12:殺人快楽者の主張
某所
その室内には窓が無かった。
芝生の様に毛足の長い絨毯に、形ばかりの煙突のない暖炉。ソファに浅く腰かける一人、テーブルに足を組む女が一人、二人の人間がめいめいの『らしい』ポーズで腰かける。ソファの人物は肘掛けに寄りかかっているものの、すぐさま立ち上がり動ける態を取っているし、テーブルの女は、逆に脱力しきっている。
決してリラックスした空間とは言い難い雰囲気である。
「悪趣味だ」
ソファに座る人物、エルが言った。「貴方はやっぱり、頭がおかしいよ」
「ふぅん?アンタには言われたくないけどネ」アンが返す。
「アンタがあたしのやることに意見するなんて珍しいんじゃない? 子供だからダメだって? 」
「前々から思ってたことさ」
「ふふん。あんただって子供じゃな~い。 子供なのに、今まで散々ヨロシクやってきたんでしょう? 」
「仕事でね。僕はアンタが、楽しんでやってるってことに『悪趣味だ』って言ったんだよ」
エルは幼い顔に苛立ちを乗せて、吐き捨てるように言った。「僕は見返り無しに、自分の身を削って喜ぶ性癖は無いよ」
「な~にをいまさら! 見返りならあるじゃない! 三大欲求の一つだわ! 」
「でも『色欲』は大罪の一つでもあるんだよ、アン・エイビー」
「あ~ら、意外! ロマンチストなのネ、アンタ」
「アンタの存在は、子供には刺激が強すぎる。20年早い」
アンは喉の奥で笑った。「なにそれ……自分のこと?」
「…僕は一生、アンタみたいなやつには会いたくなかったよ。でも僕はまだいい。あの娘には近づかないでほしいね。汚れ物は見せたくないんだ」
「ヒューゥ! やっぱりロマンチストじゃな~い。それが逆効果だって、わかんないの? 」
「言っても言わなくても同じでしょ。だから釘を刺したんだ」
エルは床に目を落とす。愛おしげに一人の人物を思い出し、狂おしいと言わんばかりに眉を寄せた。
「一途ねぇ」
それがまるで馬鹿にするように、アンが笑い飛ばす。
「でも、恋はいいわ。それはステキよぅ……アンタ達みたいにはなりたくないけど」
エルはアンを睨み付けた。「そうだね、君には一生縁が無いだろうさ」
「あぁ~ら! アンだって恋ぐらいしてるもんね! あの子のことが愛しくて愛しくて、アタシは爆発しちゃいそうだわ」
「あんたが? ―――――――まさかあの子供に? 正気なの? 」
「ふふふん。女の子が恋しちゃいけないっていうの? 」
「君のそれを恋とは言わないよ……そんなこと、その子だって感じてるに決まってる」
「感じてる? アタシの愛情を? 」
「いいや、アンタの狂気だよ」
エルはばっさりと斬り捨てた。
「アンタの理解なんていらないもん。アタシあの子が好きよ、どうしようもなく愛しいの」
「それは執着ってやつじゃないの? 」
「アンタだってあの娘にシューチャクしてるじゃない。言ったでしょ? アンタの理解なんていらないの。あの子が大事よ。壊したくない。それだけが本物」
「傷をつけなくても、アンタの行動だけで子供の心は傷ついてる」
「心が壊れる? やっぱりロマンチストね! 可っ笑しいわエルディアちゃん!」アン・エイビーは吠えた。「 今、本当にあの子を分かるのはアタシだけ。あの子に会ったこともないくせに、知らないくせに、普通の子と一緒にしないでよね! あの子は特別なのよ! だってアンはあの子のものになったんだもの! 」
「あの子が君のものになったんじゃなくて?」
「ううん。アンがあの子のものよ。あの子がアンの命も体もすべて握ってる。だってあの子は、このひと月で三回アタシを殺したの。アンはあの子のものよ。何度殺されたって売られたって捨てられたって飼われたって遊ばれたって蔑ろにされたって壊されたって、アンはあの子のものだもの」
エルは口をつぐんだ。絶句。
「ふふん。素晴らしい無償の愛でしょう? 何をされたって、アンはあの子から離れない。あの子の頭はアンでいっぱいよ。もう離れられないんだから」
誇らしげに語る彼女に、エルは頭を振る。
「……君は狂ってる。言葉が通じない化物だ。あの子に何を望むって言うの? 一緒にいてどうするの? 殺すのか? 」
「欲しいのは『共有』よ。それだけ。あの子と一緒にいて、同じものを見て語らいたいの。これが恋じゃなきゃ、なんだっていうの? 言ったじゃない。理解はいらないの。アンがあの子を分かっていれさえすればいい」
「8歳の子供の気持ちがアンタにわかるわけがない」
「年も性別も身分も関係ないの。アンはちゃあんとあの子のことを誰よりわかってる。これはあの子とアタシにしかわかんないんだから。あの子の本質はきっとアンと似てる。…同じものにいつかなれるわ! 」
「洗脳か? ……気分が悪い。アンタは最悪だ。僕ならいっそ、殺してもらった方がマシだね」
もし、想い人に自分がそんなことを施すとしたら…そんな予想をしてしまう。導き出された結果は嫌悪だった。
「あ~ら、殺すほしいならそう言って。アタシ、実はエルのこと結構好きよぅ」
「僕は大っ嫌いだ! 出来るだけ早く死んでしまえ! 」
今度はエルが吠える番だった。
素早く立ち上がり、逃げるように部屋を飛び出す。アンは一人になった。
テーブルの上で欠伸をしたアン・エイビーは、唇から吐き出した舌に右の指を乗せる。軽く自分の指をなぶると、唾液の橋をかけて口から引き抜いた。
限りなく細い、粘液の糸――――――チャックと自分をつなぐ糸――――――――
「――――――きっと、あの子の目の前で死ねたなら……それは最高の思い出よ。天国でしょう? アン、ロマンチストでしょう…? 」
それは誰かに問いかける、小鳥のさえずりの様な声だった。