第八話 『初恋のプリン』
再び土曜の夜が訪れ、「ふるさと亭」は静かに未来のディストピアへとタイムスリップした。おじさんはいつものように厨房で準備を整え、来客を待っていた。
その夜、店の扉を静かに押し開けて入ってきたのは、一人の内気な若い女性だった。彼女の名前はアカリ。人との関わりを避け、機械的で無感動な日常の中に閉じこもって暮らしていた。
「……こんばんは。昔の料理がここで食べられると聞きました」
アカリの声は小さく、控えめで、どこか不安げだった。
「ようこそ。食べたい料理はあるかい?」
おじさんが優しく尋ねると、アカリは顔を赤らめながら静かに答えた。
「プリンをお願いできますか? 昔、好きな人がプリンを作ってくれたことがあって……その味をまた思い出したくて」
「プリンだね。すぐに作ってあげるよ」
おじさんは卵と牛乳を丁寧に混ぜ合わせ、ゆっくりと蒸し始める。甘いバニラの香りが店内に漂い、アカリの緊張した心を優しく解きほぐしていく。
やがてプリンが出来上がり、皿に乗せられたその姿はなめらかで美しく、上には黄金色のカラメルソースが輝いていた。
アカリはそっとスプーンを持ち、一口味わった。その瞬間、優しく甘い味わいとほろ苦いカラメルが口の中で溶け合い、忘れかけていた甘酸っぱい初恋の記憶が鮮やかに蘇った。
「この味……本当に彼が作ってくれたあのプリンの味だ……」
涙が頬を伝う。心の奥底にしまい込んでいた大切な想いが再び蘇り、胸が締め付けられるような懐かしさを感じた。
「料理はね、時に人を過去に連れて行ってくれる。大切な記憶をもう一度味わわせてくれるんだよ」
おじさんの言葉に、アカリは優しく頷いた。
「本当にありがとうございます。あの頃の気持ちをもう一度思い出せました。勇気を出して、もう少しだけ外の世界と向き合ってみようと思います」
アカリは穏やかな微笑みを浮かべて席を立ち、静かに店を出て行った。
彼女の背中を見送りながら、おじさんは優しい笑みを浮かべた。またひとり、「ふるさと亭」の料理が人の心を優しく包み込んだことに、静かな喜びを感じながら、次の来客を待つのであった。