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さて、この世はかくもおかしい“物語”によって綴られている。
世界にはたくさんの物語が存在する。それは実在の人物の人生をなぞった、本当にあった物語の場合もあるし、人の頭の中で出来た、空想が転じた作り話ということもある。
しかしすべてに通じるのは、それが人間という生き物が、人間にしか持っていない力を持って作った“物語”という一つの法則だということだ。
逆に言えば、先の物語にあった鳥人間たちの様に、それを行える者こそが真に人間という生き物のくくりに入るのである。
考える頭のある君たちは、思ったことがなかろうか。
物語が持つ一つの力。そこには―――――たとえば、その読み終わった紙面の上にはほしいものがある、何かを得たと。
知識、疑似的な経験、そして何より希望も、いうなれば夢というものを得たことは―――――?
この世は、かくもおかしき“法則”によって綴られている。もしもの話だが、僕にとっては真実だ。
この世界がもし、誰かが考えた“物語”の中だったとしたら―――――君という人間が、もしその物語の登場人物であったとしたら―――――君の人生が、知らない誰かの手によって考えられたもので、物語として読まれているとしたら―――――?
悲観してはいけない。これは例えば、先に言った、物語世界に必ず存在する夢や希望というものが、君たちの世界にも必ず存在しているということなのだ。
そして、その物語を綴った“誰か”もまた、別の“誰か”にかがれた物語の中の人間なのだ。
みんな同じ。日本で生活しているだろう君は、この言葉に多大な安心感を得るはずだ。
こう考えるといい。君に起きた不平等や不条理や理不尽も、すべては“誰か”が考えたものなのだと。それは神様などではない。君と同じ、ただの人間。
人類みな兄弟などとは言いはしないが、いるかもしれない神様よりかは、よっぽど信じられるとは思わないだろうか。
そして、この世はかくもおかしき“物語”によって綴られている。
しかしながら、最近はいるのだ。誰の物語も描かれなかった、いるはずのない存在というのが――――――――――。