが悪かったと思ったのは言うまでもない。
「ここは遊園地だ。人間がたくさんいるからってむやみやたらに騒ぐなよ? 迷惑だし、注意されるのは俺なんだから……」
「何を言っておる。私が騒ぐように見えるか? 子供じゃあるまいし」
「そうだそうだ! お姉様はお前よりはるかに立派で完璧でおしとやかだぞ!」
「…………」
ふざけんな! そのセリフ、自分に言え! 今までどんだけ騒いだと思っているんだよ!
「ったく、ほれ。行くぞ~」
「「はーい!」」
二人がはぐれないように手をつなぎながら、俺は入口へと歩き始めた。端から見れば、たぶん歳の離れた兄妹(むしろ親子?)にしか見えないだろう。
正直勘弁してほしいけど。
◆
「ふぐあああぁぁぁ~~~」
そんな言葉と共に俺はテーブルに突っ伏した。俺達は近くにあったファーストフード店で昼食を取ることになり、カウンターではまだまだテンションMAXの葛葉と結があれこれ悩みながら注文を決めている。
「さ、さすがに疲れた……」
着いて早々、あちこちのアトラクションに連れ回された俺は、午前中にもかかわらずすでにグロッキー状態だ。
ナメてた。完全にナメ切っていた。なんでこんなにもコイツら体力あんの?
「ふふっ……お疲れですか?」
テーブルに突っ伏していた俺に、柔らかな声が掛けられる。このソプラノがかった声はもちろん美夏先輩のものだ。乾き切った大地に注がれる水のように、先輩の笑顔と柔らかな声が俺を満たしていく。俺の癒し、元気の素だ。
「そりゃ疲れるもんでしょう? あちこちに連れ回された挙句、乗るものは絶叫系が多いし、アトラクションを見ては騒ぐあいつらをなだめるのも体力使うし……」
「まぁ、確かに分かります。でも、葛葉ちゃん達、いつになく楽しそうですよ?」
おかげでこっちは元気を吸い取られているんじゃないかと思いますがね。
「でも、よく先輩はもちますね。普通疲れません?」
「私はほら、普段から夜通しプログラムを組んだり、体力トレーニングしているから」
すげぇ。
素直に感心する俺に、「意外と大変なんだよ?」と笑って答える先輩は、この状況に置いては非常に頼りになる存在だった。
「美夏、モロロ! もらってきたぞ!」
「お、お姉様。それぐらい私が持ちますのに……」
「いいではないか。私がやりたいのだから」
大声を上げてこちらにやってくる二人のデンジャラスモンスターこと、葛葉と結がトレイを片手に席にやって来た。
そのトレイに乗せられたひときわ大きな包みを前に俺は訊ねる。
「それ、なんだ?」
「うん? これか。何でも『超ドデカバーガー』とか言っていたな。見るからにうまそうだったから頼んでみたぞ!」
わくわくと無邪気に語る葛葉が、その大きな包みを開いた。見れば、油ギトギトのこってりと分厚いミートが三枚重なり、チーズがドロリとふんだんに盛られている。
……見るからに胸やけしそうだ。見ているこっちが「うわっ……」と漏らしたいぐらい。
「はぁ……。まぁさっさと食べようぜ? 午後も行くんだろ?」
「もちろんだ!」
むしゃむしゃと『超ドデカバーガー』を頬張る葛葉の嬉しそうな顔に、ちょっとだけ元気を取り戻した。
まぁ、ちょっとだけだけど。
「ふふっ。葛葉ちゃん、マヨネーズが付いているわよ?」
「ふぇっ? どこだ?」
ごしごしと手で拭おうとする葛葉に、美夏先輩がさりげなくティッシュを取り出す。その手で優しく葛葉の口元についたマヨネーズを拭きとった。
一瞬の出来事。葛葉は「ありがとう」と言ったことに加え、
「なんだか、美夏はお母さんみたいだな!」
「「えっ?」」
その言葉に驚いたのは俺と先輩だった。一瞬で葛葉の意図に気づいた先輩は、みるみる顔を赤らめていく。
「どうした? 美夏、どこか悪いのか?」
「えっ? う、ううん。なんでもないの……」
葛葉の思いがけない言葉に、ドキドキしながらただコーヒーを飲むだけの俺。気のきいたことを何も言えない俺はやっぱりヘタレだよな、と思いつつ目の前の状況を眺めていた。
「チッ……。このヘタレめ」
結の小さな呟きに、心の中で「すみません」と謝ることしかできなかった俺だった。
◆
「す、すげえ……」
俺は目の前に建つ豪邸を目の前に、無意識のうちにそんな言葉を呟いていた。西の空に陽が沈もうかとする時間になり、遊園地を出た俺は先輩の家まで送っていくことにした。
それでまぁ、その先輩の家の前に来ているのだが……。
「ほぁ~。これが美夏の家か。モロロの家よりも大きいな。なぁなぁ、ここでたらふくメシが食えるのか? 食えるのか?」
えぇい、うるさいわ! 第一ヒトサマの家に来て第一声がそれかよ。しかもごちそうになること前提? コイツ、神様だけどマジで一回説教が必要だな。
でも、葛葉が思わずこぼしてしまうのも頷けるほど、先輩の家はデカイのは事実だ。門扉から屋敷まで結構な距離があるし、噴水や丁寧に手入れされた庭園もある。ハッキリ言って俺のウチとは比べる次元そのものが違うのだ。
「ふふっ。何なら一緒にご飯食べる?」
「いいのか?」
「もちろん」
「それは嬉しいな! モロロが作ったものよりもうまそうだ!」
悪かったな。どうせ俺のはこの豪邸の料理に劣るっての。一般庶民の家庭料理をなめんな。
「すいません、勝手なことばっかり言って……」
「いいの。……どうせ一人だしね」
そういって笑う美夏先輩だったが、俺にはその顔がどこか哀しく映って見えた。
「あぁ、姉ちゃん? これから美夏先輩の家で夕飯を御馳走になってくる……って、はぁ?」
先輩の前で家に電話をかけた俺は姉ちゃんに帰りが遅くなることを告げた。だが、電話の向こうから返ってきた言葉は、
『なら私も行く!』
……なんで?
『私だけうまいご飯を食えないってのか? しかもタダだろ。そりゃあんまりだ!』
……なんという子供。そんなのは葛葉だけで十分だというのに、姉ちゃんまで同レベルとは。ちょっとは自活能力を鍛えようと言う意志はないのだろうか。
というわけで、姉ちゃんが追加で食卓に加わることとなった。念のため先輩に確認を取ったら「構わないよ」と言ってくれたので遠慮なく姉ちゃんを呼ぶことになったのだが――。
「…………遅い」
電話口で「すぐ行く!」と言っていた姉ちゃんは、それから一時間以上経っても現れなかった。すでに俺と葛葉と結の三人は、先輩が通してくれた「談話室」という部屋で姉ちゃんがここに来るまでの間、トランプでババ抜きをして遊んでいる。
まぁ、もともとこの「談話室」にはテレビがなかったし、こうしてトランプで時間を潰すのも「姉ちゃんがすぐにやってくるから」という、そんな予想がついたからだ。
だが、待てども待てども姉ちゃんからの電話はない。
「遅いですね……」
「そうですね。さっきから電話をかけているけど繋がらないし」
これは事実だ。実際にしびれを切らした俺は、「いい加減にしろよ!」と文句を言いたくなって姉ちゃんの携帯に電話をかけた。
けれども、向こうから聞こえてくるのは「只今回線が非常に混雑しており、おかけになった電話番号には連絡できません……」とお決まりのフレーズを繰り返す音声のみだった。
言いつつ俺は先輩の手札から一枚のカードを引き抜く。
……あっ、ババだよ。
「何かあったのでしょうか……?」
姉ちゃんを心配する先輩だが、きっちり俺にババを引かせるあたり、なかなかに策士らしい。うぬぬ……侮れない。
「モロロ、朱音はまだか?」
「それが連絡しても電話が通じないんだよ」
談話室にあったお菓子を頬張りながらそんなことを呟く葛葉に、俺は端的に状況を伝えた。コイツは夕食前だと言うのにさきほどからむしゃむしゃとクッキーを食べている。
そんなに食べて飯がまともに食えるのだろうか、と俺は素直に疑問に思う。
――と、その時。不意にコンコンと扉を叩く音が聞こえてきた。
「はい」
「御嬢様、旦那様がいらっしゃいました」
「お父様が?」
やってきた突然の来訪者に一瞬首を傾げた先輩は、静かに談話室の扉を開けた。
「……邪魔するぞ」
やけに低い声で入って来た男と、その後ろに若い男性が数人。先頭に立った人物は、俺も何度かテレビを通して見知っている。
阿久津源蔵。日本を代表するほどに成長し、今や海外でも名をはせる複合企業、阿久津重工のトップにして先輩のお父さんである。俺でも分かるブランド物の高そうなスーツに身を包んだその人物は、入ってくるなり先輩に告げた。
「美夏、お前のイヴを――破壊する」
「えっ……?」
瞬間、それまで和気あいあいとした空気が一気に重くなるように感じた。先輩は父親から告げられた言葉にただ絶句し棒立ちになる。
俺のいないところで進められる話に、俺はただ立ちすくむ先輩を見るしかできなかった。