3 あの年の夏 ー復活ー
03
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なんなんだ、ありゃぁ……。
初めて見る、生き物。人間のようでいて、人間じゃない。
車に轢かれる直前って、きっとこんな感覚なんだろう。体が硬直して、まったく動かない。直感でわかる。こいつは危険だ。
でも、体が――指の先まで――冷え切って動かない。
同時に、これまで「ありえない」と否定し続けてきた何かが、自分の中で崩れ落ちた気がした。
あれが……灸尾……?
訳のわからない爆風に巻き込まれてから、舞子はずっと気を失ったままだ。
「くっくく、久しいなァ、外に出るのは! こんなに簡単だったのか……くくく、笑えてくるぜッ‼︎ 人間どもめ、つまらない時間にこの俺様を巻き込みやがってッ‼︎ あれからいくつ時代が巡った? いくつの四季が過ぎた? 思う存分、暴れてやるぜ……。………………って、ん?」
灸尾はそこで言葉を止め、ギラリと目玉を動かした。
……なんでこっち向くんだよ。さっきまで一人で喋ってたくせに。
本気で心臓が止まるかと思った。
でも、それでもわかる。
こいつは……ヤバい。
「おい、お前」
「は、はいっ!」
って、何返事してんだ俺。馬鹿か。
でも仕方ない。
自分より圧倒的に強そうなものには逆らえない――それが、人間の性ってやつだ。
「ちょうどいい。喰ってやる」
「はい……………………………………………………はい?」
喰って……やる?
「いやいやいや、いや!」
天人はこれでもかというぐらい目の前で手を振った。ついでに顔も横に振り……たいが、目を離したら襲ってきそうなので、首は固定されたまま。
喰ってやると言われても――やるっていわれても、流石にダメに決まってるだろ。「どうぞ」なんて差し出せるわけがない。
俺だって人間だ。誇りも命もある。
……けれど。
人間である天人に、得体の知れないそいつに抗う術はなかった。否定も反論もできない。
そんな中で真っ先に感じたのは――自分の体に起きている異変だった。
「⁇」
舞子を抱えているはずの右腕が、音もなく、ありえない方向に曲がった。
痛みは――一瞬遅れて、灼けるように襲ってくる。
?????????????????
声にならない悲鳴が、全身に響いた。
痛い。痛い。だけど「痛い」じゃ足りない。骨の中から炎が吹き出すような、そんな狂った痛み。勝手に折れた右腕をかばいながら、それでも舞子を抱え続けようとした――そのとき。
「オメエに用はねぇ」
背中に強烈な衝撃を受け、体が前へ投げ出された。
「ぐはっ!」
理解できない力で吹き飛ばされた天人は、背中を神社の門柱に叩きつけられた。
やべぇ……痺れて動かねぇ……。
揺れる視界の向こうで、舞子の体が灸尾の手に渡っていくのが見えた。
「最初の食事が16歳のガキか。悪くねえな」
――しょくじ?
「ふざけるなぁ‼︎」
叫んだ瞬間、天人の視界の端を、誰かが風のように駆け抜けた。天人が見たのは、その誰かの残像だった。
正確に言えば――見たというより、そこにいたと知覚したのだ。
「………あぁ?」
灸尾の表情が、ほんの僅かに揺らぐ。灸尾の腕の中からは、すでに舞子の姿が消えていた。気づけば、舞子は佰乃のそばに立っている。
そして、その佰乃の隣には――。
見たこともないほど整った顔立ちの、美しい少年がいた。
年齢は天人と同じくらい……いや、少し上かもしれない。それとも下か。年齢が読み取れないほど、中性的で整った容姿だった。
彼は、紺色の――真夏には珍しい――長袖のパーカーを着ていた。露わになった首筋のラインは白く、滑らかで、どこか人工めいてさえ見える。顔も同じく白い。前髪は長めで目元に影を落とし、後ろ髪は低い位置で結われている。
そのせいか、一瞬だけ女子にも見えたが、骨格の鋭さから男子だとわかった。
「で、この子、誰?」
舞子を救っておきながら、当の本人の名前を知らないらしい。
――佰乃の友達?
――いや、こんな動きできるなら陰陽師系か……?
天人は勝手に推理を始めたが、それは一瞬で崩れた。
「!」
少年――彼は本能的に迫る危機を察し、振り返った。だが――遅かった。
両腕で顔を庇ったその瞬間、ドン‼︎と空気を殴りつける轟音が響き、彼の体がふわりと浮いた。
次の瞬間――真横へ吹き飛ぶ。地面をゴロゴロと何度も転がり、数メートル先でようやく止まった。
「ハルっ‼︎」
佰乃が叫ぶ。
「……おせぇなァ」
「舞子ちゃんっ‼︎」
見ると、舞子の体は再び灸尾の腕にあった。天人は腕を完全に折り、まともに動けない。
天人は思った。
いや、誰もが思った。
――これが、世界の終わりなのかと。
こんなにも簡単に。
こんなにも呆気なく。
世界は……この町は……滅んでしまうのか?
無力で、何もできない自分が憎らしい。世の中のすべてを知ったつもりで生きてきた自分が、恥ずかしい。
だけど。
――だからといって、終わらせていいものではない。
俺は、諦めが悪い男だ。そこだけは、自分の長所として胸を張って言える。
無力だからこそ、抗うんだ。
視界が歪む。
何が起きているのかもわからない。
それでも、天人は――。
無我夢中で、空中に浮かぶ何かを掴んだ。
……――。
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夜が明け、人々はゆっくりと目を覚ます。
新聞配達の人は、きっと誰よりも早く街を駆け抜けているだろう。
平凡な毎日も、人によっては――いや、捉え方ひとつ、ほんの些細なベクトルの変化ひとつで大きく姿を変えるものだ。
「今日こそは上司に報告しよう」とか、
「今日こそはあいつに落とし前をつけてやろう」とか、
「今日こそは遅刻しないようにしよう」とか。
1日が24時間であるという事実は、この世界に生きる限り覆せない。
その限られた時間の中で、人間の脳みそはまあ働く、働く。ああしよう、こうしようと忙しなく動き、己が元凶になるかもしれない無自覚と隣り合わせで、物事は進んでいく。
人間は、愚かで、クソで、そして最高に面白い。
文明の開花だかなんだか知らねえが、この時代に目覚めちまった以上、もう仕方ねえ。
付き合ってやるよ――遊びに。
そして――己の愚かさに気づくがいい。
目の前で、戸が横に開く。初めて見る顔ぶれと、どこかに微かに面影の残るあいつの顔とが、記憶の残像を揺らした。
「よォ、来てやったぜ、陰陽師」
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居間に通されてソファに腰を下ろした俺を、周囲の視線がじろじろと刺してくる。
「あー……なんつーかよ、俺様は見世物じゃねえんだよ。こっちはさっさと用件済ませて帰りてェんだ。話のきっかけぐらい作っとけっての、ったく」
「……目的はなんだ、灸尾」
目の前に座るジジイが、鋭い眼で俺を睨みつける。
「灸尾……かァ。源郎とは呼んでくれねェんだな」
「?」
「まあ、いいや。目的、だっけ? そんなもん、俺様に聞かれても知らねェよ。そもそも、そっちのガキが勝手に俺様のモン喰っちまったんだし」
その言葉に、ジジイの眼が細くなる。
「我々が……先に喰った?」
灸尾は隣に立つ男へちらりと視線を投げ、鼻で笑った。
「そうだぜ。いやあ、俺様も初体験だったよ。自分の魂、勝手に掴まれて、投げられて、喰われるなんてな。まあ、初の試みだったし、しゃーねえけどよ」
昨日と同じように、一言一句そのまま話してやると、ジジイの表情はさらに曇った。
復活した俺様の目の前にはガキが二人、そこへさらにガキが二人現れた。そのまままとめて喰ってやろうと思ったのだが、すぐに陰陽師どもが押し寄せてきて、俺様は“新しい遊び”を思いついた。
俺様の魂を分割して、神社の敷地から抜け出す――。
だが、それは失敗した。あの場にいたガキ四人が、分割した俺様の魂を喰ったのだ。
いや、正確に言うなら――あいつが皆に投げつけ、食わせたのだ。
杖を握るジジイの手が、ふるふると震えている。怒りを抑え込んでいるようだが、その矛先が誰なのか、いまいち読めねェ。
俺様は続けた。
「つーわけで、俺様の妖力は、お前らのガキに“契約”されちまったってわけ。……わかるか?」
『契約』。
簡単に言えば、半妖になることだ。
陰陽道の世界では、妖怪を退治するために霊力や妖力が必要になる。
その際に、人間と霊体――あるいは妖怪との間で交わされるのが、この契約という儀式である。
陰陽師の中には、鬼道を用いて妖怪や呪霊を祓う者も多い。
そのため半妖という存在は、御三家か、あるいは特殊な例にしか存在しない。
半妖は、契約相手から力を借りて戦う。
その代わり――対価を払う。
一般的には“寿命”が差し出されることが多いが、 自らの体の一部を供物として差し出す場合もある。
対価の形は実に多種多様だ。言い出したらキリがない。
つまり、灸尾の魂――妖力を喰った四人は、今や半妖となり、契約し、対価を支払わなければならない。
「……聞きたいのは、対価の話だろ? 俺様もヨォ、考えたんだよ。何がいいかなァって」
「貴様……ッ‼︎」
早速、ジジイが身構える。
俺様は手をひらひら振って、先に制した。
「おいおい、待てって。俺様、今は無力の一般人だぜ? 手ェ出すの、ナシな?」
「……早く言え、灸尾」
「ンじゃ、遠慮なく言わせてもらうわ」
灸尾は、にやりと喉の奥で笑う。
「ま、俺様が復活しちまったせいで、この町にも妖怪や呪霊が増えるだろうよ。あいつら、俺様の力が強すぎて、どうしても引き寄せられちまうからな」
「でも、今の俺様じゃ抑えきれねェ。そこで、だ」
視線が、じりじりとこちらに向く。
「俺様の力を喰っちまったあのガキども――どうせ近い将来、賞金首になるのは目に見えてる。だったらいっそ強くなってもらって、この町に湧く邪魔者どもを退治して、最終的に俺様に力を返してもらう……ってのが、俺様の答えだ。人の町を、知らん奴に勝手に奪われるなんざ、これ以上ない吐き気だからな」
舌をぺろりと覗かせながら、灸尾は片眉を上げた。
「結論から言うと――俺様の力を分けてやるから、この町を守れってこった」
「………守る?」
「……ああ」
ジジイが立ち上がり、さっきまで細めていた眼をカッと見開く。灸尾を見下ろすようにして、怒声を叩きつけた。
「調子に乗るなよ、この裏切り者め‼︎ この町は、先代がずっと守ってきたんだッ‼︎ 貴様などに命令されずとも、我らの力で守っていくッ‼︎ 裏切り者の力など借りん‼︎」
「――ああ、悪ィ悪ィ。なんか、勘違いさせちまったみてェだな」
灸尾は片足を持ち上げ、そのままテーブルを真っ二つにへし折った。
「やってもらうじゃねえ。やれだ」
「そっちに拒否権はねェ。答えはイエスだけだ。俺様も、それしか受け入れねェ」
灸尾の口角が、獣のように吊り上がる。
「感謝しろよ? 最強が、力を貸してやるってんだ。……ああ、それと忘れんなよ。ガキの命は、いつでも俺様の手の中だ。少しでも下手な真似をしたら――殺す、ぶっ飛ばす」
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「あー、くっせぇ空気だったな」
灸尾は東家を出て、靁封神社へと歩き出した。力を失った今の彼は、見た目だけならただの人間だ。すれ違う者は誰一人として気にも留めない。
頭上では、容赦のない太陽がぎらついている。
――こんな身体じゃなけりゃ、そもそも歩く必要もねェし、光なんざ浴びる必要もなかったってのに。ったく、人間ってやつは……めんどくせェ。
それにしても――。
「真実っつーのは、中々伝わらねェもんだなァ……。んま、最初っからそんなもん、求めちゃいねェけどよ」
灸尾は、心底どうでもよさそうに肩をすくめた。




