表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/23

ただ、寝たいだけなのに。


 その頃はまだ、彼に対して家族としての情くらいはあったようだから、そういう感情込みで声をかけていたんだろう。


 愛しているから、彼を守りたい。


なんていう御大層な感情は、きっと無関係だったと思う。


 そう言えるのには、理由がある。


それが、彼と一緒にいるあたしの睡眠障害につながる話。


 彼がストレスを抱えだして、起きている時に愚痴っていた頃はまだ可愛いものだった。


愚痴ってもそれでも消化しきれないストレスが、彼の中にすこしずつ溜まっていったんだろう。


それと、気持ちの切り替えをするのが難しいくらいに疲れてもいたか。


 寝言を呟くくらいですんでくれたらよかった。んな程度じゃないことが、思いのほか長いこと続く事態になる。


 正直、自分の身に何が起きたのか理解できず混乱した。


 その日も愚痴を聞き、おやすみなさいと布団に潜り込んだはずの二人。


寝つきのいい彼が、たいてい先に寝息をたてていた。


その寝息を聞きながら、そろそろ自分も寝なきゃなと頭に浮かべつつまどろむあたし。


 最初は、寝返りと思った。普段よりも、ちょっとだけ寝相が悪いなーと。


布団一枚で寝ていて、片方が寝相が悪いと相手=あたしがまともに眠れるはずがない。


というか、強制的に起こされたので目が覚めてしまった。


 困ったなと思いながら、なんとか寝直そうと彼に背を向けてボンヤリする。


 と、結構な勢いで布団から追い出される。その狭っ苦しい距離感で、ほぼ至近距離にいる相手の背中や腰に打撃を与えるって……どういうこと? と思う。


 あまりの痛さに、声が出なかった。勢いよく布団から追い出され、冷えた床でペタンと座ってうつむいていた。腰に手をあてながら。


 涙目になったまま、彼の方へと振り返る。目の前には、人へ攻撃をしておいて、起きる気配もなく眠りつづける彼。


 掛かっている布団を蹴飛ばしそうな勢いで、彼の手や脚がジタバタと動く。


何かに似てるなと思って脳裏に浮かんだのが、スーパーとかでお菓子が欲しくて駄々をこねる子どもの姿。


動きはかなりそれに近かった。


 初めてその状態の彼に攻撃をされた夜は、そのまま一緒に眠ることなんか出来るはずもなく。


混乱しつつ考えている間にも、彼の手足はとにかく動き続けていたから尚更だ。


 そのまま一緒に眠ろうとすれば、同じ結果しか想像出来ない。


 普段の彼がしている仕事は、肉体労働系。細身の彼だけれど、それでも男なのだ。それなりに筋肉もあれば、力もある。


しかも眠っている状態なので、力加減なんか全くない。


 痛さに耐えながら、この後の展開を考える。


横にまた眠る自分。


変わらず暴れる彼。


同じ攻撃力かは予測不能。


むしろさっきよりも無遠慮な攻撃をしてきた時に、攻撃を受ける前に察して避けられるのか想像してみても、格闘技をやってきたわけでもない自分。


やってても、さっきの距離での攻撃を回避できる人はいるの?


寝ぼけた頭で想像して、ボソッと呟く。


「……無理っしょ」


思わずため息と一緒にそうこぼれた。


 シングルサイズの布団に、大人が二人寝てて?


片方が、大暴れ?


「うん。やっぱ、無理でしかない。あたしじゃなくても、無理」


 工夫とか努力とかで、どうこうできる話じゃない。


そういうもので乗り切れるジャンルじゃない。絶対に無理。


 ひとまずリビングに避難して、ソファーで眠ることにした。


余分な毛布などなかったので、夏用のタオルケットや上着を上から掛けて、小さく丸まって眠ろうとした。


 今までにない状況で眠りにつく。


 眠りは浅かったけれど、やっと眠れると思ったタイミングだ。たしか。


 静かなリビングで、小さな音がした気がして目を閉じたままで気にしつつも、そのまま横になっていた。


その音が徐々に近づいている気がしてから、そういえば霊感は若干あったっけなと夢の中に半分足を突っ込みつつ思い出した。


 本当の”そっち”の音だったら、それはそれで嫌なもんだ。そう思うあたりには、頭はすっかり覚醒していたはず。


 気配を探りながら、どのタイミングで目を開けようかと考えてもいた。霊的なものだった時に、目を開けていいのかやめておいた方がいいのか悩んでいた。


 けれど、霊的な方だったら良かったのかもしれないと、後になってから思った。冗談抜きで。


 霊よりも、人間の方がもっと恐怖だ。


小さな音がどんどん大きくなっていき、なにかを擦るような音が足音だと気づいた時、反射的に目を開いた。


 ソファーにあお向けになって寝ていたあたし。


目を開けた瞬間、真っ黒い塊が自分の真上に在った。大きな塊があたしを覆い隠すようにも見えた。


 ギョッとして、一瞬で心臓がバクバクと激しく脈打って、思わず息を飲みフリーズ。


シン……とした静けさの中で、呼吸音が耳についた。それが聴こえた時、黒い塊は彼だと気づく。


 ソファーで横になっていたあたしを覗きこむように、彼が立った状態で真上から見下ろしている。図式的には、そういうことになる。


 深夜。静かなリビング。無言で見つめ合う二人。


と、それだけを書くと、これから愛の語らいでも始まりそうな流れにも聞こえなくはない。


 けれど実際はというと、目がさめて隣に嫁がいないことでぐずった旦那が起きてきただけに過ぎない。


 先に言葉を発したのは、あたしだったような気がする。


「どうしたの?」か、「なに?」か。


とにかく短い言葉だったと思う。


 そう声をかけたあたしに、彼はまるで子どものようにグチグチと甘ったれたことを吐いた。


「どうして横にいてくれないの?」


とかなんとか。


 手を軽く振って、そこを避けてと手で示すあたし。すると、ソファーの横に彼がしゃがんだ。


 話が聞ける状態かを探りながら、さっき起きたことを手短に説明する。


説明をしても、彼は怪訝な顔をするだけ。その顔を見て、同じように眉を寄せた。


 本人は暴れていた時は完全に眠っていたようで、意識も記憶も感覚もなかったよう。だから、ワザとあたしを狙ったなどの悪意はないとも知る。


 ものすごく複雑な気持ちになった。


彼の中では身に覚えがない故に、そんなことを本当に自分がしたのかもしれなくても、もうしないから戻ってきてよと言い続ける。


それは紛う事なき、彼の本意。


 自分には非はないんだとも言い続ける。


あたしが彼の横に眠るまで、いつまでも。


 攻撃を受けた側からすれば、絶対に同じ目に遭わないという確証がない限りは別で寝たい。


どうにかしてうなずいてほしくて、互いに譲ることなく、時間だけが過ぎていく。


 結局、先に折れたのはあたし。


心身ともに疲れ切っていたから。


「気をつけながら寝るから、安心して眠って」


とか言い出した時に、そんなに気を張って眠っても疲れが取れなかろうにと内心思っていた。


蹴りだされたのに、お優しいもんだと、今なら思う。


 ひとまずは彼の言葉に「わかった。おやすみなさい」と早々に返して、目を閉じることを選んだ。


 その日から質の悪い睡眠か、極端なほどに短時間な睡眠しかとれなくなっていく。


ただし、そうなるのはあたしのみ。


 彼はあたしがひっそりと隣からいなくなった気配で起きることがあっても、人を蹴ったり突き飛ばしたという感覚で目を覚ますことは一度もなかった。


 きっと次回以降は、攻撃をした側でも手や脚に衝撃を感じて、目を覚ましてくれると思っていたんだけどね。


 が、何度も何度も攻撃をしておいて、嫁を場外に追い出している事実に気づくことはなく。


毎度のように、気持ちよさげに口を開けて眠っていた彼。


 あたしがいなくなった気配にだけは敏感になれるくせに、そっちへの神経の張りつめ方だけが高いということか。それはそれで異常な程だった。


 どうしてもまともに寝かしてもらえない→リビングへ→彼が寝ぼけた状態でぐずりながらやってくる→寝室に行くまでソファーで横になる人の顔を覗きこみ続ける→気持ち悪さや恐怖やメンドクサイという感情を抱きながら、渋々寝室へ→寝る→ふりだしに戻る。


 それを延々繰り返されて、悩みに悩んで布団を二枚にしようと提案する。かろうじてあったのが程度の悪い布団だったので、正直なところ出したくなかったがやむを得ない。眠いし。


 相手も状況が状況なので、布団を二枚にするのを条件にして隣に寝てくれるのならとオッケーを出してくれた。


 なのに、同じことが起きる。状況に変化がなかったかのように。


二枚の布団という、範囲拡大作戦。思ったよりも広くなったはずと思ってた。


相手は自分側の布団の端っこの方で、すこし体を丸めて眠っていたはず。


 浅い眠りの中で殺気を感じ、手か脚が飛んでくる前に飛び起きて、なんとか難を逃れるというような夜を過ごすことになっていく。


 格闘家の修行の一環か? と言いたくなるほどの、深夜の半端ない緊張感。


手や脚が飛んでこなくても、彼は布団の上を縦横無尽に転がり回っていた。勢いよく来るものだから、体当たりされたことも多い。手や脚が飛んでくるのと、体当たりと。どっちの方が痛くないんだろうか? と考えたことがあるが、答えは出せなかった。


だって、どっちも痛いんだから。


 リビングで寝ることを許されもせず、自分が眠るために使える幅は30センチにも満たなかったかもしれない。


最悪の環境。


横を向いて寝た時の、人の体の厚み=寝る時に与えられる幅となった。


ずっと動き続けているわけでもないので、散々動いた後にぴったりくっついて来た時に自分に与えられた幅がそれ。


寝る環境ではない、明らかに。


箱にギュウギュウに詰められた感覚に似てた。


 壁が至近距離にあり、クッションなどを壁に立てかけるようにして、直接ぶつかることがないようにした。


それと、季節柄冷気がすきま風のように顔を冷やしてきたことも、そうやってクッションを置くようになった原因だ。


『毎日がんばってるのにな』


『何でこんな目に遭うんだろう』


『どうして、ただ“眠る”というだけのことが不可能になるんだろう』


『寝るってことが、こんなに難しいことだと思わなかった』


 普段思うことがない素朴な疑問ばかりが浮かぶ。


なんで? どうして? と。


普通にみんなやってることだよね? と。


 睡眠不足に拍車がかかっていくと、心がうつむきがちになる。しかも、かなりな下がり方で。


 普通の人が出来ることが、どんどん出来なくなっていく。常に眠気との闘い。


やるべき家事や子どもたちがそれぞれに抱える問題は、あたしの状況なんかおかまいなしに溜まる一方。解決や解消をしなければ、いつまでもなくならない。


 いつも、わずかな時間でもいいから眠りたいと思うようになる。


料理をしながら、寝てしまいそうになることもあった。揚げ物をしながら寝そうになったこともあった。


 そんな劣悪な環境の中で、急遽引っ越しを余儀なくされる。


 というのが睡眠障害になっている最中に、義父が亡くなったからだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ