7:一線
だってそちらは畜生の道。
「チャック、嘘をつくのには必ず理由があるでしょう? 隠したいものがあるだとか、格好つけたいだとか、理由なく嘘はつかないじゃない? だってそんなの無駄だものね。でもねぇ、人殺しの理由なんて、あってないようなものだと思うの。
『目の前に人がいました』Q.殺しますか? A.YES ⇒B.NO チャラーン♪貴方は人殺しになりましたぁ~……こんなもんよ。垣根はとっても低いのよ。
ママに必ず言われるじゃない? 『あの線の向こうに行っちゃいけないよ。車が来るからね』いけないよって言うのは、危ないからよ。もしかしたら車に轢かれちゃうかもしれないし、悪い大人がいるかもしれない。
でもその線をちょっと超えてみたって、またすぐ飛び越えられるじゃない。 でも『線の向こうに行った』って経験は残る。記憶が残る。事実が残る。
「人殺しをしたら戻れなくなる」ってこういうことだと思うの。忘れるっていっても脳みそのメモリから消えるわけじゃない。命は戻ってこないし、時間は返ってこない。
人殺したって生きていけるわぁ。だけど自分の中で『人殺し』に変わった称号はそのまんまよぅ。
『あの線の向こうに行っちゃいけない』ってママに言われて育った子供は、その称号が残っちゃうことを嫌がるのよ。そして大半のお母さんは、『いけません』って言って子供を育てるわ。あっちの道は危ないよ、ってね。
まぁ、アンなら、『何事も経験よ』って言ってあげるけどね」
肉の残骸の横で、チャックはすすり泣いていた。血の川の対岸で、アンの演説を傍聴する。
「あぁぁぁぁ……」
「チャック、何事も経験ようぅ」
アンはしれっと言った。
「やってみなくちゃ分からないものもあるわぁ。知らなきゃ幸せなこともあるけれど、そんなのちょっとだけよぅ」
川を踏み荒らして、アンはチャックの横に座る。
「言ったでしょ、垣根は低いって。些細な事なのよ。どうせいつかは死んじゃうの。ポジティブに生きましょ」
アンは肩を寄せ、子供の柔らかい桜色の髪に頬をうずめた。腕は彼の首に回し、胸に押し付けるように抱きしめた。幸福だった。
「…ねぇチャック。もう一人ここにいたでしょう…? その子がチャックをここまで連れてきたの? 」
「―――――い、いないよ……ぼくはずっと一人だよ…。赤い髪の、頬に三日月がある男の人の後をつけてきたんだ」
チャックはいつになくスラスラと答えた。小さく、わかりやすい、けれど本当を混ぜ込んだ、確かなウソである。
「……ねぇ、アン、あなたのことならなんでも知ってるわ」
「…ホントウに? 」
濡れた大きな瞳が腕の中から見上げてくる。
「ぼくが…とっくに線の向こう側に行ったってことことも?
―――――――お父さんとお母さんを、殺したことも? 」