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揺さぶり


ここで、担当医が泣かせに来ます。


決して感動の話などではない。


 担当医曰く、患者によっては三回目のカウンセリングの時に揺さぶりをかけるんだとか。


それは、ショック療法に近いものでした。


 あたしの場合。睡眠障害の原因になった彼と、完全に切れることが出来ないままにカウンセリングに通っていました。


原因がわかっているのに、それを排除しようとしていない。本当に眠れるようになりたいのか。原因だと思っている対象に、どんな感情を抱いているのか。


自分は、どうなりたくてクリニックを訪れているのか。などなど。


 いろんな理由で揺さぶるんでしょうけど、あたしを揺さぶってきた担当医の言葉はこういった内容でした。


「ブログに睡眠障害の原因になっている相手への愚痴や嫌なところを書き連ねてるって聞いたけど、それってね? 結局のところ『あなたのことを愛している』って伝えているに等しいんだよ? だから、まわりまわって相手を喜ばせているだけで、あなたには何もないんだよ」


 その言葉を聞かされた瞬間、目に力が入ったのを意識しました。


それと無意識で息を飲んだのにも、後で気づきました。


「言うならば、自分で傷つきにいったようなものだよ? ブログでそういうことを書くって行動は。Mの性分のひとがしていること。好きじゃないから離れたいと言いながらも、いつまでも相手や相手の人絡みの話をちゃんと聞いてしまう。情報として受け入れてしまう。たとえそれが今後自分がやらなきゃいけないという建前があったとしても、キッチリ話を聞いて動いてあげている限り……相手に対して、こう言っているに過ぎない行動なんだよ? 『あたしはあなたのことを愛している』って。愛情と愛しているは、別物。そうじゃない、愛してない、二度と関わりたくないと願っているけれど、自分が任されてしまっているそれをやらなきゃ、他の誰かに負担や迷惑がかかると思いながらも行動出来ている限り、彼はこう考えるよ。『俺は愛されている』と。そう感じて、気持ちをより、寄せてしまう。そうじゃないと言い切るのなら、彼絡みの話をしてくる相手の話も彼自身の話も、聞く耳をもたない。話を振られたら聞いてしまう前に、ぶった切ってしまうんだよ。それくらいやれなきゃ、おかしいんだよ。……でも、まあ、洗脳されてきたんだから、そうなっちゃうもんだよね」


と、まるであたしが好き好んで火中の栗を拾っている人みたいな物言いでした。


 担当医とこの話になる前。


三回目のカウンセリングに入った直後です。


 前回のカウンセリングの後に何があったとか、睡眠についてのデータの話とかをしようとした時。


タイミング悪く、睡眠障害の原因たる彼関係で代理で書類を作るハメになり。それについての話を愚痴のようにもらそうとしたあたしの言葉を、悉く担当医がぶった切りました。聞く意味も必要もない、と。そういう話はいらないよ、とも。


 そして、話をしている最中に何度となくあたしは言い返していました。


だって、とか、でも、とかいろいろ言い訳をつけながらでも、どうにか話を聞いてもらおうと必死でした。


今思えば、あんなに必死になってまでする話だったか? という内容でもありました。不思議なほどに焦りながら。


 担当医が、あたしが彼を愛しているというたびに、泣きながら現状は違うんだと言い続け、担当医が断言した言葉を撤回してほしがりました。



そうじゃない。

好きになんかなれない。

愛せない。

愛したくない。

離れたい。

こんなに辛いのに、愛しているはずがない。

そんなこと言わないで、先生。

なんでそんなこと言うんですか。



 体を震わせつつ、涙をこぼしながらNOと必死に訴えるあたしに対して、いわゆる口撃を担当医がゆるめることはありませんでした。


 実はこの三回目の通院時にはすでに、睡眠障害の原因たる彼にある生活の変化が起きていました。


その影響で、以前とは違った理由で彼が自分自身に関することを誰かに頼らざるを得ない状況ではありました。


 彼が地方で仕事をするようになり、物理的に距離を置けるようになった話は書きました。


 その後、そこに勤めはじめてまもなく一年になろうとした十二月十九日。午後二時過ぎ。


作業中の、高さでいえば二階の窓あたりからはしごに乗ったまま落下。


会社からの指示によってはしごと自分を紐で結んでいたのが逆に作用してしまい、はしごに顔を殴打。その結果、彼は障害者になってしまったのです。


 右脳の一部がつぶれ、左半身が機能しなくなってしまった。詳しく書くならば、脚の回復は若干見込めても腕については状態を戻すのは無理でした。


 それに伴って、それまで普通に思考してこれたこと、判断可能だったこと、セーブ出来たことの一部が抑えられなくなることが増えてしまった。


テレビを見ていても、誰かと会話をしていても、頭への疲労が思いのほかに早くきてしまう。


そのせいでか、脳がストップをかけたかのようにボーッとすることが増えた。


 書類などについて説明を受けても、同じように書こうとしても、処理しなきゃいけない情報を処理したい速さで処理できない。頭が熱くなって、すぐにパンクする。


 気づいたら、以前はひっかかることもなかった詐欺にお金を振り込んでしまう。などなど、それまでの彼だったら有り得ないことが圧倒的に増えてしまった。


 利き手ではないにしても文字を書くのが難しくなった。障害者としての申請に必要な手続きや、片手でいろんなことが出来るようにするための工夫や、それに必要なアイテムを買うための出費が増えたり。


本当にそれまでの生活とはガラッと変わってしまったので、どうしても初期段階でのサポートが必須となってしまった。


 ましてやコミュ障というか、人見知りというか。引っ込み思案ともいえるか。


人に何かを頼る、甘えるということが、基本的に苦手。なので、甘えやすく頼めばやってくれ、これまでもなにかと助けてくれた相手=あたしに寄りかかるのは当然の流れでした。


なので、あたし以外にもそうなれるようにと、初期段階であたしが間に入るのも自然な流れでそうなっていました。


 書類関係については、身内でなければいちいち委任状が必要になる相手も少なくなく、事故当時に勤務していた会社の社長さんから彼について直接頼まれてしまった事もあり、断るのが難しかった。


 下請けの会社で、そこまで人数がいるわけでもないらしく、事務関係も社長がやっていることも多いと彼から聞いていたあたし。事務員を別で雇う気もなかったようでした。


本業の仕事だってあるだろうしね。


 そんな相手に仕事の合間に労災関係やその他もろもろの書類に手を付けてもらっていたら、いつになっても手続きが終わらない。終われない。


きっと時間が取れるのは、関係各所の施設が閉まってからだ。それじゃ、手続きがちっとも進まなかろう。


 そこで白羽の矢が立ったのが、あたしだ。


彼がその会社に入るキッカケになった知人は、あたしも長い付き合いのある人で。


その人からも電話で頼まれた。かなりお世話になった人でもあるので、断りにくいなと思った。


 ただ、その人物はあたしと彼が事故当初にどういう関係性だったのかまでは把握していなく、何も考えずに頼んできたんだと思えた。


なので実際に手続きなどの関係で事故直後に運ばれた病院で再会した時に、今後の彼の行き先についての話題になった時。一緒には暮らせないと思っている旨を話すと、かなり驚かれた。


仲が良い夫婦だと思っていたようだから。


 その辺の夫婦によくある多少のケンカはしても、なんだかんだで丸く収まって一緒にいるんだろうって程度の。


けれど、彼があたしにそれまでにしてきたことをその場で打ち明けることになって、とてもじゃないけどこんな状態になって一緒には暮らせないと断言した。


 高次脳機能障害という、脳への衝撃があった事故の後に起きやすい障害があり。それによって、性格が変わる場合があることを医師から聞かされて、その意思がさらに強くなった。


ものすごく穏やかになるか、ものすごく攻撃的になるか。


それまでの彼の性格を振り返れば、後者しか想像できず。そうなった時に、今まで以上に彼に拘束されるのかと思うと恐怖で体が震えた。


 睡眠障害で治療中なこと、その原因が彼にあること。それを医師とその場にいた社長と知人に伝え、「いろんな手続きが終わるまではサポートしますが、それ以上は無理です」と宣言した。


 二度と目は覚めないだろうと言われていたのに、目を覚まし。


何かを食べるのは難しくなるだろうから胃瘻といわれる器具をつけて、胃に直接ペースト状のものを流し込んで栄養を摂ることになると言われたのに、なぜかやわらかいものなら食べられるまでに快復し。


医師が驚きを隠せないとまでいうほどに、コミュニケーションが取れるまでになった。


 元気になるのは、いい。子どもたちも、生きててくれていたらいいとは言っていたから。


 けれど、元気になればなるほど、プレッシャーが大きく圧しかかってきた。


それまで夫婦だったんだから、障害者になったからとチャンスだとか思って切り捨てずに、最後まで面倒見てあげなよ……と。


 実際、あたしが一緒には暮らせないと告げた後。知人から書類に関しての電話を受けた時に、ついでのように言われた。


「俺なら面倒みるけどね。そんな人でなしみたいなこと、俺には出来ない」


その言葉を聞いても、たとえ彼が健康体であっても、めんどくささしかない相手なのに、これ以上はもう無理だと思えた。


 何日も何日も一緒にいたことがないから、そんなことが言えるんだ。


夫婦じゃないから、そんなことがいえるんだ。


時々会って、数時間しか一緒にいたことがない人が語るな。


そう言えたら、どんなによかったか。


 言いたいことが言えなくなったのも、自分自身のせいが半分と、彼のせいが半分だった。


それのせいと、どうせ言っても彼同様で話を自分の主観でしか考えてくれないなら、話す意味がないと諦めてしまった。知人は、彼とどこか似た人だったし。


 こちらの状況を知りもしない人に蔑まれ、時には書類の手続きで電話をした相手先に同情もされ。


胃が常にキリキリと痛む状態で、彼が一人で施設で暮らすための手続きを続けた。


 その間、彼は最初の病院からリハビリの病院に転院。


リハビリに励んでいる間に、こちらの街のグループホームへの入居手続きと並行して、労災案件だったことで最初は傷病手当の申請をした。その後、退院に向けて、障害手当に変更するための手続きや面談などなどの準備にも手を貸し。


 それまでとは違う意味合いで眠れないことが増え、一時間眠れればいいほどまで悪化。


 夢の中でまで、書類のことで電話をしていることが増えた。夢の中には彼も出てきて、体中に汗をかきながら何度も飛び起きた。


声にならない悲鳴のようなものをあげ、呼吸を荒らげて起きる毎日。



これが終われば。

この時期が過ぎ去ってくれれば、平穏な毎日に近づける。

彼と関わることをやめられる。

子どもたちは会うことがあるとしても、あたしからは拒否できるようにしてみせる。



叱咤激励というには呪いにも思えそうな強い願いを胸に、黙々と手続きをひとつずつこなしていった。


 そうしてこの三回目のカウンセリングの時には、彼はグループホームに無事入居して二か月が経過していたあたり。


 彼はというと、まだ別で暮らすことに納得もせず、実際に暮らしていく中で必要なものが増えていったりもし。


ちょこちょこ施設で直接やりとりをしなきゃいけないことが、少なくなかった。


 自転車で25分ほどの道。ペダルを漕ぎながら、気分は地獄へ向かっているようなもので。漕ぎたくないのに漕がざるを得ないその状況に、心臓が強く速く鳴り響いていた。



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