治療方針
焦れながら過ごす日々の中、迎えた限界。
ここでやっと心療内科へ向かうわけだ。
一つめ二つめのクリニックについては、先に書いているので省略。
一つめのクリニックの担当医から聞いていた三つめのクリニックへ、早い段階で通院していたら、なにか違う未来があっただろうか。
最低でも二つめで味わった、担当医から向けられた負の感情を知らずにすんだことは明確だけれど。
遠回りをしてたどり着いた、三つめのクリニック。
メガネをかけた細身の先生がいて、パソコンで打ち込みながら話を聞いてくれた。
先に書いたように、初診時には長めの面談のようなものがある。いわゆる問診というか。
普段の生活環境だけじゃなく、先に訪れていたクリニックでの診察や投薬で、自分がどう過ごしてきたかも自分視点で書く。
担当医同士の医者視点の物だけじゃなく、患者視点で感じてきたこととどの辺が負荷になっていたかも。
それによって自分にどんな変化があったかも、思いつく限り書いた。
念のためで、これまでの流れのメモを用意しておいて大正解だった。
その後、数回にわたって通院をする。
クリニックに赴くたびに、担当医と膝をつき合わせて話をする。
一回約30分ほどのカウンセリングの中で、前回のカウンセリング以降に何をしていたのかを話す。基本的な流れは、そんな感じ。
二回目の診察時に話題にあがったのが、ブルーライト。
パソコンやスマホなどから出ているらしいやつです。
最近はその手の光線を軽減するメガネだの、パソコンにもそれを抑える仕組みがあったり。スマホだとそれをカットするシートが売られていたり。
どうやらそのブルーライトという光線を浴びると、脳が覚醒してしまうんだとか。
「だから、もしも夜の過ごし方に困っているようならば、デジタルじゃなくアナログに頼ってください」
そう担当医に笑顔で告げられました。
アナログ? と首をかしげると、わかりやすくたとえ話を追加してくれる。
普段は眠れるまでの時間を、スマホでマンガや小説を読んでいたあたし。
もしくは、スマホで投稿サイトへの小説の打ち込みとか。スマホじゃなきゃ、パソコンでやっていた時もあり。
「出来れば、平均的にこの時間あたりには寝るだろうって時間の三時間とか四時間前には、スマホやパソコンは触れない。見ない。……そうだね。あなたの場合だと、夜十時以降って感じかな。それ以降は、アナログ=紙媒体の本を読むとか、小説を書くのに困るならノートに書き出すとか。そういう意味でのアナログなものを、寝る直前まで利用すること。ギリギリまでスマホを見ていると、ちょっとしたニュースを流し読むだけでも、脳がその内容を理解しようとすごい勢いで働いちゃうんだよ。そうなると、落ち着くまではなかなか寝つけない。少しでも早く脳を落ち着かせるためには、本を読むとか文字を書く程度に留めること」
デジタルとアナログの意味が、ここではっきり理解出来ました。
それ以降、寝る前にはマンガなり小説を枕元に置いて、その時々で読みたいものを読むようになりました。
小説や他になにか吐き出したいものがあったら書けるようにと、ちょっとしたメモを置くようにも。やってることが、作詞家とか芸人がネタ帳を枕元に置いてるのに似てる。
何にせよ知識がなかったせいで、眠るギリギリまでスマホを見ていたことで、自分の睡眠の質を下げていたようなものです。
自業自得ともいえる。もっとどん欲に色々調べたら、早い段階でこの知識にたどり着けたんじゃないかと思えなくもない。
それまでデジタルに触れるばかりだった生活から、アナログに触れる時間を増やす生活への移行。
すぐには慣れられないだろうけど、すこしずつ意識的に生活を変えて、慣れていけるようにしてみようと努力と工夫を。
担当医は「今日からやりなよ?」とくだけた口調で言いながらも、すぐには慣れられないだろうけどと急かす口調では言わなかった。
背中を押すのではなく支えてくれるような言葉に感じて、思わず顔がゆるみました。
他の誰でもなく、自分が一番自分を急かしてしまうだろうと思ってもいたので、担当医の言葉を頭の端っこに置いて急かすことなく改善してみようと素直に思えた。
……単純かもしれないけど。
これからの自分の歩調を計りかねていたところがあったので、急きそうになる自分のペースを落としてくれた気にもなった。
一つの指針が出来、まずはそこからだなと気持ちを引き締めた直後でした。
もうすぐでカウンセリングの時間が終わりそうな頃合いに、目の前の担当医の様子が少し変わりました。
気のせいかもしれませんが、すこし言葉を選んでいる様子の先生の顔がありました。苦笑いというか、なんというか。難しい顔にも見えました。
なんだろうと内心思いつつも、言葉を待ちます。
その時間はまばたき数回分ほど。
担当医の口から出てきたのは、今後の治療方針について。
大事な話だなと感じ、すこしだけ姿勢を正しました。
ちゃんと聞こう、と。
担当医から聞かされたのは、二つの方法から選べたらと思っているという提案というか相談の内容。
何度か頷きながら、話を聞いていきます。
それぞれの方法について、担当医が持っているイメージが最初に伝えられました。
「ひとつめ。痛みを伴う……結構ツラいかもしれない治療。ふたつめ。そこまでじゃないけど、生活の改善にはなる」
ふたつめの、そこまでじゃないというのは、ひとつめよりツラくないっていうことかな? と聞いたばかりの内容を咀嚼。
意識の改革とかそういう意味合いで、催眠術でもかけるのかな? なんてボンヤリ思いながら聞いてみた。
すると素直に浮かんだことを質問したあたしに、ひとつめの治療方法について詳しく説明を始めてくれます。
担当医が言った、痛みを伴うということの意味と理由。
痛みを感じるのは、主に心。
自分が抱えているものや逃げているもの、気づけていないものをとことん意識し、向き合い、どれだけの傷を自分が抱えているのかを明確化する方法。
あたしの場合、眠れない大きな原因は彼という存在。彼がいること、彼がすること、彼が言うこと。
彼から与えられたいろんなことで影響を受けた後、彼がいないのにいるように思った。それに触れられていないのに触れられたと感じたり、近くに彼がいないのに彼に呼ばれた気がして振り返ったり。
短い言葉で表現するなら、幻視・幻覚・幻聴がそれにあたるらしい。
それが普段の生活の中でも、さながら白昼夢のように起きる。
クリニックにかかる原因となった睡眠時にもそれが起こっているのが、なによりも問題だということ。
気のせいと思いたいのに、彼がそばにいないはずの布団の中で起こる。
寝入って程なくして、彼に触れられた気がして体をビクつかせながら飛び起きる。
また、勝手に脱がされていないかを確かめてしまう。
彼に耳元で名を呼ばれた気がして、心臓をバクつかせつつ目を覚ます。
また自分でも出来そうな用事で起こされたのかと、ある種の恐怖を感じながら。
実際、彼がそばにいた時の日常だったから。
電気ケトルでお湯を沸かして、カップ麺にお湯を注ぐ。それだけのことで起こされたことが、何度あったことか。
寝ているあたしを勝手にいじると怒られるからと、目を覚ますまで声をかけて、寝ぼけていようが目さえ開ければ触れていいと決めつけた彼に延々名前を呼ばれた日々。
正直なところあたしからすれば、今考えたらどれもこれもくだらない用事だ。
前者は、自分でやれるのに甘えることを選んでるわけで。後者は、自分の欲のためと自分が叱られない条件を満たすがために……とかいう、毎度の自己都合のみの行動だから。
それを何年も繰り返し繰り返し、あたしの体と脳内にすりこもうとしているかのようにしていた彼。
本人曰く、悪意はなかったし、それがダメなことというつもりはなかったと。
最終的にどちらとも自分の願いを叶えてくれるか否かを打診し、するしないの最終決断はあたしに預けていたんだからと。
「嫌なら嫌と言えばよかったのに」とか言うその人は、こちらが相応の理由で断りを入れようとも、その後はただただメンドクサイだけの人になるだけ。
あたしが願いを叶えなければ、「空腹のままで眠りが浅くなる」だの、「朝一でお腹が過ぎすぎて具合が悪くなるかもしれない」だの。
アッチについても「最後までやらなくても俺は平気だけど、ママはスッキリしないんじゃない?」とか、まわり回って自分を正当化しようとしたり。
そういった原因たる彼の存在を見ないフリをせずに、彼と自分の立ち位置や、彼に何をされたり言われると負荷がかかってきたのかに向き合う。
認める。
どこを恐れているから、従ってしまうのか……などもそれに含まれると。
それが治療になるんだという。
ふたつめは、“原因さておき”という時点で、ひとつめとは真逆。まったく違う。
とにかく、生活改善だけを目指した治療というか、生活指導にも近い内容になるという話だった。
メインはカウンセリングで、薬を使わずにというのが三か所目のこのクリニックの方針でもあったこともあり、今後どうしても薬を……となるのは再び命の危機が危ぶまれた時とは言われた。
けれど、その段階は抜けているから、その次の段階に入ったままでいいと思うよと担当医。
その状態からまたメンタルが落ちて、薬を使わなきゃ眠れなくなる人もいないわけじゃなさそうだったけど、ひとまずあたしはそれに該当しなさそうだという話だった。
話の流れ上、一応説明をというだけの話だったよう。一瞬、方針を変えて投薬に変更かとドキドキした。
そうして、ひとつめの治療法について話が戻る。
どうやってやっていくのがいいのか、と。
そのやり方でいけそうなら、本当は最初に挙げた方の治療法で進めたいとも。
その方法の話になり、思わず(……あれ? それ、手段を取るとしても、情報はあるぞ)と心の中で呟いた。
彼に何をされた、何を言われた、どう傷ついた。
「そのあたりを書き出していけばいいけど、実際にそれをやるとなると、相手がいないのにいるような錯覚を感じかねないことを書き出すのは、ふさがりかけた傷口を開くような行為でしょ?」と担当医が言い淀む。
と、そこで言葉を返した。
「ブログに残してあるので、状況などだいたい把握するのは可能です」
愚痴のように書いていたそれを、担当医の話を聞きながらすぐに思い浮かべていた。
あたしにしてみれば、彼本人にぶつけられない気持ちを吐き出しただけの場所。その存在を思い出して、担当に伝える。
「――――え?」
驚き、目を丸くし、すこしの戸惑いを見せた担当医。
担当医が先に言っていたように、たしかに彼にされたことを思い出しながら、たとえ愚痴だろうが心に痛みを感じずには書けなかったはず。
けれど、自分の心身が特殊なことは理解している。
解離性同一性障害。
思い出しながら書いている間は、別の人格がその痛みを代わってくれたのかもしれない。今思えば、そんな気がしなくもない。
そうじゃなきゃ、専門家が言うように胸の奥が痛んで、吐き出すこと自体が難しかったかもしれない。
嫌でも現実を見るわけなのだから。
でも、ブログを書きながら、その痛みを生々しく体験していた記憶はなかったりする。
だから、もしかして。
もしかしてだけど、痛みを自分の中の誰かと分けあっていたのかもしれない。
そんなことも含めて担当医に話をすれば、驚きの表情をそのままにこう返された。
「普通はね? そういう時には、第三者の手を借りて、吐露しつつ傷に向き合うものなんだよ。……それを何年もやってきたの? まさかの自力で、一人で?」
まさかという言葉に、担当医の驚きが伝わる。
そんなに珍しいことを、あたしは自発的に自力でやっていたのか……と。
「本来ならばキツい方の治療法で、なかなか患者に言い出しにくいものなんだよね」とも担当医が言う。
そうなんですねとどこか他人事みたいに返すあたしに、苦笑する担当医。
そう返したあたしの表情が、予想していたよりもいい方に見えたらしい。
「なんていうか、そんな状態でもポジティブでアクティブなんだね。そういう場所で書き残してるの、意外だった。そういうことができる人ってなかなかいないからさ、さすがに驚いた」
とか言われたものの、さっき考えていたことをまた考える。
思い至らないだけで、ブログに残しながら心を痛めていた可能性はゼロじゃないと。
自分が壊れ、別の自分が存在し、それが痛みを受け入れてくれていたんじゃないかとかなんとか。
そうじゃなきゃ耐えられるはずがないだけの内容に、痛みを抱えて生きた時間の長さがあったわけで。
壊れてしまっててよかったのか、悪かったのか。どんな気持ちでいればいいのか、難しい話だ。
元々壊れたキッカケは、二人目の旦那=彼と出会う前の出来事だった。
彼と出会って、再婚して、子どもたちが順に産まれ。すこしずつ自分の中に吸収するかのように消えていった、自分であって自分じゃない人たち。
なのに、消えきれなかったのは、二人目の旦那である彼の存在が、あたしだけだと耐えられないことを危惧していたみたいだ。
だから、警戒して残ってくれていた……ような。
なんとも都合がいい、夢か小説っぽい話。
そういう存在があるなしにかかわらず、あたしがやっていた方法がいいことだという話でまとまった。