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一つの軌跡から始まる僕らの物語  作者: nokal
第1章【七羽のカラス】

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13/13

  ҉ฺ - ACT;アイリス -  ҉ฺ

 +++ ACTアイリス +++

 

 兄たちの存在を知らされたのは、(アイリス)が12歳になる少し前のことだった。

 

 それまでの私は、アウット家という大きな屋敷で、何一つ不自由を知らずに暮らしていた。

 

 広すぎる廊下、開ければどこまでも続く空き部屋。

 使われていないのに、なぜか大人の男性物ばかりが揃っている衣装(いしょう)棚。

 

 そのどれもが疑問ではなく、ただそういうものとして受け止めていた。

 なぜなら――この家には、私しか子どもがいないと信じていたから。

 

 父上も母上も、そして使用人たちも、みな私を「姫様」と呼んで可愛がってくれた。

 病弱な私を心配して、いつもそばにいてくれた。

 だから私は、この屋敷――いや、城での暮らしに何の不満も持たなかった。

 

 私たちアウット家は、この一帯を治める貴族だ。

 丘の上に()つ白い部屋の窓から見下ろす街は、昼も夜も活気に満ちていた。私はいつかあの(にぎ)やかな場所に行ってみたいと思っていた。でも、丘から街へ下るには時間がかかるし、私は生まれつき身体が弱く、外出を固く禁じられていた。

 

 訪ねてきてくれる人はいても、私から誰かに会いに行くことはできなかった。

 

 そんなある日、父上が静かに言った。

 

「そろそろ婚約相手を探さねばならんな。お前はじきに、この街の王女となる。王となる夫を見つける必要がある」

 

 父上の手が、私の肩にそっと置かれた。けれど私は首を横に振った。

 

「父上……私、王女になりたいなんて思いません。それに……異性と結婚なんて、したくありません」

 

 私がそう言うと、父上は驚くでも怒るでもなく、ゆるく眉を下げて優しく微笑んだ。そして、大きな腕で私を抱きしめながら、ぽつりと謝るように言った。

 

「……すまんな。すまん……」

 

 その時の私は、意味が分からなかった。

 

 なぜ、父上が私に謝るのか。

 父上は、私に何か悪いことをしたのだろうか。

 私は父上を困らせるようなことを言ったのだろうか。

 それなのに――どうして、父上は涙を流していたの?

 

 私の胸の奥で、初めて、うっすらと()()()()()()()()()という予感が芽生えたのを覚えている。


 

 ┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈



 ある日。

 自室へ戻るはずが、私はいつの間にか城の中で迷子になっていた。

 生まれた時から暮らしているはずのこの城なのに、その全貌はいまだに把握しきれない。本来なら迷うはずもない自室への道のりを、何も考えずに歩いていたせいで、気づけば見覚えのない廊下に入り込んでいた。

 しかも今日は日曜日。

 普段なら付き()ってくれる使用人が必ずそばにいるのに、日曜の昼間は皆どこかの持ち場に散ってしまい、廊下には誰ひとりいなかった。

 

 広い城の静けさが、いつもよりも増して感じられる。ほんのわずかな不安を抱えつつも、私は諦めて外の景色を眺めながら歩くことにした。

 

「……ん?」

 

 一つの部屋の前で足が止まった。

 扉の中央に、薄く埃をかぶった金属のプレートが掛かっている。私は袖でそっと表面を拭った。すると、かすれた文字が姿を現した。

 

「……ユーリア・レ・デ・アウット……?」

 

 聞き覚えのない名前だった。けれどこの城の一室に名を刻まれているということは、私の知らない親族か、ずっと昔のご先祖なのだろうか。

 胸の奥に小さなざわめきが生まれ、私は扉を押して部屋に足を踏み入れた。

 薄暗い。空気は長い眠りから目覚めていないような、埃の匂いで満ちていた。けれど暗がりの中でも、ひととおりの家具が整えられているのが分かる。

 部屋の中央には、私の背丈の二倍はありそうな大きなベッド。幅も広く、大人が三人は寝られそうだ。右手には古い箪笥(たんす)と、鏡のついたチェスト。左側の壁は、本棚でぎっしりと埋まっている。ベッドの向こう、壁の一部は大きな窓になっていた。厚いカーテンは閉じられたままだが、その隙間から細い木漏れ日が漏れ、埃の粒を金色に浮かび上がらせていた。

 

 ――誰の部屋だったのだろう。

 

 興味と不思議さに突き動かされながら、私は部屋をそっと歩いた。視界の隅、箪笥の上に小さな写真立てが数枚並んでいるのが見える。

 私はそのひとつを取って、ゆっくりと埃を払った。指先が触れた瞬間、舞い上がった(ほこり)の粒が光の筋の中でふわりと踊り、きらきらと揺れた。


「……これは……私……?」

 

 息が零れた。

 写真の中では、7()()()()()()()()()()()が円を描くように囲み、小さな赤ん坊――すやすやと眠る私を柔らかな笑みで見守っていた。

 赤ん坊の頃の写真なら、何度も見ている。頬の丸さ、指の形、布にくるまれた姿――これは間違いなく私だ。

 

 ……でも、だとしたら。この7人の青年は、一体誰?

 

 胸の奥がざわつき、私は写真を裏返した。右下に、美しい筆記体で書かれた一文があった。

 

 Γιορτάζοντας τη γέννηση της αγαπημένης μου αδερφής. Από τον αδερφό μου.

 

 意味を口の中で転がしながら読み解く。

 

「……愛する妹の誕生を祝して。……兄より」

 

()()……()()()……?」

 

 震える声が漏れた。思わず顔を上げ、写真から目を離して部屋を見渡す。埃をかぶりながらも、誰かがかつて確かにここで暮らしていた気配が残る部屋。長い間、誰にも触れられていないはずなのに、妙に温度が感じられる。

 

 もし、この部屋の主が――。


 私が、一度も会ったことのない兄だったとしたら?

 

 胸のざわめきは、やがて痛みに近い何かへと変わっていった。考えるより前に身体が動いていた。私は写真をそっと置き、部屋を飛び出す。

 スカートの裾がふわりと跳ね、足元でひらついて邪魔だ。

 本当はもっと速く走りたい。もっと前へ。

 胸が焦っているのに、身体が追いつかない。

 ここが城のどこの階かすら分からない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 ――早く父上に会わなければ。

 ――母上にも聞かなければ。

 私の知らない兄たちのことを。

 私の記憶にない家族のことを。

 足音だけが、白い廊下に響き続けた。



 ┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈

 

「父上! 母上!」

 

 勢いよく扉を開け放つと、部屋の空気が震えた。編み物をしていた母上は膝の毛糸玉を床に落とし、父上は閉じかけていた本を足元へ取り落とす。本の角が靴を叩き、鈍い音が響いた。

 

「いった……。どうしたんだい、アイリス? そんな汗だくで……ああ、ドレスの裾も汚れてしまっているじゃないか」

 

 父上は驚きつつも手を広げ、私に歩み寄る。しゃがみ込んで、裾についた埃を優しく払いながら続きを促した。

 

「ねえ、父上」

「なんだい?」

 

「……私って、お兄ちゃんがいたのね」

 

 父上の手が止まった。空気が一瞬で色を失い、静寂が落ちてくる。

 

「……アイリス……それをどこで……?」

「どうして隠してたの? ねえ、どうして……私に言ってくれなかったの? 悪いことなの? 私、何か……いけないことでもしたの? それとも――お兄ちゃんたち、死んじゃったの……?」

 

 父上は唇を結び、視線を落とす。沈黙が返ってきた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 

「ねえ、黙ってないでよ! 父上、お願い……! 私に兄たちがいたのに、どうして隠したの!? どうして、何も教えてくれなかったの!」

 

 涙が、すとん、とひと粒落ちた。白い床に落ちた雫は、光を受けて淡い虹色に弾けた。――そして父上は語った。あまりにも悲しい、あまりにも残酷な真実を。


 ……私を救うために。

 私を守るために。

 兄たちは、父上のたった一言の()()によって――命を落としたのだ。

 

「そんなことになるなら……言わないでよ……! お兄ちゃんたちに……そんな願い、しないでよ! 軽々しく……そんな言葉、口にしないでよ!」

 

 喉がつまって震える声を吐き出すと、父上は悲しげに目を伏せた。

 

「……私も反省している……。一度口にしてしまった言葉は、もう取り消せない。あの時は……確かに軽率だった。気づいたときには、もう……遅かったんだ……。だからせめて――残されたアイリスを、大切に、大切に育てることだけが……償いだと思ったのだ」

 

 そんなもの――。

 そんなもの、私は求めてなんかいない。

 

「もう二度と……!」

「アイリス……」

 

 私は涙に濡れた顔を上げた。

 頬を伝うしずくを振り払うように、強い眼差しで父上を見つめる。

 

 

「もう二度と……そんな願いを、簡単に言わないで!」

 

 声が震え、胸が痛み、けれど――その言葉だけはどうしても伝えたかった。



 ┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈

 


 それから先のことは……正確には覚えていない。

 ただ――お兄ちゃんたちを探すと決めたその瞬間、私は部屋に戻り、最低限の荷物を掴むと、ほとんど衝動のままに城を飛び出していた。

 

 生まれてから一度も外に出たことのなかった私には、どこへ向かえばいいのかすら分からなかった。どの道がどこへ繋がっているかも、どんな人がこの街に暮らしているのかも、すべてが未知だった。

 それでも――。

 諦めるという選択肢だけは、最初から私の中になかった。

 

 歩いて、歩いて、また歩いた。

 人に尋ね、裏切られ、冷たい視線に傷つき……。

 私にとっては何もかもが初めての経験ばかりだった。

 

 そして――。

 お兄ちゃんたちに辿り着けないまま、私は人生の幕を閉じた。

 


 けれど、これで終わりではなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 お兄ちゃんたちを探してさまよい続けた私を、神様が見ていたのだろうか。未練で曇った魂を、もう一度歩ませてくれるように――。生き直すための、わずかな猶予を与えてくれたのかもしれない。

 

 亡霊となった今は、生前よりも探すことははるかに難しくなった。

 声は届かず、姿も見えず、触れることもできない。

 それでも、確かな手がかりだけはあった。

 

 あと少し。

 きっと辿り着ける――そんな確信があった。

 そして、ついに。

 

 長い長い時間をかけて紡いだ私の願いに――ほんのわずかでも、光が差し込んだ。

 私の願いが、いま……通じようとしている。



 ┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈

 


「……おにい、ちゃん…………?」

 

 辿り着いた先は、薄暗い洞窟(どうくつ)だった。

 湿った岩肌が(したた)り、わずかな光がゆらりと反射している。その中心で、7人の青年たちが、1人の少女を囲むようにもみ合っていた。どこか野生めいた気配をまといながらも、どこか懐かしい――そんな雰囲気を持つ7つの影が、私の目の前に立っていた。

 

「……アイリス、か?」

 

 1人が、かすれた声で私の名を呼ぶ。

 

「アイリスなのか……?」

 

 また別の青年が、信じるように、疑うように、そっと呟く。

 ――聴いたことのない声。

 ――見たこともない顔。

 なのに、胸の奥に小さく灯るものがあった。

 

 ああ、この人たちを知っている――。

 

 確信なんて、あるはずもない。けれど。なぜか私は、確信してしまっていた。

 だから、呼んだ。

 

「……おにいちゃん?」

 

 その一言が落ちた瞬間。洞窟の空気が静まり返った。

 そして――。

 

 青年たちの目から、ぼろぼろと涙が溢れ落ちた。止めようとしても止まらない涙が頬を伝い、地面へ落ちていく。うっすらと髭を生やした青年でさえ、優しい笑みを崩したまま、静かに泣いていた。――気がつくと、私も涙をこぼしていた。

 

 それは、ようやく出会えたという涙。

 ずっとずっと、届くことを願っていた涙だった。

 どれほどの年月が経ったのか、もう覚えていない。


 何度、心が折れそうになったか。

 何度、世界の冷たさに膝を折りそうになったか。


 家族も、王族も、国でさえ滅び、

 誰ひとり自分の名を呼ばない時代に、

 亡霊として落とされた私の孤独を――いったい誰が理解できるだろう。

 

 写真の中でしか知らない兄たちの笑顔。

 記憶の奥で薄れていく父上と母上の声。

 

 それらすべてが螺旋(らせん)のように絡みつき、私の中で渦を巻いていた。

 

 だから私は――探さなくちゃいけなかった。

 逃げてはいけない、と。諦めてしまえば、あの写真の中で笑っていた兄たちの存在を、自分の手で捨ててしまうことになる。そう自分に言い聞かせながら、たった一人で歩き続けてきた。


 この町の噂は、旅の途中、幾度も耳にした。

 

 ――大妖怪の封印が解かれた。

 ――各地から妖怪が集まり、町がざわついている。

 

 その噂を聞いた瞬間、胸がざわりと震えた。

 ここに、兄たちがいるかもしれない――。

 私はそのわずかな兆しだけを頼りに、この町へ足を踏み入れた。妖怪たちと同じように、噂を手繰り寄せられるまま。この道の先に何があるのかなど、分からないままで。それでも――諦めるという選択肢は、最後まで一度も浮かばなかった。

 

 ――本当はね。

 私はもう、誰かと同じ時を過ごす未来なんて、持てないと思っていた。

 亡霊は触れられず、触れられず、ただ孤独に揺れる存在だと。

 

 けれど。

 兄に出会った、その瞬間。

 ずっと凍っていたはずの心から、温かい涙がこぼれ落ちた。心が揺れ、魂が震え、願いがほどけた瞬間に生まれた涙だった。

 

 お兄ちゃん。

 ねえ、聞いて。

 私、頑張ったんだよ。

 お兄ちゃんたちに、もう一度会うために。

 ただその願いひとつだけを胸に抱えて、ずっと歩いてきたの。

 だからね。

 これからは――。


 どうか、私と一緒にいて――――。

 

 声にならない願いが、洞窟の闇の中で静かに溶けていった。


ご感想等お待ちしております☺︎

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