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魔術師が出てくる話

その扉を開く勇気

作者: 六福亭 テレンス・ブレーク


 雪と魔法に閉ざされた極北の国に入るには、許可証と決して安くはない額の手数料が必要である。


 国境に設けられた厳めしい鉄の城で、旅行者や帰国者が入国許可をもらうために列を為している。その列は長く、後尾の人々は雪が降り積もる外で身震いしながら時間を潰していた。

 ちょうど番が回ってきたのは、日に焼けた肌の男だった。城の役人は、進み出た男の顔を一目見て、同郷の人間であることを悟った。慣れない暑さで痛んだ肌に、皺が多く刻まれている。そして髪の毛は真っ白である。

「名前は何ですか?」

 役人の質問に男が答える。

「オグマ」

 姓がないのは、低い身分の証である。

「年齢はいくつ?」

「二十七」

「職業は?」

 男は少し躊躇ってから答えた。

「__魔術師」

 役人は少しも驚かない。この国で最も多い職業が魔術師だからである。

「出身は?」

「ミャコン」

 この国の最北端にある村だ。

「戻ってきた理由は?」

「家族に会うため」

「どのくらい滞在するつもりですか?」

「短くて……一ヶ月。長くて三ヶ月」

 役人は、他にもいくつかの質問をした。それから男が差し出した金貨と入国願いを受け取り、慎重に吟味した。偽造の跡や食い違いはなかったので、押印して男に返した。

「ご家族と楽しくお過ごしください」

 そう言われると、男はにっこりと笑った。

「どうもありがとう」


 国境から、最北の村への道程は長い。真冬は馬車が走っておらず、魔法の近道もそのほとんどが一時閉鎖されていた。男は五日もかけてようやくミャコンという村に到着した。

 この時期、ミャコンでは人も獣も冬ごもりをしている。積雪の中に埋もれた窓のない家が小山のように見えた。辺りはしんと静まりかえって、男のたてる足音ばかりが響く。

 この村では、どの家もトナカイを飼っている。もう少し暖かい時期であれば、トナカイたちを放牧していただろう。だが、日の光もろくにささない極寒の今は、トナカイたちも人間と同じ頑丈な小屋に閉じこもっている。

 

 真昼であっても、視界は薄暗い。男は魔法の火を手に灯し、自分の生まれ育った家を探した。この景色、覚えている。吹雪に隠されていても、自分がどこに帰ればいいかはちゃんと分かる。

 

 それにしても寒い__彼は白い息を吐き、歯の根を鳴らした。ミャコンを出たのは十五年近く前のことだ。それまでずっと、暑い国にいたから、忘れていた。肌を切りつけるような寒さも、あっという間に腰の高さまで積もる雪の激しさも。いくら服を重ねても、骨の髄まで染み込んでくる冷気。


 だから自分は、この村を捨てたのだ。男はそれを思い出した。トナカイを追うだけの単調な生活に、帰宅後は暖炉の側を離れられない無為な毎日に、会話の種も尽きた家族と顔を突き合わせ続ける気詰まりな空間に、心の底からうんざりしていた。まだ子どもだったのに、単身家を飛び出した。今日の寝る場所さえ定まらない浮き草のような生活に身を投じてから、はや十五年が経った。


 だが、彼は帰ってきた。長い年月を経て、少しは魔法の使い方にも通じた今、ふと家族に会いたいと気まぐれを起こしたのだ。少し無理をして許可証を取ったし、土産も買った。

 村にいる彼の家族は、六人。両親と、姉夫婦と、その二人の子供達。それに、トナカイが何頭か。甥っ子達はもしかしたら、成長して都にでも出ているかもしれない。だが、老いた両親や姉たちはまだ村にいるだろう。外の暮らしなど考えたこともないような人達だったから。

 今でもすぐに彼らの顔や声を思い出せる。無口な父に、口うるさい母と姉。力自慢の義兄とは折り合いが悪かったが、今ならもっと上手くやれるはずだ。甥っ子達は当時まだよちよち歩きだった。もう叔父のことなどさっぱり覚えていないかもしれない。


 やっと男は、自分の家を見つけ出した。積もった雪をおろし、扉を発掘した。木の扉に刻みつけられた模様は、間違いなく彼の家章だった。

 扉を叩こうとして、男はふと逡巡した。扉を開けて、家族と久しぶりに顔を合わせた時、どんな顔をしていればいいだろう。何と言えば、迎え入れてもらえるだろうか。

 いや__そもそも、自分のことを分かってもらえるのだろうか?

 

 自分は年を取った。今では昔の面影などさっぱり残っていない。証明できるような物も持ち出していない。随分昔に家出した息子だと、分かってもらえないかもしれない……。

 扉に顔をつけて、中の気配を探った。温もりが木の板から伝わってきた。暖炉の火が爆ぜる、柔らかな音もきこえた。心臓が早くなる。やっぱり、父さんや母さんは中にいる。

 その時思い出したのは、ひどく叱られた思い出だった。


 自分がその時何をしたのかは、思い出せなかったし、あえて思い出そうとする気もなかった。だが頭の中に蘇ったのは、父が激怒していて、母が泣いているひどい光景だった。父に殴られ、幼い彼はふてくされていた。甥っ子に八つ当たりしようとして、姉や義兄にも怒鳴られた。家の中のどこにも彼の居場所はなかった。


 そうだ。彼はまた一つ思い出した。あの日以来、彼は村を抜け出すことを真剣に考え始めたのだ。一晩寝た後もわだかまりは残っていた。家族中が彼に冷たかった。もうここにはいられない。そんな思いを強くした少年は、自分の役目だったトナカイの世話をある日放棄し__それっきり家には戻らなかった。


 ここで彼は現在に意識を戻す。あの時のこと、皆も覚えているだろうか? 謝ったら、許してくれるだろうか? 自分で捨てた家族の立場に、もう一度戻ることはできるのだろうか?

 扉の取っ手に手をかける。ミトンをはめていても分かるくらい、彼の手は震えている。寒いばかりでは決してない。

 あの時は、自分が悪かった。ごめんなさい。申し訳ない。すまなかった。何度も頭の中で、想像の家族に呼びかける。だが、その返事は分からない。今、扉を開けて、実際に家族と顔を合わせなければ、本当のことは分からないのだ。


 扉にぴったりと耳を寄せて、男は大きく息を吸った。それから、吐いた。魔法の火を中に感じた。


 決心して、彼は扉を開けた。



 そこには、誰もいなかった。暖炉は冷え冷えと空っぽだった。


 彼は呆然として、雪が入り込む暗い家の中を見渡した。かび臭い。もう何年も、人がいない臭いだ。食料籠も、薪を積む棚も、空だった。

「誰か……」

 呼びかける彼の声に応えるものは何もなかった。

 さっき聞こえた物音は、感じた温かさは何だったのだろう。困惑したまま、彼は家の中に足を踏み入れた。

 暖炉のある居間にも、奥の部屋にも、何もない。衣服も靴もナイフも鍋も箒もない。しばらくの間留守にするでもなく、ここにはもう誰も住んでいないのだ。

 随分長いこと、誰かがいる痕跡を探し回って、ようやく一つだけ見つけた物がある。床に落ちていた、木彫りのトナカイの玩具だ。白く塗ったその人形を一目見て、彼はすぐに気がついた。幼い頃、彼のために母親が作ってくれた玩具だ。

 彼はそれを、家出するその日まで大事に持っていた。小さな甥っ子にも譲ろうとはしなかった。


 男は暖炉の前にしゃがみこみ、自分で熾した火を見つめた。故郷を捨てて、家族に別れを告げて、砂漠を駆けずり回るうちに気がついたことがある。

 一人は寂しい。本当は、ここを出たくなかった。飛び出したその日のうちに、彼は後悔していた。

 だけど、もう遅い。家族との暖かい暮らしも、叱られたことも、謝らなければならなかったことも、何もかも過去になった。ここにはもう何も残っていない。

 男は大きく身震いした。寒い。いつの間にか、故郷よりも、南の方の気候の方が体に慣れているようだ。

 火を消して、立ち上がる。帰ろう。帰ろうか。自分に何度も言い聞かせた。俺がいるべき場所はここじゃない。

 最後にもう一度家の中に目をやって、男は扉を閉めた。



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