5 静かで穏やかな、こうした日常に―
05
前からそうだった。
ハルは、俺の視える未来に映らない。しかも在ろうことか、俺が視た未来を――あいつは何度も覆してくる。初めは戸惑った。けれど、そういう例外もあるのだと、やがて受け入れることにした。
――そして時には、その未来に映らないことが、今日のように「救い」になることもある。
……しかし。
気づけば天人は、そんな例外に、無意識のうちに頼っていた。
どれほど便利なことか。自分が視た未来を、変えてくれる存在がいるというのは。
そして――。
どれほどの絶望か。
その例外が、この世界からいなくなってしまうというのは。
┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈
先程の妖怪退治を終えた四人は、源郎と共に靁封神社へと戻っていた。
「ぅおーい、てめぇ等。ご飯できたゾォ」
縁側で星を眺めていた天人たちは、源郎の呼びかけに応じてゆっくりと本殿の中へ入っていく。天人は内側の居間へ足を踏み入れ、ぐるりと視線を巡らせた。
――出会ったばかりの夏は……いや、正確には源郎の封印が解けて『灸尾』を名乗っていた頃。この社には、本当に何もなかった。
当然といえば当然だ。ずっと封印され、誰も立ち入らない神聖な場所だったのだから。
けれど、今は――。
部屋の隅には、いくつもの段ボールが積み重なり、中身が入っているのか空なのか判別もつかない。その手前には新品らしい家電やゲーム機が無造作に置かれ、見るたびに数が増えている気さえする。
このままでは、いずれ本殿が段ボールで埋め尽くされるのでは……と、少し不安になる。そして今は、夏にはなかった炬燵が部屋のど真ん中に、どんと据えられていた。
源郎は昼間に採ってきた山菜をふんだんに使った鍋を振る舞い、炬燵の中央には湯気の立つ鍋がどっしりと置かれる。3人は待ちかねたように炬燵へ潜り込み、天人も少し遅れて足を入れた。
――ぬくい……。
「つーか、素朴な疑問なんだけどさ。源郎が買い物するときの金って、どこから出てんの? ……銀行口座とか、貯金とか、あんのか?」
源郎はちょうど箸で白菜をつまみ、そのまま口一杯に放り込んだ。
「んぐ……んもぐもぐ……ごもごも………」
「いや、何っつってるか分かんねーよ。喋るな、食ってる時に。てか、質問したタイミングでわざとらしく食うな」
代わりに答えたのは、佰乃だった。
「それなら、東家から資金が出てるわよ」
「……は? 何故⁈」
あまりにも予想外の一言に、天人は目を丸くした。
「何故って……まあ、一応、私たちが源郎に従うのが契約の対価ってことになってるでしょ。それを支える手段の一つとして、金銭的援助をしてるのよ。陰陽師たちは今も源郎を恐れてるから、逆らえば殺されるとでも思ってるのよね。――源郎はこんなにも無力なのに」
ぽり、と佰乃は大根を噛んだ。
最後の一言は余計じゃないか、と天人は思ったが……。
当の本人は何事もなかったかのように鍋をつついている。
でもまあ、よく考えたら、源郎に遠慮する理由なんてないのかもしれない。
「ひゃ、ひゃくの………。てめぇまで、そんな……酷いことを言うのか……。みんなして……俺様を傷つけて……楽しいのかよ……うう……」
「……あーあーあ。源郎が泣いちゃったじゃあん。どうしてくれんの、天人お」
「俺⁈ いやいや、今のは佰乃だろ! 何で俺のせいなんだよ!」
急に責めてくるハルに、天人は反射的に反論する。
「俺、一言も言ってねーぞ⁈」
「“チームの乱れは全員の責任”っていつも言ってるじゃん。あれって何? 口だけの約束? ハル、そういうの大っ嫌いなんだけどぉ」
「理不尽すぎるだろ、御前……」
源郎の隣に座るハルが、もう悪魔にしか見えない。
いや、悪魔だ。こいつ。
「喧嘩しないでよ、2人とも。せっかくのご飯なんだから、大人しく食べなさい」
ずっと黙っていた舞子のひと言に、天人もハルも何も言い返せなかった。
会話が途切れた途端、鍋の中身が勢いよく減っていった。昼間「自炊なんて面倒くせー」とぼやいていた源郎だが、鍋は驚くほど美味かった。源郎は傍らからポン酢を取り、取り皿にとくとく注ぐ。
「そういや、新しい依頼だ。お前ら、岡山行ってこい」
「岡山ぁ⁈」
あまりに突然すぎて、天人は思わず前のめりになった。卓上がガタッと鳴る。
「ちょっと、あーくん、やめてよ。鍋、落ちちゃうじゃん」
「あ、ああ。ごめん。……っていうか、何で岡山? いきなりそんなこと言い出すなよ、源郎」
「なんだよ。文句でもあんのか? 依頼ってのはな、いつ、どこから来るか分かんねぇもんだろ」
「それはそうだけどさ……」
天人もポン酢を受け取って自分の皿に注ぐ。ハルから「入れて」と言われ、ついでにハルの皿にも注いでやった。
「ていうかさ、俺たちの管轄って靁封町内だけじゃん? 何でわざわざ、新幹線使うような場所に行かされるわけ?」
「そうよ。それに、私、御役目の儀式の準備が始まるから、しばらくこっちに顔出せなくなるの」
「えっ、佰乃こっち来れなくなっちゃうのぉ?」
「うん。昨日お父さんから言われてて、今日みんなに伝えようと思ってたところ。たぶん、冬休み前には終わるけど」
鍋の具材が減ってきたので、源郎は器から山菜を追加した。
佰乃の言う『御役目』の儀式とは、陰陽師が一人前として認められるために必要な通過儀礼だという。儀式を終えれば、佰乃は正式に東家の陰陽師として認められ、妖怪退治を任されることも、地方へ派遣されることもある。
そして『御役目』とは、東家の血を引く者に課せられた使命。
東家は御三家と呼ばれる陰陽師の名家のひとつで、代々『御役目』を受け継いできた。誰もがそれを果たすわけではないが、ある者は遂行し、ある者は果たせぬままこの世を去っていく。ちなみに、『御役目』は東家に限らず、他の御三家にも存在する。だが詳細は家ごとに厳重に守られており、世間に出ることはまずない。
……まあ、そのへんから察するに、御三家って呼ばれてるわりに、実際の仲はあんまり良くないんだろうな、と俺は思う。
「『儀式』って、何するの?」
「んー……私も詳しくは知らないけどね。東家の紋章が入った外套をもらったり、今までの目眩し札じゃなくて正式な札をもらったり……。あとはそうね、陰陽師として一人前になる意味を込めて、それなりの呪力を与えられたり、色々よ」
「呪力かあ……。私たちは半妖になっちゃったから、そういう儀式なくてもそれなりに戦えるけど……本来は通るべき道なんだよね?」
舞子がコップに口をつけ、水で喉を潤す。美味しい鍋の余韻を口の中に残したまま、湯気だけが黙々と鍋から立ち上っている。天人の座る位置からは、もう源郎の顔が鍋と湯気に隠れて見えなくなっていた。
「そうね。本来なら必要な力……だけど、私からすれば要らない力よ」
佰乃が淡々と続ける。
「言ってなかったけど、各名家にはそれぞれ得意とする戦い方があるの。東家の場合は、思業式神と封印呪術が専門。妖怪退治というより、徹底して封じることを目的としてる。――でも、西の名家は全然違う。悪業罰示式神とか半妖を使って、妖怪そのものを討ち滅ぼすの。……暴力的なのよ、あの人たちは」
佰乃は、少し苦い表情を浮かべながら言った。
「はーくんよりも? はーくんより頭おかしい奴がいっぱいいるってこと?」
舞子の問いに、佰乃は即座に頷いた。
「ハルみたいなのが、たくさんいる」
その瞬間――。
天人の隣で、「ごくん」と唾を飲み込む音が聞こえた。
┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈
「で、話の続きなんだけどヨ」
と、源郎が切り出した。
「なんも、今すぐ岡山に行けって話じゃねーンだ。突男が、おめーらを呼んでるから“行け”っつってんだよ」
「突男が?」
「そう。突男が」
あの突男に呼ばれるとは……何の用だろう。
依頼ってことは妖怪絡みだとは思うけど、だからって、わざわざ関東にいる俺たちを呼ぶ理由があるのか?
……まあ、考えても仕方のないことを考えるのは時間の無駄だ。
天人は皿に残った最後の食材を口に運び、鍋の味を噛みしめた。
「そうだなァ。佰乃が儀式を終えてから、4人揃って行ってこい。それまでは、こっちでジャンジャン働け」
「働けって言われても、給料出てないんですけどぉ」
「ウッセーな。俺様がこうして手料理振る舞ってやってんだろ。そんくらいで我慢しろ。いや、我慢しろって言うと俺様の飯が不味いみてーに聞こえるな……兎に角だ。岡山に行く経費は東ん家が出してくれるから、安心しろ」
何が“安心しろ”だよ。お前の金じゃねーだろ。
……でも、まあ、と天人は小さく相槌を打つ。
「久しぶりの旅行だと思って行けばいいんだよな。だったら、佰乃の儀式が終わるまで頑張れる。……で、次の靁封町の妖怪退治は?」
「ああ、えーと……」
源郎はそう言って立ち上がり、後ろの段ボールの中から紙を1枚探し出して差し出してきた。ハルは素直にそれを受け取る。
「なになに……カラスの目撃情報。先日、靁封町西地区で、七羽のカラスが人を襲っているのが目撃された……。……って、これ、何て読むの?」
ハルは紙を指さし、天人に見せた。「涅色」と書いてある。
「涅色だな」
「涅色って?」
「黒のことだ。少し褐色が混じってるけど、黒に近い」
天人は源郎を睨んだ。
「なんでわざわざこんな難しい字で書いてるんだよ。黒でいいだろ」
「だって俺様、目覚めたの最近だもン。現代語とか詳しくねーし」
「その割にはパソコンで打ち出してるけどな」
「…………」
(パソコンで打ったんなら、なおさら黒の方が早ぇだろ……)と心の中で突っ込む。
「“涅色のカラス七羽は、女性ばかりを襲っている”……って、これただの変態カラスじゃん」
「いや、そもそも妖怪なのか? 普通のカラスって可能性もあるだろ。群れで行動することも珍しくないし」
「でも、七羽とも人を襲ってるって、おかしくないか?」
と源郎が口を挟む。
「おかしいって……お前、確信があって言ってんのか?」
「確信はある」
「なんだよ」
「勘だ」
「ふざけんな」
天人は近くの段ボールのガムテープのカスをつまみ、源郎の頭めがけて投げつけた。「あたっ」カツン、と小気味いい音がした。
「でもあーくんの言ってることも一理あるけど、源郎の言ってることも一理あるね。調査してみる価値はあるんじゃない?」
「そうだ。テメェは黙って従え」
「……なんか腑に落ちないけど」
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鍋の片付けを手伝って外に出た頃には、もうすっかり冷え込んでいた。月は高く昇り、青暗く澄んだ夜空が冬の訪れを静かに告げている。その空を、4人は一歩ずつ階段を降りながら見上げた。月の光が澄んだ空気に反射して、冷たくも美しく煌めいている。
「天人……」
ふいに佰乃が天人に声をかけた。天人が振り向く。暗がりに溶けて表情はよく見えなかったが、何か言いづらそうにしているのは伝わった。
「どした?」
「……私がいない間、ハルのこと、頼んでもいい?」
「頼む?」
佰乃は、前を歩くハルの背中をじっと見つめた。その隣には舞子が歩いている。2人が特別仲がいいわけではないが、以前のようなぎくしゃくした空気はもうない。舞子がふっと笑う横顔が、時折ちらりと見えた。
「頼むって、何を? ……義足のこととか?」
「違うの……。あ、いや、それもあるけど……」
天人は小さく首をかしげる。
「言いづらいことなのか?」
「……あのね。ハルから、目を離さないでほしいの」
「それって、どういう――」
「……最近ね、怖くなるの。ふと、ハルがいなくなっちゃうんじゃないかって。私たちの側から、何も言わずに、すっと去ってしまうんじゃないかって。ずっと、そのことばかり考えてる……」
陶器みたいに白い肌。光を透かす柔らかな茶髪。右脚に覗く、銀色の義足。
そのどれもが――いつか手の届かない場所へ行ってしまいそうな、不安を呼び起こす。
佰乃はその三白眼で、まっすぐ天人を見上げた。
「今回の間だけでいいの。お願い。ハルを一人にしないで」
天人は無言で佰乃の頭にそっと手を置き、軽く押すようにして撫でた。
「何、ばかなこと言ってんだよ」
そんなこと、言われなくてもわかってる。
「俺も、舞子も、ちゃんと見てるよ。お前たちはもう、2人きりじゃない。俺たちがいる。そんなの当然だ。ハルを勝手に一人になんか、させるもんか」
佰乃は鼻をすんとすすり、小さく「ありがとう」と呟いた。それから気まずさを誤魔化すように笑い、「泣いてないから。ただ、ちょっと寒いだけだから」と言い添えた。天人は、そんなやり取りさえもどこか愛おしく感じていた。
静かで穏やかな、こうした日常に――。
少しだけ浸っている自分がいた。
ご感想等お待ちしております〜☺︎




