9:酔狂
るらりとアン・エイビーは立ち上がった。腕には、安らかにとは言い難く疲労の色の濃い表情で眠るチャックを横抱きにしている。
「――――――ひどい顔だ」
棚の陰から、赤毛の男が現れる。
「……生きててよかったって言われた」
「ん?」
「お姉ちゃんが生きててよかった、ですってよ! 」
「……えらいことになっちゃったねぇ」
根積は棚に寄りかかると、袂から煙草を取り出して咥え、火をつけた。火がともると一息分だけ場が照らされる。
やはりそこは、凄惨な殺人現場であった。
アンは眉を寄せて目を閉じると、チャックを抱えたまま床に逆戻りする。
「……えらいことにするのはこれからでしょう? 」
「え? ああ……そうだね。君がえらいことにするんだろう? 」
「もちろん、もちろんそうよ………」
根積の念押しにアンは床を向いたまま、がくがくと頷く。
「でもぉ……気付いちゃったの。好きなことでお金もらえたらいいって思ってたけど、これ、仕事なのよねぇ……ただの趣味じゃ、駄目なのよねぇ……」
「なんだ、キミらしくない理性的な発言じゃないか」
「……ふ、ふつうの人みたいな…そういう人が出来たからかも」ネイルが頭皮をかきむしった。アンはついに本格的に尻を床につける。「だめ、だめよアタシ、こ、こんなの、初めてなの……どうしよう…――――――――この子が愛しくてたまらない」
「……おいおい、普通の女みたいに君が泣くなよ。気味が悪い……槍でも降るんじゃないかい」
煙を吹いて、へたりこむアンの隣に腰を下ろして根積は見やる。血濡れの栗毛の女が少年を抱く情景を、根積は眠そうな目で収めた。
「全部放り投げてこの子と心中したいけど、この子がこれからどんな風にいくのか、一緒に楽しく元気に生きて生きたいって気もあるの」
「僕は仕事をしてくれれば問題ないね。約束だったろう? 反故にする気? 」
「楽しもうと思ってたの。いつも通り―――――でも、今回は楽しんじゃイケないっていうことを分かっちゃったんだもん。……ううん、仕事はちゃんとする。ちゃんと、確実にやり遂げなきゃいけない理由が出来ちゃったってだけなの…だからこれは、きっと愚痴なんです」
アンはチャックの頭を支えて、慎重に血の乾いた床に下ろした。死骸に寄り添うように、彼がチャックを抱くように――――――「ほら見て…なんてステキ」
呆れたように根積は笑う。
「最初に言っただろう? 好きにしたらいいよ」
「あなたって本当にいい人! 今度、無償でご奉仕させて」
「僕はあんまりベタベタするのは好きじゃないから、これからもよろしく仲良くしてくれたらそれでいいさ」
「ええモチロン! 」
「ほらほら、興奮して大きな声を出すと、彼を起こしちゃうだろう? 君の真面目な顔なんて珍しいものを見れただけで収穫さ。
君のそんな顔が、僕は一番怖いね」