6:脱出
※※※※
『あっちの道は危ないから、行っちゃだめだからね』
西の竹林にはオバケが出るのだ、と、子供たちの間ではもっぱらの噂だった。
大人は皆、竹林の方へ行ってはいけないと言う。きっと、大人たちもどうしようもない、『異世界』の化物がいるのだとか。
その竹林に分け入る男の背を追い、ファンはゆるめかけた足を速めた。
「ねぇ、どこにいくの? 」
「こっちの竹林には管理局の施設があるんだ。半分倉庫なんだけれど、老朽化して危険だから関係者以外立ち入り禁止になってる」
「ねぇ、この竹林にね、オバケが出るんだって噂があるの」
「オバケ?」
男は穏やかに笑った。
「大丈夫、僕はあそこで“そういうもの”に会ったことはないよ。あの場所で夜を明かしたこともある」
「よかった」
しかしそうもきっぱりと否定されてしまうと、彼女としては少し残念でもある。
ファンは少しだけ背後を振り返り、来た道の景色を記憶に収めた。
空は雨が降りそうな曇り空、細い枝に危なっかしく雪をたくわえた竹の群れが、永遠続いている。太陽はとっくに天辺のはずなのに、どうも侘しい風景だった。
急に寒さを自覚し、着の身着のまま、靴は雪に濡れて足が随分と冷えていることを自覚する。
「あの……まだですか」
「もうすぐそこだよ。すまないね」
「あの、あの――――――お父さんは、どうしたんですか? 」
「ああ―――――いや、ちょっとね、ケガをしちゃったんだ。…いやなに、そんなに酷くは無いよ。ただ、用心のために家族の方に迎えに来てもらおうっていう、それだけなんだ」
「そう…ですか―――――」
「ああ―――――ここだよ、ここ」
竹林に埋まるようにして、古びた四角い箱のような建物が建っている。この寒さにも枯れていない緑色の蔦が壁を侵食している姿は、なるほど確かにオバケがいそうである。
「中に人がいるから、呼べば出てくるよ。帰り道はわかるだろう? 一本道だ」
「え、あ、は、はい」
「僕も僕の仕事があるからね。大丈夫、オバケは出ないって言っただろ。じゃあね」
心細げにファンは頷き、濡れて泥だらけになった靴を軽く叩いてから、中に上がりこんだ。
「あの――――すみません―――――伽羅はおりますか――――――お父さ~ん――――――? 」
中は思っていたよりずぅっとがらんとしていた、四方ねず色の薄汚れた部屋が続く。廊下は無く、扉を開けると部屋で、そこにも扉があってまた部屋で―――――といった具合だった。どこの部屋も同じような作りで、どうも心細さを誘発する仕様である。
ファンはより声を張り上げる。
「だれか―――――いませんか――――――」
建物中にその声は響いたように思えた。
「は―――――あ――――――――い―――――――…」
女の声だ。
「すみません―――――」女にファンは返す。
「―――――伽羅のむすめですけれど―――――あの―――――どこに―――――――……」「ここ―――――ここよぅ――――――」
返事があった。目の前の扉を開ける。
(…なんか、変な匂いがする―――――――)
むっと湿度が上がった気もした。
その部屋だけはどうも趣が違った。
部屋中に等間隔に立ち並ぶ、棚、棚、棚……天井まできっちり備え付けられた壁壁は、いよいよ迷路じみている。
引き返した方がいいだろうかと思いつつも、声はこの部屋からしたように思う。引き返そうにも引き返せない。
しかしどうもこの部屋の空気の悪さが気になり、ファンは扉を開けっ放しに室内に踏み込んだ。
「あのう――――――」
ファンは声をかけた。
人影が見えた気がしたからだ。
その人物は、ファンより濃い菖蒲色の髪を振り乱し――――――菫色の目玉を天井に向けていて――――――――
それは、食べ残しの様になった、父の姿だった。
全身の毛穴が開けっぴろげになる。瞼の裏が白くなった。視界が揺れる。腰に力が入らない。喉の奥の胃袋の入り口が、きゅっと締まった。
コツ、コツ、コツ、コツ――――――
ファンははっと我に返る。ヒール―――――女の足音だ。
この部屋にいる!
子供の声がした。
返事をしたら、「どこ」と言うので、「ここ」と答えた。
扉が開く音がしたので、もう一度「ここよ」と言うつもりだったけれども、すぐに扉が閉まった音がした。
アン・エイビーは棚と棚の練り歩き、人影を探す。
さて、相手は近所の小さな探検家達だろうか。どうしてやるのが一番楽しいかを考えつつ、わざと足音を大きく響かせた。
アン・エイビーはそして見つける。
「チャック―――――――――? 」
かわいいあの子。