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彼の視界に映るもの


 あたしは元々、そこまで体力がある方じゃない。


子育ては気力と体力と意地と諦めでどうにかするもんだと、二人目のあたりで悟った。


長女の時にはムキになっていた部分があったけれど、んなもんにこだわっていたら何も進まないし眠れないし、金も続かない。それを思い知った後の、二女の子育て開始だった。


 そういう考え方にシフトしたものの、結局はほぼワンオペ育児だったので気力が一番必要だった気がする。


その次に、意地。


 それを携えて孤軍奮闘していたあたしに、あるお願いが頻発するようになっていく。


彼へのマッサージを脚だけじゃなく、背中と腰も…となって、その後は最終的に全身くまなくマッサージするのがデフォにされていく。


 その時の自分の状況をみて、やれる範囲での彼への感謝のマッサージだったから、正直困惑しっぱなしだった。


かかりきりになるのが予想できたので、そこまではやれないと最初は渋っていたはず。


 だって、彼の妻だけれど子どもたちの母親でもあり、家の中を回していく主婦でもあるのだから。


この身は一つしかなく、時間は一日24時間と決まっている。その中でやらなきゃいけないことが多く、彼のように帰宅すればなにもしないとかあり得なかったから。


 その時間の中でタスクを割り振っていかなきゃ、一日が終われない。持越しは厳禁なものばかり。


彼が手を貸してくれるはずがないと知っていたから、その日その日の残り時間とタスクを考えて、どう時間を使っていくかを決めていた。


 こっちのそんな都合などおかまいなしと言わんばかりに、彼は願いはかなうものと決めつけてベッドに寝転がる。


そして言うのだ。「早く始めてよ」と。


 やってほしいと彼が頼んでくる箇所が一か所ずつ増えていき、最終的に全身になっていたと気づいた時のショックは、これまた大きかった。


 頼まれながら気づかなかったのは、どこか感覚が麻痺していたからかもしれない。頼んでくる時の急かし方に、一切の余裕をもらえなかったから。


「やってくれるの? くれないの? やらないなら、なんでこの部屋にあがってきたの」


 労いという好意から始まったそれが彼を大きく慢心させると、誰が予想しただろう。


 追い込まれながらも、なぜか従うように全身くまなく揉んでいく。


 両脚の表も裏もやり、足の裏までもやる。指までもしっかり揉みこんで、むくみも取るように意識をしながら。


 過度に力を入れていなかったつもりでも、全身くまなく揉むようになると自分の親指の第一関節や手首、それに腕のいわゆる肘部といわれる場所の筋肉痛がなくならなくなる。


 常に疲れている。どこそこの関節や筋肉が。


揉まれる方は嬉々としていたけれど、揉む側はただ疲れるだけ。それを癒すものも場所も、何一つない。

 数日おきだったはずのマッサージが、徐々に増えて気づけば日課と化す。


それだけの箇所をやるには、もちろんのことで時間がかかる。それじゃあ、その時間をどう捻出するか。

 答えは、子どもたちとの時間を削る、だ。


 そしてもう一つの答えというか、それによって起きた弊害もある。


自分の睡眠時間と体力も削るというか、捧げるに近い行為へと変わっていったのだ。


 いたって普通の素人マッサージだけで済めば、まだよかったんだろう。


彼が他の人と違うところは、そこからさらに甘えられるものを見つけてくるところ。


 というか、図々しくなれること。


ある種の才能だと、後から思った。もちろん嫌味を込めて。


 脚だけを揉んでいた時には、30分にも満たない時間で終えていた。その頃はまだ、脚の裏側の筋肉だけを揉めばオシマイでよかったから。


その程度なら、終わり次第で子どもたちの元へと向かえた。ストレスは最小限。


 それが脚の表と裏の両方になり、徐々に全身へとスイッチしていくにつけ、一時間になり二時間になり、最終的には三時間にもなった。


 それだけの長丁場になったのには、揉む範囲が増えたのだけが原因ではない。揉んでいる間に彼が眠ってしまうのも、原因の一つだったりする。


別に眠ったからといって、揉む手を休めたことなどなかった。


 にもかかわらず、だ。彼は自分の感覚が鈍っているのが理由のはずなのに、あたしがサボっていたと安易に責めてきてはいいと思うまで揉みつづけてと告げた。


 一回や二回の話じゃない。


それが日課になっているすべてに適用されるようになっていけば、あっという間に腕はバカになり、力の入れどころがわからない素人マッサージ師の指はすぐさま力が入らなくなる。


 三時間にも及ぶその“作業”にも似たものの後に、まだ家事が待っているのに。


 翌朝も早朝から起きて、弁当だの成人男性の着替えの準備までもしなきゃいけないのに。


どうして自分でそれくらいやらないの? と不機嫌そうな顔をすれば、それを上回る不機嫌さを表に出されるので、渋々続けるほかなかったのだけれど。


 そこに更なる負荷がかかる。


その内容が、あたしにとっては大問題だ。


 人間にはいろんな欲があり、時にそれを満たすがために頑張る人もいる。


ここ最近の世間一般でいえば、推し活もそれにあたるだろうか。


推し活程度ならまだ可愛らしいもんで、何が問題かというと“性欲”を満たさなきゃいけなくなった。


しかも彼が自力でどうこうするじゃなく、他力(あたし)で満たすのが当然になる。


……なんでだ。


 元々性欲が強い彼。毎日でもシたいと言われ続けていたものの、さすがに子どもの相手に家事に成人男性のお世話までやっていたら、そこまでの体力も気力も常に売り切れ状態。


性欲なんて、とっくに在庫ゼロです。


 特に彼相手という設定にしてしまえば、そこまでシたいとは思えなくなっていた。


 彼のそれが、上手いとか下手とかの前提はなく。どこか一方的な内容のそれに魅力を感じていないのが理由の一つ。


 それに、常に金欠の我が家をどうするかを考えなきゃいけない。それで頭がいっぱい。


その時々で自分にやれることを探して、根回しが必要なものはして。


頭の中もずっと回転しっぱなし。夢の中でも、家に関することばかりしていた。


 そんなことをシてる時間があったら、寝れるだけ寝たい。家事を消化したい。本が読みたい。小説が書きたい。マンガが読みたい。撮りっぱなしになっているアニメや映画を見たい。自分のために使いたい。


 ようするに、自分以外にばかり時間を費やしているので、自分を癒すという選択肢が欲しかった。


口先では、いつでも好きに時間使ってと言われてきたけれど、そんな時間は存在しなかった。


 半分眠っていた彼から、マッサージが足りていないと言われたある日。


眠っていたのは自分でしょうにと内心思っていても、言い返せずにいたその日。


 彼が「マッサージはそこまででいいからさ」とあたしの手を物理的に止めてきて、こう言ったんだ。


「残りの時間は、別の場所に触れてって」


別の場所と言いつつ掴まれた手を、ある一か所にポンと乗せられる。


(……噓でしょ)


心の中で驚きを露わにした。表には出せないままに。


 仰向けになっていた彼の、脚の間。腰の中心。そこの膨らみへ乗せられた手を、呆然としながら見下ろす。


いつまでも動きのないあたしに焦れた彼が、普段よりも声を低くして呟いた。


「ヤること、わかってるよね?」


と。


 どういうつもり? と言い返したいのに、普段よりも低く重たい声に体が強張った。


 彼から暴力を受けたことは、ほぼなかった。結婚前に一回だけ、酔っぱらって酩酊した彼に蹴られた。


某ボーカリストの名前がついたキックのように、前に向かって突き飛ばすようなキックだった。


 それ以降はなかったけど、目つきも悪く声も低めの彼への警戒は常にしていた。


 気分屋で、悪意はないと言いながら毒を吐くことが多々あり。それによって、幾度となく心が傷つけられることがあったから。


 そして、毒じゃなくても無理や無茶を押し通すことが少なくなかった。それはあたし相手にだけじゃなく、子どもたちにも同様だったから、尚更警戒せずにはいられなかったんだ。


 無自覚のままに、彼に従うことが我が家の常識になっていたことに気づけず、同じ場所に同じ強さの傷を受け続けることとなる。


 夜9時頃から始まる、マッサージの時間。


先に二階に上がってるからという台詞ひとつで、暗黙の了解となる。


こちらの都合も体調もなにも考慮された試しはない。


子どもたち三人を放っておき、自分を労いに来いということだ。


 時間の拘束と、気力も体力もマッサージで削られた上に追加されるだろう、性欲処理作業のためにも。


 彼は一度許されたと思ったことについては、永遠に許可が出たと思う節があった。どうなればそういう思考回路になれるのか、いまだに解明できていない。


 だから結果だけでいえば、彼の望んだ生活に近づいていたわけで。


 二階に上がる前に、作業が終わってからやることを確認して、長女に声をかける。


「二女と三女を任せてもいいの?」と。


 小学校高学年のうちから、父親が母親に強いていることの全てを知らずとも、邪魔はせずに協力をしなければ母親がもっと大変そうだと気づいていたらしい。


自分がそうすることで、気兼ねなく父親のサポートに向かえると。


「妹二人と一緒に遊べるから楽しいし、仲良くビデオ見るから大丈夫だよ?」


 自分に任せていってらっしゃいと言わんばかりに、笑顔で送り出される。毎回、毎回。


 頼まなくてよくなるのは、誰かが体調を崩した時や三女の昼寝が上手くいかなかった時くらい。さすがに任せるわけにはいかない。


 そういう時に、長女の本音が垣間見られる。


やっぱり不安で、やっぱり自分だって甘えたくって。一緒に遊んでほしくて、もっと話を聞いてほしくて。


二階に部屋をもらえて一人寝が当たり前になった自分だけど、時々はママと妹たちと並んで眠りたいって。


 その本音が見えたところで、そしてそれをあの誰かに相談したところで、その後の展開は何も変わらない。


それが当時の現実。


 口先では家族のために頑張っているだとか、家族と一緒の時間が大事だとかいうくせに。


同じ口で、家族へ自分の都合だけを優先した願いを乞うのだ。


自分のためだけに時間を使ってくれと。


そのたった一人だけを優先した生活によって、誰に負担がかかって、誰に弊害が起きているか。


 支える側が、その日その日使える時間と体力の範囲内でやろうとした好意を盾に、俺は大事な人間だろうと圧をかけてくる。


明確な物言いはせず、どこか言葉を濁して、相手がどう取ってそれによってどう動くか。選択権を相手に委ねておいて、自分が求めた答え以外だと不正解だと言わんばかりに顔を歪める彼。


「俺は何一つ頼んでない。勝手に答えを出して、動いたのはそっち」


何度、そう突き放されたか。


麻痺した心が目を覚まし、声をあげるたびに。


 彼は指先ほどの幅の視野の狭さでしか、自分のまわりを見ることをしなかったのだろう。


 彼以外の家族に何が起きていたのかを彼が知るのは、かなり後の話。いわゆる、“後の祭り”になってから知る。


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