2 あの年の夏
02
四ヶ月前――。
七月某日――。
明日から夏休み――。
ここ雷封町には、高校が一つしかない。県立南高校は、この町で唯一の高校であり、周辺に住む大半の学生がここに通う。
二〇〇五年。
学力調査の結果、最下位校と最上位校の偏差値の差が40を超えた。その是正のため、この地域の高校は学業改革として一斉に統合された。
改革の根本は「これからの世界でグローバルに活躍できる人材」を育てること。
そのため英語だけでも4種類の授業が設けられていた。しかし同時に、“日本の文化を深く理解する”という方針も掲げられており、歴史・文化・宗教に至るまで、どの学校よりも重んじている。
一歩間違えればオカルトと呼ばれかねない授業内容もあるが――。
誰も口に出さないし、誰も気にしない。
なぜなら、この町の人間は
ずっとそうやって育ってきたからだ。
南高校は、誰でも入学できる――つまり偏差値による選別がない。
その代わり、入ってから卒業するまでの学業が異常に厳しい。
だから、転校する生徒も、留年する生徒も多い。
藤崎天人は、ぼけぇーっと実験の手順を説明する教師の声を聞きながら、窓の外のグラウンドを眺めていた。
グラウンドでは、上級生らしき生徒たちがサッカーに興じている。
――あーあ、どうせなら俺もサッカーとかしたかったなあ。なんで夏休み前日に実験しなきゃなんねえんだよ……。
そんな愚痴を心の中でこぼしていると、「ちょっと、ちょっと」隣から肘をつつかれた。
隣に座っているのは、幼稚園の頃からの幼なじみ――神ノ条舞子。
「ンなんだよ」
舞子はこそこそと真面目な顔で言う。
「東佰乃ちゃんってさ、あの東さんちの子だよね?」
指差す方向には、またしても“ぼけぇーっ”としている女子生徒がいた。
「ああ、そうだと思うけど……何。まさか、あいつに話しかける気?」
舞子はこくりと頷く。
「ちょっと確認したいことがあって」
――まじかよ。
天人の「まじかよ」は東佰乃に向けたものではない。トラブルメーカー、神ノ条舞子に向けたものだ。
「お前さ、東さんちに嫌われてるんだろ? よく話しかけに行く勇気あるよなぁ」
「う……。やっぱり私、嫌われてる?」
「まあ、そう見えるけど」
「……いいんだもん。それでも、聞きたいことがあるし」
聞きたいことってなんだよ、まったく……。
天人は深いため息をひとつこぼした。
その瞬間、教室に響く中年女性の声が耳に飛び込んでくる。
「はーい、それじゃあ皆さん、グループを作って実験始めてくださーい」
いつの間にか説明は終わっていた。先生の掛け声と同時に、教室中がざわめき、椅子が引かれる音が重なる。
しまった。まったく話、聞いてなかった。
そう思った矢先、案の定、天人の肩をガツンとどついてくる奴がいる。
「よ、天人。俺らのグループ来いよ。どうせ話聞いてなかったんだろ?」
小学校の頃からの幼なじみ、須賀海都だ。
「うっせぇ……」
「出た、天人の可愛くねぇツンデレ。あのなぁ、お前、俺がこのクラスにいなかったらそのツンデレも通用しねぇんだからな?」
「………」
天人は無言で海都をにらみつける。
席を立ち、海都のグループに向かおうとした――その時、左手首を誰かに掴まれた。
言うまでもない。舞子だ。
「……なんすか?」
「うん、どこ行こうとしてるの?」
笑顔が痛いって……。
「……どこって、グループに……」
こういう時の俺は、ほんと弱い。海都は天人と舞子を交互に見た。
何見てんだよ。こういう時こそ助けろよ。
天人は心の中でそう念じながら、海都の言葉を待った。が、海都は深いため息をつく。
「なぁんだ。そういうことなのかよ。だったら最初から言えよ」
「え、」
「はいはい、俺はお邪魔虫でしたね。夫婦仲良くグループでも作ってろ!」
やけくそ気味に吐き捨てると、海都は天人の肩から手を放し、背を向けて歩き去ってしまった。
「あーくんはここにいて。佰乃さん連れてきて、三人でグループ作るから」
「そのあーくん呼び、そろそろやめろ!」
「あーくん」
「おい」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、舞子は佰乃を誘いに向かった。残された天人は、なんとも言えない気持ちで後頭部をかいた。
なんというか――
今日も長い一日になりそうだなぁ。
┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈
放課後――というか、午前中で授業が終わったので、まだ昼頃の時間帯だ。
藤崎、神ノ条、そして東の三人は、実験室に残って掃除をしていた。
正直なところ、神ノ条と一緒に行動して良かった記憶なんて、一つもない。いわゆるトラブルメーカーというやつだ。
小学校のとき、「今日は一人で帰るのが怖い」となんとなく言われて付き合ったら、カラスの大群に追われる羽目になったり。
中学では「忘れ物をしたから一緒に取りに行こう」と誘われ、夜に学校へ向かったら、運悪く強盗現場に遭遇してしまい、結果として面倒なことに巻き込まれたり――。
とにかく、神ノ条が巻き起こすトラブルのスケールは計り知れない。
そしてなぜか、その後始末をする役目は藤崎天人、というレッテルが貼られていた。幼馴染というだけで、常に一緒にいるからだろう。地元の人たちは皆それを知っている。
放課後の教室には冷房も入っておらず、まとわりつくような蒸し暑さが漂っていた。空気が纏いつくように重く、着ている服でさえ鬱陶しく感じるほどだ。
「じゃ、私、帰るから」
東がぽつりと言う。
「あ、待って。東さんって――」
「佰乃でいいわよ。あなたが嫌じゃなければ」
「じゃあ、佰乃ちゃん。……あのね、私のおじいちゃん、この町の町長なんだけどさ、こないだ佰乃ちゃんのお兄さんが家に来たの。それで、聞いちゃったんだけど……靁封神社、立ち入り禁止区域にするって本当? ほら、あそこって佰乃ちゃんの家が管理してる区域でしょ? ちょっと気になって……」
――なんだ、そんなことか。
天人は内心で肩を撫で下ろした。
『靁封神社』は、この町の象徴ともいえる神社だ。
町のほぼ中心に位置する、山――いや、丘と言うべきかもしれない――その頂に建っており、周囲の平野部からでもその姿をはっきりと見渡すことができる。
山自体に名前はないが、頂上へと一直線に伸びる長い坂には「元気坂」という名前がついている。
由来こそ不明だが、数百段にも及ぶ石段を上りきるには相当な体力が必要なため、いつしかそう呼ばれるようになったと言われている。
とはいえ、山は山だ。登るのは決して楽ではない。
それでも、運が良ければ雲の上にいるような絶景が見られることもあり、「年に一度くらいは登ってもいいか」と思える程度には人気がある。山頂には、休憩所も食事処もなければ、コンサートが開けるような施設があるわけでもない。
あるのは、古びた神社がぽつんと一つだけ。
子どもの頃、舞子と一緒によく遊びに行った場所だ。
燻んだ紅色の鳥居をくぐると、すぐ正面に拝殿が見える。参道は短く、数十メートルも歩けば着いてしまう。その両脇には、険しい表情の狛犬が一対、鎮座している。拝殿の裏手には本殿があるが、そこも広いとは言えない。鳥居をくぐって右手には、樹齢何年なのかも分からない大きな神木が、ひっそりと立っていた。
そんな場所へ頻繁に通っていた日々を、天人は少し懐かしく思い出した。しかし、中学の後半からは部活や受験で忙しくなり、靁封神社を訪れることもなくなっていた。
あの神社の存在は、年々、記憶の中で薄れていく――。
佰乃は小さく肩をすくめた。
「さあ? 私は知らないけど」
「で、でも、佰乃ちゃんって東一家でしょ? なんか、話とか……」
それでも何か情報を得ようとする舞子に対し、佰乃は淡々とした態度で返す。
「悪いけど、情報を求めてるなら私は無駄だよ。まだ御役目、継いでないしね」
お、おやくめ……?
聞き慣れない言葉に、天人と舞子はそろって首を傾げた。
「御役目って、なんかあるのか?」
「まあ、一応、陰陽師の血筋として生まれてきたわけだし」
「陰陽師……」
その言葉は、この町に古くから根づいているものだった。
この町には、こんな言い伝えがある。
――昔。今よりずっと小さかった頃のこの町で、妖怪が暴れた。
その妖怪を退治するため、一人の陰陽師が自らを犠牲にし、同時にこの土地には永遠の平和がもたらされた――。
その伝承があるせいか、この町には代々、陰陽師の家系が必ず住み続けている。天人たちが六歳になるまでは、いかにも怪しげな風貌のおじいちゃんがいたのだが、その人が隠居することになり、代わって東一家がこの町に引っ越してきた。天人も舞子も、佰乃の存在をその頃から知っている。
……とはいえ、どこまでが本当の話なのかは誰にもわからない。
正直、学生の半分以上は「あんなの子どもの空想話だ」と笑い飛ばしている。
陰陽師だの妖怪だの、鬼だの不思議な力だの――。そんなものあるわけない、と。
幼い頃なら信じていた夢物語は、大人になる過程でいちばん簡単に捨てられるものだ。
南高校には、陰陽道や中国史、オカルト系の授業がいくつもある。だが、出席率は決まって最低だ。
その講師を務めているのが、東佰乃の父・東征爾である。天人自身は特別興味があるわけではない。だが、妖怪や目に見えない存在を真っ向から否定する気にもなれず、毎回授業には出席していた。
生徒数わずか八人のクラスだが、内容は意外にも面白い。
「まあ、そりゃあ簡単に家の情報なんて話せねぇよな」
「……なんだ、あんた話が通じるじゃん」
「藤崎天人だ。そこのトラブルメーカーと違って、ある程度の常識はあるもんでね」
「そう」
会話を終わらせたいのか、佰乃はそれだけ言って背を向けた。
天人は面倒だと思いつつも、佰乃の背中に言葉を投げる。
「靁封神社、いつから立ち入り禁止になるんだ? ――自分の神様くらい、最後に会わせてやったっていいだろ?」
「……神様、ねぇ……」
「?」
「明日には封鎖するわ。行くなら――今日ってところね」
コツ、コツ、と廊下に響く足音が遠ざかり、やがて完全に消えた。
「……ンなんだよ、最初から言えっつーの……」
┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈
「ま、待って……ちょっと、待ってってば」
だるい足を無理やり動かしながら、舞子は石段を登っていく。その前方を淡々と進んでいく天人は、振り返る気配すら見せない。
「無視しないでよォー! 最低ぃー!」
それでも二人は黙々と階段を登り続けた。
登り始めたときはまだ夕日が空を染めていたが、今ではその三分の二ほどが沈みかけている。代わりに、美しい暁色の空と、淡く光る月が顔を覗かせていた。
最後は、もう意地だった。
舞子と天人はどうにか登りきり、ようやく靁封神社の敷地に足を踏み入れる。さすがに男の子でも、この段数はきついはずだ。それなのに、天人は汗ひとつかいていない。冬ならまだしも、今は真夏だというのに。舞子は額ににじんだ汗を拭った。
「なんで、あーくんはそんな涼しげなの⁇ 人じゃないの? 妖怪? 物の怪? 幽霊?」
「人間だっつーの」
天人に軽くババチョップされ、舞子は「あいたっ」と頭を押さえる。
「まったく、俺は一日に何回ツッコめばいいんだよ……」
呆れながらも、天人は一歩前へ進む。舞子もその隣に並んだ。
夕暮れ時の風は、夏であっても意外と冷たい。流れた汗がひやりと肌に残り、ぞくりとする。両脇に並ぶ木々は、ざわざわと葉を揺らしていた。瑞々しい緑が、残光を受けて静かにきらめいている。
「にしても、お前、よくここに来てたよな。いつも“疲れた”とか言ってたくせに、結局はちゃんと登ってたじゃん。あれか? なんか特別な思い入れでもあるのか?」
舞子は、少し鈍い声で答える。
「思い入れっていうか……うーん。まあ、使命ってやつかな。私のお爺ちゃんって、町長じゃん? そのうち、きっと私が継ぐことになると思うんだ」
この町には、町長選挙というものが存在しない。代々、神ノ条家がその役職を受け継いできた。
住民から不満が出たこともなく、これまで大きな問題も起きていない。
……問題といえば、「この町では犯罪が一度も起きたことがない」という一点くらいだろう。
『犯罪率0%』――それがこの町の代名詞だった。
舞子はカバンから財布を取り出しながら、淡々と続ける。
「家には男の子が生まれなかったし、長女は私だから、いずれ私が継ぐことになる。そしたら、この町を守らなきゃいけないでしょ? “犯罪率0%”っていうのはさ、積み重ねてきた努力の賜物だもん。だったら、この町――靁封町の神様には、ちゃんと挨拶しておかないと」
「ふーん……」
なんだかなぁ……。
藤崎天人は、ごく普通の一般人だ。シングルマザーの母と、姉との三人暮らし。自分の行きたいように生きて、これからもそうするつもりだ。そこそこの大学に進学して、そこそこの企業に就職して、普通の生活を送る。
だからこそ、“使命”とか、さっき佰乃が口にしていた「御役目」とか、「継ぐ」だとか――。
そういう類のものには、全く縁がない。
彼には、理解できない世界だ。でも、友達として寄り添うことならできる。会話くらいなら、十分に成り立つ。
「別に嫌なら、いいんじゃね? そういうの、放棄したって。妹もいんだろ?」
舞子には、一つ年の離れた妹がいる。舞子は無言のまま財布から小銭を取り出し、賽銭箱へ投げ入れた。そのまま手を合わせ、静かに目を閉じる。
──風の音。鳥の声。
耳に届くのは、それだけだった。
「よし。帰ろっか」
天人は、さっき無視されたことなど気にも留めていない様子で、くるりと踵を返す。
「暗くなる前に帰らないと、両親が心配するだろうしな」
「あーくんと一緒だから、大丈夫」
天人は額に手を当て、深く眉を寄せた。
「だから、そのあーくん呼びやめろっつってんだろ……」
深いため息が、夕暮れの空気に溶ける。
「今さらそんなこと言わないでよ、あーくん」
「はぁ? 舞子、お前なぁ……」
舞子はまったく聞く耳を持たず、「へへーん」と笑いながら、鞄を遠心力にまかせて振り回し始めた。
──そんな、どこの学生でもやりそうな、ありふれた行動が。
最悪の事態を引き起こすまで、あと三秒前。
二………………一………………――。
バキンッ!
鈍い音があたりに木霊し、何かが確かに壊れた。
次の瞬間――一瞬にして、爆風に巻き込まれた。




