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8 リリアンヌは帰りたいのである

――マリーベル様、聖女にならないんだって!


こちらにお辞儀をするメイドさんにお辞儀を返しながら、私もドアを閉めた。

ここはこの辺りでも一番有名な商家。マリーベル様が聖女になる気がないという噂の出所がここだって、父が言うから確かめに来た。


何を考えているのかしら、マリーベル様は。彼女程聖女にふさわしい人間なんていないでしょうに!


……マリーベル様、聖女にならなんだって。


田舎に帰っちゃうんだって。

まぁ、当たり前だろう。男爵家の小娘に公爵家の令嬢が負けたなんて言われたら、もうマリーベル様王都じゃ外にも出られないだろう。


……私ももっと外に出ておけばよかった。

もっといろいろ目を配らせていたら、噂を知るのがこんな遅くにならなかったかな。

でも仕方がないじゃない、処刑回避のために奔走していたんだもの。


マリーベル様は聖女になりたくなかったのか。そうか。もっと早く知っておけばよかったな。

わざわざ父さまに話なんかしに来て、私バカみたいじゃないか。


――私は聖女になるんだろう。

そして、マリーベル様は田舎に帰っちゃう。もう当分会えないんだろう。下手したら、一生。


――地面が、崩れていく。


「リリアンヌさま!」


ふと顔を上げると、顔を真っ赤にした青年が描けてくる。知ってる、彼の名はヤコブだ。


「お帰りになっていたのですね! 他のものも呼んできます!」

「あ……いいよ、ヤコブ」

「そんな、未来の聖女様なんですから。おーい! リリアンヌさまが返ってきたぞ!」


決まったわけじゃないよ、と言いかけて伸ばした手を降ろした。



「私はリリアンヌ様の育ての父親なのですよ」


キナコバター男爵が、案内にとつけてくれた部下は言った。


状態の悪い道路の上を、音を立てて馬車は走る。窓の外の鄙びた街を、男は忌々しげに眺める。


「ここだけの話、リリアンヌ様はキナコバター男爵と侍女の娘なのです。リリアンヌ様から光の魔力が検出された時、男爵の正妻は気が狂ったようになってしまいましてね。彼女には子供を授かることがなかったのに、ちょっと手が付いただけの妾には素晴らしい才のある娘が生まれたものですから。それで、困り切った男爵が私たち夫婦に預けることにしたのです」


マリーベルは無言で男の顔を見つめる。


「彼女は聖女になる人ですから、私たちは全力で守り通しました。しがない軍人ですから貴族流のマナーなどには明るくなくて、満足するような淑女には育ちませんでしたがね。教えられる限りの勉学を詰め込みました。本来なら学園に入学するまで、屋外にも出させないつもりだったのです。それでも確か7つの時、リリアンヌ様が私たちに隠れて村へ出かけていたことがわかりましてね。言葉遣いや話す内容が違うリリアンヌ様が物珍しかったのか――確か、ヤコブとかいったか――リリアンヌさまをいじめて、怪我をさせたのです。もちろん、私たち夫婦は許しませんでした。家に怒鳴り込みに行って、リリアンヌ様が光の依り代であることを伝えました。連中は親子ともども、地面に額をこすって謝りましたよ」


男はフン、と鼻を鳴らした。


「神をも恐れぬ所業だったのですからね」


ガタガタガタ、と音を立てて走る馬車の窓からは、埃っぽい貧しい街が見える。


「リリアンヌ様はおっしゃいませんでしたが、町の連中も幼いリリアンヌ様にひどく当たっていたようでした。見せて差し上げたいですよ、リリアンヌ様が未来の聖女だと知った時の、連中の青ざめた顔」


馬車はキイ、と大きな音を立てて止まる。


「ここですよ、村のものがリリアンヌ様が向かった、と言っていたのは」


それは簡易的な神殿だった。小さいが、黄色で統一されたステンドグラスが美しかった。光の神の神殿だ。


「リリアンヌ様、私に富を」

「光の依り代様、私に名声を」

「病気を治してください」

「聖女様、私に愛をもたらして」


狭い神殿の中ではこれでもかというほど人が押し合いへし合いしていた。その息の詰まるような室内とは対照的に、吹き抜けからは柔らかい光がさわやかな風と共に降ってくる。


人だかりのずっと奥、先頭で祈るヤコブの前の台座に、リリアンヌが立っていた。微笑みながら人々に祝福魔法を振りかけるさまは、誠に宗教画の様であった。


「リリアンヌ嬢」


思わず呼び掛けたマリーベルに、リリアンヌが目を向ける。思わず息をのんだ。その瞳はどこまでも沈んでいきそうなほど、無感情であった。


「――マリーベル様! 何故こんなところに?」


しかし数舜の間に、リリアンヌはいつもの輝く瞳を取り戻し、人込みをかき分けながらマリーベルのもとに駆け寄ってきた。


「何故も何も、急に保健室から消えただろ」

「ええっ! それだけで心配してわざわざこんな田舎町まで……? 天使……?」

「やや、マリーベル様。その様子だと瞬間移動は首尾よくいったみたいですね?」


台座の奥の垂れ幕から、マルクルがニコニコしながらやってきた。


「確かに来れたけどな、あの違和感はどうにかならんのか?」

「無茶いわないでくださいよ、空間を捻じ曲げているんだから」


軽口をたたきながらも、マリーベルがちらりとリリアンヌの様子を見る。きゃあきゃあ騒いではいるが、やはりなんとなく様子がおかしい、気がする。


「……こんなに素敵なのに、マリーベル様は聖女にならないんですか?」


突然、リリアンヌが聞いてきた。


「……なれないよ」

「そうですか」


リリアンヌは一瞬表情を落としたが、すぐに困ったような笑みを浮かべた。


「マリーベル様ができないものを、私などが勤め上げられるわけないと、そう思うのですけれどね?」



「マルクル、ちょっと聞いてもいい?」

「なあに? アンヌ」


夜、私がこっそりマルクルの部屋を訪ねると、マルクルは驚きもせずににへらりと笑った。


三日後、私は王都へ行く馬車に乗らなければならない。着いたらすぐに指輪譲渡の儀式が行われるのだろう。


その前に、どうしてもやっておきたいことがある。


「異世界へ渡ることって、出来るかな」


マルクルは虚を突かれたように黙り込むと、しばらく考え込んでから答えた。


「アンヌの光魔力があれば、出来ると思う。というか、出来るよ」

「そう」


ふぅ、と私は息をついた。


三日後、私は聖女になる。父も育ての両親も近所の人も、大喜びするに違いない。待望の、聖女リリアンヌの誕生ですからね。


――あの日、私が外に隠れて出ていたことがばれた日、父と母は怒り狂った。

泣いてとめても、ヤコブの家に怒鳴り込みに行くのをやめてくれなかった。


昨日まで私をどぶに突き飛ばして喜んでいたヤコブたちは、親と一緒に泣きながら土下座をしてきた。

この前まで石を投げられている私を笑いながら見ていた近所の人達は、手のひらを返したように猫なで声で私に近づいてきた。


私一人が受け入れれば済む話だった。


もう聖女になんかならないと泣いた日、育ての父母は今まで見たこともないような怖い顔で私に言った。


あなたを産んだ侍女は産後の肥立ちが悪くてなくなりました。あなたが光の依り代でなければ、赤子のままどこか路頭に放り出され、野垂れ死んでいたことでしょう。あなたは、とても運のよい子供なのですよ。


その時分かった。

ずっと、ずっと育ての両親は、私を透かして別のものを見ているようだった。

それは未来の聖女だったのだ。


学園に行く前に、屋敷で少しの間だけ、家庭教師をつけてもらったことがある。

彼女に聞いたが、父は赤子の私は何者かによってさらわれたが、光の魔力によって奇跡的に再会したと社交界に広めているらしい。

何ともお涙頂戴のストーリーだ。


全て私一人が受け入れれば済む話だった。


そうとも。私は運がよかった。

こうして毎日おいしいご飯を食べて勉強ができるのも、いじめた連中が真っ青になってご機嫌をうかがってくれるのも、すべて私が光の依り代だからだ。


――でも、少し疲れてしまった。


「一目でいいの」


私は泥を吐くように言った。


「あなたの実験、これから何だって付き合うから」




「一目でいいから前世の世界が見たい」


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