あたしであっても、あたしじゃないあたし。
記憶が曖昧な時に出会ったのが、二人目の旦那。
まあ、そういう場所で出会う人だから、まるっきり聖人君子というわけでもなく。
その手の場所で、素人のあたしは打っていた台の仕組みを知らず、当たりを引いていた時に助けてくれたのがはじまり。ボーナス絵柄を揃えられずに四苦八苦していたあたしに、声をかけてくれた彼。
その後は、当たりを引いているのに気づかずにいたら、その都度教えてくれ。時間が迫りその台をやめて帰ろうとすると、自分が座ってもいいかと聞いてきた。
その時に小さな約束をしたんだ。同じ台を打って、飲み代になるくらいの金額勝てたなら、おごってもいいか? と。
勝ったなら、自分の懐に入れたらいいのにと内心思った。
ナンパのようなその話に乗ったのは、あたし? それとも違う誰か?
夜になり、仕事が終わってから交換していた連絡先に電話をして街へと向かう。
すこしのお酒をおごってもらって、そのまま彼の家へとお持ち帰りをされた。
家に帰って来ない旦那さんに、今日は帰らないと伝える必要はないんだなと後で考えたのは記憶している。
そして、目が覚めた時に知らない男が寝ているのは何度目だろうと考えたのも。
それと、この人は誰なんだ? ということも。
その日も当時にしょっちゅう起きていたことと同じことが、当然のように起きた。
(ああ、また他の男に抱かれたのか)
哀しくもなり、呆れもし、諦めも抱きながら体を起こした朝。
人格が増えていく中で一番困ったのが、そっち方面のことだった。
自分が誘ったのか、誘われたのか。避妊はしているのか、和姦か強姦か。どこまで自分のことを知られているのか。新たなストーカーにならないか。……などなど。
目覚めてすぐに考えなければならないことが、一気に脳内に巡ってどうにかなるかと思った。
そんなにいっぺんに考えられないし、答えも出せない。答えを出せても、すぐさま動けるかといったら難しい。
そもそもで、どこまで“自分”が関係しているのかが不透明なのに、どこまで手出し口出しして大丈夫か。
頭が真っ白になって混乱していくあたしに、一糸まとわぬ姿の彼が声をかけてきた。
「大丈夫?」と。
何についてだ? と思うのに、聞き返す範囲もつかめず。彼の問いかけに、返せる言葉が一つも見当たらず。
かといって無言でいるのもおかしいので、何とか知恵を絞る。
あたりを見回して、彼を見て。聞くことを決めた。
あえてヘラリと笑って明るい口調で、彼に問いかける。
「なんでここで寝てるんだっけ」
とかなんとか。
お酒のせいで記憶が曖昧なんだと最初は思ったらしい。
ところが蓋を開けてみれば、目の前にいるのは違う意味で記憶がない女。
互いに探り合いながら会話していく最中、冷静に状況を説明できる人格へと切り替わり、彼に状況を説明したらしい。
嘘を吐かれたと思ってくれたならよかったのに、彼は一時的にかそれを信じることにしてくれた。
その後、いくつも出ては引っ込む人格のあたしに対して、無視することもなく暴力をふるうでもなく、普通に会話をしたり体を重ねたりもしていた彼。
誰かに打ち明けることも出来ずに、持てあまし続けていたその存在。
あたし自身はその問題に気づくことも、毎日に違和感はあるのに何かを考えることも出来なくなっていくだけだったのに。
彼がそれに対応してくれていなければ、自分の身に何が起きているかをちゃんと知る術はなかったと思う。
彼と一緒にいる時間が増えていくと、必然的に自宅付近をうろついていたはずのストーカーから遠くなることが出来た。物理的に。
結果だけいえば、夜の仕事は辞めざるを得なくなった。
ストーカーのこともあったし、何より一人目の旦那さんのためにと始めたはずのバイトだったけど、その彼と顔を合わせることもなくなった上に、顔を合わせられない状況になってしまったのだから。たとえそれが本意じゃなかったとしても。
家に戻ることがなくなり、二人目の旦那になる人のところへと入り浸る回数が増えていく一方。
気づけば彼がそばにいる生活が普通になって、事情を知らない人から見ればただの浮気にしか見えない状況へ。
本当はあたしじゃないと言ったところで、誰にも信じてもらうことが叶わなかったはず。
そうして過ごしていく中で、最初の旦那さんとは離婚の話が出始めた。
その話がどっちからだったかの記憶はない。
あたしがいなくなって以降にでも、帰宅したのかもしれない。
いなくなってから帰る回数が増えるとか、あからさまな気もするけど。
もしも本当にそういうことになっていたのなら、車に乗るのが目的じゃなく、あたしと顔を合わせるのが嫌だった? と思わなくもない。
といっても、それについての正解を知ることは出来ない。もう二度と関わる機会もないのだから。
最初の旦那さんが自宅のドアを開けてみれば、その生活感のなさや家の中がほったらかしにされていることに、嫌でも気づいたはず。
二人で一緒にいた時には、生活感しかなかったはずなのに。
それくらい、何も手をつけに行くことも出来なかった。引っ越しが決まるまで。
拉致軟禁→ストーカー→ぶっ壊れ→二人目の旦那と出会う→ぶっ壊れた状態をフォローしてもらいながら、行き場のないままに彼のところに転がり込む。
その流れで過ごし、二人目の旦那になった彼からは、「仕事が終わったらすぐに帰ってきて…独りにしないで」と乞われ。
それを叶えるために、自宅よりも彼の家へと帰る回数が増えた。
そうしなければ、自分を守ってくれている彼が離れてしまう。そうなると、自分の状況を理解してくれる人も、その上で味方でいてくれる人も失うかもしれない。
どこかでそう思い込んでいた部分があったと思う。
それと、そうしていなきゃ彼が子どものように不機嫌になって、面倒な展開にあることも増えつつあったのも事実。
置いてかないで、独りにしないでと。その辺の子どもよりもタチの悪い駄々をこねるような人だったから。
そんな感じでよその男のところに転がり込んでいるうちに、あれよあれよと離婚の話が進んでいった。
離婚の手続きは、相手の方が離婚届を市役所でもらってきて。それに相手が署名捺印をし、あたしが住んでいる部屋へと投函してもらった。
すこし子どもっぽい彼の文字を久々に見て、そんな文字すら忘れかけていた事実に泣きそうになっていたっけ。
その書類にあたしが署名捺印をし、市役所へと届け出たんだと思う。多分。
そのあたりの時期の記憶は、結構あいまいだ。
離婚から多少の時間を置き、様子を見つつ夕方から短時間の仕事を入れるようになった。
彼が腰を痛めただのなんだのといいながらも、いわゆるヒモ状態であたしが養っていたが故にだ。金がなきゃ、人は生きられないからね。
彼にいなくなられたら困ると信じ込んでいたあたしは、一緒にいるために必死だったはず。その記憶も感情も、あいまい。
ある日。その二つ目の職場の方に、最初の旦那が慰謝料を持ってきた。
支払い金額は、当時のあたしが抱えていたカードローンやキャッシングの支払総額に該当する額。270万だったかと思う。300万はなかったはず。
元気かとか気にかけられる言葉もなく、淡々とやりとりをし。厚みのある銀行の封筒を、ポンと手渡された。
そんな金額をずっと職場の売り場でポケットに入れっぱなしにも出来ず。小さな嘘を吐き、制服のエプロンを外して急いで店舗内のATMで自分の口座に入金した。
その後、全部の借金を返済して身ぎれいになって新たに生活をと思っていた。多分。
が、二人目の旦那たる彼が働き出すのは、まだ先の話。
そして、あたしの中の人格は最終的に十人まで増えた。オリジナルを含めて、十一人だ。そりゃ、持てあますわけだ。
手切れ金のようなそのお金のやり取りに、それだけの人格がいたら感傷に浸るどころか、無に近い状態だったと思う。しかも借金の返済にしか使わないんだから。
本当ならば、一番いろんなことについて相談したい相手だったのにな。
事件が起きてすぐに、打ち明けられたらよかったな。
あなたがいない間に、ボロボロに踏み荒らされたって。あなたに嫌われる覚悟で打ち明けたって。
でも本当にそう話したところで、過去の彼ならいざ知らず、当時の彼が自分を慮ってくれたかは自信がないや。
どんなお前でも好きだよとか言ってもらえたと思えない。
もう抱くつもりなかったからいいかって程度のことを、言われずとも思われでもしていたら立ち直れなかったかも。
自分の中の誰かが相手をした、旦那さんの同僚や上司。それ経由で事実であって事実じゃない話が彼の耳に入った可能性はあった。実際、世間は狭いから。
かなり後になってから近所に元自衛官の高齢の方がいて、「同じ苗字の隊員の話なんだけどね」と自分の話を聞かされた。
話を振ってきた時点で、あたしだと思われていたのかもしれない。
そういうことを本当にしそうな人だと思われただろうか、それともやっぱり自分が近くで一緒に仕事をしてきた彼の方だけを信じてしまっただろうか。
正直なところ、怖い。
「その隊員の奥さんっていうのがさ、留守の間にアチコチ浮気していたような話があってね」
っていう、話を。
その後の旦那さんの話は、北海道内の他の地域に転勤になったと聞いた。だから、会うこともなさそう。
それでも、だ。事実はほんの少し違っていて、誤解をされたまま酷い妻という記憶だけを植えつけられている。
その事実が、あたしには重たい。いつまでも。
別れて以降も、何年も何年もなかなか心の中からいなくなってくれなかった彼。
誰よりも好きだった。
最後にいつ触れたのかを思い出せない。心も体も距離があいてから、思ったよりも経過しすぎていた。
それでも好きで、いつかは自分のことも思い出して、車もいつかは一緒に出掛けられる車に戻してくれるんじゃないかって信じてた。願いはかなわずに離れたけど。
直接見ることも出来ない彼のいつかを想像しては、何度も泣いた。
真相を話せたらと何度も思ったけれど、思うことと自分自身が行動出来るかどうかは、あたしの場合においてイコールにはならず。
思ったことが必ずしも行動に結びつけられない心と体に、思い通りに生きられないのなら自分自身すらも消えてしまえと何度も思った。
その状況の自分には、自由など無い。
オリジナルの自分がいるからこそ、こんなに苦しい。心の中には、いつまでも彼への想いが残りすぎている。断ち切れないまま生きるのは、どんな罰だろうと思ったこともある。
そうして最初の旦那さんへの想いをこじらせていく中で、避けられない流れに乗るしかなくなった。
――二人目の旦那との間に、子どもが出来た。