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掌編集

大きな壁が立ちはだかっていた!

作者: 壁

 朝、学校へ行くのに玄関のドアを開けると、大きな壁が立ちはだかっていた。


 いや、比喩ではない。

 家の前に私の苦手な犬がいるとか、宿題をやっていなくて行くのが億劫だとか、決してそんなことではない。

 宿題をやってないのは本当だけど、別に何とも思っていない。


 実際、家の前の住宅街の道路に、高さ十メートルくらいの壁が立ちはだかっているのである。


「ああ、今日もまだ建ってる。夢じゃないんだな」


 スーツを着てビジネスバッグを持つお父さんが、だるそうな声で言って、目の前の壁を見上げた。


「お父さん、ネクタイ曲がってるよ」


 私は、お父さんが会社で恥をかかないよう、指摘してあげる。


志保しほ、大きな壁の前で、ネクタイなんて些細な事じゃないか。俺は、こいつがいつまでこのままここにあって、いつ家に倒れ込んでこないか、不安で仕方ないんだ」


 お父さんはため息をついた。


「せっかく教えてあげたのに、それはないじゃん。建ってるものはしょうがないよ。なるようにしかならないのが人生だし」


 私はこの景色にもう慣れてしまったというか、諦めの境地に達している。

 何となく検討もついているし。


「お前は高校生にして悟りでも開いたのか? 若者は新しい事に順応するのが速いとは聞くが、志保は新幹線並みの速度だぞ。壁が建ってるのは南側だ。一日中家の中が暗いから明かりをつけっぱなしにしなくちゃいけない。最近電気料金も上がったし、家計が苦しくなるよ」


 そういえば、テレビでしきりに電気代が上がるというニュースをやっていた。

 興味がないので忘れていたが。


「あ、そろそろ遅刻しそうだから、行くね」


 私は、玄関先に停めている自転車のスタンドを蹴っ飛ばして、スカートを押さえながらサドルにまたがり、両足で地面を軽く蹴って道路に出た。


 元々この道路は歩道がなく、片側一車線だ。

 しかし、壁がちょうど道路の真ん中に引いてある白線の上に建ってしまったため、車は通れなくなった。

 車がいないので、エンジン音が聞こえないのはとても快適だ。

 歩行者や自転車なら通れるが、それでもすれ違う時は相手に触れないよう慎重になる。


 そして今日も私は、絶えず横を通り過ぎていく歩行者にぶつからないよう、ペダルはこがず、片足で地面を少しずつ蹴って走らせる。

 というのも、この壁は観光スポットになってしまっているからだ。

 壁の長さは二百メートルくらい。

 厚さは三十センチほど。

 私の家は、その真ん中あたりにある。

 物好きな人たちが、朝から夕方までやってくる。

 よく、


「何でこんな所に壁なんか建ってるの?」


 と登校と下校の時に野次馬に聞かれるが、


「知りません。建ちたいから建ったんじゃないですか」


 と答えるようにしている。


「面白いこと言うね。壁が生きてるみたいに」


 という言葉には、


「生きてますよ。だって、一日ごとに大きくなってますもん」


 と返している。

 実際、壁は横に数センチずつ伸びていた。

 チョークで線を書いておいたので、間違いない。

 線より先に壁の端があるのを見て、


「今日も伸びてんねー」


 と、私はまるで花壇の植物でも見るかのように言った。


 学校に着くと最近、クラスの女子に必ず声をかけられる。


「今日も壁建ってるの?」


 と。

 派閥の違う女子にもだ。


「うん、建ってるよ」


 私は、今日提出の宿題を、友達に写させてもらいながら、軽く返事をした。


「自分の家の前にそんな得体の知れないものがあるのに、どうして志保はそんなにのんきでいられるの? あたしなら、すぐに自衛隊に電話してぶっ壊してって言うよ」


 普段話したことのない、私よりカーストの上位にいる女子が、ハスキーな声で言った。

 のんきという言葉に、私はちょっとチクッとして、手を止めて顔を上げる。


「どうでもいいよ。今のところ大丈夫なんだから、問題ない」


 それ以上話をするのが面倒なので、宿題の複写作業に戻る。


「相変わらず志保はマイペースだ」


 ハスキーな女子は、飽きたのか私から離れていった。

 決してハスキー犬に似ているという意味ではない。

 犬みたいに苦手なのは合っている。


 帰り道、小学校時代からの唯一の友達である未来みらいが、誰もいない住宅街の道で、こそっと私に言った。


「もしかしてあの壁、神社から持ってきた変な石板じゃない?」


 午後の授業で体育があって、未来は着替える時にいっぱい制汗剤を脇や首筋にかけていて、花のきつい香りがしてきてむせそうになったけど、私は何とか我慢した。


「あー、やっぱりそう思う? 私もそう思う」


 ちなみに私は石鹸の香りの汗拭きシートを使っただけなので、よっぽど鼻を体に近づけてこないと匂わないはずだ。

 いや、あと少しで彼女の鼻が私の脇にくっつきそうだが。

 横を歩く私からは、未来の頭頂部が見えている。

 子どもみたいにおさげ髪に結っている彼女の頭部には、前方から後方にかけて地肌が見えている。

 まるで、家の前の道路に建つ壁みたいだ、と思った。


「その石板が、志保の願いを聞き届けて、あそこまで大きくなったんだよ、きっと」

「そうかなぁ」

「そうだよ。だから、壁があるのは志保のせいだ」

「私だけー? 未来も一緒にいたじゃーん」


 私は、右隣りを歩く未来の左ほっぺたを、人差し指で軽く突いた。

 いやん、と未来はうれしそうにその場で飛び跳ねる。

 グミみたいにとてもぷにぷにしていて、汗でちょっとぺたぺたしていた。


「あの時志保、『車がうるさいので何とかしてください。ついでに、犬がイヤなのでここを散歩させないようにしてください』って言って、道路にあった亀裂に石板をぶっ刺してたよね? あそこってちょうど志保の家の前だった。もう犯人確定! 間違いない!」


 途中から、未来の声が大きくなっていたので、少し強めに彼女の頭頂部を手のひらでベチーンと叩いた。

 いったーっ!? とうめいている。

 頭皮が温かく、手入れの行き届いた髪の毛がサラサラしていて気持ちよかったことは、しゃくなので言わない。


「私のせいだとしてもだよー? あの壁どうするよ。お父さんが、『毎週日曜日に少しずつ端っこから壁を削る!』ってドリルをホームセンターで買ってきちゃったんだよね」

「自衛隊や警察は何をやってるの?」

「何か、生きている壁は研究対象だとか、未知なる物質は保存すべきだっていう意見がどこからかあるみたいで、すぐに壊せないっぽい」

「志保が植えた壁だよ? もう一度願えば元の石板に戻るんじゃない?」

「何て願うの?」

「そりゃ、『あなたのおかげで、車も犬も来なくなりました。ありがとうございます。もういいですよ』って優しく言うの。きっと神様だから」

「何の神様さ」

「壁の神様」

「それ、ぬりかべっていう妖怪では?」

「何それ知らない。志保はそういうのも好きなの?」


 好きではないが、以前不登校だった時にたくさんの本を図書館から借りて読んでいたから、そのうちの一冊にそんな本があったかもしれない。

 仕方ない。


「とりあえず、壁を元に戻すかー」

「いつやるの? 夜の方がいいよ。目立たないし。あ、わたしも石板に戻すところ見たいから、今夜志保んちに泊まってもいい? いいよね。今から着替え取りにいってくるから!」


 そう言って未来は、風のように目の前から去っていった。

 私はOKの返事を出していないのに。

 別にいいけど。


 午前零時になった。

 私と未来はパジャマ姿で、二階の自室から外の様子をうかがっていた。

 何か昨日から、警察が警備のために壁の周辺を随時見回っているようだ。

 野次馬やマスコミも、辺りをうろついている。

 詰んだ。


「どうする? どいてって警察に言っても、どいてくれないよ?」


 未来がグフフと変な笑い方をしている。


「どうって……。私がやるしかないわけで」


 そう。

 もし壁をシュルルルンと元の大きさに戻すところを見られてしまったら、壁を建てたのが私だとバレてしまう。

 かといって、このまま壁を放置していて、いつ自分の家が押し潰されるか分からないという不安もでてきた。

 やるしかないわけで。


「志保、あなたのお父さん、さっき防犯カメラを玄関に設置してたよね? わたしたちが外に出たら、一発でばれそう」


 追い打ちをかけるように未来が言う。


「んのあああああ!!!」


 変な叫び声が出た。


「やってこい!」


 未来が私の背中を思いっきりバチーンと叩いた。


「え、『やってこい?』未来は?」

「わたしはここで見ているから! わたしは、『友達の家にいたら、たまたま壁が小さくなっていくのを目撃した』ということにしたい!」

「裏切りものおおおおお!!」


 久しぶりにこんなに叫んで、声帯がカパッてすごく開いているのを感じた。


 私は十分間くらい考えて、重い腰を上げた。

 ファイト! という控えめな声が背後から聞こえてくる。

 うらめしい。

 そろりそろりと階段を降り、玄関で靴を履く。

 さて。

 このドアを開けたら、私はタダでは済まない。

 私の前に、大きな壁が立ちはだかっていた!

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― 新着の感想 ―
[良い点] シュールだなぁ~と楽しく読ませて頂きました。 特に「それ、ぬりかべっていう妖怪では?」がツボです。 そしてまさかのオチでタイトル回収! とてもお上手でした。 面白かったです。 楽しい時…
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