2:アン・エイビー連続猟奇殺人事件 B視点
がちゃん
エリカは、自分の身の半分ほどもあるトランクの上に乗ってギュウギュウに詰まった中身を押し込んだ。蓋を強引に閉めあげ、バンドで固定し、バンドの隙間に銀杖を挿す。
魔法使いの国で、魔法の杖を作る店に生まれながらにして魔法の使えない彼女は、勝手に異世界に移動するなどという『持病』により、物語管理局なる組織の保護を受けることと相成ったのである。
この南向きの屋根裏の子供部屋では、小さな天窓から白い月と、朝方の温い陽光が注いでいる。このベットも使うことはもう無いだろう。
エリカはトランクを抱えると、屋根裏から去って行った。
※※※※
屋根裏から降りていくと、迎えはすでに到着していた。
深く帽子を被った小柄な体躯。子供のような姿だが、だぼついたジャケットを着ていて体格がよく分からない。帽子の端から、銀髪がこぼれていた。
リビング兼ダイニング兼キッチンの一席を占領していた彼は、エリカが来たのを見るにすっくと立ち上がり、無言の礼をする。
よくよく見ると、着ている制服がダイモンらのものとは違うようだった。濃い芥子色をしている。
「案内担当者の、空子・七島と申します」
ギョッとするほど予想外に低く、落ち着いた声色だった。
「おじさん…あの、ダイモンさんは?」
「彼は本日は休暇を取っております。スカウトの時には、必ず私が同行いたしますので」
「そう……」
エリカは言葉少なに頷いた。
「ああ、エリカ準備できたか」
濡れた手を布巾で拭きながら、アイリーンが顔を出す。
銀蛇は、一人娘の出立の日でも、年中休業いたって普通に営業中である。
「待たせたようですまないね。エリカ、もう行けるのか?」
「ええ、いつでも」
「しかし…それにしても、まさか車で行くってんじゃないだろう?どうやって異世界とやらに行くんだい」
「………」
七島はこぶしを広げて手の平を見せた。ちょこんと乗っているのは、クルミ大のカプセルだ。ころりと転がったそれは、なんとも凝固した油のような、光を反射する黒色をしていた。
「もともと我々は異世界を渡るという能力は備わっておりますから、これは座標指定するものです」
エリカが聴いた。「座標指定って?」
「間違えて別の場所に行かないようにするのです。これを動かしますと、連動して持ち主の能力が発動されますので、発動装置としても活用できます」
「へぇ、便利なものがあるもんだね」
「管理局はさまざまな世界の知識を集めることが容易です。第三部隊というそれを研究する部署もあり、日々、技術は進歩しています」
元の様に七島はカプセルを仕舞い込んだ。どうやら、袖に隠すポケットがあるらしい。「これも近年開発されたもので――――従来のものは、局に連絡を取って連携しなければいけなかったのですが、それが無くなりました。座標がわかれば、どこからでも自由に移動が出来ます」
「へぇ……」
知的好奇心旺盛な親子は、そろって前のめりに相槌を打つ。
「ねえ、じゃあ……」
「あとはあちらへ行けば嫌でも学びます」
ぴしゃりと七島は言い放った。
「…私は後でも聞けないのに」
「私も今聞きたいのに」
アイリーンとエリカは、そろって同じ顔で抗議する。
「そろそろ時間が推しています」
「お母さん、お祖父ちゃんは?」
エリカがすかさず聞くと、アイリーンが肩をすくめて薄く笑い、筵の後ろ頭を叩いた。
「いじけて工房から出てきやしないんだ。エリカ、お前の方から行ってやんな。
老い先短いんだ、今生の別れになるかもしれん。いいだろう?」
七島は首を振った。
「10分だけですよ」
※※※※
「因果ねぇ……」
彼女が出ていくと、アイリーンはぽつりとつぶやいた。
「……彼女が辿り着いていた場所のことを、お聞きになりましたか」
「異世界ってやつだったんだろう?さあね、いつも違う場所だったって娘からは聞いてるよ」
「彼女が辿り着くのは、いつだって荒野でした。共通するのは文明が廃れた場所、人が捨てた土地、またはこれから人が辿り着く場所です。……物語の始まる前に行ける彼女は、とても貴重な存在になるでしょう。大きなことを成すかもしれない」
「物語の始まる場所?あんた、意外とロマンチックな言い方をするね」
「格好をつけるよりも、私は最も適した言葉を使用します」
「………大きなこと、ねぇ」
アイリーンは乱雑に頭を掻くと、若者の様な仕草で後ろ髪をかき上げ、床に目を落とす。
「私もじい様も………きっとシオンだって、あの子に偉くなってほしいなんて思ってないだろうよ。平々凡々でも幸せなりゃ―――――ああ、気にしないでくれよ。独り言だ」
【僕】は、そんな彼女の皮の厚い右手を取り、ポケットの中から先ほどの黒いカプセルを乗せた。
「………どういうことだ?」
「ただの保険です。『いざという時』、使ってください」
僕にしては珍しく、笑顔も作ってみせる。久々の笑顔でこれはどうだろうというような、底意地の悪い顔をしているだろうと思った。
「僕はもう一つありますから。
「………いざという時、ってのはどういう時だ?」
「貴方が使い時と思ったその時です」
「これはサービスか?」
「いいえ、打算による保険です。『僕ら』のこの先の保険」
「……もらっておくよ。ちなみにこれは、有事の際には爆発したりはしないのかい?」
「しません」
僕は笑った。彼女も笑った。苦笑いだった。
「使い時が来ないことを祈るよ」
現れた謎の人物!姿を見せないダイモン・ケイリスク!彼女の母の手に渡された謎の装置!
着々と何かに巻き込まれているエリカ。