001 道端の生き倒れ巫女服幼女って何だと思う?
過去に書いたものをUPしておきます。
ファイル更新日が2011年ってオィww 自分でも笑いました。
この小説は一話一話が結構長いので、ご了承ください。
「ど、どうするよ……コレ」
どこにでもいそうなごくごくフツーの高校生。つまりこの俺、師丘瑞希という人間は目の前の問題について壮絶に悩んでいる。ちなみに「ごくごくフツー」と言ったが、俺がどのぐらいフツーなのかと言えば、
「なぁ……。アイツの特徴って何だったっけ?」
「…………特にないんじゃねえの?」
などと知り合いから言われるぐらいだ。最近妙に抜ける量が多くなったように思われる俺の髪の毛だって真っ黒。自慢じゃないが、生まれてこの方一度も髪を染めたことがないし、瞳の色だってしっかりと黒い色を帯びている。
これが金髪や銀髪(赤や青も可)だったり、瞳の色が左右違う――いわゆるオッドアイなんて呼ばれる――ものだったりするなら、それは素晴らしく分かりやすい特徴だろう。
けれど、残念ながら師丘瑞希という人間はそういったファンタジックでエキセントリックな星の下には生まれていない。
……と、自分で言っていて悲しいが、本当にそんなもんなのでご容赦いただきたい。
そんな俺が只今絶賛お悩み中なのだ。もうそれこそ悩み過ぎて頭から黒煙がプスプスと出るほどに。実際にはそんなものは出てないけど、分かりやすくデフォルメするなら、悩みのレベルはそのぐらいだろうか。
……話を元に戻そう。
事件発生時刻は、午後六時を回った頃だ。これは今しがた携帯の画面で確認したからまず間違いない。
オレンジ色の夕日が、背中から俺のことを優しく照らしている。春が来て、花を咲かせた桜がすでに散ったこの時期の夕方は、『春』という季節かと思うほどの寒さが薄く残っている。
そんなある四月中旬の夕方。今日この日も、俺はいつものように(中学の時の授業よりはるかに難解で入学早々追いつけていない)授業を適当に受け、その後駅前のゲーセンで遊び、絶賛帰宅中だった。
いつもと変わらない毎日。
いつもと変わらない日常。
そこそこ退屈な時もあるけど、そこそこ退屈ではない時もある、いたって普通の学生生活。今の俺が守るべきライフサイクル。俺の愛すべき人生。
……のはずだった。数分前までは。
いつも通る道を「あぁ~、帰ったら深夜アニメでも予約録画しておくか……」なんて考えながら歩いていると、目の前に得体の知れない小っこいものが地べたに倒れていた。
いや、地面にへばりついていたと表現した方が正確だろう。おなかを黒いアスファルトにべったりとくっつけ、いかにも『私行き倒れています!』とその横に立て看板があってもなんらおかしくない。
「……はっ?」
やっと出た言葉がこれだ。思わず「なんだコレ?」とまさにハトが豆鉄砲を食らったような顔をする俺の耳が、かすかに聞こえてくる声を拾う。
「うぅ……」
いや、『得体の知れないもの』というのは少し語弊がある。だって、喋っているんだしな。よくよく見ると、人間だというのがよく分かる。手も足も付いているから、幽霊とか妖怪とかそういったファンタジックな類のものではないらしいというのも確認済み。声からしてたぶん女の子だと思う。背丈や大きさを考えると、五~六歳ぐらい。たぶんどこかの小学生か?
でも……………………なぜか巫女さん衣装なんだけど。
俺は瞬時に「もしかしてこの近くにある神社の神主さんの子供か何かか?」と考え、この近辺の地図を脳内に広げる。
しかし、目の前の幼女に似合うような場所はまったくと言っていいほど思い浮かばなかった。というより、そもそもこの近くに神社なんてないんだ。それはこの街に実際に住んでいる俺が言うのだから間違いはないはずだ。
「はっ! ……まさか」
こんな年端もいかない幼い女の子が、まさか本物の「コスプレイヤー」とかいう類の人間なのか?
俺も高校生だ。さすがに「コスプレイヤーって何だ?」と真顔で友人に訊ねるような年齢じゃない。
ほら、アレだろ? イベントとかでよくアニメやマンガに出てくるキャラクターの衣装を着て、悦になってハシャいでいるカテゴリーに属する人たちのことだろ?
なんか年に二回、東京のもう一つの聖地――幕張メッセで大々的なお披露目をするらしいが、俺も詳しくは知らない。
う~ん、でもなぁ……。いやいや、ごっこ遊びにしてももうちょっとほほえましいものがあるだろうに。巫女さんっていうチョイスがまた妙に現実感があって嫌だ。
つーか、ぶっちゃけネタとしか思えてならないけど。
だいたい、体型的にもヤバい。どう考えたって、「幼女」にしか見えない。見た目小学一年生ぐらいの。その手の大きいお兄ちゃんなら「幼女きたあああああぁぁぁぁ!」とか言って飛びつくだろう。昔と違って、今は物騒な事件が多いって聞くからな。そんなアブナイお兄ちゃんに捕まらなかっただけ、この子はまだ救いがあったのかもしれない……と俺はどうでもいい想像を広げながら、目の前で行き倒れている幼女(もしかしたらコスプレイヤーの可能性あり?)をしげしげと観察し始めた。
巫女服幼女は肩までかかるような黒く短い髪に、両側の髪を馬鹿デカイ鈴の付いた赤い紐で一つに結わえていた。結わえた髪にぶら下がる鈴は、右に金の鈴と左に銀の鈴で、夕焼けの光を浴びてその輪郭をきらりと輝かせている。風にあおられ、その一対の鈴がからん、と音を鳴らした。
俺の視線に気づいたのか、目の前の巫女さん衣装を着た幼女から呻きにも似たか細い声が聞こえてくる。
「は……」
「は?」
「腹減った……」
ドガガガガガガガガガガガガッ! ゴキッ! ボキッ! ぐぎゅるるるるるぅぅ~……。
「うをっ!」
目の前で倒れる幼女からの壮絶な音に俺は思わず仰け反った。感想としては、まるで空腹時の怪物が掻き鳴らすような轟音に近い。もしくは、雷鳴とともに大地が割れるようなイメージだろう。周囲の人が「何事だ? 地震か?」と辺りを見回しているのだから、これは比喩でも何でもない。近くを過ぎ去る人たちのその驚きようは俺も分かる。現に俺も驚いたクチなのだから。
――というより、どんだけ腹減っているんだよ。餓死寸前にしてもその音は鳴りすぎだろ。つーか、ホントにそれ腹の音かよ! 「ゴキッ!」とか「ボキッ!」ってなんなんだよ。
そんな目の前の行き倒れている幼い女の子を見かけてから数分後。
俺はようやく「あぁ……お前、腹減っているのね」と状況をすべて理解した。
えっ? 何? オマエ遅すぎだって?
いやいや、突っ込みどころがあり過ぎて、まともな状況理解が遅れちまったんだよ。
そして、ここからが本題なワケだ。
……で? 俺に何をしろと?
いや、待て待て。ここは落ち着いて状況を整理しよう。うん、そうだ。それがいい。突っ込みとかそんなものはこの際どうでもいい(いや、ホントは良くないんだろうけど)。
今までの状況を整理すると、たぶんこんな感じ。
第一に、俺の目の前には幼女が倒れている(これは見て分かる)。巫女さん衣装については、ここでは触れないことにする。つーか、触れちゃいけない気がする。たぶん。
第二に、こうして倒れている理由はどうやら「腹が減っているから」らしい(幼女の発言から推測したのだけれど)。「だったらソッコー帰れ」と(マジで)言いってやりたいもんだが、ここでぐちゃぐちゃ言うと面倒なので、ここはひとまず保留。
第三に、しかし俺は生憎金を持ち合わせていない。財布は見事にぺちゃんこで、ジュースすら一本まともに買うことはできない。このことから食べ物をオゴるのは無理だという結論に至る。まぁ、これは俺が余分な金を普段から持ち歩かないことも原因の一つだと思われるのだが。
最後に、家に連れて帰るということも考えられる。だが、それはそれで犯罪だ。何だっけ? 未成年者略取監禁だっけか? なんかそんな感じの。通報されれば、まず間違いなく赤々とした回転灯を点けた警察官が俺の両手にガチャリと手錠を嵌めるだろう。
俺にとってはだいぶヤバイ。将来的にも社会的にも。
「――よし!」
状況の整理が完了した俺のナイスな頭が見事な答えを弾きだしてくれた。どこからか豆電球がつくぐらいの見事な解答だ。
まったくもって素晴らしい。自分で自分を褒めたいね。
そうそう、このストレス社会を生き抜く上では自分で自分を褒める技術は重要なスキルだと俺は思うぞ?
――閑話休題。話を戻すことにしよう。
見事な解答を弾きだした俺なのだが、俺の答えを出す前に状況の確認だ。この段階で俺が取りうる選択肢は二つある。
一つ目。目の前の幼女を家へと連れて帰る。あくまで介抱のためだ(ココ重要!)。
二つ目。目の前の幼女を無視して家路に着く(大人な反応だな)。
以上の二つだ。ちなみに、あらかじめ言っておくが、俺はロリ属性の嗜好については皆無だ。いわゆる「ロリが好き!」という方面な方々には大変申し訳ないが、人の好みなんてものは百人いれば百通りある。ご了承願いたい。
「ここは……」
俺は、迷わずその選択肢を選んだ。それにはためらいも不安も何もない。俺は確信を込めて、目の前の倒れた幼女に言ってやった。
「――じゃ、元気で暮らせよ!」
軽く手を挙げ、爽やかな笑顔を見せつつ華麗にスルー。会心の出来っ! 俺は心の中で小さくガッツポーズを決める。
……おい、白い目で俺を見た奴、ちょっとツラ貸せや。これにはマリアナ海溝よりは浅い、それなりの理由があるんだよ。
いや、誰だって犯罪者にはなりたくないじゃん? こんな幼女を家に連れて帰れば、社会的には犯罪者のお仲間入り確定だ。対して俺は学生だ。まだまだ先には明るい未来がある。こんなところで傷をつけたくはない。
犯罪者に対する社会の目って、結構キビシイんだぜ? 知っているか?
俺もよく知らんけど。
そんなこんなで華麗かつ流麗な動きで颯爽と後を去ろうとした俺は、その場から足を踏み出そうとし――て、
「――待て」
「ふガッ!」
誰かが俺の足を掴んだらしい、というのは倒れてから気がついた。というより、顔が痛い。加えて綺麗に舗装されたアスファルトはこんなにも固かったのか……と、どうでもいい知識を得た。
ちなみにレベルは上がらないので要注意だ。試験にも出るな。何の試験かは知らないけど。
「ってぇな! 何すんだよガキ!」
悪態を付けつつ、鼻が折れてないかを確認。よし、なんとか最悪の事態は回避だ。鼻血も出てないし。鼻が少し赤くなってはいるが、放っておけばおさまるレベルだ。
オールオーケー問題なし。
いくらなんでも、地べたに顔をぶつけて鼻血、なんていうベタベタなお約束展開はひとまず回避されたようだ。
「待て、と言っておろう!」
「何だよ。こっちは急いでいるんだぞ?」
足元を見ると、俺の足をギュッと掴んでいた幼女が顔を上げた。相当飢えているのか、その目はまるで野生の猛獣のようにギラギラと輝いている。おぉ、マジ怖ぇ。百獣の王と言われるライオンさえも逃げ出す眼光だ。『できれば、今後二度と拝みたくない顔ランキング』なんてものがもしがあれば、間違いなくその上位に位置付けできるぐらいだろう。
思わずその鋭い眼光に尻込みしてしまった俺に、巫女服姿の幼女は噛み付くように吠えた。
「お前は助けを求めている『か弱く可憐な美少女』を見て、何とも思わないのか!」
……何を言っているんだろう、コイツは。
こめかみをおさえつつ、ため息交じりに俺は目の前の幼女に言って聞かせるように呟いた。
「あぁ~、あのさぁ……。一応聞いておくけど、か弱く可憐な美少女……ってどこの誰が?」
「私だっ! このうつけ者がっ!」
「ぐふえっ!」
おもむろに立ちあがった巫女装束の幼女は、地べたに腰を降ろしていた俺の頭にガンッ! と拳を落とした。スゲぇ痛い。うわあああぁ! 貴重な俺の脳細胞が死んでしまうだろうが! お前、知っているか? 脳細胞は死んだら二度と再生できないんだぜ? 死ぬだけなんだぜ?
「つーか、自分で『美少女』とかどうよ? イタ過ぎて笑えるわ。あっはっは!」
「事実だろうがああああぁぁぁ!」
うがー、と噛み付くような顔を俺に向ける幼女。しかし、その体格からか、まるで恐ろしいとも思えない。むしろほほえましいとすら思える。
「それだけ元気なら、もう家に帰ってネンネしろっつうの。こんなところで倒れている場合じゃねえだろうが」
それだけ言うと、俺は立ちあがった。こんなガキに付き合っていられるほど、生憎俺はヒマじゃない。早く帰って深夜アニメの予約録画をしないといけないしな。最近の深夜アニメは放送話数のクールが短い点が難点だが、話自体は面白いからな。見逃すことはできん。
「待てと言っているだろうが!」
「何だよ? ほら、とっとと帰れ」
しっしっと手で追い払う俺を無視し、巫女服姿の幼女は堂々と告げた。
「お前の家に連れて行け」
左手を腰に当て、右腕をまっすぐ伸ばし、人差し指を俺の前に突きたてる巫女服姿の生き倒れ幼女。そのどこかで見たような格好に、「流行ってんの、ソレ?」と思わず突っ込みたくはなるが、いろいろと面倒なのでここは言わないでおく。
つーか、むしろそのあまりの堂々さ(開き直り?)に俺はフリーズするしかない。
「……………………はい?」
あれっ? なんだろう? 確か「家に連れて行け」って聞こえたんだけど。あぁ、アレか。俺の聞き間違い、もしくは空耳というヤツか。
ならば、もう一回。英語で言うとワンモアチャレンジ。
なぜここで英語が出てくるのかは俺にも分からないけど。
「だからな? とっとと帰れよ」
「だからお前の家に連れて行け」
「いや、帰れって」
「家に連れて行け」
……意味が分からねえええぇぇ! 俺は「帰れ」と言っているのに、『お前の家に連れて行け』だとォ? 話がまるでかみ合わないんですけど! もしもし、頭大丈夫?
「冗談だろ? ほら、空も暗くなるぜ? 良い子は家に帰る時間だろ?」
ぱんぱん、とズボンについた土ぼこりを払いながら俺は立ち上がった。
「安心しろ。私は帰る家がないからな!」
いや、そんな威張って言えることじゃないと思うんですけど……。ってか、改めて思うが、本当にコイツ何者だろうか? 巫女服着ているし。
そんな『コイツ、一体何者だ?』という怪しげな視線を巫女服幼女に(一応)送ってみるが、俺の思いにまったく耳を傾けない幼女は両腕を組んで堂々と宣言する。
「それに腹が減ったしな!」
「結局そこなのかよ!」
前言撤回。こいつはアレだ……多分「ヤバイ奴」とか「近づくと不幸になる奴」に分類される人間だろう。隙あらば人のウチに来て、飯をたかる気だ。……なんという恐ろしい子!
よじよじ。
「さぁ、行け!」
「あっ! コラっ。勝手に人の背中にひっつくな!」
いつの間にか俺の背中には腹をすかせた幼女がしがみついていた。身体を揺すって振りほどこうとするが、足が腹に絡んで取れそうもない。幼いから力はたいしてないだろうと思った俺がバカだった。飢えて腹をすかせている意地からか、その力は万力でギチギチと締め付けられているかのように強力だ。
「……はぁ、仕方がないな」
ちょうどおんぶをした格好のまま、俺はしぶしぶコイツの言うことに従った。
なぜか?
それはさっきっからこっちをちらちらと見てくる人の視線が気になったからだ。加えてひそひそとした声で「ねぇ、これって犯罪現場じゃあ……」などと誤解を生むような声もちらほらと聞こえてくる。
……うわーん! お前ら絶対呪ってやるからな! 末代まで。食べ物に絡む恨みほど恐ろしいものはないんだぜ?
「ところで、聞き忘れたが……。お主、名前は?」
肩に乗る幼い少女は、ふと思い出したかのように名前を訊いて来た。
いやいや、今さらかよ! それって最初に名前を訊くもんじゃないのか? それに、なんでこんなに上から目線? ちょっとイラッとするのは俺の気のせいなのだろうか。
是非ともそうであって欲しい。
「俺か? 俺の名前は師丘瑞希。まぁ、呼びにくけりゃあ『ミズキ』でいいさ」
でも、俺は冷静に対処する。もうコイツみたいにガキじゃないからな。あからさまに無視されたからといって、いちいち目くじら立てていてもしょうがない。これは人が成長する上で身につけるスキル――その名も「大人な対応」というヤツだ。
……う~ん、そう考えると成長したな、俺も。
「――いや、お前はモロロだ」
「はあああああぁぁぁ?」
何か絶妙なことを思い付いたかのように、背中の巫女服幼女はそんなことを宣言しやがった。俺の申し出さえもバッサリ切り捨てやがったし。
「うん、我ながらいい命名だな!」
背中におぶさる巫女服幼女は、その呼び名がよほど気に入ったのか、にんまりと頬が緩んでいる。
いや、ふふんって見栄切って言うことじゃないから。そんなに上手いコト言えてないから!
「いやいや。フツーは素直にミズキで良いだろうよ。俺が『ミズキでいい』って言っているじゃん! それに、この方が呼びやすいだろ?」
俺の指摘にあからさまに頬を膨らませる背中の幼女。ふくれっ面にじとっとしたその目は「不満」を文字通りの意味で顔に貼り付けたかのように思える。
「そんなありふれた呼び方は好かん。モロロで良い。見ればお主は犬っころみたいだからな。モッロロ、モッロロ、モッロロロロ~」
その犬のようなネーミングにカラカラと笑う背中の幼女。つられるように頭に付けた大きな金と銀の鈴がからんからんと音を立てる。
「それよりも腹が減ったぞ、モロロ。いいから早く家に連れて行け!」
ブーブーと口をへの字に曲げながら、幼女はその両手を俺の頭に伸ばしてぐいぐいと催促する。俺の真っ黒な髪の毛に、紫外線とはまた別の刺激がチクチクと身体中を走り抜ける。
「痛っ! ちょ、おまっ……マジ勘弁しろっての!」
あっちょ、マジ止めて! 髪の毛掴んでいるその手を放して! 俺の貴重な黒髪が抜けるだろうがっ! 最近はらはらと抜ける黒い髪が気になっているんだから!
「毟るのを止めろっ! しかも俺は犬じゃねぇ!」
絶対に嫌だぞ! そんな呼び方! 俺はお前に尻尾を振る飼い犬か! 全国の『モロロ』と名付けられた犬の皆さん。本当に申し訳ないが、俺はこんな呼び方断固拒否したい。
……だって人間だもの!
「だったら早く連れていくのだな。……そう言えばモロロ。今日の晩飯は何だ?」
「知 る かっ!」
俺は正直泣きたかった。なんでこんな幼い少女にいいように振り回されているのだろうか、と。周囲から投げつけられる不審者を見るような白い目に、俺のガラスハート(だと自負する)が今にも砕けそうだ。
でも、どうあがいてもこの状況からはもう逃げられないことは確かだと思える。
……こうなったら、適当にあしらって警察に届けるなり親御さんに電話なりしてみよう。
そんなことを考えつつ、俺は背中で暴れる幼女を連れて家路についた。
「なぁ、やっぱり降りてくんない?」
「嫌だ。ここが気に入った! 私の特等席だな!」
こっちの要望を一ミクロンたりとも聞き入れてくれないこの幼女の態度に、俺はがっくりと肩を落とした。
……まぁ聞いてみただけですよ、はい。
◆
東京都の都心から少し離れた場所に位置する閑静な住宅街。それが俺の住む街、西暁市だ。
都心の喧騒から程よく離れたこの市は、昔は田畑が広がる田園風景が広がっていたらしい。しかし、数年前に行われた大規模な土地区画整理によって、この街は長閑な田園風景から見事なまでの近代的ベッドタウンへとその姿を変えた。
多くのパパさんが競って、「このベッドタウンにマイホームを!」などという夢を見ていた。そして、その願いは次々と叶えられていくことになる。都心に近いが、静かな街――。それがこの西暁市という街だった。
ご丁寧にも、駅前にはマックやTSUTAYA、ユニクロ、ゲーセンにマンガ喫茶まで取り揃えられている。遊びや買い物には事欠かないことも人気の一つだろう。
至れり尽くせり、というのはこのことだ……となんか実感してしまう。
ウチの両親もそんな魅力に取り憑かれた一人だった。俺の高校進学に合わせ、この街に念願のマイホームを建てたものの、時期を同じくして海外へと栄転。
「チクショウ! なんでこんな時に海外に行かなきゃならないんだよ……。折角この街に念願のマイホームを建てたというのに……」
今にも血の涙を流しそうなほどに悔しがっていた親父の姿は、今でもまぶたの裏に焼きついて忘れることができない。
そんな涙で袖を濡らす一方、母親の方と言えば、あっけらかんと「すぐに戻ってこられるわよ~」などと抜かしていた。
結局ウチの両親はマイホームへの未練タラタラのまま自分の子供を残して海外へと行ったのだが、母親の言う『すぐ』とはいつになるのか未だに目処は立っていない。
……親父無念。けど、俺は一人暮らし状態を絶賛満喫中。自由って素晴らしいよね。
ちなみに、この『一人暮らし状態』というあいまい感が漂うのには深いワケがある。
実は、俺には少し歳の離れた姉がいる。けれど、帰りが遅くてあまり顔を合わせることはないんだけどな。
まぁ、言ってしまえば実質この家を任されているような『管理人』のような立場なワケだ。
ちなみに姉ちゃんは現職の警察官。それも交通課所属。バリバリの婦警さんだったりする。
しかし、俺は姉ちゃんから散々なほどにヒドイ目に会わされているため、半分トラウマ状態だったりするので、あんまり触れたくはない。
……と、それよりこの背中のヤツを何とかしないとな。
ウチの家族はまあ得てしてそんな状況で、家自体にもローンがあと三十数年ほどあるというのに、気の毒な親父様、という他はない。まったくもって不運としか言いようがない。
でもまぁ……そんな親父を横で笑う俺だけど。
ヒトとして最悪? うるせえっての。思春期の男の子は大変なんだよ、意外とな。
「ここがモロロの家か……。なんだか小さいな」
俺の背中から首を伸ばして我が師丘家を見た巫女服幼女は、開口一番そんな言葉を呟いた。言うに事かいて、俺の(実際には親父の)この家を「小さい」と評価している。
「何なのその態度? 馬鹿にしてんの?」
「いや、素直な感想を述べたまでだ!」
「ちったぁ『遠慮』っつう言葉がないのかお前はっ!」
家について早々そんな失礼なことをあっさりと言い放つ幼女を抱え、俺は門扉を開けた。
◆
「モロロ~。飯はまだかぁ~」
一時間後。スプーンを片手に、陶器の食器をカンカン叩く幼女がテーブルにいた。不満そうに頬を膨らませ、手にもったスプーンを木琴のように食器へと叩きつけている。
俺は先ほどからテーブルに座るコイツを見ているのだが、悲しいほどに「行儀」というものがまるでなっちゃいない。「行儀」の「ぎ」の濁点すら見受けられないというのは、一体全体コイツの親はどういう教育をしていたのだろうかと疑問に思うほどだ。
うん、とっとと飯を食わせてお引き取り頂くことにしよう。そうしよう。
「ったく、もうちょっとで出来るって。それまでテレビでも見ていろよ」
「うん? てれび、とは何じゃ?」
……コイツ、頭大丈夫か? 今日び、テレビを知らん人間なんているのか? 凄まじく疑問だ。けれども、さっきっからスプーンで食器を叩くカンカンカンカンという音がうるさい。
……まぁ、そんなに気にするほどでもないか。
もうその騒音を聞いているだけで、俺の頭に湧いていた疑問もどこか遠くへ吹き飛んでしまった。
「知らないのか? この箱みてぇなモンだよ。……ほれ」
俺は呆れながらも、テレビのスイッチを入れた。ころころとチャンネルを変え、とりあえずバラエティー番組にしておく。まぁ……面白いかどうかは別として、だけど。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ! な、何だコレはっ! 人がっ! この箱の中にいるだと! モロロ、凄いな!」
「いや、そんなに驚くもんかぁ?」
そんなに興奮するもんでもないだろ。テレビぐらい。
「いや、凄いぞ! お前より凄いのは確定だな!」
「…………」
あ、あれっ……? なんだろう……。目からしとどに涙が出やがる。
俺はテレビに貼りついている幼女をそのままに、さっさと晩飯の支度を済ませていく。後ろから「おおぅ! す、凄いな……」と逐一リアクションのデカイ声が聞こえるが無視無視。
テレビに関心がいったのか、食器を叩く音も消え、その後は実にスムーズに支度ができた。晩御飯がテーブルの上に並んだ頃には、オレンジ色の空は姿を消し、辺りが暗くなっていた。
「んじゃ、いただきます」
「いふぁふぁきまふ」
……って、早っ! もう食っているし。ホントにコイツは行儀ってモンがなっちゃいないと思う。食べる前の「いただきます」というこんな最低限のマナーすらできていないのだから、親よ出て来い! と声を大にして言いたい。
出てきた瞬間、膝詰めで小一時間ほど問い詰めてやる。こっちはさっきからエライ迷惑だ。
「モロロ、お前料理上手いな! ……男のくせに」
「最後は余計だっての。それに、最近じゃあ男が料理するのも珍しくねえんだよ」
がつがつ。
「……おい、ちょっとは人の話を聞け」
「すまん。いや、あまりにも美味しいのでな」
「まぁ、いいけど。うまけりゃこっちとしても嬉しいし」
がつがつ。ふがふが。
「……って、言っているそばからこれかよ」
あぁ~、ったく。口の周りに付いているだろうが……。
俺は手元にあったティッシュを手に取り、真向かいに座る幼女の口を拭いてやった。何だろ、このほのぼのとした空気。
おいおい、俺は高校生だぞ? なんでこんな保護者的感情が出てくるんだろう?
「……いいものだな。こういった空気も」
「そういうもんかぁ?」
俺と似たようなことを思っていたのか、不意に幼女の口からそんな言葉が突いて出ていた。俺は手を動かしながらも、適当に返す。本当なら食事中の会話はちょっとはしたないけど、ここじゃあ別にそんなことは気にしないしな。
「こんなこと普通だろ。お前だって家族がいるんだから」
「いや、ない」
……あれ? 何それ。俺は幼女の言葉に思わず首をひねる。何だ『家族がいない』って。
もしかしてアレか?
「施設に一緒に住んでいる仲間が家族ってもんじゃねぇの? そういうの、よく聞くけど」
よくテレビの番組とかマンガとか小説で聞くようなセリフだ。自分は親がいない孤児で、施設でお世話になっている身の上。『血はつながってないけど、僕達は家族です!』っていう感じのセリフが出てくる状況にいるとか。
「……しせつ? それは何だ? ウマイのか?」
「え、えぇ~っと……。説明するのが難しいけど、まぁウマくはないのは確かだ」
きらきらと目を輝かせて訊ねる目の前の幼女に、俺は「あはは……」と笑いながら適当にごまかした。
「なんだ、そうなのか……」
う、う~~ん。なんだろ、この空気……。さっきから微妙に会話がかみ合ってないんだが。
「な、なぁ。お前の名前は?」
「私か? 私は葛葉という」
うん、よしよし。名前はあるみたいだ……。人間であることは間違いないだろう。宇宙人とかそんなヤバそうなものではないらしい。第一段階クリア。
「ふーん。それで? ちゃんと名前もあるのに、家族がいないとか施設に行ってない、むしろ知らないとか……。今日び、お前ぐらいの年齢の子が、正体不明なんてあり得ないだろ」
「そういうものなのか? まぁ、私は『この世界』に来てまだ半日も経ってないからな」
「へぇ~、そうな……うん?」
……あれっ? ちょっと待て。なんかおかしくないか? 今、この目の前の幼女から明らかに意味不明な言葉が聞こえたんですが、聞き間違いですか?
「えぇ~っと……。アンタ、何者?」
「私か? 私は――〝神様〟だ」
もくもく。
トンデモナイことをさらっと言いつつ、『葛葉』と名乗る幼女は、貪るように目の前の晩御飯(ちなみに今夜はチキンカレーだ)を平らげていた。
えっ? 何? これ何て言う罰ゲーム?
「あっははは。冗談だろ? もぅ、からかうのも勘弁してくれよ。わっはっはっ……」
「いや、本当なのだが」
「…………」
素でそんな事を即答する葛葉に、俺は声を出すことすら忘れた。さらに付け加えるなら、スプーンを持つ手も止まっている。
俗にいう『石化現象』ってヤツだ。喰らうと一ターンぐらい行動不能になる類のトラップ。
「ちょっと待て。神様だあああぁぁ? ……コイツが?」
ガスッ! と直後に足に走る痛み。俺は反射的に「うぐっ」とくぐもった声を上げる。
痛っ! 脛っ! 脛蹴られたっ! さ、さすが弁慶の泣き所と言われることはあるゼ。
あ、ちょっと涙出た。
「何気に失礼だな。これでも私は最高位に位置する神だぞ?」
「い、いや……。だって信じられるわけねぇだろ。神様って、神話とかお伽話の世界だぞ?」
むしろ『信じろ』という方が無茶というもんだ。
「しかし、現実にこうしてお主の目の前にいるのだから仕方があるまい。現実は何者にも勝る証拠さ」
「うぐっ……」
た、確かに。そこまで言われちゃあ何も言い返せない……。でも、葛葉本人が「私は神だ」と言っているだけでは、どうにも信じられない。確証がないからな。
そりゃそうだろ。面と向かって「私は神だ!」って言うヤツは、頭のネジが数本……いや、下手すると数百本は飛んでいる。まず間違いなく「お前、頭大丈夫か?」と本気で心配された揚句、病院へ連れて行かれるのが定番のルートだ。
ちなみにこれはギャルゲーではないのでバックログ機能はない。ご了承ください。
……話がそれた。
完全に信じきれていない俺の目を見たのか、葛葉がやれやれとため息をついた。
「まだ信じられないのか? ……しょうがないな。では、お前の願いを一つ、叶えてやろうとしよう。『一宿一飯の恩義』というヤツだ」
「えっ?」
俺はテーブルの向かいに座った葛葉の言葉に目を丸くする。そんな俺の驚きをくみ取ったのか、葛葉は意地悪そうにニヤリと白い歯を見せた。
「ほれほれ。何かないのか? 叶えて欲しい願いの一つや二つ、パパッと出てくるだろ?」
パパッとって言われてもな……。三分クッキングじゃあるまいし。っていうか、そんなに俺の願いって安いのか? それはそれでムカつくけど……。そんなに簡単に願いって叶うものなのか? なんだか全国の受験生に申し訳ないような、そこはかとない罪悪感があるのは気のせいだろうか。うん、気のせいだと思いたい。
「――そうだ!」
急に『願いを叶えてやる』と言われて押し黙ったその時、俺の目がキュピーンと光った。
何でも叶えるだと? でも、お前じゃあこれはムリだろ。
「ふっふっふっ……」
たぶん、俺は今悪だくみをしようと考える子供のようにひねくれた笑みを浮かべているに違いない。自分で言うのも何だが、この笑みを見た人の第一声は「キショイ」に違いない。
まぁ、なんとでも言いやがれ。この瞬間だけは見逃してやるから。
「それじゃあさ、『相手を俺にホレさせること』ってできるのか?」
「何だ? 縁結びか?」
「まぁ、ありていに言えばそうなるかな。つーか出来るのかよ? まぁ、普通に考えて出来るわけが……」
「出来るぞ?」
目の前の幼女は俺の意地悪な願いにあっさりと返事を返した。まるで「何だ、そんな事か?当然だろう」とでも言いそうな態度だ。
「何だ、散々考えてそんな事か?」
しかも言われたし。
「……マジで」
えっ? ちょっと待って。
そんな簡単に二つ返事で出来ちゃうもんなの? 俺の願い安っ!
「縁結びだな? それで? 誰をお前に惚れさせるのだ?」
「ちょ、ちょっと待て」
半信半疑のまま、俺は一度自分の部屋へと戻り、通学カバンから一枚の写真を抜き取ってきた。その写真には笑顔が眩しい一人の女性が写っている。
ちなみに、この写真は俺の悪友から買い上げたものだ。俺の財布から千円札が数枚飛んでいったのだが、ここは気にしないことにする。
「この人なんだけど……」
「どれどれ……。ほぅ、美人だな」
いや、そんなリアクションは今この場で求めてはないから。それに、どこかオッサン臭いぞ? 本当に大丈夫か?
「こやつをお前に惚れさせればよいのか?」
「ま、まぁ……」
お前に出来るとは思わないけどな、とはここではあえて言わないでおく。また痛いものをもらうのだけはゴメンだしな。
「わかった。それで? 名前や年齢は分かるか? 写真だけではどうしても弱い。詳細な情報があればさらに良いのだが」
「あ、あぁ……。名前は阿久津美夏。年齢は、俺の一つ上だから、年齢は十七歳だな。住所は、この西暁市のどこか、としか分からないけど……。そういえば、阿久津重工の社長令嬢だって聞いたことがあるな」
俺は学校の悪友から入手した情報を葛葉に伝えた。写真の中の女性――阿久津美夏先輩はこんな一般高校生の俺とはかけ離れた存在と言ってもいい。先輩は日本を代表するような大企業、阿久津重工の一人娘だ。
それだけでも俺とは住む世界が違うと言える存在なのだが、おまけに情報工学と機械工学のトップリーダーとも評されていて、先輩自身も特許をいくつか保有しているとかいないとか……という噂もある。
う~ん、思えば思うほど俺とは住む世界が違うように思えてならない。ますます俺の願いを叶えるなんて無理なんじゃないかと思ってしまう。
「ふぅん。資産家の令嬢ということか。確かにモロロには高嶺の花、というものだと思うが」
悪かったな。どうせ俺にとっては高嶺の花だよ。葛葉の心無い言葉に腹が立ったが、俺はつとめて冷静さを装う。
「まぁ、それだけあれば十分だろう。何か紙はあるか? あとは朱書きできる筆があると直良いのだが」
「紙と筆? ……筆はないけど、これでいいか?」
俺は電話の横にあったメモ帳をちぎって葛葉に渡した。葛葉の言う『朱書きできる筆』は用意できなかったので、似た感じの赤いペンを手渡す。葛葉はそれらを受け取ると、メモ用紙を静かにテーブルの上に置き、赤ペンで何やら模様を描き始めた。
俺は後ろからその様子を眺めていたが、渡されたメモ用紙に描かれていくそれは、ちょうどアニメやマンガに出てくる魔法陣のように思えた。
「よしっ! できた!」
陣を書き終えると、葛葉は、その用紙を額に当てて喋りはじめた。
「あっ、あぁ~。テステス。こちらは葛葉だ。結、聞こえるか? 聞こえているのなら返事をしてくれ」
『はいっ! 感度良好です、葛葉お姉様っ! ちなみに私は耳の感度が非常にイイです!』
なんだ? どこからか声が聞こえる? ……って、オイッ! 今さらりとエロいこと言わなかったか? 一体全体、コイツは何をしたいんだろうか。
まったく状況を理解できていない俺をおいて、葛葉は話を進めた。
「実は、結に一仕事頼もうと思っていてな……。急で申し訳ないが、今から来てくれないか?」
『はいっ! お姉様のためなら喜んで参上致します! たとえ火の中水の中、結はお姉様のためなら、人間だって滅ぼしてみせます!』
さらっと怖いことを言うな! というより、その忠誠心が凄すぎる。戦時中の日本兵顔負けの忠誠心だ。俺だったら恐れをなして逃げるね。まず間違いなく。
ヘタレ? 知るかそんなもん。何事も、命あっての物種だ。
「では、頼んだぞ」
『了解であります! すぐにそちらへ向かいます』
そう言い残して、通話は切れた。俺は何が何だか分からず、たまらず葛葉に質問した。
「な、なぁ……。今のは?」
「あぁ。この紙にこの筆で陣を書き、簡単な護符を作って通信したのだ。その上で、縁結びの神にこちらへ来るように頼んだのだ」
「縁結びの神? ここに来てもらう? ……お前がやるんじゃないの?」
「何でだ? 私は縁結びなんてできないぞ? できないのならば専門の者にやってもらうのが一番確実だろうが」
なんじゃそら! さっきまでの自信満々な態度はどうした! てっきりコイツがやるもんだと思っちまったじゃねぇか! これはアレか? 新手の詐欺か?
「私は神の管理が主要な仕事だからな。ありとあらゆる神の能力を把握し、同じ能力を持つ者同士が一つの地域に重ならないように配置・統制するのが仕事だ」
「いや、威張られても分からねえし」
そんな神様の仕事なんて知りもしないしな。俺に何かを求められても困る。「お前、ホントはそれって詐欺じゃねえのか?」と一言物申してやろうと口を開いた瞬間――
「只今到ちゃ―――――――っく!」
「ぐべばああああぁぁぁ!」
俺の側頭部に衝撃! 何者かの『渾身の蹴り』がクリティカルヒット。おかげでダメージ一五〇。地味にクソ痛い。
おかげで身体がイスから吹っ飛んだ。もうちょっと強かったなら、首から上が千切れていると正直思う。
……人間って意外と頑丈にできていると思った瞬間でした。
「葛葉お姉様! 結、只今参りましたっ!」
「よしよし。結は良い子だなぁ~」
「えへへ~……。はぁはぁ……」
突如として現れた闖入者に、葛葉は冷静にその子の頭を撫でていた。葛葉よりも小さいその子供は、テーブルの上で照れながらも、満たされたかのような笑顔を浮かべている。その顔はアレだ、どっかの中毒者みたいだ。その恍惚な表情に加えて、口からよだれ出まくり。見ているだけで放送コードに引っ掛かりそうだ。いっそのことモザイクかけたいぐらい。
いきなり現れた闖入者を見てまず目を引くのは、その栗色の長い髪だろう。
一本一本が細く、さらさらと流れる様子は、どこかの清流を思わせる。続いて特徴的なのはその姿――紺色の衣に同色の紺袴。江戸時代に出てくる衣装のように、その小さな子供には左右の胸のところに、銀色の紋が刺繍されていた。
「何なんだお前は! 勝手に人のウチに入ってくんじゃねぇ!」
「お姉様。この汚い人間は誰ですか?」
「うん? 私の下僕だ」
「違うだろ!」
吹っ飛ばされた俺は、突如現れた闖入者を指さしながら、怒りの形相で葛葉を睨みつけた。マンガなら血管マークが五個ぐらい浮かんでいると思う。どれほどの怒りか具体的に見て分からないのが現実の非情なところだ。チクショウ。
「そう怒るなモロロ。コイツが〝人の縁を司る神様〟だ。名前は結という。こう見えて仕事は一級品だ。わざわざその能力に長けた者を呼んだというのに、そんなに怒ってどうする」
「ここ俺の家ッ!」
いや、正確には親父の家だけど。でも、本人がいない今では、実質的に俺が所有者でもおかしくはないと思う。
だがしかし、今はそんな事はどうでもいい。
「お姉様。それで仕事というのは?」
無視された! そんなに俺の存在って影薄いか? いい加減泣いていいか?
「あぁ、仕事というのは、このモロロの縁結びをやって欲しい」
「モロロ?」
「あの下僕のことだ」
「あぁ! わっかりましたぁ! このカスの縁結びですね!」
「すでに人間として見られてねえ!」
早くも下僕で定着しそうだ……。それだけは何とか回避せねば! 下僕って呼ばれるよりはまだモロロの方がマシだ。
テーブルに座っていた結は、俺の方へ歩み寄ると、その表情を急激に変化させ、ギロリとした目を俺に向けて重々しく口を開いた。
その顔は頬にキズの入ったヤーさんそのもの。ガキなら泣いて喚いて逃げ出すレベルだ。
ちなみに俺はガキではないので逃げ出さなかった(というより逃がしてくれなかった)が。
「おんどれえぇ~、姉様に何かしたら……。そん時は分かっているんだろうなぁ~。あぁン?」
「は、はぁ……」
えっ? な、何……この変わりよう。メチャメチャ怖いんですけど。人格変わり過ぎだろ! 表と裏のギャップ激しすぎ!
「? どうかしたのか?」
「いえっ! 何でもありません! お姉様のたっての希望とあれば、喜んで!」
猫被りやがった! 新幹線とか目じゃねぇ。光の速さで猫被りやがったコイツ!
「それじゃ……。はい」
結がおもむろに手を差し出した。何だ? 握手か?
「お、おぅ」
俺もそれに倣うように手を差し出そうとして、
「違う」
パシン! と強烈に叩かれた。容赦なく叩かれた手がヒリヒリと痛い。赤く腫れたし。
「何だよ」
「何ってカネだよ。お・カ・ネ。まぁ、今回はお姉様たってのお願いだ。しかたないから、負けに負けて五千円ってトコだな」
金とんのかよ! 聞いてねぇぞ! しかも無駄に高けぇ!
「何? 払えないの? ……プッ。この最下層の貧乏人が。……やっぱり人間という生き物は地味でクズでカスそのものだな」
「チクショウ!」
お前みたいな奴に、誰が大事な五千円札様を渡すか! お前には『金を払う』ということ以前に、『相手に対して敬意を払う』という最低限のマナーを叩き込む必要があると思うぞ! 今すぐに!
……と真正面から言いたかったが、俺は泣きそうな顔でパチンと机にしまっていたヘソクリを崩した。この時の俺はメチャクチャ情けなかったと自分でも思った。
◆
「では、始めます……」
俺は結の目の前で正座させられた。額に小さな結の手のひらが触れる。どことなくひんやりとした感触が全身を襲った。
次の瞬間、結の手がずぶり、と俺の身体の中へと入った。水の中に手を入れるように、波紋を立てながら結の手は身体の中へと沈んでいく。
「ちょっ――!」
「動くな! 動くと縁が乱れる」
結の言葉もあり、今現在自分の身体をまったく動かせない俺は、事前に結からレクチャーされたことを思い返していた。
結いわく、人が生涯結ぶことができる縁というのは決まっているらしい。そして、「縁結び」というのは読んで字の如く、今まで結ばれるはずのない縁を無理矢理繋げることらしかった。
もちろん、結ぶことのできる縁はその強度が異なる。結んだ縁を深く強く結ぶことができれば、それは「絆」となり、より強固な親交や愛を生むことができるらしい。
逆に、弱ければその先の関わり合いによっては、折角結びつけた縁も切れてしまう場合があるとの話だった。
まぁ、俺には専門外な話なのでいまいちピンとこないけどな。
「……あれっ?」
ずぶずぶと俺の身体の中に入っていく結の手が突然止まった。
「? どうかしたのか?」
一瞬驚きの表情がさっと走った結だったが、すぐにその顔を元に戻す。
「いや、何でもない……」
結はそうは言っていたが、どことなく煮え切らないような難しい顔をしつつ儀式を続けた。
そして――
「掴んだっ! よし、出すぞ!」
結の手が縁を掴み、ゆっくりと身体から離れていく。腕が、手が見え、その手のひらに細く薄青い糸が握りしめられている。
「これから、縁結びの儀を始める……。微動だにするなよ?」
頷くこともできないため、俺は沈黙をもって肯定の意を示した。俺の〝縁の糸〟がするすると引き伸ばされ、写真に写る先輩の中へと入っていった。
「……結びの儀、終了。これで完了しました」
結わえつける作業が完了したのか、結が写真の中から手を引き抜いた。
「言っとくけど、私ができるのは縁結びという〝きっかけ〟に過ぎない。この縁を深く強くすることができるのか、それとも切らせるのかは自分次第だ」
「わ、わかった……」
「それに、お前とこの写真の中の女性との縁だが、今この瞬間に『相思相愛』になったと思わないように。私はきっかけを与えただけなのだから、せいぜい『今まで気にも留めていなかった人物』から『そういえば聞いたことがある名前かも』と思う程度の縁しかない」
「りょ、了解」
間近で結の仕事を眺めていた葛葉が口を開いた。我が物顔で番茶をすすっている。
なんで人の家でそんな堂々としていられるんだよ。つーか、それどっから出した。
……何回も言うようだけど、ここ俺の家だから。
でも、これではっきりと俺は理解した。
「本当に神様なんだな」
「どうやら信じたみたいだな。私は神だということに」
「まぁな。こんな不可思議なものを見せられちゃあ、さすがに信用するしかないだろ」
そうだ。結を呼び寄せた時のことといい、先ほどの「縁結び」の儀式といい、およそ人間の枠外のことだ。それも、小説やマンガに出てくるようなファンタジー要素満載の「作り話」でもなんでもない。れっきとした現実に起きていることだ。
これを見てもまだ信じられない、という方がたぶん無理だと思う。
「ところで、モロロ」
「何だよ」
「――しばらくの間、ここに住まわせろ。私はお前が気に入ったぞ!」
「はあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ? 何言っちゃってンの?」
意味分かんねぇし。話が飛びすぎだろ! しかも何で命令口調?
「やなこった。そこまでする義理がねぇ」
そりゃそうだ。いきなり家に転がり込んで挙句、『この家に住まわせろ』だと? 虫が良過ぎるのもいい加減にしろ。
「いいではないかいいではないか! 私がお前を気に入ったんだぞ! それぐらい融通してくれてもいいではないか!」
「いやいや、なんでそうなる!」
冗談キツイだろ。なんでお前の決定で住む場所が決まっちまうんだよ!
「……いいではないか。私はずっと一人ぼっちだったんだぞ? こんなにはしゃいでこんなに面白いことは初めてだったんだ」
あれほどぎゃーすか騒いでいた葛葉が、一転してしゅんと大人しくなった。肩を震わせ、小さくうつむく葛葉からぽたり、と涙が出ているのが分かった。
「オイこの下僕がっ!」
「うわっ!」
おもむろに俺の胸元を掴んだのはそばにいた結だった。その表情は怒りに満ち、ギリギリと歯ぎしりをする様子からは相当に頭にきていることが見て取れる。
「何だよ!」
「この人間がっ! このクズがっ! カスがっ! お前は『神様』という存在の孤独さを知らないからそう言えるんだ!」
「えっ?」
意外そうに驚く俺に、結はパッと手を放すと静かに語り始めた。
「この下僕に一から説明するのは面倒だが……まぁいい。お前は『神様』をどういうものだと思っている?」
そんな結の漠然とした問いかけに、俺は一瞬口をつぐんでしまった。
「神様? ……そりゃあ人間の願いを叶えるのが仕事のヤツだろ?」
そんなことを口走った瞬間、結の目がギラリと光った。
「あぁ? 仕事だとォ? おいおい無茶言うなっつうの。お前ら人間の欲望や願いなんてそれこそ宇宙みたいに広大でそして際限なくて、まるでガン細胞のように増殖して行くっつうのに、今じゃ誰も神様なんて信じてないだろうが。でもって、自分達がやれ困った時にはウザイぐらいに縋りつくんだぞ? 初詣の時の願い事なんて聞いてみろ。あんだけの人の数の願い事なんていちいち見てられるかっての」
「いや、人をガン細胞って例えるのはどうなのさ?」
俺の突っ込みにも、結は「はん、どうだか……」と鼻を鳴らすだけだ。
「真実だろうが。人間なんて衣食住とちょっとの潤いで十分生活できるっつうのに、バカみたいにカネを欲したり、地位や名声、社会的身分に縋りついたりするしよォ。そんな妄執を抱いて破滅した奴なんて、それこそ両手の指じゃぁ数え切れないほどいるだろうが」
「そりゃあそうかもしれないけどさ。じゃ、じゃあ……そもそもどうしてここへ来たんだ?」
「なぜ……だと? 一言でいえば、『見ているのに飽きた』からだ。足りない頭で想像してみろ、モロロ。何も無くただ目の前に映し出される人間達の様子を見ているだけの存在など、刺激もへったくれもありゃぁしないではないか」
俺の不意の質問に、葛葉が我慢できないと言いたげな口調で言葉を吐き出す。顔を下に向けているからか、その表情は分からない。けれど、どこか悔しそうだということは分かった。
「見ている、だけ……?」
「そうだ。神様は何もしない。人間からどれほど尊敬され、崇拝され、時には恨まれようとも、だ……。神様とは、『ただ人間を見ている』――それしかできない、いやしないのだ」
「なんなんだよ、ソレ……」
俺は葛葉の言葉を聞いていると、不意に出会ってから見てきた葛葉の顔が頭の中に浮かんでいた。
家へと連れてくるまでの間にいろいろと騒ぐ葛葉。
テレビを愉しそうに眺め、晩御飯をうまそうに食べていた葛葉。
……思い起こせば、そのどれもが「嬉しい」「愉しい」「面白い」と見て分かるほどの笑顔だった。葛葉は顔を綻ばせ、満面の笑顔を俺に向けていた。
そして同時に、結からの話も聞いた俺はこうも思う。
――コイツはこれまでどれほど孤独で退屈でつまらない日々を送ってきたのだろうか、と。
「なぁモロロ。――神様も望んでは、願ってはいけないのだろうか……?」
ふと顔を上げた葛葉は悲しそうに笑っていた。その悲しげな、何もかもを諦めた表情はひどく俺を揺さぶった。
俺は難しい顔をしながら、ぼりぼりと頭を掻いた。
「確かに、『ただ見ている』というのは面白くも何ともない仕事だろうな。そして、そんな仕事をしている自分が嫌になって人間界に来た、と」
俺は両手を頭の後ろで組んで天井を見上げた。
「……そうだ。実際地獄だぞ? ただ見ているだけというのはな。神様という存在は〝何もしないから〟神様なのだ。まぁ、矛盾しているがな。そんな日常が嫌で人間界へ逃げてきたのだ」
「それで? 葛葉――お前は何をしたいんだ?」
ちらりと視線を移し、葛葉の目を見ながら俺はぼそりと葛葉に問いかける。
「出来ることなら、人間界で暮らしたい……というのが本音だ。しかし、こんな私に構う者なぞおるまい。今では誰も神様だと分かると気味悪がって近づこうとしないだろうからな。まぁ、それが賢い選択とも言えるものなのだろうが」
「……そうか」
俺はその後何も言わず、テーブルの向かい座っていた葛葉の頭をがしがしと撫でていた。
「……ったく、しょうがねえな。そんなんだったらウチにいればいいだろ」
――似たもの同士。 同じ匂い。
そんな自分と似たような匂いをかぎ取った俺は、葛葉の小さな頭をそっと撫でていた。するとどうだろう、ふっと優しい気持ちが身体を包んでいくのが自分でも分かった。
「ふぇっ?」
葛葉がきょとんとした目で俺を見つめる。その目からは「本当にいいのか?」と聞こえてきそうなぐらいだ。
俺は葛葉の頭を撫でながら、シニカルに笑った。
「お前が言ったんだろ? 『ここにいたい』ってさ。ならここにいろよ。いいんじゃねえの? 神様が願っても望んでも、さ。まぁなんだ……今日からここがお前の居場所、だ」
「モロロおおおぉぉぉ~~~……!」
「うわっ! ちょ、やめろって! その状態でひっつくなぁ~~! 汚いだろうが!」
「お姉様をよりにもよって『汚い』とか言うな! この下僕の分際でっ!」
「おごっ!」
結の強烈な拳が俺の頬を抉って相当に痛かったが、葛葉も結もさっきまでのどこか沈んだ空気が晴れたのか、にししと笑っていた。
……まぁ何はともあれ、めでたしめでたしということか、な?
頭に置いた俺の手にそっと小さな両手を乗せた葛葉が見上げてくる。その顔はすでに涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃだった。悔し涙から一転して嬉し涙へと変わった葛葉。
その口からは、「うっ、ひぐぅっ……」と込み上げてくる気持ちを必死に押し殺した泣き声が聞こえてくる。
「やれやれ。面倒なことになったもんだ……」
こうして、厄介な神様が、俺の家に居候することとなった。
……できることなら、こんな面倒で子供みたいな神様から今すぐ逃げ出したかった。正直に言えば家を飛び出したいというのが本音だ。けれども、哀しいことにこの家には「ローン」という悪魔が鎮座している。
まぁそれも、俺のじゃなくて元々親父のものだけど。
「では、改めて……」
ぐしっと涙を拭いた葛葉は、赤く腫れた目で笑いながら、
「――よろしく頼むぞ、モロロっ!」
「はいはい」
「お姉様が行くところ、常に私有りです! ……つーワケで頼むわ、下僕」
「お前もかよ!」
「モロロ、神様が一人二人増えたところで問題なかろう? それとも何か? お前は鬼か?」
「…………」
ま、いっか。もうこうなりゃ一人だろうが二人だろうが同じことだ。
そんなどうにも逃げだせるはずもない状況だったが、俺は不思議と頬が緩んでいた。