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まーた、壊れてきてんじゃん。


一人目は流産。働きすぎて、お腹の中で育っていける環境じゃなかったんだろう。


産婦人科で後処理をしてもらう。最初の旦那さんの時を入れても、三人の子を手離してしまった。自分が殺したも同然だ。


 縁あって、あたしを選んでくれたはずの子どもたちだったのに。


 入籍前だからと産ませてもらえなかった二人の子と、母親たるあたしのお腹の居心地の悪さが原因でさっさと諦めて、痛みすら与えてくれずにいなくなった子。


本来ならば、悲しい出来事のはず。


なのにどうしてか、涙が出てこなかった。


 それだけの人格がいれば、オリジナルのあたしが悲しんでいたとしても、それで心が壊れないようにと痛みをどこかに隠してしまったのか、誰かが代わりに引き受けてくれたのか。


 ――――なんて思いたくなるような、そんな環境にあたしはいたわけで。


ある意味都合がいい環境だ。


それを人は、現実逃避というのかもしれないね。


 心が痛い。体がツラい。


そういう時にこそ、あたしは記憶を飛ばして誰かになっていた記憶がある。


その記憶に気づかされたのも、かなり後の話。


 その頃の話を誰かにすれば、「まるでドラマか小説みたいな、嘘っぽい話」と言われてた。


あたし自身の話として、受けとってもらえなかったことも多かった。


 そんな虚言を吐いたところで自分に利があるわけでもないので、意味がないことはしない。


 自分でいる時間の境目がぼやけ始めた頃、二人目の旦那との間にまた子どもを授かる。


最初の旦那さんからもらったお金でチャラになったはずの借金が、知らない間にまた増えていた。凹んだところでどうしようもないのに、凹む。


 金額を見て、目を閉じ。また確かめて。その金額は、自己破産を考えなければならないほど。


妊娠しているのに、こんな状況? と混乱。


そこまでの状況にしたのは、自分か。それとも、他の誰かか。もしくは、彼か。


そもそもで、彼は避妊をしない。ゴムの感触が気持ち悪いという理由で。


ならヤるなよと、今なら言うだろう。


 その体で、借金を返せるだけの収入を得ることも出来ず。そして、彼が働くこともなく。時間だけが過ぎていく。


 母親が数年前に再婚して出来た新しい父親は、司法行政書士。実の兄姉が三人、義父側に四人。その中の末っ子があたし。


あたしという存在は借金かかえて、他の兄弟と比べてもあらゆる意味で出来が悪いという不出来さが悪目立ちしていた。


 義父は母親から話を聞き、自己破産をするのなら力を貸すよと言ってくれ。結果だけでいえば、その言葉に甘えて義父の協力のおかげで自己破産をした。


妊娠して、その金額を返せるあてなどないという事実がある以上、父親にそう提案されても当然だ。


 自己破産の際に、どうして返せないのかという理由を書き連ねる書類がある。


内容を義父とも相談をした上で、妊娠していることを前面に出した。


なので長女を免罪符にした事実は、何年たっても消えることはない。


 書類を揃え、反省文のようなものを書いたり、両親にも何度も頭を下げて。


時間と手続きの金がかかりはしたものの、無事に申請をすませた。いい大人が、情けないったらない。


 そんな風に時間が過ぎていく中でも、お腹の中の長女はスクスクと育っていく。


親であるあたし自身は、なにも成長していないのに。


 理解者と協力者がいない環境下で、別の人格だった感覚があったとしても、全部自分だけで対処するしかない日々。不安な日々を過ごす。


 両親に話をきちんとしたところで、日頃の行いの悪さが裏目に出て信用されなかった可能性の方がかなり高い。


 実の姉に精神科勤務がいたけれど、その姉にも信用されていたとは思えないので、両親への説明の仲介に入ってもらうのも諦めていた。


 不安しかない中で、両親とした会話におかしなところがなかったかとか、時間の感覚に違和感はないかとか。自分の体に傷がついていないかとか。見えないものを探り当てるようで、常に緊張状態だった。


 その頃には、さすがにというかなんというか、二人目の旦那は元々やっていた土木系の仕事に戻っていた。


もっと早い段階で働きはじめてくれていたらと、思わないわけがない。


 その後、申請していた書類が通る。無事に(?)自己破産を終えてからの出産と入籍。


初めて親になり、自分だけじゃなく旦那も親へとなる。……と、当たり前のことを考えては、勝手に同志がいるつもりになっていたあたし。


 が、蓋を開けてみれば、世間的にいうところのワンオペ上等。相手は仕事だけしていたらいいみたいな状態になり、ちっとも眠れていない嫁をかまうのは、産婦人科の医師から許可が出て以降の性交渉の時のみ。


 しかも、どのタイミングで子どもが泣きだすかわからないから、ロクに弄りもせずに旦那が吐き出すだけの排泄行為にも似た愛情もへったくれもない行為。


 それでもその当時は出産後のダレた体でもいいと抱いて”もらっている”と思っていたようで。


自分を卑下する原因がありすぎて、そばにいてもらえること自体に感謝しまくっていた。


謎の”カースト下位にいるあたし”みたいな状態に陥っていた。


『こんなあたしは異常なんだから、他の人たちと同じ生活が出来るだけマシ』


『しかも、妊娠と出産を経た後でも女扱いされるなんて、有難いんじゃない?』


 まさにコレだった。


世間一般でいわれる普通の生活じゃないことを認めた途端、それに付随してしまったのが自分を下げる発言や行動。


最初はそんなあたしをみて、旦那は「卑下する必要はないよ」と口にしていた。


 でも、そんな同情的なものはあっという間になくなり、彼は自分が楽で、かつ自分が嬉しいことを優先するのが日常化する。


 優先先の選択権は自分にあって、自分が満たされていれば家族も幸せ。


そういった思考にかなり近いところまでたどり着いていた気がする。


 あたしはあたしでワンオペの中、睡眠も栄養も不足していた。


人間、疲弊していくと、まともな思考回路など無理。彼がどうあろうとも、文句をいう暇があれば家事と育児。 


 その状態の最中、くりかえされる飲み会に外泊。たとえそれが他の男性も一緒に泊まったとしても、飲み屋の姉ちゃんの家に泊まるのは無い。その事実に気づいた時のショックは大きかった。怒りの感情を思い出した時だ。


 自分の扱いの軽さにイラつき、出張に行く彼のバッグの中にいわゆる三行半を仕込んだ。


『そういうことをするのなら、実家に帰ります。出張がんばってください。帰ってきてからは、一人でどうにかして生きてください』みたいな。


浮気かどうかは別物。自分だけ自由そうなのも許せなかった。


 それ以降、あたしからの手紙に対しては過敏に反応するようになる彼。


また最後通告の手紙か? と毎回思ったらしい。(※本人談)


 妊娠と出産を三度繰り返し。


その中で、あたしは母親として成長をしようとしていた。


けれど、彼はいつまでもどこか自分の都合ばかりを優先したがる、大きな子どものまま。


 時には、子どもたちよりもメンドクサイというか手がかかる人へと成った。


 親として成長するキッカケは何度もあったはずなのに、彼は成長が必要と思ってもいなかったようにも見えた。


 そうした原因の半分は、あたし。残り半分は、そのぬるま湯の環境をよしとして甘えっぱなしになった彼。


 付き従うことで、居場所を与えてくれ、女扱いもしてもらい、好きだと伝えられる場所にいられるのだから……と。


心が壊れて解れたままの自分を理解しようとしてくれる誰かが、また見つかる保証はなかった。だから余計に、旦那たる彼との関係を結び続けることに必死でもあったんだと思う。


 だからこそ、彼がいつまでも甘ったれた行動や発言をしていても看過。


 そんな思いの裏で、時々ひょっこりと顔を出す、彼の行動や発言に文句をいう人格。


それが彼へ、ささやかな反抗心をぶつけてくれることもあったよう。


そんなことででも、わずかとはいえ心のバランスが取れていたんだと思う。


実際には反抗した記憶がなくても、知らない場所で抗ってたんだ。


 けれど、それも長くは続かず。


 たくさんいたはずの人格が、一人、また一人と吸収されていくかのようにいなくなっていく。

他の人たちにはないはずの、別人格との生活。


 それから解放されたかったはずなのに、いざそれが減っていくと不安になる心を抑えられなかった。


 その不安さを彼に理解して支えてほしかったのに、彼があたしの異常さへの理解を示して寄り添ってくれたのは本当に最初の数年だけ。


 人はやっぱり自分のことだけで精いっぱいになる。他人に気づかえない。


自分以外に気を回せるのは、心や金銭や時間や環境に余裕がある人だけの話。彼には何もなかったはずなのに、あたしの異常さを理解しようとしていた彼。


それが出会った当初の彼だったと思う。


 そして一時的にとはいえ、寄り添って、なにかやらかしそうになったらフォローしてくれていた。


 でも、もういいかな? と彼の中で見切りをつけるための境界線でも存在したんだろうか。


急に手離されて、支えがなくなった。


 手離されたんだと気づけたのは、きっと彼がそうなってからかなり後。


その感覚を表現するなら、どんな感じだろうか。当時のことを思い出してみた。


 例えるならつり橋の左右に、手すり代わりのロープがないような感覚。それに近い。


ロープでつながれた板が道を作っているだけ。その下に支えはない。眼下には、遠くに川。その川も狭く、大きな石や岩がゴロゴロした地面が広がっている。


 その板の上で平均台のようにバランスを取らなければ、まともには歩けない。渡れない。一枚一枚、いちいちバランスを取るのに必死で、進めるか否か。


 不安で、不安定で、足元が覚束ない。


一歩踏み出すのすらためらう。踏み出せるとも思えない。


 最初の一歩を踏み出してみたところで、二歩目に行けるか? 普通。


下をのぞくことも出来ず、道の先をみることも出来ず。


息を飲み、恐怖であがる呼吸をなんとか落ち着けようとするのが精いっぱい。


「戻る? でも、どうやって?」と立ち止まっている自分が想像出来た。


 そんな自分に気づいた時、彼は別の場所を見ている気がした。あたしじゃない場所。かといって、他の誰かでもなく。


 歪な自分を支えてくれた彼への感謝で、復職して経済面で家計を支え始めた彼をしっかり支えなきゃと強く思いこむ。


 よくある主婦の仕事は、当たり前。それは理解る。


俗にいう家事という面と、育児という面だ。


それを自分がメインでやることで、仕事に集中してもらえると考えていた。


 ワンオペだろうが、自分さえいろんなものを飲みこめば、全てがまわるとか信じ込んでいた。


 ところが、その彼の笑顔に隠された感情は、いろんなものが含まれていたことを後になって知る。


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