最初の一歩
初期治療に訪れたクリニックは、市内のビルの中にあり。心療内科というものに対して後ろめたいものを感じてしまっていた自分にとって、比較的入りやすい場所に感じていて。
後ろめたいというか後ろ暗いというかなんというか。
内心、心療内科や精神科という場所に治療を求めている自分に、忌避感があったのは否めない。
そういった場所を頼ることで即座に想像してしまったのは、「心を病んでいるんでしょう?」と誰かに言われる自分。
そのせいか、なかなか最初の一歩が踏み出せなかった。
何度通おうとも、心療内科にかかっている自分へのイメージを払拭できず。転院などになった際にも、かなり足が重い感じになってしまっていた。
別の症状で通院している知人は、パッと見そんな風に心を痛めている感じには見えない人たちばかり。
いつも朗らかに笑ってて、多少の悩みがあったとしても、どこか平和な悩みかもと想像していたくらいだ。
けれど本当は違ってて、誰も同じように悩んだり傷ついていたり。あたしが気づかなかったように、相手はまわりに自分たちの姿がそう見えないようにしてきたのかもしれない。
あたし自身がそう見えないように、必死に笑っていたように。もしかしたら、どこかぎこちなく。
人に言えない聞けない思いを抱えながら、眠れなくなっていくたびに心身ともに限界は近くなっていった。
限界を迎えてからは、意外と早く病院の門をくぐった記憶がある。人の目を気にしてる場合じゃなかったのかもしれない。
行こうと決めてからは、電話をかけて状態をスムーズに話せていた気がする。
数日後に予約が可能になり、その数日間で改めて気持ちを落ち着けてその日を迎えて。
そうして迎えた、一か所目の初診日。
最初の治療は、まずは生活その他諸々の世間話から。
聞き取りというか、普段の生活にどんな問題があるかを浮き彫りにしていく。
初診だけは少し長めの時間が設定されてて、しっかりと話を聞いてもらえた。
他人に話すことで、自分自身でも問題点を嫌というほど自覚することになった。
いかに自分の生活が、自分以外のためだけに回っていたのか。どれだけ自分のことを放置していたのか。後回しにし過ぎていたのか。
話をしつついろんなことを自覚していくと、恥ずかしさや情けなさで話す声が小さくなっていったのを憶えている。
どんな生活を過ごしてきたのかを自覚した時、哀しさが一気にあふれてきてしまった。
泣く気はなかったのに、じんわりと涙が浮かんでいた。
眠れていないことで、心身ともに弱っていたのもあったんだろうと今なら思える。
担当医が特に変わった何かを話してくれたとも、慰めてくれたとも思っていない。ただ、淡々と、現実を教えてくれただけの話。ただ…淡々と。
自力でそれが出来ずにいたからこそ、そんな状態になるまで眠れず苦しんだ自分。
子どもの通院ついででかかりつけの小児科の医師に、心療内科でオススメの場所はないかと雑談のように聞いてみたのが取っ掛かりだ。
いわゆる一般の人があげているレビューと、医師同士が思うオススメは違うんだろうと思ったのもあった。
プラス、その小児科の先生との関係性もよく、無知故に聞いたことにストレートに返してくれる人でもあった。
ある種の信頼があったので、心療内科に後ろ暗い感情を抱えつつも正直に聞けたんだと思う。
医師オススメのクリニックの名前をメモしてから、その後は自分と向き合う日々が始まった。まずは病院にかからなきゃいけないのだから、自分の感情から逃げていられない。
最初のカウンセリングの後、担当医はこう言った。
「まずは寝ましょう。無理矢理にでも一旦寝なきゃ、体がもちません。眠って、体を落ち着けて。それから後の話は、眠ってからでいい」
至極当然のことを、あえて言葉にしてくるんだなと思った。すこし首をかしげながらも処方箋を受け取って、処方された薬の説明を受けて帰宅。
一旦寝ましょうと言われて、処方された薬は二つ。
レンドルミンとサイレース。
片方は睡眠導入剤で、もう片方は人によっては短時間になるかもしれないが深く眠れる薬だ。
特に後者は、後で調べてみると麻酔の前に飲ませる薬として処方されることもある薬だと書かれていた。
その強いはずの薬を飲む前に、家族にあらかじめ話しておく。
薬を飲んだら、ある程度寝るまで起きないと思うことと、何か用事があるのなら先に言っておいてほしいということ。
いつ薬の効果が出るかわからない状態で、明日アレがいるとか弁当が必要とか言われても、準備の時間は取れない可能性が高いからと。
家族はそこまでの薬だとは思っていなかったようで、何かあっても明日の朝にで大丈夫と言い、それぞれの部屋に入っていった。
そしてあたしも、当時はまだ旦那だった彼の横で布団にもぐりこんだ。
薬を飲んで三十分ほど経ったか経たないか。感覚的にはそれくらい。
いきなりブツンとスイッチが切れたように、寝息をたてていた……らしい。
隣でその状態を見ていた彼から聞けたのは、その程度。
彼はいつものように愚痴とも何とも言えない話をダラダラと話したそう。すると、いきなりその状態になったらしい。
急に返事がなくなり、息はしているけど無反応。声をかけても手で数回軽く叩いてみても、ただ無言。
会話が消化不良のまま終わって、モヤっとしたまま彼は寝たらしい。
翌日の夜に、薬を飲む前。結構な勢いでいろんな話を聞かされた。
後になってから自分の状態を聞かされ、彼の様子がおかしかったのはそのせいだったんだと感じた。