始まりの空
「終わっちゃうのか」
ユリナは第二音楽室の床に体操座りし、夏の始まりの晴天を眺めた。膝の前にある両手には、白い封筒が挟まれている。
何も出来ず、何者にもなれず、一切の満足できる成績も残さずに、私の高校生活は終わる。
小学2年生から地域の合唱団に入り、中学は当然のように合唱部へ。しかし公立のこの中学の合唱部、顧問も生徒も特に大した目標は持っておらず「楽しく歌っていい思い出を残せればいい」というものであった。テレビ番組で見かけた合唱コンクールに感動し、自分もたくさんの人の前で合唱したい、なんなら全国大会に出て金賞が取リたい、という夢を抱き中学に入学したものだから、ユリナは現実にひどく落ち込んだ。
ゆるい部員たちのレベルは、お世辞にも高いとは言えない。顧問は音楽教師ではあったけど、専門は楽器の方で、歌はそこまで興味もないし、指導力もない、本当はオーケストラ部の顧問がやりたいのに先輩音楽教師に取られた、という気持ちであったから、合唱部に力が入るはずもない。生徒も顧問も、楽譜を覚えて適度に歌えればいい、ストレス解消のカラオケ程度の感覚だった。
たった一人やる気に満ち溢れたユリナは、もちろん、わたあめよりもフワッフワに浮いた。気持ちだけは強いけど、強く前に出られない性格のユリナは、そこかの漫画のように部活を改革するなんて気概もない。歌は外部の合唱団や音楽教室で続けることを早々に決め、歌う体力作りのためにと剣道部に入り直した。
高校こそはと、ユリナは県内の合唱強豪校であり、全国大会常連のM高校に入学した。有名校なだけあり、音楽推薦の生徒も多かったし、推薦では入れなかったけど入部したい一般入試組の合唱経験者たちで音楽室は熱気に包まれていた。
これこそ、私が見たかった景色だ!
ユリナはワクワクと、朝に放課後に歌い続けた。上下関係や顧問の厳しい指導も、夢見た全国のためなら楽しいとさえ思えた。
さて、有名校。部員数はその辺の学校とは比べ物にならないわけで、ユリナはそこを全く失念していた。県内、わざわざ県外からやってくる経験者たちはもちろん、最低レベル以上の実力を有している。そんな猛者が三学年合わせて100人以上はいるのだ。大会に出られるのは40人。しかも、大会メンバーに学年は関係ない。全学年入り乱れてのオーディションでレギュラーを獲得せねばならないのだ。
もちろん、ユリナも事前情報でそれを知ってはいた。でも、自分はメンバーに絶対入れると思い込んでいた。小学生から歌は続けているし、合唱団でも上手い方だった。
その思い込みと勝手な自信は、まず一年の夏に折られる。しかし、上級生の方が上手いのだからと諦められた。同級生にも選ばれた生徒はいる、その現実は見ないように、しかし嫉妬しながら、練習にますます打ち込んだ。
2年、今年こそは。
3年、最後の夏だ、十分、実力も。
ユリナは3年でも、大会メンバーには選ばれなかった。3年間、大会に出ることさえも叶わなかった。毎年毎年、上手すぎる下級生たちがわんさか入学し、彼らに勝てなかった。
彼女の名誉のために言えば、決して、歌が下手なわけではない。M高校でなければ十分な戦力で、後輩の指導だって任せられる。ただ、全国レベルではなかっただけの話なのだった。
この、真っ青で爽やかで美しい青春の瑞々しい思い出の背景になりそうな空が、ユリナは嫌いになりそうだった。去年も一昨年も、こんな空の日にオーディションの結果が発表された。
努力は実らないじゃないか、結局才能じゃないか、私の練習は無駄だったのか。
ユリナは封筒から三つ折りの紙を取り出し、重い鉄の扉を開くように、じっくりと開く。
「さよなら、私の初めての……『ゆめ』」
空の輝きが、退部届の文字に強く当たる。
ユリナの瞳は熱を持って、その3文字を見つめた。