6 プランB
舞台は会議室に戻る。
「お初にお目にかかります。イルゼ・ナットウと申します」
栗色の巻き毛の少女は、ゆったりとカーテシーをした。
「『殿方同士の愛を愛でる会』会長をさせていただいておりますわ」
「……して、イルゼ嬢。あなたは彼女の性癖愛について、何か思うところがあるのかね?」
「はい、ブロッコリー公爵。彼女の起こす興奮状態は、私共のそれとよく似ております。お聞きした性癖愛についても、私共の持つ愛の感情とよく似ているように感じますわ」
イルゼは利発そうな目を上げた。
「それでは君は、彼女の性癖をどうにかすることも可能であるか?」
「残念ですが、一人の人間の性癖を故意に変更することは不可能ですわ」
イルゼは首を振った。
「性癖は移り変わることはあっても、変えるのは本人の意思ですら不可能」
「では移り変わるのにはどれくらいの時間が必要なんだ?」
「個人差があります。長いものでは、数十年単位。一生変わらないものもざらにおります」
「では……」
自分たちががリリアンヌの性癖を変えることは、不可能。
重い空気が張り詰める中で、イルゼは顔を上げた。
「ですが、打つ手がないわけではありません」
「話してくれ、イルゼ嬢」
「愛が重いのなら、分散させれば良いのです。リリアンヌさまの性癖に酷似する人間を、もう一人連れてくれば、必然的にマリーベル様へ向けられる感情の量は小さくなる。上手くいけば、リリアンヌさまの感情はすべてもう一人の方へ向けられるかもしれません」
「それは……!」
「何と……!」
沸き立つ会議室で、マリーベルが首を振った。
「あのレベルの感情を、一令嬢に負わせる気か?」
「マリーベル様……」
「あまりに、不憫だ」
しん、としずまりかえる。
「無理やり光の魔王の精神安定剤にされても文句を言わないもの、あるいは言わせなくてもよいもの。罪人とか……?」
「そんな人体実験レベルの話なんですね」
「マリーベル様、心当たりはないんですか? 親戚とかで」
マリーベルは腕を組んだ。
「どう扱っても心が痛まなくて?」
「金髪で?」
「ちょっと短慮で?」
「なぁ、この話題で俺のことちょっと短慮っていうのもうやめてくれないか」
「貧乳で?」
「男言葉?」
マリーベルが口を押える。
「マリーベル様、何か心当たりが?」
従者が尋ねる。
「ない。しかし、ある」
「……ベル、どういうことだ?」
「ないものは――」
マリーベルは酷薄な笑みを浮かべた。
「作ればいい」
「なっ、何だねここは!?」
ハロルドは悲鳴を上げた。
自室で紅茶に手を付けたら、突然眠くなり、気が付いたら見知らぬ部屋にいた。
自分は白いベッドに横たわっていて、側の小さなテーブルには見慣れぬ器具。
これは……手術道具?
「目が覚めたようだね、ハロルド皇子」
白い服を着たマリーベルがにっこり笑って近づいてきた。
「心配しなくとも、当家でも使っている信頼のおける医師たちを使用するから、君の体調には何の問題もない」
「な、何をする気だ……?」
「なるほど」
マリーベルの背後では感心したようにマルクルがうなずき、イルゼがハンカチで目頭を押さえ、従者が合掌している。
「金髪で、ちょっと短慮で、胸がなくて男言葉。完璧だ」
「な、何の話をしている……!?」
「あとは、女性であればいい」
暴れ出そうとするハロルドの上に、マリーベルが馬乗りになった。
「おや、もう睡眠薬が切れてきたか」
「ああ、ハロルド様のハロルド様が……!」
従者が手をすり合わせながら低頭する。
「お、お前達、まさか」
「わるいね、ハロルド君」
マリーベルはこれまでの数々の雪辱を思い出しているのか、華やいだ笑顔を思いっきり顔に広げた。
「お国のために犠牲になってくれたまえ!」
「うわあああああああ!」
〇
王妃は言った。
「せめて息子に一目会わせて……」
〇
リリアンヌは見た。王妃を連れて、行方をくらました皇子を探し出した先には。
寝台にハロルドを押し倒して、嬉々として両手を縛りつけようとするマリーベルの姿。
「いやああああああああ!」
「リ、リリアンヌ嬢!? 何故ここに」
「駄目よマリーベル様、その男だけはだめ!」
リリアンヌは狂ったように寝台へ駆け寄ると、マリーベルを無理やり引きはがした。
「このクソ野郎、あろうことかマリーベル様相手に、処刑の次は篭絡? ありもしない罪を擦り付けたくせに、どの面下げて……おまけにこの高貴な美少女にSMプレイしかけるとか……最っ低よあんた! いやちょっとまあSMプレイは否定できないっていうかSなマリーベル様も見てみたいと思うには思うけど……ともかく何度マリーベル様をだまくらかせば気が済むの、この下種野郎!」
何と、水面下でプランBが動いていた。
「は!? 待てアンヌ、誤解だ!」
「おい待て誰がうちのだって?」
「いやああ! ハロルド!」
王妃は両頬に手を当てて、髪を振り乱してリリアンヌとハロルドの間に割って入った。
「嘘つき! 最初からハロルドを生贄にする気だったんじゃない!」
困惑しながらマリーベルが答える。
「え? あ、違います、王妃様! これはリリアンヌ嬢の魔法器具とかじゃなくて、ただの手術器具で――」
「どけ王妃! さもなくばてめぇも道連れ、親子仲良く光の生贄だ!」
「ちょっとお前は黙ってろ!」
まぁリリアンヌとマリーベル、どちらがひどいかは人による。
マリーベルが叫ぶ背後では、大笑いするマルクル。
「あははははは、何この状況、おもしれ―!」
「いや、やはりマリーベル様とハロルド様のカップルもいけますわね……」
その隣では一人ぶつぶつつぶやくイルザ。
「苦労人と阿呆の子のカップル、ううん、やはりこのままハロルド様を女にしてしまうのはまずい……いや、むしろ男がこれから女になるって、逆にそそる……?」
「一人で新しい扉開きださないでくれるかな!?」
「いやああ! リリアンヌ近づかないでっ!」
「光の神の膝のもとで永遠に許しを乞え! マリーベル様を害しようとした罪をな!」
マリーベルはさまよわせていた手をすっと下げて、虚無の顔で顔を上げる。ばちりと従者と目が合う。
(どうしたらいい、この修羅場)
(どうにかしてください、理想の美少女)
ゆっくりと隣をむけば、ぱちぱちと線香花火のような火花を上げる少女。
前回の世界崩壊の危機ほどではないが、今放置するのは十分危険だ。
「リリアンヌ嬢、どうどう。とにかく誤解だから。全部誤解だから。落ち着け一旦」
「認めませんよ、認めませんからねマリーベル様……マリーベル様には最低限でも、天才で運動神経抜群で人格者でお金持ちで権力者でマリーベル様の幸せを何においても第一に優先する高身長スレンダー美形じゃないと釣り合いませんからね!」
マリーベルはもや、と胸に不快な霧がかかるのを感じた。
「……釣り合うやつが見つかったら認めるのか」
ぽかん、とリリアンヌは口を開けてマリーベルを見ると、頬を桃色に染めてもじもじと人差し指をこすり合わせる。
「ええと、つまり花嫁衣装が見られるってことですね! せめてお色直しは4回以上させてください! あ、もちろん私がスポンサーになるので、衣装選びとか、写真撮影とか、アルバムづくりとか――」
胸にかかる霧が、どんどん濃くなってなにか腹立たしい。マリーベルは何となくリリアンヌの鼻を掴んでグイッと引き上げた。
「ふぎゃっ」
「見つけてみろよ、バーカ」
目を丸くして固まったリリアンヌに、ちょっと気が済んで手を離す。リリアンヌは真っ赤になった鼻を押さえながら、マリーベルを凝視した。
「――え、マリーベル様いまその御手で、私の鼻、触った……?」
「……ん?」
「そのうえ、耳元で声が近い……美少女っぷりで全身で殴ってくる声がした今耳元で……まってすごくいい匂いした……これが性癖の香り……え……」
一気に顔全面を鼻と同じくらい真っ赤にしたリリアンヌは、そのままばったりと倒れ込んだ。
「リリアンヌ嬢……?」
「ああ、幸せそうな顔しちゃってまぁ……」
駆け寄った従者は、リリアンヌが完全に意識を失ったことを確認する。
王妃が駆け寄ってきて、マリーベルに震えながら縋り付く。
「もう指輪なんてあげるわ、なんだってするから助けて……」
差し出された巫乙女の指輪を見て、マリーベルは微笑みながら天井を仰ぐ。
柔らかな光とともにさわやかな風が吹いてくる。なんとなく周囲の空気が澄んでいく。
これで大団円なんて自分は認めない。断じて認めない。
「……なんで窓も空いていないのに、そよ風が吹いているんですか」
「従者くん、それはアンヌの特殊光魔法である祝福が暴走しているからだね」
マルクルがニコニコと答える。
光の祝福。性癖への、祝福。
マリーベルはうつろな目で微笑みながら、壁に寄って窓を開ける。
「いいてんきじゃないか」
「現実逃避しないでください」
ちょっとつかれた。指輪を手の上でもてあそびながら、マリーベルは呟いた。
一同を、やさしい夕焼けが包んでいた。